あなたの絶望は私の希望 ⎯銀朱の月の夜の話⎯夜中のキッチン、包丁を持って佇む友一君がいた。
声をかけると私を見て、にっこりと微笑んだ。
瞳に銀朱の色をたたえ、悪魔のように素敵な笑顔。
振りかざした包丁が一瞬だけ光り、振り下ろされる。
わざと避けなかった。
左腕に鈍い痛みが走り、すぐに袖が赤くにじんだ。
「楽しそうですね、友一君。」
私も笑うと、友一君はもっと嬉しそうに微笑みながら、包丁を何度も振りかざす。
たまに肩にあたりそうになるのは、少し下がって胸で受けた。シャツが血を吸いきれず、床にポトンポトンと落ち始める。
楽しそうなのは結構ですが、そろそろ止めないと。
何度目かに振り下ろされた包丁を、握って止めた。
「友一君」
強く呼びかけると、瞳から狂気が抜けていく。
魅惑的な魔の紅が抜けるのは、少し残念だ。
「真次……?え……俺………」
「久しぶりに壊したくなった?……それだけ、私のことを大事に思ってくれてるという事ですか?」
自分の持っている真っ赤な包丁を見て、私の血だらけの腕を見て、自分がなにをしたのか分かってきたようだ。
「私も楽しかったですよ。私がこのまま死んだら、どんな絶望した顔をしてくれるんだろうと想像すると。」
「……………」
「でも、これ以上失血したら明日の仕事に差し支えるのでやめてくださいね。」
「ゴメン……救急箱持ってくる。」
何の言い訳もせず棚に向かう。
一番深い傷を掌で圧迫して止血した。縫うほどの傷はないだろう。
「シャツ、脱いで。消毒する。」
言われた通りシャツを脱ぎ、とりあえずキッチンのシンクにおく。
「そんなに自分を抑えて暮らしてました?」
「そんなつもりなかったんだけど……まだ、こんな自分、いたんだな……」
「私には、どんな友一君を見せてくれてもいいんですよ。」
「いや、俺の失敗。……けっこうざくざく刺したな。避けてくれて良かったのに。」
手際よく包帯を巻いていく。
「とても楽しそうでしたので。」
「正直、血だらけのお前、みっともなくて興奮するけど、ホントこんなつもりなかった。かわりに、今度やり返してくれていいよ。」
「やり返す…とは?」
「えっと……殴ったり蹴ったりとか…?」
「私に聞かないでください。何もしませんよ。あなたの苦痛も絶望も狂気も愛してますが、あなたの幸せな笑顔も、同じだけ愛してます。」
「バカ……」
「ただ、まだ死にたくはないですね。死んだら、最高に絶望するあなたの顔が見られなくなってしまいます。」
「………………」
「泣き顔は普段から充分満喫してます。今は……笑って」
「無理。」
包帯を巻き終わってもまだうつむいたままの友一君の顔を見ないよう、頭を撫でた。
《あなたの絶望は私の希望 / 終》