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    くるしま

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    くるしま

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    やっっっと雑土の続きが完成しました!
    尻叩きに反応くださった方、ありがとうございました!おかげで完成させられました!

    #雑土井
    miscellaneousWells
    #雑土
    miscellaneousSoil

    はじまりの話-続き 寝不足。ストレス。心労。
     それがここ最近の、土井半助の悩みだった。
     ほとんどは仕事の事だ。相変わらずの一年は組についてであり、学園長先生から与えられる無茶振りについてだ。
     そこにもう一つ、新しい悩みが加わり、土井の思考を圧迫していた。
     新しい悩みを、どう解決したものか。
     土井次第でどうにかなる悩みであるが、土井一人では解決しきれない。
     そして、誰にも相談できない。
     ある程度の結論は出しながらも、土井はその問題と、つまり雑渡昆奈門との対話を先延ばしにし続けていた。



     そんな日々が続いていた、ある日の夜更け。
     土井は忍たま長屋の廊下を歩いていた。生徒が眠りにつき、灯りが消え始める頃だ。
     見回りではあるが、不審者の警戒というよりも、生徒たちを見るのが主な目的だった。
     騒ぐ者、寝ない者、鍛錬や勉強に根を詰めすぎている者、危険な事をしようとする者、勝手に外へ出ようとする者。
     何しろまだ若くて幼くて、元気すぎる生徒たちであるから、暴走しないよう見ていなければならない。
     土井は長屋を回りながら、
    「こら、いつまで騒いでるんだ。早く寝ろよー」
    「熱心なのはいいが、休むのも大事だぞ」
     といった様に、目につく生徒へ声をかける。
     一通り回り終わる事には、だいぶ長屋は静かになっていた。
     今夜はこのくらいでいいだろうと思い、戻ろうとした時。
     視線と気配を感じて、土井は立ち止まる。
     目をやった先に、塀の上に、大きな男が立っている。
     雑渡。
     驚きながらも声は出さず、土井は彼を見る。
     と、同時に。雑渡は塀の外側に飛び、学園の外へと消えた。
     土井は眉を寄せる。
     彼は、忍び込もうとした訳ではない。わざと土井に姿を見せつけてから、消えた。
     来いと言われている。
     そう感じた。
     追いかけなければならない。
     見回りをしている教師として、追いかける義務がある。見逃すわけにはいかない。
     彼と向き合うのが、いろいろな意味で躊躇われるとしても。
    「仕方ない」
     覚悟を決めて、土井は雑渡を追って塀を飛び越える。
     その脚はいつになく重くて、だが裏腹に、心は少し高揚していた。



     あの日。雑渡が突然、土井の元を訪れた、あの夜。
     雑渡が何の意図をもって己の所を訪ねたのか、土井はずっと考えていた。あの言葉を鵜吞みにしていいのか、何か裏はないのか。
     何度も考えて、そのたびに雑渡の声と、口付けの感触を思い出した。
     そうして考えて考えて、ふと気付けば、毎日のように雑渡の事を思っている己に気付いた。
     同時に、雑渡の意図が理解できた。
     雑渡は土井の懐に入りに来たのだ。
     土井が摘もうとしていた、雑渡への想いの、まだ芽が出ているかいないかの小さな感情に、水をやりに来たのだ。
     土井が気付いた時には、もう遅かった。
     雑渡の思惑通り、土井の心の中で、輪郭を持たなかった気持ちが育っていた。
     やられた。そう思った。
     土井は、忘れるべきだったのだ。
     あの夜の事も、雑渡の事も。
     腹が立った。雑渡に。そして、それでも彼を嫌えない、彼への思慕を消せない土井自身に。
     先を走る雑渡の背中を見ながら、土井は唇を噛む。
     様々な感情が混ざり合って、色々と言ってやりたい事はあるのに、すべてを口にできるか自信がない。
     雑渡は、なかなか止まらなかった。
