フィ―ザスローナの花祝い「……あ」
小さな声を漏らして動きを止めたパートナーに、ネロはブラッド? と首を傾げた。
子供達も隣の部屋で熟睡していることだから、と、一年の終わりと一年の始まりを少々熱っぽく迎えようかというタイミングだ。
程よく酒精も入って、いつもと違ってゆっくり、丁寧に唇を重ねながら互いにシャツのボタンに手を伸ばしたところ。
「あー……思い出しちまったな」
「だから、何だよ」
ネロはブラッドリーの首からネクタイを引き抜いて、どさくさに紛れてブラッドリーの手首にくるくると巻きつけながら唇を尖らせた。
何を思い出したというのか。
それは、ようやくできたこの睦みあいの時間を止めてまで考えるべきものなのか。
そう思ってから、ああ、だめだ酔ってんな、と自覚する。
だがまあ、仕方がないだろう。
子供ができてから……特に、二人目が出来てから、なかなか邪魔されずにブラッドリーと濃密な時間を過ごせなくなっていたのだから。
ブラッドリーとネロには、二人子供がいる。
一人は、ブラッドリーにそっくりな男の子……ブラッドリーと同じ名を継いだため、賢者からジュニアと呼ばれ始めたのをきっかけに、皆ジュニアと呼んでいる。
数年後に生まれたのは、ネロにそっくりな女の子……こちらは、ネロの愛称から取ってネリーと名づけられた。
子供がいる、と言っても、ブラッドリーもネロも正真正銘の男性だ。身体を女性に作り替えたところで、子は成せない。命を作る営みは、魔法使いであっても手が出せない領域だからだ。
では何故子供がいるのか。
説明が長くなるので、魔法舎の面々はいつだって、説明が必要な場においては、こう言っている。
重ねた心と魔力がぴったりと波長を合わせた時に、奇跡のような確率で生まれるのだ、と。
まあそんなわけで、ただでさえ邪魔が入りやすい魔法舎において、子供二人の存在は、ブラッドリーとネロの大事な鎹であり、同時に、時折ようやく作れる二人きりの時間をドラマティックなものにしてくれるスパイスでもあった。
周囲は、ブラッドリーに子育てなんてできますか、と不安そうだった(特にリケやミチルなどは、真剣にお手伝いについて話し合っていた)が、ネロはさほど心配していなかった。
この男が存外面倒見がいいことは、「新入りのちいせえの」だった自分がよく知っていたからだ。
事実、まあ正直頭を抱えることも多いが、思ったよりは協力しあってなんとか子育てができているのではなかろうか。
話を戻そう。
ブラッドリーは、ネロがいそいそと手首を拘束しようとまきつけたネクタイからするりと手を引き抜きながら、あれだ、と、宙に浮かんだ字を読むように視線を泳がせながら呟いた。
「なんだったか、あー、フィーザスローナとか言ったか」
「フィーザス……?」
「おう。前におっさんの依頼人いたろ、北の。すげえ震えてたやつ」
「ああ、いたな。うまれたばっかの赤ん坊がいるっていう」
北と東にまたがる街道に関する任務の依頼に、クックロビンときた依頼人の男を思い出し、ネロは頷いた。
歩けるようになって、ちょっと目を放した隙に脱走を試みたネリーを追いかけた先で対面したのでよく憶えている。やけに好意的な笑顔を向けるなと思っていたら、後から改めて賢者と共に顔合わせをした時、魔法使いだとわかって震えていたから、第一印象で人間だと思い込んだのだろう。
まあ、彼の怯えのほとんどは、ソファにふんぞり返った北の魔法使い達に向けられていたのだが。
任務の終わりころになってようやく打ち解けてきた彼が、最後の宴の時に確か話していた。俺にも、生まれたばかりの子供がいるんです、と。
「おう、それそれ。そいつが言ってたんだよな最近は生まれから一年毎じゃなくて、暦で一年毎にやるって」
「何をだよ」
