「競馬場デートのすすめ」「わぁ!すごく広い建物だね!」
電車を降りて、駅から直結の連絡通路を通り抜けた先はそのまま競馬場の建物に繋がっている。
感嘆の声を上げた一彩はワクワクした様子であちこちを見回している。
まるでショッピングモールと見紛うほど明るく清潔感のある空間。
ショッピングモールとは違うのは皆、新聞やスマホを片手にレースの予想に夢中になっている他では異様な様子やそこら中にある投票所や馬のモニュメントがある点だろう。
今日は表向きは弟くんと競馬場デートという名の市場調査。
まだ公表はできないが、有難いことに競馬の主催団体から女性客をターゲットにしたコラボ企画のアンバサダーに指名された。
普段、競馬場に行かない層をメインターゲットにしている為、通い慣れた俺ではなく、初心者の目で競馬場を見た素直な感想や疑問を拾い上げ、トークショーのネタ作りが出来ればと思い、まだ未成年で、当然競馬場に行ったことのない弟くんに白羽の矢が立ち、誘ってみたところ、即決でOKを貰い、本日に至る。
ちなみに二キを連れてくとただの食い倒れツアーになりかねないからと候補からは除外した。
お互いのスケジュールの合う土日から混み合うGIレースのない日を選び、事前に指定席を抽選予約してある。
入ってすぐにある馬の形をしたモニターの前でSNS用にツーショットを撮り、館内マップとレースの開始時間を見比べながらスケジュールを立てていく。
普段ならパドックと投票所とスタンドをひたすら往復し、レース結果に一喜一憂するうちに一日があっという間に過ぎてしまうのだが、流石に未成年の一彩にギャンブルをさせる訳にはいかず、今日は馬を見るだけの健全な競馬場デートだ。
「とりあえず、パドック行くか」
「パドック?」
「レース前の馬の状態が見れる場所っしょ」
簡単に説明をしながら建物を出て、パドックに向かうと既に次のレース前の出走馬がスタッフに引かれながら歩いていた。
「故郷の馬より筋肉がついていて、大きいね!」
久しぶりに見る馬に興奮した様子の一彩に、
「サラブレッドっていう、競走馬用に品種改良された馬だからなァ」
そう説明すると、一彩は品種改良にあまり賛成ではないのかなんとも言えない表情をしていたが、
「他にも乗馬や馬術競技に使われて、人の役に立っているから、愛玩の為だけの品種改良じゃねェよ」
そう人間に都合の良い情報だけを付け足してやれば納得したようにまた馬を眺め始めた。
つい癖でスマホの競馬アプリを開きそうになるがぐっと我慢をして、純粋な目で馬を見る一彩を眺める。
「皆、カタガナの変わった名前が付いているんだね」
「親馬の名前が入ってたり、馬主の好きなものから取ったりで、確かに変わった名前が多いかもなァ」
「フム、僕が飼い主だったら『オムライスダイスキ』や『ハンバーグダイスキ』になるのかな?」
「そんな面白い名前の馬居たら絶対賭けちまうだろ……」
下らないことを言い合いながら馬を眺めているうちにレースの時間が近づき、予め取っておいた指定席まで移動する。
念の為、屋内にしておいたが今日は雲一つない晴天で、屋外でも良かったなァなんて思いながら着席する。
競馬アプリを開き、出走する馬の名前を見ながらお互いに勝ちそうな馬を予想したりしているうちにあっという間に出走時間になり、レースが始まった。
「人を乗せているのに随分早く走れるんだね」
「だいたい時速六十〜七十kmだな」
「それは流石に僕でも敵わないね」
「張り合おうとすんなよ」
なんて言い合っているうちにレースは佳境に入り、周囲の、「差せ」や「行け」という声援やレースの決着が付いた瞬間の歓声や落胆の声に一彩は驚いている様だった。
「さてと、少し早いけど飯でも食いにいくか」
レースを終え、ぞろぞろと席を立っていく人達を見送りながらマップのグルメが載ったページを一彩に見せる。
様々な店舗の写真に目を奪われながら選ぶ一彩を待っていると、
「僕はハンバーガーが食べたいのだけれど……」
遠慮がちに希望を言い、言外に兄さんは?と尋ねてくる一彩に、
「じゃあそれで」
とマップで店の位置を確認してから席を立つと、
「ありがとう!」
と嬉しそうに抱きついてこようとするので、
「歩くのに邪魔だろ」
気恥ずかしさから、それを阻止して、ハンバーガー屋に向かった。
昼前で空いていたハンバーガー屋で一彩に財布を出させること無く強制的に俺の奢りでセットメニューを二つ買い、せっかく良い天気だからとコース側の外に出て芝生の上に座って、馬やレースを見ながら食べることにした。
あの人たちは何をしているの?、何故車が?どうして救急車が停まっているの?と目に付いたもの片っ端からなぜ?どうして?と聞いてくる一彩に一つ一つ丁寧に説明してやりながら、ハンバーガーにかぶりつく。
お陰で食べ終わる頃にはセットのポテトはすっかり冷めてしまっていた。
食事を終え、他の場所も見てみたいという一彩のリクエストに応えて、外を歩いて、ローズガーデンや博物館、予約をしていないから乗ることは出来ないが乗馬センターや広場の辺りなどを歩いたが、子供向けのアスレチックに一彩が走って行こうとするのを止めるのは少し骨が折れた。
馬場内連絡通路を通ってスタート地点のゲートを眺め、近くの自販機で飲み物を買い、芝生エリアに座りこんで休憩していると、歩き疲れたのか、一彩が俺の方に凭れ掛かってきた。
「疲れた?」
「少しだけね。……兄さんが普段行っている競馬場に連れてきて貰えて、兄さんが見ているのと同じ景色が見られて嬉しかったから、今日は、はしゃぎ過ぎてしまったよ」
なんて可愛い事を言ってくるから、つい肩を抱き寄せてしまってから、慌てて辺りを見渡し、誰も俺達に注目してない事を確認して、安堵の息を吐いた。
「皆、レースに夢中だから大丈夫だよ」
可笑しそうにそう言って笑う一彩の口元に、身バレ防止に被っていた帽子をかざして触れるだけのキスをする。
周囲には歓声や落胆の声だけが響いていた。