     しばらく追いかけっこをして、これ以上学園から離れるのはまずいなと、土井が思い始めた頃。雑渡は、ようやく立ち止まる。
     追いかけていたはずの土井は、それを見て、自分も足を止めた。
     雑渡は振り返って、追いかけてきた土井を見ている。これ以上、逃げるつもりはなさそうだ。
     土井は覚悟を決めて、足を踏み出した。
     ゆっくりと歩いて、雑渡に声が届く程度の場所まで近付く。
    「こんばんは、土井先生」
    「こんばんは」
     薄い雲の向こうで、月が光を放っている。木々の間から漏れるぼんやりした淡い光で、やっと互いの姿が見えた。
     表情までは見えなかった。しかし、
    「来てくれてよかった」
     楽しげな響きを聞けば、どんな顔をしているか推し量るには充分だ。
     土井は息を吐き、なるだけ素っ気ない声を出した。
    「不審者をそのまま帰す訳にはいきませんから」
    「中までは入っていないけどね」
    「あそこまで来ていたら、同じですよ」
     声が届く程度の距離を保ちながら、土井は雑渡と向かい合う。彼は憎らしいほどいつも通りの姿で、木を背にして立っている。
    「それで……ご用件は?」
     土井の声が少々固くなるのは、仕方ない。
     雑渡は、土井を外に誘き寄せた。そうする心当たりはひとつしかない。
    「先日の件で」
    「どちらの先日でしょう」
    「おや、お忘れで?」
    「さあ。何のお話でしょうか」
     まずは、忘れたふりをしてみた。
    「忘れたのなら仕方ない。今度は昼間の忍術学園で、あの時と同じ事をして、思い出して頂くとしようか」
    「思い出しました。話し合いましょう」
     土井はあっさりと降参した。
     雑渡の言葉は脅しであり、実際にはやらないだろう。やらないだろうと、予測はできる。だが厄介な事に、雑渡には「彼だったらやりかねない」と思わせるものがあった。
    「おや。生徒の前ではまずかったかな?」
    「まずいに決まっているでしょう」
    「先生方の前では?」
    「余計にまずいですよ!」
    「なるほど。私を拒もうとするのは、その辺りが原因かな?」
     ぐ、と土井は言葉に詰まる。
     あれ以来、土井が雑渡と面と向かって会うのは、これが初めてだ。
     学園に遊びに来た(としか言いようがない)雑渡を見掛ける事はあったが、土井は彼に近付こうとしなかった。
     避ける、とまではいかないが、遠目に会釈をしてすれ違う。声はかけない。それだけだ。
    「……拒んだ記憶はありません」
     言い終わる前に、良くない言葉を選んでしまったと、後悔した。
    「では、もう少しこちらに来て頂いてもいいのでは?」
     雑渡と会話しながら、土井は慎重に彼と距離を取っていた。腕を伸ばしても届かない。唐突な事態にも、対処できる程度の距離を。
     雑渡が間合いを詰めてくれば、同じだけ離れる。ここは忍術学園の敷地にほど近く、馴染みのある場所だから、袋小路に追いつめられずに逃げ続ける事はできる。
    「……軽率に不審者へ近付く訳にはいきませんので」
     また不審者呼ばわりされた雑渡は、小さく笑った。
    「前回のような不意打ちはしないよ」
     両手を軽く挙げて、雑渡が言う。信用したわけではないが、このまま離れて会話をするのもよろしくない。
     声が大きくなってしまうし、そうなれば、誰かに聞かれる可能性も高くなる。
    「わかりました」
     渋々近付くと、途端に腕を掴まれる。
    「ちょっと」
    「逃げられないように、念の為」
     力を込めて握られている訳ではない。振り解ける程度の力であるのが、逆に困る。
     ここで彼の腕を振り解いて逃げれば、雑渡は多分追ってこない。少なくとも、今日は。ただ、今日を逃げ切ったところで、追いかけっこが終わるわけではないだろう。
    「雑渡さん」
    「うん」
    「話の前に、一つだけ、伺いたい事があります」
     手の温もりに絆されないように、拳を握る。
    「何かな?」
    「どこで、気付きましたか?」
     これだけは聞いておきたかった。
     土井は、隠していたのだ。雑渡に惹かれる心を。土井は、自分の隠し事がそこまで下手だとは思わない。特に雑渡に関しては細心の注意を払っていた。
     何よりも、まだ、想いと言えるかどうか怪しい薄い心だったのだ。
