「My Cup Of Tea」※『トランプ』スト沿い燐一です。
普段通りのペースで走っているのに、顔に当たる風が冷たい。
暦の上では未だ秋だけれど、季節はそろそろ冬に近づいて来たのかもしれない。
月末のハロウィンに向けて、飾りつけられた家々の装飾を眺め、そんな事を考えながらランニングを続ける。
身体が温まった頃、こちらも普段通り星奏館から近隣の住宅街を通って、遠回りに1周して戻って来るコースを走り終え、簡単にクールダウンをして、玄関に向かおうとした所で、視界の端に赤い物が目に入った。
あの場所は確かガーデンスペース。
ガーデニアの面々がガーデニングを楽しみながら、様々な植物を育てている花壇だ。
秋に咲く赤い花、……彼岸花か何かだろうか?
普段は気にも留めない赤い花が気になるのは、大盛況に終わった『アンダーランド』ライブを終えたばかりだから。
まだ早朝で、学校への出立時間まではだいぶ余裕があるから、と好奇心のままにガーデンスペースに向かった。
「……っ、薔薇だ」
視界の端で捉えた赤い花は植木鉢に植えられた薔薇の花だった。
『アンダーランド』ライブは大規模な『不思議の国のアリス』をモチーフにしたライブで、僕達ALKALOIDはハートの女王様に仕える『トランプ兵』の役柄で参加した。
原作でのトランプ兵は、真っ白な薔薇を暴虐非道で傍若無人なハートの女王様の為に真っ赤な薔薇にペンキで塗り替える役割。
『アンダーランド』では『VERMILLION』の城を、女王様を守る兵隊。
僕達ALKALOIDにとっても、新たな転機となり、これから先の為に、自分達の存在を示すライブだった。
そんな事を思い返しながら、ぼんやりと薔薇の花を眺めていたからか、よく知った気配だったからか、
「……一彩さん?」
普段なら至近距離に相手が近づく前に、僕の方から声を掛けるのに、反応が遅れてしまった。
「巽先輩、おはよう!星奏館にも赤い薔薇があったんだね。『アンダーランド』ライブを思い出して、つい眺めてしまったよ」
僕に声を掛けた巽先輩は、ああ、と納得したような声を上げ、
「ガーデニアで育てているんですよ。先日、皆さんと行ったローズガーデンで、お土産にいくつか苗も買いましたから、来年にはもっと増えていますよ」
そう説明してくれた。
ローズガーデンの見事な薔薇の生垣には敵わないかもしれないけれど、毎日を過ごす、この場所で同じ花が見られるなんて、
「それはすごく楽しみだね!来年はALKALOIDの皆で、星奏館で薔薇の花を見ながら花見、いやティーパーティーがしたいよ」
「それは、良い案ですな。来年に向けて綺麗な薔薇を咲かせなければ」
巽先輩にそんな未来の願望を告げてから、はたと気付く、
「……でも、僕、ティーパーティーというものはまだした事がないよ」
初めての事は大抵、ALKALOIDの皆やクラスメイト、それから同じ寮室に住む、椎名さんやひなたくんと体験する事が多い。
「一彩さん、ティーパーティーとは紅茶などを飲みながらお茶菓子をつまむ会。つまり一番大切なのは席を囲む、語らいたい相手です」
普段より殊更柔らかな声音で巽先輩は諭すようにそう言った。
語らいたい相手、話を聞いて欲しい相手……。
そう言われて脳裏に浮かぶのはただ一人。
「……兄さん、僕は兄さんとティーパーティーがしてみたい」
「きっと燐音さんも喜んで参加して下さると思いますよ」
上手く自分の思った「正しい」ではない正解を導き出せた僕の頭を、巽先輩が優しく撫でてくれた。
早速、『フレイヴァー』の一員である巽先輩におすすめの紅茶を選んで、口頭で美味しい入れ方を教えて貰い、寮室に戻ると、朝食の準備をしていた椎名さんに、スコーンの作り方を教えて欲しいと頼んだところ、こちらも快諾して貰えた。
