誰に似たのか「母乳なんて出ないだろ、俺もあんたもさ。これ、どうすんの……?」
「いや、第一声がそれかよ」
二人の間で体を小さく動かしながら眠る赤ん坊を見下ろして、ブラッドリーが比較的冷静に突っ込みを入れる。
そういうこと、が起こることがあるのは知っていた。肌を重ねてなお、そういうこと……確率としては、長く生きてきた双子が過去に一度確認したかどうか、くらいの稀なそれ……が自分とネロの間に起こるとは、ブラッドリー自身思っても見なかった。
赤ん坊は、ふわふわと細い黒と銀の髪が生えていた。
肌の色といい、どう見ても。
「あんただよな」
「俺寄りだな。にしても生まれたての人間よりサルッとしてねえもんなんだな」
「普通の生まれ方する赤ん坊の月齢でいくと、もうちょっと後の状態じゃねえかなこれ」
ネロが眉尻を情けなく下げたまま、手をふわりと動かしてバスタオルを呼び寄せる。
裸の赤ん坊を慣れた手つきで包んで抱き上げると、つぶらな瞳がぱちっと開いてネロを見上げた。
その瞳も、ルベライトのような鮮やかなピンク。
そういうこと、が起こることをネロも知っていた。だから、思わずまじまじと赤ん坊と見つめ合って呟いた。
「俺の要素なくねえ……? 二人目できたら俺なのかな」
「ぶは」
いやそこかよ。
思わず噴き出して、ブラッドリーはベッドの下に落としてあった二人分の寝間着を掴み上げる。
魔法で一気に自分とネロに着せてから、赤ん坊を覗き込んで彼はくしゃりと相好を崩した。
「よお、俺達の愛の結晶。てめえはどう呼ぼうな?」
「うわ……なあその言い方やめねえ? なんか、こう、いたたまれねえ……」
もぞもぞと恥ずかしそうに口を歪めて、ネロが呻いた。
「間違いではねえだろうが。びっくりだが」
「うぅ」
重ねた心と魔力がぴったりと波長を合わせた時に、奇跡のような確率で生まれる。
難しい説明を省くと、そういうことになる。
ファウストに言わせてみれば、あまりにもそれは強引でいろいろと省きすぎじゃないか?というのだが、説明をしても理解できる人間はまずいない。今の若い魔法使い達も聞いたことがない、という。最近は、魔法使い同士で古い伝承を受け継ぐようなことも減ってきているらしい。
ネロは、ブラッドリーから聞いた。いや、正確には、ブラッドリーも同席する宴席で、古い魔法使いの仲間から聞いた。
ただ体の相性や魔法の相性がいいだけでは子は成せない。
互いから溢れた魔法と、核になる体の一部……体液もそれだ……、それから心の波長がぴたりと合った時に、精霊が祝福を与えると命が生まれるのだという。
「北でも東でもねえ、まさか中央で精霊の祝福を受けるとな」
「や、あんたはほら、中央の精霊も割と気に入る気質じゃねえ? あ、だからこいつあんた似なのかな」
「ふえ」
「お。泣き出した」
「やっぱ飯だよな。母乳でねえしな……急すぎて代わりになるもんも手元にねえ」
慣れた手付きであやしながら、ネロがとりあえずは買い物行かねえとだな、とベッドから立ち上がる。
そういえば下に兄弟が山ほどいたんだったか、と過去に聞いた気がする経歴をうっすら思い返しながら、ブラッドリーは掌にシュガーを数粒作って見せた。
「シュガーでも舐めさせるか?」
「馬鹿、まだ生まれたばかりの赤ん坊には強すぎるだろ。とりあえず、アマシロの実を買ってこねえと」
「アマシロの実」
「手絞り、頼むぜブラッド」
「あ?」
ついでにチビも一旦持っててくれ、と赤ん坊を抱えさせられ、ブラッドリーはぽかんと口を開けた。
そんなことがあったなと、ふと思い出したのはアマシロの実の乳臭い果汁の所為か。
ブラッドリーは厨房の一角で淡いピンクのオレンジくらいの大きさの果実を片手で絞りながら傍らを見下ろした。