     なのに、最も隠したい雑渡に、暴かれた。
    「一番に気になるのは、そこですか」
    「私にとっては一番大事な所です」
    「土井先生は真面目でおられる」
    「真面目に聞いております」
     ここを確認せねば、話を先には進ませない。
     その気持ちが伝わったのかどうか。
     雑渡は少し考える素振りをして、
    「土井先生ほどの者でも、咄嗟には僅かに隙が出る」
     独り言のように呟き、
    「それだけの事ですよ」
     と続けた。
    「私に隙があったのは、わかっています」
     土井しか知らない想いが、土井の外から漏れるはずがない。
    「それがどこであったのかと、私は聞いているのです」
     余裕のない問い詰め方だ。だが、雑渡を相手に小細工は逆効果だろう。特に、こちらが劣勢の場合には。
     土井は真顔で雑渡を見る。彼は土井の視線を受け止めて、軽く言った。
    「秘密です」
    「はぁ?」
     間抜けな声が出た。暗闇の中でも、雑渡が笑うのが分かる。その位の距離にいると、急に実感した。
    「……教えては頂けないという事ですか?」
    「もったいないからね」
     楽しそうな声の、思いがけない柔らかい響きに、驚く。
    「私でなければ……忍びでなければ、違和感さえ察知できないほどの隙。それだけで充分では?」
     もったいぶっているのではなく、言う気がない。そう判断した土井は、肩を落とした。
     救いがあるとすれば、誰にでも分かるようなヘマはしていない事だろうか。雑渡ほどの忍者でなければ、気付けない。先ほどの言葉は、そう言っているも同然だ。
    「……私はまだ未熟者という事ですか」
     雑渡は口元に笑みを浮かべただけで、答えない。今ここで彼の口を割るのは、無理だ。そう判断するしかなかった。問い詰めた所で、のらりくらりと逃げるだけだろう。
     土井は息を吐いて、何とか気持ちを落ち着けた。
    「それで雑渡さんは、この未熟者の私に、何のご用事で?」
     声が、口調が尖ってしまう。雑渡は気にした風もなく、むしろ楽しげに目を細めた。
    「そう拗ねないで」
    「拗ねてはいません。ご用件は?」
     再度、尋ねる。今度は、はぐらかす気はない。
    「用件は、先日の続きだね」
    「続きとは?」
    「あなたを口説きに」
     わかっていても、ぐ、と一瞬詰まる。応える気はない。ないが、惚れた相手に面と向かってそれを言われて何も思わない程、土井は枯れていない。
     なるべく感情を抑えて、土井は雑渡を見る。できているか、自信はなかったが。
    「でしたら、お帰り下さい」
    「おや。応えてはもらえないという事かな?」
     不思議そうな問いは、わざとらしく響いた。土井は不機嫌そうに眉を寄せる。
    「応える訳がないでしょう」
    「何故?」
    「理由など、いくらでも思い当たるのでは?」
     雑渡は考えるような仕草を見せた。単に考えるふりをしているだけだろう。
    「そうだね、まあ一番は、立場的なものかな」
     土井の気持ちを理由に入れない雑渡の自信に腹が立つ。
     が、その通りだった。
     土井が雑渡への気持ちを抑えていた理由は、ふたつある。
     ひとつは雑渡が土井に興味なさげだったことで、もうひとつは立場の問題だった。
     忍術学園とタソガレドキは、敵対勢力という訳ではない。今の所は。
     敵対と協力の微妙なバランスが求められる相手で、扱いが難しい。
     これから先の情勢は不確定。油断して付き合える相手ではない。ましてや、忍者隊の組頭という地位にいる男だ。面倒なこと、この上ない。
     土井は、大きな面倒事を背負いたくはなかった。今、生徒たちを育み守ろうとしている腕を、他人に伸ばす余裕はない。
     そんな土井の立場を斟酌してくれる人ならば、話せば納得してくれるのかもしれない。が。
    「立場が気になるなら、そうだね、学園長先生の許可でも取りに行こうかな」
     面白そうに言うこの人に、期待はできないなと肩を落とす。
    「外堀の埋め方が、大雑把過ぎやしませんか」
    「では、山田先生?」
    「絶対にやめて下さい……!」
     怒鳴りたいのを堪えて、低く、強く反論すると、雑渡が笑い出した。
    「何かおかしいですか」