学校が終わってから、ALKALOID全員でのダンスレッスンの前の柔軟中に、兄さんとティーパーティーをする準備をしているんだ、と話すと、藍良が目を輝かせて、
「何それラブ~い!星奏館に帰ったら不思議の国のアリスモチーフのレターセットをヒロくんにあげるから、招待状を書くのはどうかなぁ?ホールハンズやメッセージで送るより、きっと燐音先輩も喜んでくれると思うんだけど」
そう提案してくれた。
それから、
「あのぅ、そろそろ冷え込む季節ですし、ブランケットやアウトドア用の保温ポット、それからレジャーシートを良かったら使って下さい。私なんかの私物でよろしければですが……」
『お泊まりレジャー隊』に所属するマヨイ先輩が必要な道具を貸してくれる事になり、準備万端だ。
その日の夜に、椎名さんから、スコーンの作り方を教えて貰いながらCrazy:Bや兄さん個人の予定を聞き、僕のスケジュールと照らし合わせると、一番早い丁度良い日は翌日の午後。
急にはなってしまったけれど、薔薇の花が萎れてしまう前にどうしても開催したかったから、スコーンを焼いている間に急いで招待状を書き上げ、エプロン姿のまま、兄さんの暮らす303号室に向かう。
ノックすると、眠そうに欠伸をした兄さんが扉を開け、
「よォ、弟くん。なァんか良い匂いするし、エプロン姿って事は俺っちに差し入れ?」
僕の肩に顎を乗せ、スンッと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐような仕草をする。
「ううん。差し入れではなくて、ティーパーティーの招待状を渡しに来たんだ」
「ティーパーティー?」
兄さんは怪訝そうな顔でオウム返しをしつつも、僕が差し出した招待状を受け取ってくれた。
「詳しくは中の手紙を読んで欲しいよ。おっと、そろそろ焼き上がりの時間になってしまうから僕は行くね。おやすみなさい兄さん」
「お、おう」
兄さんは少し戸惑ったような反応をしていたけれど、明日はティーパーティーに来てくれるだろうか。
ティーパーティー当日の午後は秋晴れの少し肌寒い気温で、僕は平気だけれど、寒がりな兄さんの為にブランケットを借りておいて良かったと思った。
ガーデンスペースの花壇近く、赤い薔薇の植木鉢の真正面にレジャーシートを敷き、保温ポットの中にはたっぷりのアールグレイティー。
巽先輩がリラックス効果があり、よくお腹を出して寝ている兄さんが、風邪を引かないか僕が心配しているからと、冷え性の緩和効果のあるアールグレイを選んでくれた。
更に生姜やシナモンを入れると、より温まる効果があると聞いて、僕の好きな輪切りのレモンやシュガースティック、ポーションミルクや蜂蜜と共に用意しておいた。
昨晩、椎名さんと作ったスコーンは、軽くトースターで焼いて温めた後、冷えてしまわないように保温容器に入れてある。
手作りのクロデットクリームと、流石にジャムまで作る時間は無かったから、椎名さん手作りのラズベリーという木苺のジャムを分けて貰ったから、スコーンに付けて食べるのが楽しみだ。
招待状に記載した時間の15分前には全ての準備を終えて、そわそわしながら兄さんが来るのを待っていると、
「わ、ぷ」
兄さんの気配と共に視界が真っ暗になり、被された布を取り去ると、それは兄さんの上着で、
「もっと暖かい格好しろ。風邪引いちまうだろ」
慌てて、兄さんを見るとしっかりと違う上着を着ていてホッとする。
「ウム。お借りするよ」
少し大きめのブルゾンを羽織ると、ふわりと兄さんの香水と、兄さん自身の香りがして、何だか兄さんに抱きしめられているみたいで、気持ちがふわふわとしてしまう。
僕はパーティの主催者なのだから、しっかりしなければ。
「本日はティーパーティーにご来場頂きありがとう」
「お招き頂き恐悦至極。……何でわざわざ外で開催してンだよ」
