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    yushio_gnsn

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    yushio_gnsn

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    Xとピクシブに投稿してた雛ゼンの話にアルハイゼン視点を追加したものです。

    収録されてる本
    https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040031198889

    二度目の初恋二度目の初恋

    「こら、また本を出しっぱなしにして!」
    カウチに座ったふわふわの雛鳥はむう、とちいさな唇を曲げた。
    「好きに読んでいいと言ったのはあなただ」
    「だからって、机の上が埋まるほど出したらだめじゃないか。今読む本だけ出してきて、読み終わったら元の場所に戻すんだ」
    端的に今の状況を説明しよう。旅人と一緒に日帰りで秘境に行ったアルハイゼンは地脈異常の影響で身体が子供になってしまい、記憶も当時の状態に戻ってしまった。遺跡守衛に吹き飛ばされてもびくともしない屈強な猛禽類が、雛換羽も終わっていないもちもちぴよぴよの状態で戻ってくるなんて誰が想像しようか。
    幸い、クラクサナリデビ様にみていただいた結果、一週間ほどで異常な元素力の影響は消え、元に戻るという。小さなアルハイゼンは不安がるどころか自宅の書斎に収納されていた大量の書物に満足しており、今日も元気に本の山を建築している。幼い見た目に反して態度はしゃんとしていて、話をしてみると大人の彼より辛辣な発言もあったほどだ。
    「ここにあるのは全て古代キングデシェレト文明に関係するものだ。いちいち本棚に取りに行くより、すぐに調べられる場所にあったほうが効率的だと思う」
    「まったく……」
    昔から知識欲旺盛ですこぶる頭が良かった、という話は紛れもなく真実で、教令院の入学試験よりも難解そうな歴史書や図鑑を引っ張り出してきては読み漁っている。元よりこの家に子供向けの本などほとんどないのだけれども。
    「アルハイゼン、今日は君の為に興味深い本を持ってきたぞ」
    そう告げて、彼の目の前に知恵の殿堂から借りてきたばかりの本を掲げた。
    旅人曰く、彼が元に戻ったとき、子供の姿で過ごした記憶は消えてしまう可能性が高いという。だから今のアルハイゼンに何か教えたり伝えたりしたところで、何も残らないかもしれない。けれど、たとえ記憶が消えてしまうとしても、彼がここに居るのは事実で、共に生活するからには充実した時間を過ごして欲しい。だから、好きなように本を読ませるだけでなく、こちらからも知識のアプローチをしてみることにしたのだ。
    「はぁ……またおとぎ話だ」
    しかし、アルハイゼンはこちらが掲げた本の表紙を見た途端、怪訝そうに眉をひそめた。
    「こら、内容を見る前にため息をつかない!」
    「むぅ」
    膨らませた頬が可愛さをぐんと引き立てているが、彼のプライドのために口には出さないでおく。大人のアルハイゼンであれば古文書だろうが娯楽小説だろうが構わず手に取るのだけれど、この頃の彼は物語を好まないらしい。内容や展開がお決まりで、つまらないのだと。
    「ただのおとぎ話じゃない、オアシスを守り抜いた勇敢な有翼人種の戦士の話だよ。今君が夢中で読み漁ってるキングデシェレト文明に関する物語さ!」
    小さなアルハイゼン訝しげなまなざしを崩さない。それどころか、威嚇するかのようにちいさな翼をこわばらせている。こちらの主張に嘘はないのだけれど、子供というのは良くも悪くも直情的だ。一度つまらなそうだと思ってしまったら、すんなり認識を変えてはくれない。
    「それじゃあ、もしつまらなかったときは今君が読んでいる本についての質問に何でも答えよう」
    「……!」
    言い終わるや否や、じっとりしていた瞳がきゅるんと輝く。
    「……このページに写してある碑文の翻訳を」
    「ストップ、僕の本を読み終わってからだ!」
    こちらとて、それなりに長い時間アルハイゼンと共に過ごした者。幼い彼を御せるだけの手札は揃っている。彼は子供の頃、賢すぎるがゆえ同年代の子供と話ができず、祖母と一緒に本を読んで過ごしたと聞いている。彼の知識欲に応える姿勢を見せれば、自然と態度を軟化させてくれるのだ。
    「じゃあ改めて、僕と一緒にこの本を読んでくれるかい?」
    アルハイゼンはしぶしぶ持っていた本を閉じ、座っている場所から腰をずらして、もう一人分のスペースを空けてくれた。

    ―そして戦の火は彼の恋人が住む小さなオアシスの街へと迫っていました。
    「逃げてください。あなたが命を懸けてまで戦う必要はありません」
    「だが、このままでは君の大切な故郷が砂に埋もれてしまうだろう」
    彼は知っていたのです。彼女が誰よりもこのオアシスを愛していると。そして、病で動けぬ母親を守るため、逃げずにここに残るであろうことも。
    「大丈夫だ、勝算はある。俺が必ずこの村を守り抜いてみせよう」
    男の言葉に嘘はありませんでした。先の戦いで戦死した友人から託された、強力な元素力の秘められた祭器があったからです。これに元素力を注ぎ込み爆発させれば、敵軍はひとたまりもないでしょう。しかし爆心地に立つとなれば、その先の運命は言うまでもありません。
    「だからどうか、この羽根を持っていて欲しい」
    男は自らの翼から立派な羽根を一枚引き抜くと、彼女の手に握らせました。
    「(俺はきっと死体すら残らないだろう。だが、自分がここに居た証を最愛の人が持っていてくれるなら、もう思い残すことはない)」
    そうして男は大きな翼をはためかせ、夜明けの空へ羽ばたいていったのです―