    「いや。滑稽な話をしていると思ってね」
    「滑稽?」
    「だって土井殿は」
     ぐい、と寄って来られた。間近に迫った雑渡の目に、鼓動が跳ね上がる。
    「もう城は落ちているのに、外堀を守る話をしている」
     落ちてなどいない。と言いたくとも、赤らんだ顔では何の反論にもならない。
     実際、今の土井がしているのは、悪足掻きだ。
     まだ何とか逃げられないかと、道を探っている。
     雑渡が余裕の態度を崩さない理由は、土井にもわかる。
     彼には土井の気持ちがわかっている。悪足掻きがいつまで続くのかと、面白がっている。
     もうすぐ手に入るという高揚。
     そう、彼は今が一番楽しいのだろう。
     だったら、手は一つだ。
     それを、切ってしまおう。
     土井は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
    「……わかりました」
    「ん?」
    「お受けします」
     雑渡は一瞬、動きを止めた。それを見ただけで、少し気分は良くなった。
    「ほう。急に、物分かりがよくなったね」
     雑渡は探るような目付きで、土井の顔を覗き込む。
    「ご不満ですか? 雑渡さんは、それがお望みだったのでは?」
     雑渡は追いかけてくる。おそらく、土井が逃げれば逃げるほど。
     もちろん土井は、そのたびに逃げる事ができる。できるが、続かないだろう。
     ほんの一瞬、唇が触れただけで、動揺してしばらく使い物にならくなった己を、苦々しく思い出す。参っているのはこちらの方なのだから、逃げ切れるはずがない。ましてや、雑渡が相手では。
     それにもうひとつ。
     期待とも不安ともつかない予想があった。
     すんなりと受け入れれば、意外と雑渡は飽きてしまわないかと。
     想い人に早々に飽きられるなど、普通ならば避けたい話だ。だが、土井にとっては悪くない。無論そうなれば辛いだろうが、それだけだ。今までと、今と同じだ。
     流されて溺れそうならば、いっそ深く潜ってしまえばいい。その方が、早く岸に上がれる時もある。
     雑渡は目を細めて、土井を見ている。口元の笑みは、もう消えていた。
     怒っているという風ではないが、愉快そうにも見えない。余裕のある表情を消せただけでも、多少は溜飲が下がった。
    「土井殿」
     静かな声だった。
     土井を掴んだ手はそのままに、逆の手がすっと土井の頬に伸びる。
     びくりと揺れた土井の腕が、強く握られる。痛いほどの力で。
    「私はね、懐に入れたものは、大事にするたちだから」
     頰にあった指が、そっと、壊れ物に触れるかのように柔らかく、土井の輪郭をなぞる。長い指はそのまま降りて、途中で輪郭の内側に入り、土井の唇でぴたりと止まった。
     雑渡は静かな動きで、土井の耳元に顔を寄せる。指で土井の唇を撫でながら、低い声で呟く。
    「そう簡単に逃げられると思われては困る」
     首の後ろが総毛立つ。
     声だけで、己の身が絡み取られたような感覚を覚える。
     ああ、これは、早まったかもしれない。
     思ったが、もう、どうしようもない。
     掴まれた手は離れない。土井も、その手を振り払えない。
     雑渡が口当てを外した。約束通り雑渡は不意をついて来なかったし、土井も目を閉じて、二度目の口付けを受け入れた。
     何度も角度を変えて重なる唇の熱さに、寒気はいつの間にか飛んでいった。
     深く口付けられ、舌が絡み合う。
     頭の芯が熱くなり、身体の奥の欲に火が付きそうになる直前、ようやく雑渡は腕を離した。
     息を切らしながら、土井は雑渡に目を向ける。
     土井の顔を見る雑渡の表情は、元に戻っていた。さっきまでは腹立たしさすら感じていた余裕のある笑みに、土井は思わず安堵した。
    「これからよろしく、土井殿」
     その一言だけを残して、雑渡は闇の中に消えていった。

     

     程なくして、土井は忍術学園に戻ってきた。見回りは終わったとはいえ、あまり長く学園を離れる訳にはいかない。
     別れ際の、楽しそうな雑渡の顔を思い出す。新しい玩具を得た子供のような目。意地の悪い表情を思い出すたび、嫌な予感しかしない。
     困った事に、こういう嫌な予感というのは外れないのだ。
