Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    🐶やわらかい🐶

    Repost is prohibited.

    ☆quiet follow Send AirSkeb request
    POIPOI 82

    君たちはどう生きるかを見てきたので、ひとまずの感想を記しました。今後また変わるかもしれないです。(キューブリック作品への言及もあるので気をつけてください)ネタバレ等ありますが抽象的です。たくさんの感想を交換したい作品だと思いました!皆も良かったら教えてね。

    君たちはどう生きるか見に行った日は、今日もしかして観に行けるかも!って急遽思い立ちまして。それで上映まであと30分切ってる時点で空席が5つ残ってるのをスマホで確認して、慌てて最寄りの映画館まで行って券売機で買ったらなんと私がラスト1枚で、ラッキーでしたね。その時点であと5分で映画始まる〜ッ!って感じだったんで慌てて席につきました。もちろん、あくまで上映時間ギリギリってだけで遅刻したわけじゃないので、座席が暗くなってたとかではないんですけれども!幕間の映画泥棒も久しぶりに見たし。最近の映画泥棒はパルクールしてるんですね、笑っちゃった。それで色んな映画の予告編も見たけど、名作シリーズのリバイバルみたいなのが多くて、現実のみならず創作のどん詰まり感に少し複雑な気持ちにもなりましたね。まぁそういう感じで慌てていた気持ちを落ち着かせて見ることになりました。前置きが長かったかと思うんですけど、何が言いたかったかっていうと、結果的にそのくらいの心構えというか、事前情報無しで見たほうが良い映画だったんじゃないかなと思います。

    今回の映画は人々にファンタジーを通して活力を与える宮崎駿監督作品ではありませんでしたね。私は正直何のために行ったかって、分かりやすい形での活力をもらいに映画館へ行ったんですよ。卑しい想いでね。しかし、そういう目的で作られた映画ではなかった!

    本編で描写されてるのは大きく分けて三つで、まず一つ目は宮崎駿監督ではなく宮﨑駿という個人の今までの全ての人生、二つ目は宮崎駿が今認識している世界の罪、そして最後三つ目は何故自分はそれでも描くともなく描く人でありつづけるのかという結論なんだと思います。全て彼の長い夢のような映画でしたね。
    完全に宮崎駿の同人誌ですよね。実際スポンサーゼロで制作したんでしたっけ?自主制作でしかできない感じの映画だったと思います。

    この映画は映画として批評することが難しいなと感じていて。というのも、宮崎駿がストーリーのある映画として成立させる気がないからなんですよね。私は普段映画について脚本は、メッセージ性は、演技力は、画面の美しさは、テンポはとか色んな軸でそれぞれ見ていきたいなって思ってるんですけど、もうそういう軸で話すこと自体ナンセンスな気がしてます。駿監督の今までの人生や、作品、周りの人物、アニメ業界、後継者、原作小説、その他サンプリングされた様々な作品やオマージュについて照らし合わせて考察したり正解を見つける楽しみ方もあるでしょうが、この映画に関しては無粋な気もします。クイズのように消費するのは勿体無い気もしました。
    難解な映画ではないと思うんですよ。難解ではなくて、赤裸々な人生そのものなだけで。だから全然良くなくて、そこが良かったというか。良くないことが良かったっていう不思議な感覚に陥る映画でしたね。こういう映画できるのもう宮崎駿くらいしかいないんだろうなぁ。