    「もういい、キングデシェレト文明の歴史を直接解説した本のほうがいい」
    物語がクライマックスを迎える前に、アルハイゼンはそっぽを向いた。自分が読んでいた本を取ろうと机に手を伸ばすのを制止して、彼と視線を合わせる。
    「まあ待つんだ、ここからがいちばん盛り上がるところなんだぞ」
    「いやだ、やっぱり面白くない。それより、早くこっちの本を読んで欲しい」
    そう言って、机に置かれていた古代文字の本を手に取り、目の前に差し出した。付箋だらけの本を見るに、聞きたいことが山ほどあるのだろう。答えてあげたいところだけれど、こちらの話を蔑ろにされては困る。彼がキングデシェレト文明にはまっているからこそ、あえて選んだ物語なのだから。
    「面白いかどうかは別として、この物語が砂漠の歴史に深く関係があるのは本当のことだし、今日まで続く文化の発祥でもあるんだよ」
    「……本当に?」
    「有翼人種がプロポーズの際羽根を贈るというしきたりはこのエピソードから来ているという説がある」
    彼は首をかしげ「プロポーズ」と繰り返した。これは彼なりの子供らしさなのだが、小さなアルハイゼンは知識の選り好みが非常に激しい。知りたいことはとことん突き詰める反面、関心のない分野には見向きもしないのだ。結婚や夫婦関係については知っているかもしれないが、それに至るまでの恋愛関係やプロポーズのしきたりに関する知識はないだろう。
    「プロポーズっていうのは、結婚のお願いをすることさ。生涯ずっと一緒に居てください、ってね。有翼人種のプロポーズは食べ物をあげたり、歌ったり、ダンスをしたり、場合によっては戦って強さを証明することもあるけど……いちばん有名なのは羽根を贈ることだ」
    純粋な知識の話になったせいか、アルハイゼンは大人しく聞きの姿勢に入っている。彼の興味が損なわれないうちに話を続けた。
    「このお話は色々と脚色されているけれど、事実をもとにしたものだ。時期はキングデシェレトが亡くなった直後の混乱期、実際にはオアシスではなく千尋の砂漠に流れていた運河のほとりだったと言われているよ」
    「なら、最初から歴史の話をしてほしかった」
    わかりやすくむくれるのもまた、貴重な子供らしさである。この頃の彼の表情金は今より幾分か雄弁だ。
    「歴史は単純な事実の羅列じゃない。その時代を必死に生きた人々の軌跡なんだ。だからこそ物語を知っておいて欲しかったんだよ。このお話は愛する人への真摯な想いが成したエピソードだ。だからこそ、求愛のしきたりとして根付いたんだろうね」
    「……」
    ううん、と唸るアルハイゼンは疑問と納得が半々の顔をしている。これを理解するには賢さよりも人の心を推し量ったり共感する力が必要だ。彼の性格を抜きしても、幼い時分にわからないのも無理はない。
    「それに、求愛行為については人付き合いにおけるマナーとして知っておく必要が……」
    「いやだ」
    それとなく人付き合いの話題を出した途端、彼はすぐさま眉間の皺を深くした。
    「あなたが他者とのかかわりを重要視する理由がわからない。話の通じない人と無理に会話をしても楽しくないし、意味がないと思う。家の中でお婆様やあなたと本を読んでいたほうがずっといい」
    「はは、厳しいなあ……」
    対人関係についてこれまでも何度かアプローチしてみたが、やはりだめだった。
    記憶が残る可能性は低くとも、今のうちに最低限の社交性を擦り込んでおけば、大人に戻った彼にも効果があるのではと思ったのだが、まるで受け入れる気配がない。ここまで頑なに断るとなると、同世代との会話が相当ストレスだったのかもしれない。話し相手として、彼の祖母と僕を同列に扱ってもらえることは嬉しいけれども。
    「じゃあ人付き合いは別としよう。君はもう少し日光を浴びるべきだよ。たまには外で遊ぶのも……」
    「あなたは外の暑い中、何の意味もなく走り回るのが楽しいのか」
    「はぁ……」
    何の意味もなく走り回るだけでも楽しいのが子供の特権だろうに、遊びに関しては子供心の欠片もない。とはいえ、小さな子供がここまでインドアなのはいただけない。唯一の肉親が祖母だけだったのなら、彼女の健康上あまり遠出ができないのも無理はないが。せっかく僕がいるのなら、外でも充実した時間を過ごすべきだ。
    「じゃあ、本物を見に行かないか」
    ふてくされた顔を覗き込み、優しく微笑んでみる。これ以上、彼の興味がないことを無理強いはしない。子供の姿で過ごすのも残りわずか。後はめいっぱい楽しんでもらうことにしよう。
    「百聞は一見に如かず、っていうのは稲妻の有名なことわざだ。砂漠の歴史が気になるなら、明日僕と一緒に砂漠の遺跡を見に行ってみないか?」
    「遺跡……!」
    アルハイゼンは一瞬硬直していたが、言葉の意味を理解してすぐに目を輝かせた。

