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呼ばれている気がしたから。ただ、それだけだったのだ。
ゴウンと重々しく開いていく扉を見つめ、セパルは動けずにいた。その先に進んではいけないとわかっていたし、きっと後で酷く後悔すると知っていたのにも関わらず。
こうなってしまった発端の彼女は「すみません」と眉を下げて謝罪するのだろうか。それとも「貴方は今後接近禁止です」と冷たく言うのか。正直どうだっていいし、どうなったって困りはしないのだけれど。
「やっとあいにきてくれたの? うれしい」
ぴちゃ、ぴちゃ。器用に尾ひれを動かし、跳ねるように傍に寄るソレは、昔の何も変わらない姿をしていた。あの時自身の1部を己に宿したというのに、なにも。
「さみしかったよ、? ずっと。 でもほら、また会えた」
にっこりと微笑み、ソレはセパルに縋り付く。べったりと制服を濡らし、未だ動けずにいる彼を飲み込むかのように押し倒してしまう。セパルは抵抗しない。ただ、されるがままに受け入れていた。そうすることしか出来なかったんだ。
「いったよね、いったっけ? ねぇ、またお喋りしようよ」
「……あんたの管理は…リストになかったんですけどねぇ」
重たい頭を動かして、ぼんやりとする意識に抵抗する。このままソレの空気に呑まれては、今度こそ正気を失ってしまう。
なぜこんなことになってしまったのか。全身を包む潮の香りに酔いながら、ほんの数十分前のことを思い出す。
またマリアが倒れたと、ガラハドが渋い顔をしてやってきた。1度セパルが正式入社する前にも同じことがあったらしく、当時は酒飲みたちがやらかして大変だったとだけ聞いていた。
そんなことがあったからか"こういう時のため"と一応用意されていた指示書作っていたようで、ガラハドはそれを抱えてダンテに頼み込みに来た、というわけだ。
その時見せられた幻想体リストの中にはソレの名前はなく、きっと設備が整う前だったのだろうと勝手に納得していたのに。
セパルは適当に書類に目を通し、自分に出来そうな適当な幻想体の元に来たはずだった。それが運悪く、彼女の収容室のそばだったと言うだけで。
マァ簡単に言えば、開けてはいけないパンドラの箱に触れてしまったのだ。
「…あぁ、そういえば…あの子から絶対に出るなっていわれてたんだ…。 セパルに会えなくするって…でも会えたから大丈夫だよね? ね?」
「知りません。 …まぁ、もう二度と会うことは無いでしょうねぇ」
「どうして…? いい子にちゃんとえねるぎー? 生産してたらいつかいいよって、言ってたのに。 やっぱり人間ってうそつきだね」
「…そうですねぇ。」
とくりと共鳴するかのように脈打つ心臓が、心底気持ち悪かった。もうとっくに消化されて、なんにも残っちゃないと信じていたかったのに。
じんわりと熱を持つお腹を抱え、まるで妊婦のようだと場違いにも思う。妙に女性的な思考や言動を見ないふりしていたのに、やっぱりこの幻想体に侵食されているのか。
「…いい加減、俺の中から出てってくれませんかぁ?」
「いやよ。 やり方も分からないし、セパルも長生きできて嬉しいでしょ?」
「………。 怖くて試したこと無かったんですけどぉ、やっぱり簡単には死ねないんですかね」
「わかんない。 でも…私の肉は不老不死を呼ぶから…そうかも?」
潤んだ瞳を見つめ、セパルはやっぱりかと大きなため息を吐く。今はダンテの時計が上書きしているけれど、それが無くなれば俺は何になるのか。
ねじれもせず、幻想体になるわけでもなく。人の形を保ち続けながら、永遠にこいつの奴隷となるのだろうか。