    ここら辺から抽象的感想ではなくネタバレありで色々言いたいなと思うんですが、今回衝撃的だったのは、かなり赤裸々に悪意について描かれているという点だったと思います。悪に立ち向かう正義感溢れる主人公ではなく、悪意が内に生まれたまま世界を見ている少年ですよね。
    この映画の世界は常に醜悪で混沌としていて、本当にびっくりしました。今までの爽やかなジブリ作品には全くない作風で。
    まず最初の大火事のシーンの描写は今までのジブリに無かったもので、かなり特異に感じました。戦火シーンもよくジブリ作品ではあるけど、ああいう人物の歪みみたいな表現は無かった。もちろん熱風で歪んで見えることもありますけど、過剰ですよね。この時点で、今回の映画は主人公の強烈なトラウマ的ともいえる主観で繰り広げられる話なのだろうなと思いました。私は輪るピングドラムというアニメーション作品を愛しているんですけど、この作品も主要人物以外のモブはすべてピクトグラムで処理されているんです。現実には存在してるけど、視点的にはモブはピクトグラムのような存在として写っている。現実と主観の世界って同じはずなのに同じじゃないんですよね。
    ですから、この映画では疎開先の大きいお屋敷もどこか悪趣味というか醜悪さがあるし、御老人の描き方もどこか過剰に不気味です。背景美術も黒が混じったように重々しい。今回私は背景が魅力が無くて見ていて辛かったです。もちろん、背景美術が凡庸なクオリティであるという意味じゃなくて、こんなに世界を負の解釈で描けるんだぞという鬱々とした重々しさですよ。これ、おそらく現実はもう少し綺麗なんですけど、孤独な少年から見た世界って多分こう見えてるって事だと思うんです。
    私は戦時中に生きた方から話を聞くことあったので、例えば出征する人を穏やかな顔で見送るとか、後妻が妹で妊娠しているとか、割とあるあるだったということは認識しています。あくまで当時では!ですよ。(映画館を出る時に、「妹に手を出すのがあり得ない、気持ち悪すぎる」と若い子が感想を述べていて、戦時中のことを全く知らない世代が出てきてるんだなぁと思ったので記しました。)
    でも、当時の常識でも心の奥では受け入れがたいと思っていたと思いますよ。当然ですよね。人が死ににいったり殺しにいったりするような所へ行くのを万歳と言うような世の中。お母さんが大変な亡くなり方をしたのに後妻は妹で既に妊娠していている、ご老人はお土産にしか興味がない、お父さんは子供の気持ちに寄り添わない、裕福であることでいじめられるって彼の心にしこりが残る状況ですよね。そして、彼自身も自分の頭に傷をつけて悪意で周りを操作しようとした。最悪の循環です。
    ところが塔の中の世界でも現実逃避したくなるような美しいシーンはほぼ無いと言って良いと思います。唯一ジャムパンを食べるシーンくらいですかね、幸福の象徴は。同じく異界へ行く千と千尋も不気味さのある雰囲気でしたが、少し行って覗いてみたいと思わせるような妖しい魅力もありました。私なんか実際モデルになったと噂される台湾の九份行きましたし。でもこの映画の現実も異界も、魅力的とは言い難い。それなのに皮肉なことに現実の醜さにとても近い。それがある意味とてもショックでした。
    ポスターにもなっているアオサギの描き方が全く商業的に媚びていないことからも、一時の慰めとなる美しい娯楽映画にするつもりはないんだなと分かりました。それを汲んで鈴木プロデューサーはこういうプロモーションにしたのだろうと思います。予告編を作ることも無意味だっただろうし、パンフレットもグッズもすぐに作らなくて正しかったと思います。これから作るんですかね?作ってない時期に行って良かったと思いますよ。この映画見終わった後に買ったらさ、大量になんでも消費するペリカンそのもので、それでパンフレット読んだらそれをなんとなくそれを自分の意見として発表するインコになるんでしょ。