    さて、遺跡を見に行くとはいったものの、幼子を連れてあまり遠くへはいけない。アルハイゼンを抱っこして飛べたらいいのだけれど、殆どの有翼人種は自力で飛ぶのではなく滑空が精いっぱいだし、重いものを持ったら墜落してしまう。本当ならお気に入りの遺跡や霊廟まで連れて行ってあげたいところだが、今回は小さなアルハイゼンを連れて歩ける範囲だ。様々なプランを練った結果、アアル村を拠点として下風蝕地にある聖顕殿を見せてあげることにした。中まで入るのは危険なので難しいけれど、あの遺跡はむしろ遠くから全体を眺めたほうが荘厳(そうごん)さが伝わるだろう。
    「よし、砂除けのマントはしっかり被ったか? 翼に砂が入るとすごく気持ち悪いからな」
    「ん……準備はできてる」
    マントと頭巾ですっぽりと包まれた姿に思わず頬が緩む。
    「急に動き出す機械装置や毒のあるサソリが出てくることもあるから、僕から離れないように」
    こくりと頷く彼の眼は真剣そのもので、初めて見る本物への期待が伺えた。体調や天候次第では無理せず引き返そうと決めていたが、こんなに楽しみにしているのだから、是非とも連れて行ってあげたい。周囲への警戒をしつつ、小さなアルハイゼンに合わせてゆっくりと砂漠を進んだ。
    「アルハイゼン、あそこのサボテンについてる赤い実が何だかわかるかい。アアル村の入り口にも生えていたね」
    「赤念の実。砂漠では昔から染料として使われていると図鑑に書いてあった」
    「よく覚えてるじゃないか。代表的な例で言うと、エルマイト旅団の人たちが着ている衣服や旗かな。あれらも赤念の実で染められていることが多いんだ」
    「ふうん……あっ、あっちにいる虫は……聖金虫?」
    「この辺に出てくるのは珍しいな。少し近づいて見てみようか」
    「いいのか?」
    「砂に足を取られないよう気を付けて。驚かさないように、そーっと近づくんだ」
    厳しい暑さにもかかわらず、アルハイゼンは新しいものを見るたび目を輝かせる。彼の興味が赴くまま寄り道をしつつも、体調に異常がないか慎重に観察した。小さい子供は遊びに夢中になって体力の消耗に気づかないことがある。初めての砂漠で浮足立っている今ならなおさらだ。
    しばらくは順調に砂漠を進んでいたものの、懸念は形となり、あと少しで遺跡にたどり着くところでアルハイゼンの足取りが急に重くなった。
    「少し休憩しようか?」
    「……いい」
    彼は険しい顔で首を横に振った。地図を確認しながら進んでいるので、目当ての遺跡が目前であることはアルハイゼンにもわかっているはずだ。逸る気持ちから、無理をして進みたがるのも無理はない。
    「(もう少しだから頑張れって言うのは簡単だけど)」
    本に関しては饒舌であるが、根は寡黙な子だ。顔に出さないだけで、見た目以上に消耗している可能性が高い。おまけにアルハイゼンは昔から意志が強かったようで、一度決めたことはなかなか曲げようとしないのである。本人が進むと言ったら、何が何でも進むのだろう。だからといって、このまま無理をするわけにはいかない。一度立ち止まって荷物を降ろし、彼の前にしゃがみ込む。
    「アルハイゼン、肩車をしようか」
    彼は要らぬ配慮だと言わんばかりにむっと顔をしかめた。
    「疲れてない。それに、荷物があるのに」
    「何言ってるんだ、肩車したほうが遠くまで見えるじゃないか。もうすぐ遺跡に着くんだぞ。君のために来たんだから、一番いい景色を見て貰わないと僕が困る」
    やや大げさに告げると、彼は少し戸惑いつつも最後は納得した様子で肩の上へと納まってくれた。見栄を切ったは良いが、子供一人に荷物もプラスされると少し重い。いや、正直に言うと首肩まわりがかなりきついし、腹に力を入れていないと若干ふらつきそうになる。工具箱をメラックにしてからというもの、重いものを運ばなくなったせいで腕力が落ちた事実は否定できない。隼の身体能力には及ばずとも、日頃からもう少し鍛えようと心に誓った。
    「ほらアルハイゼン、ここを過ぎればすぐそこだ!」
    目的地に着いたのは空が赤色に染まりはじめたころ。崩れかけた門を潜り抜け、聖顕殿が姿を顕したとき、アルハイゼンが息を吞むのがわかった。肩車で添えられていた手にぎゅっと力がこもる。
    「これが、ほんもの」
    深い谷の中に聳え立つ巨大な塔。未だ活動を続けるプライマル構造体が遠くで光を放っている。
    「……せっかくだから、もう少し高いところまで行ってみようか。向こうの丘に登ると、もっと遠くまで見えるんだ」
    門の脇にある丘を登ったところがとっておきの展望スポット。翌日の筋肉痛を覚悟して坂を登りきると、アルハイゼンはついに「わあ」と声を上げた。
    夕焼けに照らされた遺跡群は圧巻で、巨大な砂嵐が渦を巻き、遥か遠くにはキングデシェレトの霊廟が見える。反対方向には甘露花海にそびえる万種母樹の影。詳細は知らないが、あの大樹を復活させたのも旅人とパイモンだというから驚きだ。物語を好まない今のアルハイゼンでも、旅人の冒険譚なら興味津々で聞いてくれるかもしれない。
    「今日はもう日が暮れるから、周囲を見て回るのは明日にしよう。僕はテントを張るから、君はリュックから鍋と食材を出して待っていてくれ」
    一休みしてから簡単な作業を与えると、アルハイゼンは手際よく荷物を取り出した。持ってきた食材は蜜漬けのデーツとパン、夕暮れの実、スープ用の野菜とスパイスで味をつけた肉。個人的な砂漠調査の際は携帯食料で済ませることも多いけれど、今回は小さなアルハイゼンのために少し豪華にしている。テント設営はほどなくして終わり、二人で焚木を起こした。