「だからフィーザスローナだよ」
「……初めて聞く単語なんだけど」
ぐっと顔をしかめて、ネロは唇を尖らせた。知ってるだろ、くらいの勢いで言われたが全く覚えがない。記憶力はブラッドリーの方が格段にいいが、さすがに当たり前に知っている筈という前提で話題にのぼる事を忘れるほど耄碌はしていないつもりだが。
「あ? あー……そういや説明したことはなかったか? フィーザスローナっつうのは……」
手首から巧みに解いたネクタイを逆にネロの手首に巻き付けリボン結びをしながら、ブラッドリーがどこか懐かしそうに笑った。
「にちゃ!き!」
小さな手が、中庭の芝生にうっすら積もった雪を草ごと握りしめる。
片方の父親にそっくりな灰青の髪はクロエが作ってくれた毛糸の帽子の中。
麦畑色の瞳はキラキラと輝いて、緑を塗りつぶした雪に注がれている。
妹に呼ばれ、銀と黒の色合いの髪をもつ濃桃色の瞳の少年……皆からはジュニアと呼ばれる、ブラッドリーとネロの長男だ……は駆け寄った。
「ネリー、ゆ、き、な」
「き!」
「おしいんだけどなあ……ゆーき!」
「きー!」
きちんと言えているつもりらしい妹が嬉しそうに復唱しながら抱きついてくる。
言えてないんだけどまあいいか、とその小さな身体を抱きとめた時、背後からジュニア、ネリー、と声がかかった。
「父ちゃん!」
「そんくらいの雪ではしゃぐなよ。まあいいけどよ。今度北に連れてってやる。すげえぞ」
ブラッドリーが、ネリーを抱き上げてとてとてと寄ってきた息子の頭をガシガシと撫でながら笑った。
まだ連れて行ってもらったことはないが、父親の故郷はこんなものは比じゃないほどの雪が降る厳しい国だという。
お前なんて塔から出た途端しんじゃうね、と同郷のオーエンが小馬鹿にするように笑って言っていたが、あながち嘘でもないらしい。
でも、いつか行ってみたいと思う。
アーサーが語って聞かせてくれた北の国は、真っ白で、キラキラとしていて、ジュニアの中では高い音で響く鈴の音のような印象だ。アーサーはわかってくれたが、ネロはよくわかんねえけど、そんな感じなのか、と苦笑していた。
「行く!いつかって、明日?」
「はは! 明日にてめえの魔力が強くなるならな! それより、ちょっと来い。談話室でネロと賢者が待ってる」
「なんで?」
なんででも、とブラッドリーは笑って、ジュニアの手からネリーを抱き上げた。大好きな父親に抱かれて、きゃあ、と妹がはしゃぐのを少し羨ましく見上げていると、ジュニアの手を大きな手がぎゅ、と握った。
「!」
背の高いブラッドリーがジュニアの手を握ろうとすると、少し猫背になる。いつもピンとまっすぐ綺麗に背を伸ばして歩く父親が、自分の為に背中を丸めてくれるのを見て、ジュニアはほわ、と頬を染めた。
「来たぜ」
談話室の扉の前で、ブラッドリーが中に声をかけた。
それから、ネリーをジュニアの隣に下ろして、扉に手をかける。
「ちび、入んな」
「? うん」
開かれた扉の隙間から身体を滑り込ませると、ネロと賢者が待ち構えていた。
今日は、一年の始まりの日だから食堂で盛大なお祝いをするのだと言って、ネロは朝から忙しく料理を作っていた。さっきも、キッチンにいるところを見ていたのに、いつのまに移動したんだろう、とジュニアは目を瞬かせる。
ネロは笑って賢者と顔を見合わせてから、こいこいと二人に手招きをした。凄く楽しそうだ。
「おいで、ジュニア、ネリー。一年の始まりに、お前らに特別なプレゼントがあるから」
「え! ぷれぜんと? くくります? はおわったよな?」
プレゼントと言えば、ちょっと前に、やっぱり盛大なお祝いとプレゼントがあった。賢者の国のクリスマスという素敵な日なのだという。
「クリスマスとは別じゃよ!」