    ストーリー展開もわかりやすく盛り上がる構成ではなく、まるで夢を見ているような情報量と混沌の展開の連続です。しかし、それで良いなと思いました。これは娯楽作品ではなく、駿監督の頭の中をそのまま見せる作品なんだと感じました。
    駿監督が見てきた現実の糞尿に塗れる醜悪さと、それが無くなるように願って描いてきた空想の美しい世界、それがこんなジレンマと混沌から産み出てきたこと、そして、作品を作り続けても現実は今尚最悪の方向に進み続けているのだというある種の絶望の感情も伝わってきました。
    個人的な感想にはなりますが、キューブリック監督の遺作のアイズワイドシャットの最後がF××k.で終わったのを見たような、そんな気持ちに近かったような気もします。アイズワイドシャットは目を見開くように大きく閉じてって意味で、要は見えてるけど見ないふりをする方が夫婦生活上手くいくよっていう英語圏の慣用句なんですけど、要は臭いものには蓋しなきゃいけないときがあるよってことで、私は宮崎駿も、「私は臭い物を認識していましたが、あえて蓋をして美しいものを作ることがこの世に希望を与える正しいことと思っていました、しかし私はもう限界です」という告白のようにも感じました。アイズワイドシャットはあの美しいニコールキッドマンがトイレをしているシーンから始まるのにすごく驚くんですけど、君たちはどう生きるかも主人公がトイレにいったりとか、鳥のフンが執拗に描かれたりしてますよね。尺の短い映画で排泄について描くって私はかなり象徴的なことだと思うんですよ。排泄って必ずあるはずなのに省略される存在じゃないですか。必ずある問題を見て見ぬふりをして描写しない罪、宮崎駿は創作する上でその葛藤なり、罪悪感があったのかもしれないなと思いました。
    私は風立ちぬがとても好きで、当時こんな美しいものを見せてくれてありがとうと思ったんです。作品としての美しさはもちろんですが、その美しさの本質は駿監督が汚れた川底から砂金を一つ一つ拾って作ったもののような、泥濘の中から美しいものをなんとか見つけようとする宮崎駿監督に感動したからなんだと思います。風立ちぬも憎むものと美しいものへのジレンマを描いたものでしたけど、今回はより赤裸々。自分がやってきたことや作ってきた作品を墓石だって言うんですよ。だから背景にたまに過去のジブリの有名な背景を彷彿とさせるものをあえて入れてると思うんですけど、全然ファンサービスじゃないと思うんですよね。本当宮崎駿の脳みそが記憶を回想して整理してる際の夢程度というか。
    ただ、そこまで救いがない作品でもなくて、全部無意味でしたで終わってたら映画作る意味ないと思うんです。

    宮崎駿がそれでも映画という形で公開したのは、それでも生きていて良かったよねと言い切るために、祈るように描き続けることをやめなかったからだと思います。

    君たちはどう生きるか、というタイトルでしたが、私はそこまで説教臭さもなく、そこまで問われている感じもしなかったです。次世代に問うほど希望にも活力にも溢れていないと感じました。
    最後塔は崩壊していきますが全部ぶっ壊してなかったことにするって感じじゃなくて、宮崎駿がこれまで自分が良いもの悪いもの問わず与えられたもの、そして与えてきたと勘違いしてきたもの、それを全部この世に返しますって描写だったと思うんですよ。だからさっぱり感があるというか。全部返したから、これで宮崎駿の中のエゴだったりトラウマ的なしこりみたいなものも全部解放されたんじゃないかな、と思うと、良かったなって気持ちだとか、あまりに全て解放して行ってしまったから寂しいような気持ちにもなったんですよね。
    さながらパンドラの箱みたいに最後積み木のカケラが残って、これを希望と名づけるかは我々がどう思うかにかかってるような気もします。
    今回の映画は蠢くアニメーションがとても多かったと思います。宮崎駿がその動きに強い関心があるのかなと思いますが、蠢く様は気持ち悪いけど、生きているという感じがある。鳥たちも群衆で飛んでいる姿は美しい。宮崎駿は心に強烈な思い入れがあった母たちの姿をしたトラウマ的な自分の罪を赦し、赦され、自分の罪のある意識の葛藤の中でそれでも生きていて良かったと言い切るために映画を作ったのだと思います。

    一回見れば充分な作品に思います。それでもやはり宮崎駿には創作しつづける存在であってほしいと思わずにはいられませんでした。

    同じ時代に生きていて良かった。ありがとうございましたと言いたいです。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏👏👏📎👏😭👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works