    「スープできたぞ。やけどしないようにな」
    「……うん」
    アルハイゼンは受け取ったスープにパンにひたし、小さな口に運ぶ。
    「ほら、もっとこっちに寄って。こうするのが温かいだろ」
    「ん……」
    灼熱の日中とは打って変わって、砂漠の夜は酷く冷えこむ。アルハイゼンには防寒用の上着を着せたうえで、こちらの膝の間に座らせて暖を取ってもらった。小さな身体を抱き抱えると、雛鳥特有のふんわりとした羽毛が触れてくすぐったい。
    「(教令院で出逢った頃には雛換羽は終わってたからなあ……この頃の君はどんな生活をしていたんだろう。本当にお婆さんしか話す相手がいなかったんだろうか)」
    幼い姿をじっくり眺めていると、彼はふと食事の手を止めて顔を上げる。
    「カーヴェ、砂漠の夜がこんなに冷えるのはどうしてなんだ。昼間は暑かったのに、熱がどこかへ逃げてしまうのか」
    「相変わらず賢いな君は。熱が逃げるって予想は正解さ。砂は熱を溜め込みにくいんだ。それから空気が乾燥しているのも原因だといわれてる。水蒸気には熱を蓄える力があるんだ」
    「水蒸気が熱を……じゃあ、雨林の気温がずっと高いのは湿度のせい?」
    今日は本を持ってきていないのに、質問は絶えない。貪欲に知識を求める姿は幼くも強かさを感じさせ、どんな姿でもアルハイゼンはアルハイゼンなのだなあとしみじみしてしまった。気温の次は星の話、過酷な環境に適応した生き物の話、地形の話。気づけはとっぷり夜も更けて、銀色の月が夜の遺跡群を照らしている。明日に備えてもうそろそろ寝る時間。テントに入ろうと声をかけたとき、その質問はふいに投げかけられた。
    「カーヴェ、大人の俺もこうして一緒に遺跡を見に行くのか」
    無垢な瞳が、無邪気な疑問が、ナイフのように鋭く心の奥底へ突き刺さる。
    学生の頃は二人で何度も砂漠に赴き、こうして星を見上げたものだ。他の学生が一緒のときもあったけれど、いちばん多くの時間を共に過ごしたのは他でもなくアルハイゼン。真面目な調査ばかりでなく、オアシスで水切りをして遊んだり、水浴びしたり、砂埃まみれになった翼をお互いに羽繕いしたりもした。
    野営に不慣れだったころは二人で必死になって火をおこし、野生のサソリに襲われて逃げ出した。酷い砂嵐で数日動けなかったり、遺跡の装置を踏み抜き閉じ込められかけるなど、散々な記憶もある。共同研究を最後まで続けることはできなかったけれど、二人で過ごした時間はかけがえのない大切なものだ。けれど―
    「カーヴェ?」
    何も知らない幼い彼に、何と答えてやればいいのだろう。昔はいつでも一緒だった。でも、今は違う。同じ屋根の下に住んでいるけれど番でも友達でもない。ご飯を食べたり、晩酌をしたり、コーヒーを選ぶこともあるから悪くない関係だとは思っている。けれど基本的には互いが互いの好きなことをするし、実際アルハイゼンは僕を誘わず一人で砂漠調査に行った。
    「大人になった君は一人で行動するのが好きなんだ」
    あえて二人の関係には触れず、当たり障りのない事実だけを述べる。言い終えてから数秒後、からん、と金属の音が静かな夜にこだました。音のしたほうへ目をやれば、小さなアルハイゼンは空になったスープの深皿をスプーンごと落っことしていた。
    「どうして? 一緒に住んでいるのに……?」
    子供というのは大人が思っているよりずっと察しが良い。ただでさえ賢い彼にとって、濁した言葉の裏にある後ろめたいものを察するのは容易かっただろう。
    「僕があの家に住んでるのはいろいろと訳が……ああ、勘違いしないでくれ! 僕らはそれなりに上手いことやってるし、君は楽しく悠々自適な生活を送ってるよ。本当だ!」
    慌ててフォローしてももう遅く、アルハイゼンは今にも泣きそうな顔をしている。彼はきっと今回のお出かけがとても楽しくて、めいっぱい議論できるのが嬉しくて、将来もずっとこんなふうに二人で過ごせるものだと期待していたのだ。その想像は確かに間違いではない。長くは続かなかった、というだけの話で。
    「(僕はなんて言ってあげればよかったんだ?)」
    ずっと仲良しだよ、と嘘をつくのは容易い。幼子に二人の出会いから決裂までの物語を聞かせるわけにはいかないし、話したところで記憶は消えてしまう。それでも、アルハイゼンという存在に対して、陳腐な言葉でごまかすことは許せなかった。
    「……わかった」
    「アルハイゼン……?」
    幼くも力強い声が静寂を切り裂く。後ろめたさから逸らした視線を戻したとき、彼はもう悲しげな顔はしていなかった。唇を引き結び、何かを決意したように真剣な表情をしている。彼はくるりと体の向きを変えると、ごそごそと自分の翼をまさぐり始めた。砂が入ってしまったのだろうか。どうしたの、と声をかける前に、ぶちりと不穏な音が耳に届いた。
    「な、っ……⁉」
    あまりにも唐突過ぎて、制止することができなかった。アルハイゼンは目の前で自の翼から無理やり羽根を引き抜いたのだ。かなり雑に引っ張ったのか、地面にはらはらと白い羽毛が散っている。
    「き、きみ、なんてことを⁉」
    こんなにたくさん羽根を毟ったら、下の皮膚が剥がれていてもおかしくない。慌てて鞄から応急キッドを取り出そうと思ったが、突き出された右手を見て、再度思考が停止した。
