「空蝉」仮宿にしている廃ビルの、割れた窓ガラスの隙間から飛び込んできたスペードのエースのトランプ。
床に落ちたそれを拾った途端、
「僕は『スペード』の天城一彩。僕を喚んだのはどこの誰かな?」
トランプから煙と共に人が現れた。
初見なら驚くだろうが、怪人にとっては慣れきった光景で。
お決まりの文句と共に現れ、カードの持ち主に使役される存在。
「怪人タウラス、……お前のお兄ちゃんだよ」
使役する相手は誰でも良く、どんな命令でも聞く便利な道具。
なぜだか弟は俺と同じ怪人ではなく、そんな存在としてこの世に生まれ落ちてしまった。
「兄さん!何だか久しぶりだね」
一彩が嬉しそうに笑う。
「お前がトランプに戻ってフラフラ出かけちまうからだろ?こないだは怪人スコルピオに使役されてたって聞いたぜ?」
「ウム!退却時に命令してくれなくて困ってしまったよ」
眉を下げ不満だ、という態度をみせる一彩。
「相変わらずお前は命令に縛られてンなァ。……そういう在り方の生き物だと思って俺はもう諦めちまったけど」
一彩は全ての行動を命令によって縛られている。
トランプの外では使役者の命令が無ければ動く事が出来ないからだ。
「何か言ったかい?」
小声で言ったせいで窓から吹き込む風で聞き取れなかったらしい一彩に誤魔化すように、
「別に、お前と会えなくて寂しかったって言ったんだよ」
そう伝えると、
「それなら僕に命じて欲しい」
名案だとばかりににっこりと笑う。
「……命令、ずっと傍に居ろ。俺から離れるな」
「了解したよ。トランプを手放さないでね。あなたがトランプを持っていてくれる限り、僕はその命令を遵守するよ!」
こうして空蝉の命令は下された。
本当は自らの意思で俺の傍にいて欲しい。
俺を愛して求めて欲しい。
だが、こいつはもう生まれた時に自分の在り方、生き方を定義してしまった。
手遅れ、とは言いたくないが実際そうなんだろう。
傍にいるという命令を遂行する為か傍に寄り、身体を擦り寄せてきた弟を膝に乗せ、後ろから抱きしめる。
「僕は何をすれば良いのかな?」
命じて欲しい、と唇が動く前にキスをした。
何も命じていないから唇を開くことはおろか、目を瞑る事すらせず、ただ俺の唇を受け止めるだけ。
こんな幼稚なもの、キスとは到底呼べないだろう。
物悲しさを感じて唇を離す。
「兄さん、命じて」
途端にそう強請る唇。
「口開けろよ」
ああやっぱり無粋なこの口を塞ぐしかないか、と今度は深く唇を重ねた。