グルグルと海の匂いが悲哀を呼び、悲劇のヒロインにでもなった気分にされる。ここはそういうところだ。彼女は、そういう幻想体なんだ。
遠い昔、何度も読み込んだ資料の内容を思い出して死にたくなった。思い出さないようにしまっていたはずの記憶がズルズルと溢れて、より惨めに暗く沈んでいく。
「…? めずらしいね、セパルがそうなるなんて。 あんしんして、セパルがなにしてもわたし怒んないから」
「…はは。」
「あぁ、そうだ! 鱗、鱗もらってよ。 きっと助けになるよ? あのこには渡すなって言われてるけど、もう言うこと守る必要ないもんね?」
「……いらないです。 きっと、そのうち別の方法で借りることになりますからぁ」
彼女がここにいるということは、遠からず適正のあるセパルが使うだろうから。
「っ、あ、いた!! 中で大人しくしてるっぽいぜ」
「そうですか…アルフォンスさんはそこでじっとしててください。 絶対にそこから動かないでくださいね」
「へいへい、そんなに釘刺さなくても二度とやりませんよぉ。」
聞き覚えのある声がする。波の音がうるさくてよく聞こえない。もうこのまま泡になって消えてしまいたいんだ。どうか邪魔をしないでくれないか。
「…かなり精神汚染が進んでますね。 これは1度侵蝕させた方が早いか……。 アルフォンスさん、受けれますか?」
「えぇ…。 あぁ……まぁ、えーっと、こいつ今なんのE.G.O付けてんだ…?」
「さすがにそこまでは…。 どうであれ彼は特殊なE.G.Oですので、死ぬ気で耐えてください」
「くっそ、強制かよ! わかってるけどよぉ!」
幻想体の体液に溺れ、シャボン玉のように弾けたかと思えば稀に見かける断首魚の姿を模したセパルが現れる。言語の無い声で呻き、少し前にダンテの指示ミスで侵蝕した時とは様子が違う。
俯く頭を抱え、普通なら間髪入れずに飛び出していくのにも関わらずセパルは動かない。
「…? なぁ、これ大丈夫なのか?」
「そうですね……。 先程も言いましたが、彼のE.G.Oは特殊なんです。 侵蝕がいつ終わるかどうか…」
「…つまりどういうこと??」
「はぁ…簡単に言えば、予想不可能の暴走列車、というところでしょうか。」
マァ殆ど横の幻想体のおかげで大人しいみたいですが、と言うマリアの目には罪悪感があるような気がした。
元を正せば彼女の自己管理、身内に対しての甘さが招いた結果ではあるから。きっとファウストにはきつく言われていたのだろう「彼とアレを合わせてはいけませんよ」くらい言われてそうだ。
「んじゃぁ…どうすんの?」
マリアを守るために前に立っているが、一向に牙を向ける素振りは見えない。かといって下手に視線を外して持ってかれても困るのはアルフォンスだ。
一向に進展のない睨み合いにやる気をそがれ、こんなことならバスに帰っていればよかったと後悔した。本来ならばここに入ることすら許されていないのだから、全く未来は分からないもんだよ。
先程までダンテに《君はとりあえず待機ね》と言われてしまい、特にやることもなかったので入口で座っていた。だが、唐突に凄まじい轟音と共に明らかに宜しくない音が響き渡っていて、入るかどうか迷っている所に2度目の警報が鳴り響いてしまう。アルフォンスはどうすることも出来ず、ぼんやりと耳を劈く音の中大人しく事態が動くのを待っていたんだけど。
手を拱き、動こうとも指示のない現状に戸惑う。どうにか事が動くことを祈ってただ時間が過ぎるのを待っていれば、慌ただしく体調の優れなさそうなマリアが現れた。やっと動けると喜んだのもつかの間、「…本当は別の方にお願いしたいんですけれど。」と失礼なことを言ってアルフォンスを引っ張って地下へと進んでしまった.