    この行為の意味を教えたのは他ならぬ昨日の自分で、まさかこんな形で返ってくるなんて想像できるわけがなかった。うそだろ、と呟く暇すら与えられず、彼ははっきりとした口調で自分の意思を言葉にする。
    「俺と結婚してほしい」
    自分の羽根を栞代わりにしたかつての後輩の姿が思い浮かぶ。それよりもっともっと幼い彼からの、本気のプロポーズ。そんなに僕といるのが楽しかったのか、とか、いきなり求婚は流石にすっ飛ばし過ぎだぞ、とか。驚き、嬉しさ、混乱、焦燥、様々な感情が織り交ざった結果何一つ言葉にならない。二の句が継げない僕を置いてきぼりにして、雛鳥は毅然とした態度で言葉を続ける。
    「あなたとずっと一緒に本を読みたい。こうして遺跡を見に行って、星を眺めながら語り合える存在でいて欲しい」
    きゅっと吊り上がった眉毛が覚悟を感じさせる。ちいさくてもこの子はアルハイゼン、彼の決断力と行動力をなめていた。ずっと一緒にいたいから結婚する、なんて、とても幼く短絡的で、だからこそ混じりけのない純粋な〝好き〟の気持ち。まっすぐな好意は煩雑な大人の心をいとも容易く貫いて、砕けて沈んでいた初恋の欠片をすくい上げる。
    「俺が子供だからだめなのか?」
    返答がないことに痺れを切らしたのか、アルハイゼンは羽根を差し出したままにじり寄ってくる。
    子供だから、で済ませるのは卑怯者のやることだ。彼が幼く純粋だからこそ、真摯に向き合わなければいけない。かといって、簡単に頷くわけにもいかなかった。結婚とは生涯人生を共にすることであり、軽々しく約束していいものではない。
    「(僕を大切な存在として思ってくれて嬉しい。でも、君はもっと世界を知るべきだ)」
    ひとつひとつ伝えるべき言葉を整理して、小さな身体を抱き寄せる。彼の告白に気圧されるばかりだったが、ようやく腹は決まった。今こそ先輩としての役目を果たすときだ。
    「アルハイゼン、確かに君と楽しく話せる人は少ないかもしれない。あまり人と関わるのも好きじゃないんだろう。そんな君が僕のことを大切に想ってくれて嬉しいよ」
    嬉しい、を聞いたとたん、小さなアルハイゼンぱっと表情を明るくした。
    「君はこれからいろんなことを経験するし、知識も増える。君が面白いと思うものはこのテイワットにうんとあるんだ。もちろん楽しいことばかりじゃない。嫌なことや苦しいこともあるだろう。絶対に赦せないと思うこともあるかもしれないね」
    自分で言っておいて、ちくりと胸が痛む。あの日、共同研究から名前が消えたとき、二人ともお互いのことを赦せなかった。
    「だから……今一番を決めてしまうのはもったいないよ」
    夜の砂漠にひときわ強い風が吹く。食い下がろうとする彼を宥め、翼で包み込んだ。
    「最後まで聞いてくれ。もし君がいろんな経験をして、大人になって、それでも僕のことを一番に想ってくれるなら、そのときは……」
    ちゃんと考えるよ、と告げて終わるはずだった。
    ふいに頭の中で、目の前の少年と大人のアルハイゼンの姿が重なる。そこからは、まるで映画のワンシーンのようだった。
    「―俺と結婚してほしい」
    優しくも雄々しいテノールが鼓膜を伝って全身に響く。そこには凛とした表情で立派な風切り羽根を差し出す隼の姿があった。こちらを見つめる碧玉はきりりと鋭く、確かな情熱を秘めている。
    「―君とずっと一緒にいたい」
    形の良い唇の動きに合わせ、頭の中で彼の声が再生される。もう十分に本気は伝わっているのに、彼は目の前に跪き、改めて自らの羽根を掲げた。有翼人種の中でも圧倒的強者である猛禽類が膝をつくということは、生涯尽くし続けるという絶対の誓いである。
    もしも共同研究が円満に続いていたら、こんな結末もありえただろうか。否、過去は変えられない。けれど失敗と決別を経てもなお尽きない想いがあったなら、互いの理念と矜持が交わらないと知っても寄り添うことができたなら……これから先の未来に可能性はあるんじゃないか? なんて、恋に恋する少女のような妄想が頭の中を支配する。カーヴェという人間は今、自分の想像力に敗北しそうになっていた。
    「(大人の君にプロポーズされたら、僕は―)」
    きっと頷いてしまう。初恋の欠片はひとつに合わさり、その形を取り戻した。はっきりと思い至ったとき、幼くも圧のある声が、妄想に浸蝕された思考を現実に引き戻す。
    「そのときは?」
    「あ……」
    目の前には小さなアルハイゼンがいて、雛鳥は今か今かと返答を待っていた。幼くとも碧玉に宿る情熱に変わりはなく、猛禽類特有の気高さの片鱗を感じさせる。
    「その、ときは……」
    大人になったアルハイゼンが羽根を差し出す姿が頭から消えてくれない。彼が大きくなって、酸いも甘いも嚙み分けて、決別の過去を背負ってもなお「君が一番だ」と言ってくれたなら―
    「きみと、つがい、に……いっしょに巣作りしてもいい……よ?」
    そこにはへにゃへにゃの声で、最初の想定より相当譲歩した返答をするみっともない風鳥の姿があった。こんなはずでは、と後悔してももう遅く、未来に希望を見出した雛鳥は凛然とした態度で口角を上げた。
    「約束だ。それまでこの羽根は預かっていてほしい」
    「え、預かっ……あ、うん……うん?」
    一度押し切られてしまうと立て直すことは難しく、預かる、という名目でちゃっかり羽根を受け取らされてしまった。受け取ったら断った意味がないのでは、なんて突っ込む余裕もなく。