「フィーザスローナの花祝いじゃ!」
不意に、ジュニアと、彼としっかり手を繋いでいるネリーの両側から声が沸き起こる。
ネリーがきょとんとした顔で隣を見上げる。ホワイトがにこ、と笑って今日も可愛いの、とそのふくふく薔薇色の頬をつついた。
ジュニアの右手をスノウがぎゅ、と握る。後ろの方から、父親の嫌そうな声が降ってきた。
「げ、どこから沸いてでやがったじじいども!」
ブラッドリーはスノウとホワイトをじじい、とよく呼ぶ。あまりよくない言葉です、とリケが教えてくれたが、じじい、と呼ばれた二人はいつもどこか楽しそうにじじいじゃないもん!と反論するのだ。
「ふぃーざすろーなのはないわい」
「そう。まあ、まずはほれ、プレゼントを受け取るがいい」
「そうそう!」
二人に促され、改めてネロの方に顔を向けると、彼は小さなボトルを持っていた。
コルクで栓がしてあって、革ひもが結ばれている。
同じものの、革ひもが短いものを賢者が持っていた。
「わ、きれい」
ボトルの中に、小さな花が納められていた。
氷やクリスタルを削り出して作ったような、薄くて光を反射しキラキラと輝くそれを覗き込んで、ジュニアは目を輝かせる。
「あう、あ」
ネリーは小さな手を差し伸べて、不思議そうに身体ごと首を傾げた。
ネリーにも見えるようにしゃがみ込んだ賢者が、合わせて首を傾げながら、きれいだよねえ、と優しい声をかける。
「ほら、これはお前の」
「こっちはネリーのだよ」
ネロが笑って、ボトルがぶら下がった革ひもをジュニアのハイネックセーターの上から首にかける。
賢者も、大丈夫かな、とボトルをいまにも掴んで口に入れそうなネリーにハラハラした様子を見せつつ、ボトルをネリーの首から下げる。
スノウとホワイトは両側から、静かに優しくそれを見守りながら、これはのう、と語り始めた。
「元々は、生まれてから一年立った日に、一年元気に過ごせた祝いと、これから一年も、精霊の加護を受けて健やかに生きられますように、という祈りを込めて、北の精霊が好きな花を子供に送る、という風習じゃ」
「最近は、生まれてからじゃなくて暦の初日にやるようになったらしいがの」
「我らの庇護する町はいまだ生誕日にするよね」
「ねー」
「んと……?」
北の精霊が好きな花だ、ということしかわからなくて、ジュニアは唇を尖らせた。
すると、ネロが優しく目を細めて、ジュニアと、ネリーの頭を撫でて囁いた。
「精霊がお前らに仲良くしてくれますように。それで、お前らが元気でこれからもいてくれますように、っていう、おまじないみたいなもんだよ」
「おまじない」
「そう」
「これ、もらっていいの?」
「貰うも何も、お前のもんだ。大事にしろよ」
背後に立ったブラッドリーが上から覗き込んで、ニ、と笑う。
ネリーは彼の方をふりかえり、とちゃ! こえ! と、貰ったばかりの小瓶を見せるように突き出している。
ジュニアは、改めて小瓶を見下ろした。
キラキラと光る花には、見覚えがあった。
「あれ、これ、ネロが大事にしてたボトルの」
そうだ。
ネロが、時折取り出して眺めていた大きいボトルに、ぎっしり詰まっている花だ。
ハッと顔を上げたジュニアに、ネロがよくわかったなとどこか照れくさそうに微笑んだ。
「俺も知らなかったんだけどさ、花祝いって。知らねえうちに、貰ってたみたいだ」
誰から、とは、言わなかった。
でも、ジュニアはふと、上を見た。
足にじゃれつく妹を抱き上げたもう一人の父親が、大事な大事な宝物を見るような目で、もう一人の父親を見つめている。
ひょっとして?
思いついた素敵な可能性にドキドキと胸を高鳴らせたジュニアの頭を優しく撫でて、ブラッドリーが笑った。
穏やかで、あたたかくて、大好きな笑顔で。
「大事にしろよ」
「っうん!」