    「はぁ……」
     誰かと恋仲になるというのは、こんなに面倒で、気が重いものだったろうか。
     悩みつつも、土井の足取りは静かだった。見回りに行ったにしては、遅い戻り。誰かと出くわして、理由を詮索されたくない。
     誰にも会いませんようにと願いながら、廊下を歩く。もう少しで自室だという所まで来て、願いは裏切られた。
     向かいから来た人影は、土井を見て足を止める。
    「土井先生。やっと戻りましたか」
    「え、山田先生。お出かけですか?」
     忍び装束の山田伝蔵は、「ああ」と頷いた。
    「学園長先生からの頼まれ事で、二日ほど留守にしますよ」
    「また急ですね」
    「いつもの思い付きですよ」
    「お疲れ様です」
     山田と話しながら、後ろめたい気持ちになる。隠し事ができてしまったせいだ。
     実技担当が留守の間、どう授業を進めるかについて二言三言話して、「それでは」「お気をつけて」と別れようとした時。山田が、じっと土井の顔を見ているのに気付いた。
    「な、何ですか?」
     後ろめたい気持ちは、簡単に動揺を引き起こす。
    「いや……」
     山田は何やら形容しがたい表情をしていた。
    「見回りに行ったにしては、戻りが遅かったですな」
    「ええまあ、ちょっと色々ありまして……」
     答えになっていない答えを口にして、笑って誤魔化す。嘘は苦手ではない。山田伝蔵が相手でなければ。知らず知らずのうちに、手が口元に触れていた。
     山田は土井の顔を見て、ふう、とため息をついた。
    「まぁ、いい大人に、私が何を言う必要もないのでしょうが……」
     山田は、ぽんと軽く土井の肩に手を置くと、小声で呟いた。
    「火遊びは程々にな」
     土井がぎょっとしている間に、
    「では土井先生。私の留守中、は組を頼みましたよ」
     片手を振りながら、山田は廊下を歩いていく。
     土井は口を開けたまま、それを見送るしかない。
     気付かれた? でなければ、知られている?
     何を? どこまで?
     土井はふらつく足取りで自室に入る。山田の布団は既に片付けられており、土井の布団だけが畳まれたまま置いてある。
     忍び装束を雑に脱ぎ捨て、のろのろと夜着を纏う。山田の出しておいてくれた布団をばっと乱暴に広げて、倒れるように寝転んだ。
     仰向けになると、斜めになった布団の上で、いつもとは少しだけ眺めの違う天井が目に入った。
     手入れの悪い土井の髪が、ちくちくと主人の肌を突く。不快ではあるが、転がった枕を取りに起きる気にはなれない。
     目を開けたまま、はぁと大きく息を吐く。
     こうして一人になると、感触が蘇る。雑渡の触れた腕が、頬が、唇が、まだ熱を持っているように感じられる。
     眠らなければと思うのに、瞼を閉じると更に感覚が生々しく襲ってきそうで、それさえできない。
     他人の肌を知らない訳ではない。それほど初心ではない、はずだったのだが。
     どうにも、例外があったらしい。
    「……私も、まだまだって事かぁ……」
     苦笑いと共に漏れた呟きは、誰にも届かず冷たい空気に溶けた。
     雑渡はそのうち、間を置かずに来るだろう。
     どんな覚悟をしていても、振り回される予感しかしない。でも。
    「……ああ、くそ」
     同時に嬉しくて楽しみで、浮かれた気持ちが湧いてくる自分に赤面する。
     惚れた方が負けとはよく聞くが、まったくもってその通り。
     ならばせめて、振り回されないよう、理性の糸は離さないよう。
     もう始まってしまった。進むしかない。
     土井は、がばりと起き上がった。布団の位置を整えて、転がった枕を取り戻す。
     いつもの通りの場所に戻った布団に寝転がり、いつも通りの天井を見上げる。
     きちんと寝て、ちゃんと体力と気力を回復しよう。何しろ相手はあの雑渡なのだから、万全の調子で向かわなければ、いつまで経っても振り回されるだけで終わってしまう。
     雑渡の顔を思い浮かべた。
    「負けないですからね」
     自然と漏れた呟きに、土井は少し笑った。
     そしてようやく訪れた眠気に身を委ねて、目を閉じた。
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