    それから二日後、秘境の影響は消えてアルハイゼンは無事元に戻った。しかし、小さな彼から渡された白い羽は消えることなく、雛鳥からのプロポーズは心を掴んで離さなかった。

    ***

    どこか景色の違うスメールシティ。アーカーシャ端末をつけていない人々。そして、誰も見たことがなかったはずの草神様の姿。自分が違う世界に来てしまったことはなんとなく理解できた。曰く、ここは未来の世界なのだという。ずっと押し黙っていたから、周囲の人にはとても落ち着いている様子に見えたらしい。実際は不安で押しつぶされそうで、何も言葉が出てこなかっただけなのに。
    そうして連れていかれたのは大人になった自分の家……といっても、今の自分にとっては全く見知らぬ場所でしかなく、祖母の姿もなかった。彼女のもとに連れていかれなかったということはつまり、そういうことなのだろう。
    大人になった自分は本当にここで生きているのだろうか。どうして祖母と過ごした家ではなく、わざわざ別の場所へ引っ越したのか。考えたってわかりっこないのに、疑問ばかりが増えていく。唯一はっきりしているのは、祖母が……たった一人の家族が、この世界にはもういないということだけ。
    家の中からは同居人だと名乗る男が出てきて、面倒を見ると約束してくれた。衣食住に困らないとわかってほんの少しだけ安堵できたけれど、それ以上の期待はしない。この悪い夢が覚めるまで、本でも読んで気を紛らわす……はずだった。
    「―古代文字に興味があるのか? 関連する書籍があるから、一緒に読もう」
    「―なるほど、素晴らしい観点じゃないか。君は本当に賢いな!」
    「―僕のスケッチが見たい? いいぞ、これはアーチ構造で耐久性を確保しつつ、表面にスメールローズの掘り込みを施すことで優美な印象を……」
    男の名前はカーヴェといった。
    風鳥の有翼人種で、祖母と同じく妙論派を卒業したという。この家にある本は何でも好きに読んでいいと言われたけれど、一から十まで理解できるものは少ない。だから、ほんの気まぐれに質問してみたのだ。祖母のように寄り添ってくれなくとも、教令院の卒業生なら解説くらいはしてくれるんじゃないかと。そうしたら、くすんでいた世界に色が付いた。
    初めて出会った、ずっと話していたいと思う人。不安を払拭して余りある、満たされた時間。たまに彼の趣味や人付き合いの話へ脱線することもあったけれど、それでも楽しかった。砂漠の遺跡を見に行こうと誘われたときは、雛換羽も終わらぬ翼でも空高く飛んでいけそうな気すらした。
    「(……せっかくだから、あの本を最後まで読んでみようか)」
    砂漠へ行く前の晩、ふと気になってカーヴェが読んでくれたおとぎ話を自分で読み直すことにした。話自体にあまり興味は湧かなかったけれど、彼がわざわざ選んでくれた本だ。最後まで読んでおいて損はない。そう思って最後までページをめくってみたけれど、エンディングは概ね想像通りで、奇跡的に助かった男と恋人が結ばれる、ありふれたハッピーエンド。しかしながら、興味深いものはエンディングのその先……本の後ろにまとまっていた補足説明にあった。
    「羽根を贈るしきたり……あなたと、あなたの大切なものを守り抜くという誓い……なるほど」
    本の末にはカーヴェが言っていた通り、この話がプロポーズのしきたりのもととなったことが解説されている。それに付随して、有翼人種の婚姻関係の歴史が簡単にまとめられていた。
    「(有翼人種は番になると初めて住まいを同じくし、一緒に寝室をしつらえる。昔は家まで一緒に建てていたが、建築技術が発展してからは寝室づくりの風習だけが残っ…………待った、住まいを同じく?)」
    記された一文を二度、三度と読みかえす。有翼人種は番になると初めて住まいを同じくし、一緒に寝室をしつらえる、と。ここは未来の自分の家で、カーヴェは一緒に生活をしている。つまり―
    「(俺はカーヴェと番になっていたのか……!)」
    脳内にぴしゃんと稲妻が走った後、ぶわわと花が咲く。頬が熱くて、口元が緩むのを抑えられない。
    「(俺はこれからもずっとカーヴェと一緒で、毎日楽しく話ができるんだ!)」
    自分の置かれている状況すべて合点がいった。未来の自分は祖母がいなくなっても、家族を……共に生きていける素敵な人を見つけたのだ。だから住み慣れた実家を出て、二人の新しい家を設けた。子供の姿になった伴侶に「僕と君は結婚していたんだ」なんて言い出せないから、カーヴェはそれとなく人間関係やプロポーズの話を振ってきたに違いない。仲睦まじくしていた相手が愛し合った記憶をなくしてしまったのだから、それはそれは寂しかっただろう。もっと話を聞いてあげればよかった。
    さて、大人になった自分たちはどんなふうに生活しているのだろうか。教令院を卒業したということは、学術家庭である可能性も高い。ということは二人で論文を完成させたはずだ。いったいどんな研究だったのか。何もかも気になって仕方がなく、その晩は殆ど眠ることができなかった。
    翌日砂漠を歩いている間はだいぶ気が紛れていたけれど、やっぱりどうしても気になって、遺跡に着いてご飯を食べているときにそれとなく聞いてみたのだ。
    「カーヴェ、大人の俺もこうして一緒に遺跡を見に行くのか」
    結婚しているのか、と聞いたらごまかされるかもしれない。だからわざと少しそれた質問をした。彼は笑って「そうだよ」と答えるだろうから、そこからエピソードを引き出す算段だった。
    「カーヴェ?」
    不穏な沈黙に胸騒ぎがする。カーヴェはとても悲しそうな顔をして、視線を逸らしてしまった。
    「大人になった君は一人で行動するのが好きなんだ」
    宝石のような赤い瞳に影が差す。その瞬間、幸せを湛えていた心の器は粉々に砕け散った。
    「どうして? 一緒に住んでいるのに……?」
    「僕があの家に住んでるのはいろいろと訳が……ああ、勘違いしないでくれ! 僕らはそれなりに上手いことやってるし、君は楽しく悠々自適な生活を送ってるよ。本当だ!」
    必死で取り繕おうとするカーヴェを見たとき、腹の底から沸き上がったのは悲しみではなく怒りだった。二人で一緒に住んでいるのは事実。では、わざわざ住まいを同じくしておいて、なぜ俺は一人で出歩くのか? しかも彼を放っておいたうえで、悠々自適に楽しく暮らしているという。極めつけはカーヴェの悲しげな表情。つまり―
    「(未来の俺は、カーヴェを家に招いておきながらプロポーズもせず放置している、救いようのない甲斐性無しなのか⁉)」
    不甲斐ない。その一言に尽きる。