アマシロの実は絞ると母乳に似た乳児に必要な栄養をしっかり含んだ果汁が出る。皮ごと絞るのが重要らしく、皮を覗いて実を潰してもそうはならないらしい。
手絞りなんてめんどくせえ、と最初聞いた時は思ったが、魔法に触れるとやはり母乳の代わりにならなくなるらしい。
なんとも繊細で面倒な果実だ。
だが、どの国でも育ち、北の厳しい環境にも適応していたのだという。必要になったことがないから知らなかったが、ネロはどうやら幼い頃からそれを必要とする環境にいたらしい。……昔話を思い出して、そりゃそうか、と納得せざるをえない。
「あー、あう!」
厨房の傍ら、作業用のテーブルの脇に置かれた低い台座の上に、大きな籠が据えられている。籠はベビーベッドだ。中には、生まれたあの頃よりは少し大きくなった息子が収まっている。といっても、はやく飯をよこせ、と言わんばかりに小さな手足をばたつかせているのだが。
ブラッドリーはその傍らに胡坐をかいて座っていた。
「へいへい、待てよ落ち着きねえな。その食い意地は誰に似たんだか」
「あんただろ」
息子のミルクはブラッドリーに任せ、自身は昼食の準備に取り掛かっていたネロが小気味よい音を立てながら芋をスライスしながら笑った。
息子は、ジュニア、と呼ばれている。賢者の世界で子供、とかそう言った意味があるらしい。全員ではないが、ひとつの名前を受け継ぐ風習もあった、と聞いて、それでいいんじゃねえかということになったのだ。カイガイでは……カイガイという国だろうか……同じ名前の時、息子にジュニア、とつけることがある、と。
それを聞いたファウストが、じゃあこの子はブラッドリージュニア、ということか、と首を傾げ、いいですね、とシャイロックが同意した。
ジュニアちゃんじゃ!とスノウとホワイトが賢者に抱かれた赤ん坊を覗き込み、少し離れたところでフィガロがあまり構ったらおっかない父親に引っかかれますよ、と彼らをやんわり諫め、その隣でオズが何かを思い出したようにはあ、と嘆息していた。
そういう経緯で、この小さな命はブラッドリージュニア、と名づけられた。
長い生を生きる筈の子供だ。いつか、気に食わなければ自分で名乗る名前を変えればいい。
「アマシロ、絞り終わったか?」
「おう」
手の中ですっかり小さくなったアマシロをひとまず捨てて、と身をよじった時だ。
「う!」
「あ?」
小さな手が、アマシロの果汁で濡れた指を掴んだ。
と思う間もなく、引き寄せられ、ちゅっちゅっちゅっちゅ、と息子が哺乳瓶を吸うようにブラッドリーの指にしゃぶりつく。
「俺の指は哺乳瓶じゃねえぞジュニア」
「どうした?」
「吸い付かれてる。哺乳瓶に移すまで待てねえのかようちの息子様は」
「ぶは! はは、親父殿そっくりじゃねえか」
「あ?」
もう少しで盛り付けて出してやるっつってるのに俺に怒られながらつまみ食いするあんたそのものだ、とネロが笑いながら寄ってきて、テーブルの上に用意してあった哺乳瓶にブラッドリーから受け取った木の器からアマシロの果汁を移し替えていく。
「でも、可愛いだろ。そんなに我慢できません! みてえな顔されたら悪い気はしねえよな」
可愛い、と言われて自分まで可愛いの中に含まれた気配を察してブラッドリーは顔を軽く顰めた。だが、その表情はすぐに意地悪な笑みに変わっていく。
「……まあな。確かに、部屋に入るや否や俺のズボン脱がしにかかるてめえは可愛いしな」
「は? か、んけえねえだろそれ!」
ネロが顔をじわりと恥ずかしそうに染めながら声を押し殺した。周囲に人の気配もないし、声を押し殺す意味などないのに。
その手から哺乳瓶を奪い取るついでに、ネロの唇を少しばかり濃厚に啄む。
漏れる吐息が色付くよりも前に、哺乳瓶に気が付いた愛息が早くそれを寄越せと指を放り出して暴れた。