そうして、気がつけばマリアの護衛ということで結局収容室に入ることとなってしまって。別に悪いことをするつもりは無いが、ここまで警戒されるとやっぱりやる気は削がれるものだ。
「…こっちから仕掛けてみてもだめっすか?」
「あの幻想体の姿が見えないんですか? …彼女はセパルさんに危害与えられないからこそ大人しいんです。」
「えぇ……つーかさ、聞いていいのかわかんないんっすけど…あれってセパルとどう言う関係なんすか」
好奇心で問いかけてみれば、やはり目の合わないマリアは渋い顔をした。あれはファウストが語れないことを聞かれた時にする顔に似ている。マァ語れないというのならば、それはそれで深く聞く気は無い。
「彼に関しての話は…。 ……特に制限をかけられてません。 ですが…人として扱うのならば、これを私から伝えるのは人道に反するかと」
「あー……つまり、私からは話したくないってことだろ。 話せないんなら聞かねぇよ」
「ありがとうございます」
もやもやとする気分に、初めて目の前の幻想体の術中にいるのだと自覚する。上手く言葉にできないが、なんだか情緒が安定しないような、唐突に怒鳴り散らしたくなったり、泣き出したくなったりしたくなる。
これをうつ病の症状ということをアルフォンスは知らないし、知っていたところで解決するものでもない。その現況を一刻も早く鎮圧しなければならないが、残念なことに彼一人の力では不可能だ。
「…私のE.G.Oを使ってもどうなるか。 何か良い策はありますか」
「あんたがないならねぇなぁ。 ……無謀でワンチャン死にかけるかもしれねぇけど、1つできそうなことはあるがな」
「いいでしょう、話してください。」
「まぁ簡単だよ。 あいつごとぶっ殺すって単純な作戦」
ケロッとアルフォンスは言う。マリアはしばらく悩む素振りを見せたあと、自身の命さえあればどうとでもなるしなと博打感覚で許可を出した。
さて何分持つだろうか。先にダンテさんを呼びに行ってもらった方がいいかもなぁなんて。
「っ!!!! ま、りあさん?!!! なん、え、体調は大丈夫なんですか?!」
「あぁ、ガラハドさん…遅かったですね。」
「その、あの…言いずらいんですけど、ムカデの方も脱走していて…」
「…………。 把握しました。 ということは…アンさんがそちらを?」
「はい、『ここはアタシとここにおる奴らでやる。ガラハドくんはファウストちゃんと一緒に上ん方片しといて。』と言われたので」
「ふふ、アンさんらしいですね」
マリアは見たことの無い柔らかな表情をして、瞬きの間に無表情に戻ってしまった。そっちの方がいいぜ、というまもなくゆったりと現れたファウストに主導権を握られる。
「ファウストが指示します。 マリアさんは少し下がっていてください」
「おぉ…なんか一気に増えたな、俺いる?」
「1人減ればそれだけ負担が増えることくらいそろそろわかってください」
「ウッス」
半分冗談で言ったつもりだったが、冷たいファウストの言葉に何も言えなくなる。
しょげているアルフォンスを他所に、ファウストは的確に指示を飛ばし臨戦態勢に入る。運良くダンテが《何かあるか分からないから》と全員にE.G.Oをつけているおかげで、何とか優勢な戦いが出来ていた。
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《君たち仲良いね?》
背後からカチカチと時計の音が鳴り、アルフォンスだけがくるりと体をダンテへと向けた。
「そうか?」
ニヘラっと笑い、どうでも良さそうに答えるアルフォンスを他所に、2人は視線だけを静かに向け口元を隠す。ダンテの言う"仲のいい"は、内情を知らない大人達が言うくらい上っ面で薄っぺらい言葉と等しく、内心みんなバカにするのは仕方ないだろう。
とはいえ、実際3人の仲は群を抜いて硬く、誰かを庇うなんて普段しないくせして残りのふたりがピンチの時は駆けつけたりするのだ。
「気持ち悪いこと言わないでくださいよぉ。 この人たちが付きまとってくるだけですぅ」
「はぁ? いつの間にか背後で話聞いてんのはお前だろ」
「うっさ。 アタシが取り持ってんだから当たり前でしょ、誰のおかげだと思ってんの」
ぎゃーぎゃーと言い合いが始まり、全く変わらないなぁとダンテは思う。話しかけたことに深い意味は無いけれど、その慈悲をほかにも向けてくれるようになってくれればいいなと思っただけで。
マァ他の人と一切関わらないだとか、喧嘩ばかりするとかはしないのだけれど。それでも1部だけが異常に結託されるとやりずらいのも事実で。
《まぁまぁ、程々にしてね》
「なんか悪いことしてねぇのに怒られてる?」
「やっぱアーくんがこないだ酔っ払ってやらかしたの怒ってるんじゃないの」
《…そんな話聞いてないんだけど?》
「なはっ、暴露されてんの面白すぎませんかぁ?」