    未来の俺はカーヴェの好意に甘え切り、自分の都合の悪いときは放置する最低の男だったのだ。カーヴェは風鳥で自分は隼だから、進んで誓いを立てるべきは俺のほう。大切な人を守るのは、優れた身体能力を持って生まれる猛禽類の甲斐性というもの。俺がきちんとプロポーズをしないから、カーヴェはわざわざ求婚のしきたりを教えてきたに違いない。
    「(こんな素敵な人を傍に置いておきながら適当に扱うなんて、絶対に赦せない!)」
    あまりに情けなくて目頭が熱くなる。なんと無様な体たらく。こんなみっともない姿、お婆様には絶対に見せられない。頭の中では未来の自分に対する罵詈雑言が次々と浮かんでいた。しかし、どんなに嘆いたところで目の前の彼を幸せにすることはできない。では、カーヴェを幸せにするためには何をしたらいい?
    「……わかった」
    「アルハイゼン……?」
    自問すれば、やるべきことはすぐに浮かんだ。衝動のまま、自らの翼から羽根を引き抜く。
    「な、っ……⁉ き、きみ、なんてことを⁉」
    ぶちぶちという音に相応の痛みが伴ったが、彼の心に比べればなんてことない。引き抜いた中から一番綺麗なものを選び、しっかりと握りしめて彼の目の前に差し出す。風の音に負けぬよう、胸いっぱいに息を吸った。
    「俺と結婚してほしい」
    大人の俺が言えないなら、今の自分が言えばいい。こんな素敵な人、二度と出会える気がしない。大人の自分が何を考えているか知らないが、同居はできるのに結婚はできない、なんて馬鹿な話あるわけがない。
    「あなたとずっと一緒に本を読みたい。こうして遺跡を見に行って、星を眺めながら語り合える存在でいて欲しい」
    まっすぐに彼の目を見つめて言葉を続ける。彼は面食らったような顔をして、こちらを見つめたまま黙り込んでしまった。すぐに承諾してもらえるなんて思っていない。冗談だと茶化されなかったならまだ望みはある。
    「俺が子供だからだめなのか?」
    断られる理由として真っ先に思い浮かぶのは歳の差だ。だが今すぐは無理だとしても、未来を信じて欲しい。今は知らないことばかりだけれど、これからたくさん知識をつけて、対等に話ができるようになってみせる。そうしていつか、どんな本にも書かれていない未知を二人で探求できるようになりたい。決意を込めてにじり寄ると、カーヴェは両手を広げてこちらの身体を抱きとめてくれた。
    「アルハイゼン、確かに君と楽しく話せる人は少ないかもしれない。あまり人と関わるのも好きじゃないんだろう。そんな君が僕のことを大切に想ってくれて嬉しいよ」
    嬉しい、と。確かにそう聞こえた。こちらの気持ちは確実に伝わっている。希望を胸に彼の言葉に耳を傾けた。
    「君はこれからいろんなことを経験するし、知識も増える。君が面白いと思うものはこのテイワットにうんとあるんだ。もちろん楽しいことばかりじゃない。嫌なことや苦しいこともあるだろう。絶対に赦せないと思うこともあるかもしれないね」
    そうだ、カーヴェの言う通り、自分はこれから様々な経験をする。嫌なことがあるのも仕方がない。そうやって学んで、積み重ねて、いつかカーヴェの隣に立てるだけの存在になるのだ。けれどカーヴェは次の瞬間、穏やかな声で残酷な言葉を口にする。
    「だから……今一番を決めてしまうのはもったいないよ」
    高まる鼓動から一転して、ぎゅうと胸が苦しくなった。吹き抜ける風の音がやけに大きく聞こえる。なぜ、どうして信じてくれないのか。反射的に口を開こうとしたが、彼は最後まで聞いてくれと宥め、翼で優しくこちらの身体を包み込む。翼で相手を包み込むのは愛情の証であり、祖母もこうして抱きしめてくれたことがある。こんなふうにされたら、もう何も言えないではないか。
    「もし君がいろんな経験をして、大人になって、それでも僕のことを一番に想ってくれるなら、そのときは……」
    俺と結婚してくれるのか? それとも「また考える」などと言ってはぐらかすのか?
    早く答えが聞きたいのに、カーヴェは一番重要なところで口を噤む。視線を合わせれば、鮮やかなコーラルレッドの瞳の中、焚き木の炎がちらちらと揺らめく。彼はどこか遠く……こちらの瞳を通して別のものを見ているような、そんな気がした。
    「そのときは?」
    堪えきれずに返事をせがむと、カーヴェははっと息を吞み、びくりと肩を震わせた。まるで、夢から醒めたみたいに。
    「あ……」
    半開きの口で固まっている彼の頬はみるみる赤くなっていき、あっというまに耳まで染まる。その顔を見ていたら、きゅん、と胸の奥で知らない感情が疼いた。これはいったい何なのだろうか。
    「その、ときは……」
    さっきまでは優しくも一歩引いた姿勢、例えるなら祖母がこちらを諭すときのような雰囲気だったのに、今はしどろもどろ。頬を染めたまま、視線を合わせて、戻して、を繰り返している。そして彼はついに、ずっと待っていた答えを口にしてくれた。
    「きみと、つがい、に……いっしょに巣作りしてもいい……よ?」
    だいぶへにゃへにゃした声だったが、確かに聞こえた。いっしょに巣作りしてもいい、と。
    「約束だ。それまでこの羽根は預かっていてほしい」
    白い羽根に願いを込めて、カーヴェの手に握らせる。この羽根も後に残るかはわからないけれど、今ここにあるのは事実なのだ。彼はしばらくの間目を泳がせたが、最終的に渡した羽根を懐にしまってくれた。
    さて、残る問題は一つ。周囲の人々の会話を聞くに、秘境の影響が消えたとき、今の記憶が大人の自分に引き継がれる可能性は低いという。
    「(今の俺がカーヴェを想っていた気持ちはなくならない。カーヴェが覚えていてくれたら、俺がここにいたことの証明になる。でも……)」
    問題というのは大人になった自分のこと。せっかくカーヴェと約束を取り付けたのに、あの甲斐性なしが動かなければ意味がない。どうにかして記憶を残し、大人の自分の腐り切った根性を叩き直して、しっかりとプロポーズさせなければならない。
    「(そうだ、手紙を残せばいい!)」
    カーヴェに渡した自分の羽根はもしかしたら消えてしまうかもしれない。けれど、元からこの世界にある紙とペンなら、きっとなくならないだろう。文字だって残るはずだ。大人の自分の所持品の中にでも隠しておけば、カーヴェに知られることもない。一番簡単なのは本に挟むことか。
    「(あのいくじなし、絶対に反省させてやる……!)」
    そうして砂漠から帰ってすぐ、翼の砂埃を落とすのも忘れてペンをとった。そして無我夢中で気持ちを書き連ねた結果、最終的に手紙なのか脅迫状なのかわからない文面が出来上がったのだった。