しっかり上着を着込んでいるのに寒そうな兄さんにブランケットを差し出し、保温ポットから紅茶を注いで手渡してから、
「この赤い薔薇の花があるからだよ」
そう説明する。
「……『アンダーランド 』ライブだったか。随分評判が良かったみてェだなァ?」
僕の足りない説明から意図を察して、チェシャ猫のようにニヤリと笑う兄さん。
「ウム!僕達の有用性を示す事が出来た上に、ALKALOIDがSS予選に出場する為の足がかりにもなったよ」
キラキラ輝くアイドルになりたいと思うきっかけになった大舞台。
「弟くんにも、ようやくユニット君主(リーダー)として自主性が芽生えてきたなァ」
兄さんはどこか嬉しそうに、そう褒めてくれた。
でも、僕は兄さんのように素晴らしい君主(リーダー)ではなくて、
「僕は兄さんのように一人で全てを決める事は出来ないから、ALKALOIDの皆と相談して一緒に考える事にしたんだ」
足りない部分を信頼する仲間達に補って貰う事でようやく君主として立てる。
「良いンじゃねェの?独裁者は革命で斃される運命だからな。民主主義万歳」
「む、君主と独裁者は違うよ」
「捉え方次第だろ。って、そんな話はどうでも良いンだよ」
兄さんは自分で話題を逸らした癖にそんな事を言う。
僕にとっては全くどうでも良くない大切な定義の話なのだけれど……。
不満を素直に表情に出すと、兄さんは、僕の眉間に寄った皺を指で伸ばすように押しながら、紅茶を飲む。
その姿に、
「あっ、そうだった。椎名さんに教わりながら作ったスコーンがあるから、是非食べて欲しいよ」
保温容器に入れてあったから、まだほんのり暖かいスコーンを用意していた皿の上に乗せて、クロデットクリームとラズベリージャムを添えて兄さんに手渡すと、
「……へェ、スコーンってこんな味すンのか」
ぱくりと、口に含んで咀嚼を終えてから、感慨深そうに、そう言った。
「兄さんにも、まだ食べたことがない物があるんだね」
「そりゃあ、当たり前だろ。俺だってまだ4年、4歳児位の期間しか、この広い世界で暮らしてねェからなァ」
兄さんは僕より物を知っているのが当たり前で、兄さんに知らない物なんて無いのだと、故郷に居た頃は勝手に思い込んでいた。
僕の小さな世界には「正しい」と兄さんと、それから兄さんが教えてくれた物しか存在しなかったから。
それが「正しく」て当たり前なんだと信じていた。
「……『アンダーランド』ライブの設定では、原作とは少し設定が異なって、僕達トランプ兵の主は必ずしもハートの女王様ではなくて、自分の主は自分で定義するんだ」
きっと突拍子のない僕の発言。
けれど、兄さんは優しい声音で、それで?と続きを促してくれる。
「だから、僕の主は兄さんが良いって思ったんだ。兄さんがハートの女王様でも、アリスでも、チェシャ猫役だって構わない。兄さんじゃないと駄目だって」
「……もし俺が次期君主じゃなくてもか?」
兄さんは複雑そうな顔でそう問いかけた。
「ウム!そう育てられたから、「正しいから」ではなく、僕は大好きな兄さんの役に立ちたい、兄さんの側に居たいと望むよ」
「なァんか、それ仕えるって言うより、愛の告白じゃねェの?」
兄さんは苦笑して、一気に少しぬるくなった紅茶を煽る。
「あながち間違いではないね」
「おいおい、そこははっきり肯定して甘いキスでもしてくれよ」
冗談めかしながら、空になったティーカップを差し出してきた兄さんにおかわりの紅茶を注ぐ。
一旦ティーカップをトレーの上に避難させてから、
「兄さん、My Lord。あなたを愛しているよ」
そう囁いて、差し出しされたままの左手をとり、手の甲にキスをした。
予想外だったのか、息を飲む音が聞こえ、してやったりとほくそ笑む。
足りない甘さの分はは、紅茶にたっぷりのシュガーとミルク、それから蜂蜜を混ぜて。