「てめっ、笑ってんじゃねぇよお前ら!!」
そういえばファウストがボヤいていたことを思い出し、この事だったのかと1人で辻褄合わせを始める。最近は大人しくしていたのに、懲りずにシンクレアを怒らせているのだろうか。
《…さすがに社内で色恋沙汰起こされるのは困るよ》
「いや?! もう誰ともヤってねぇって! あの日はただ飲みすぎて記憶なくて…でも誓って何もしてない」
「ふふっ………ふっ…w」
「セパくんいつまで笑ってんのよ…さすがにウザイ」
《……収拾つかなくなってきたなぁ》
チクタク。ダンテは暫く頭を抱えて悩み、一言と残し他の囚人の元に向かった。中間管理職は大変だなぁとハーマンは思うが、今後気をつける気もさらさらないのが彼女というものだ。
「んんw……ふふっ…ww」
「いつまで笑ってんだよお前ッ、ツボ浅すぎだろ…」
「ほぉんとセパくんゲラだよねぇ……管理人めっちゃ呆れてたじゃん」
「だっ、w、あれ、ただ俺と飲んでただけでw」
「は?? フェイちゃんから聞いてた話と違うんだけど…?」
「信じる方がバカ」
「くふっッwww」
「この女……」
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「あは、途中乗車なんだから当たり前じゃん。 何出張ってんの……ぁ」
ハーマンはしまったと、自分の発言を少し後悔した。薄ら笑いは引き攣り、静かに言い淀むセパルの顔は誰が見ても可哀想だと思う。普段からズカズカとライン超ギリギリの発言をしてきたし、セパルも大して気にとめていなかったから見誤ってしまった。
隣でぼーっと聞いていたはずのアルフォンスも、セパルに劣らない引き笑いをしながら「それはまずいって」と目で訴えてきている。そんなのアタシがいちばん自覚している、分かってるからこれ以上彼を惨めにしないでやってくれないか。
「…そうですね。 それもそうだ」
セパルはゆっくりと目を逸らし、震える声で言う。まるで自分に言い聞かせているようにも聞こえる返答は、余計にハーマンの良心に傷を増やす。1番傷ついてるはずの彼に、気を遣わせてしまった。
彼女も人の心がないわけじゃない。自分の失態で友人を傷つけてしまったのだから、気にもする。
ハーマンは、セパルは自分たちに無関心だと思っていた。一線を置いていて、決して踏み込んでこない。まだ関わり初めて日が浅いというのもあるだろうが、それを含めても異様に距離があった。だから大丈夫だと思ってしまったのだ。
マァ見当違いだったんだけれど。
「は…はは、その……俺はセパルのこと大事だぜ? 途中からとか関係なしにさ…?」
「………」
「アルくん、無理に喋んないで。 悪化してるんだけど」
「あーっと……わりぃ」
アルフォンスの精一杯のフォローすら受け取れないセパルに、ハーマンはぐるぐると思考をめぐらす。
想像以上に入れ込んでいた事実と、おそらくセパル自身も気付いていなかったそれをどうまとめようか。
というかなんで張本人のアタシが止めに入ってるんだか。あんたこういう時の立ち回り異常に上手いくせに、テンパりすぎでしょ。と悪態をつきたくなるけれど、今はそんなこと言ってらんない。
「…アタシ、アンタがそんなにアタシ達のこと好きになってたなんて思わなかった。 アタシが悪い、ごめん。」
「…いえ。 私も…なんでこんなに動揺してるのか分かってませんから」
この発言も1歩間違えれば追い討ちになりかねないなとは思ったが、これ以上の言葉も見当たらない。幸い、プラスの方に受け取ってくれたらしい。彼も距離を置いてる自覚はあったみたいだから、本気で分からないんだろう。
とりあえず軌道修正は出来そうだと、強ばっていた肩の力を抜く。多分、無関心なのはアルフォンスの方だったなと反省しつつ、想像以上に寄りかかられていた現状に頭が痛くなる。
無意識に依存するタイプか…めんどくさいな。
「…まぁさ、仕方ないんじゃない? 出来上がってる輪に入るのしんどいってのはわかるしぃ。 ね、アーくん」
「え、あぁ。 そうだな。 てか、信用してくれてたってのは嬉しいもんだしなぁ? 発覚の仕方が最悪だったけどよ」
「うっさいわね。 …すっごく反省してるわ。」
「…はは、2人ともらしくないですねぇ? みてて面白いですよぉ」
くしゃりと、泣きそうな顔をして無理やり笑う。あぁ、本当にめんどくさい男。それだから好きな女にも嫌われて、…そうやって諦めて生きてきたんだろう。
「セパくんのそういうところ嫌い。 泣きたいなら泣けばいいのにさ」
「いや、仕方ねぇだろ。 男ってのは人前で泣くのは最大級の恥ってくらい癪なんだぜ?」
「はぁ? シンくんの前で大泣きしてたくせにぃ?」
「ばッ、おまえ、それは関係ねぇだろ?!」
「大ありだと思うけどぉ? ねぇ、セパくん」
「そぉですねぇ。 クソダセェなって思いますぅ」