夜明けを知らせる暁光背中が熱い。荒く零れる息遣いはこの暗闇の世界じゃ命取りに繋がる。すぅ、と息を吸って吐く。整わない呼吸に次第に苛立ちが募るも後ろから追ってくる気配は先程から距離は縮まらないが遠退きもしない。興奮状態に陥っている身体はいつ正気に戻るか分からないからこそ、早く、はやく逃げなければ。
「ッ、」
風を切る音が東から聞こえる。身体を斜めに沿っても頬にかすった苦無は大木に突き刺さった。手持ちの武器は先程から続く攻防で多くは無い。耳奥で響く心臓の音が轟々と燃える炎に似ている。土井は見慣れた暗闇の中、目を閉じてその一瞬の後南東の方角に忍び寄る敵の存在を嗅ぎつけ指に馴染んだソレを寸分の狂いなく放てば後は男の呻き声と共に大木から落ちる音。
「お見事、土井殿」
突如、土井のすぐ目の前から見知った声が聞こえたのと同時に大きな身体に抱き留められれば今度こそ土井の視界には暗闇が広がり、込められる腕の力の強さに張っていた身体は一気に筋肉を弛緩させ、何一つ匂いがしない男の胸元で、微かに香る嗅ぎ慣れた薬の匂いが鼻を掠め土井はそこで諦めて目を閉じ意識を手放した。このまま死ぬるとも、好いた男の腕であればそれもまた冥途の土産には持って来いの思い出であろうから。
だがまぁ、それを許すかは火炎にその身を燃やされたとて死の縁から這いずって出てきたこの男次第である。最も、惚れた女が己を置いて逝こうとしているなど許しはしないが。
「悪いね、後は任せるよ」
口調こそ軽快なもの言いではあるが、その身体から滲み出る殺気がざわりと肌を刺す。敵に向けれているはずのソレに部下たちは低く頭を下げ、素早く飛び立ち此処から先は何人たりとも立ち入らせることを許さない。
雑渡の私邸に土井を運び念のため、と待たせていた軍医に土井の身体を診せる。抱き留めた時から感じていた背中の刀傷はやはり浅くはなく、出血もかなり酷かった。血が足りていない土井の顔は青白く、雑渡にだけ分かるような死人の匂いが鼻をついた。幸い、深く意識を飛ばしているお陰で、縫っている最中に痛みで意識が覚醒するという事は無かった。ただ昏々と眠り続ける土井を見て、泣き叫んでても良いから生きているという事を実感させて欲しいとも雑渡は我儘に思ったものである。
黒鷲隊の頭である押津に、土井の状況を学園に知らせる為と暫くはこちらで面倒を見ると決め、使いを頼んだ。
「今夜です。」
短く告げられたその言葉に雑渡はひとつ頷いて、軍医には客間で休むよう伝え下がらせる。
忍装束から寝間着に替え髪紐を解かれ、枕に散らばり流れる髪に艶は無いが雑渡の武骨な手が絡んではするりと指の隙間から落ちた。徐々に荒い呼吸音と共に、熱を出し始めた土井に、雑渡はゆるりと襟元を乱し幾度も触れた素肌に手を忍ばせ、丁度心臓がある所に手を翳す。忙しなく、どくりと動く不気味な音に発汗し始めた汗が手と胸の間に滑るが暫くそうして土井が今生きている事を確認する。
柔い胸が上下に揺れ、熱の籠った息が唇の隙間から逃げ、時折獣のように唸る。
空いているもう片方の手でまろい頬を撫でればそれに呼応するように土井は薄く目を開ける。それを見逃さなかった雑渡は軍医が置いて行った鎮痛剤と解熱剤の薬を歯で挟み、顎に手を置き、口を開かせる。舌の上に置いたそれらを次いで水で流し込み、誤飲させないようにゆっくりと喉が上下するのを端目に確認し顎に置いていた手を離し頭を撫でた。
「おやすみ、半助」