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    yushio_gnsn

    DONEXとピクシブに投稿してた雛ゼンの話にアルハイゼン視点を追加したものです。

    収録されてる本
    https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040031198889
    二度目の初恋二度目の初恋

    「こら、また本を出しっぱなしにして!」
    カウチに座ったふわふわの雛鳥はむう、とちいさな唇を曲げた。
    「好きに読んでいいと言ったのはあなただ」
    「だからって、机の上が埋まるほど出したらだめじゃないか。今読む本だけ出してきて、読み終わったら元の場所に戻すんだ」
    端的に今の状況を説明しよう。旅人と一緒に日帰りで秘境に行ったアルハイゼンは地脈異常の影響で身体が子供になってしまい、記憶も当時の状態に戻ってしまった。遺跡守衛に吹き飛ばされてもびくともしない屈強な猛禽類が、雛換羽も終わっていないもちもちぴよぴよの状態で戻ってくるなんて誰が想像しようか。
    幸い、クラクサナリデビ様にみていただいた結果、一週間ほどで異常な元素力の影響は消え、元に戻るという。小さなアルハイゼンは不安がるどころか自宅の書斎に収納されていた大量の書物に満足しており、今日も元気に本の山を建築している。幼い見た目に反して態度はしゃんとしていて、話をしてみると大人の彼より辛辣な発言もあったほどだ。
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    yushio_gnsn

    DONE獣人パロの続きのようなもの。
    秘境で小さくなってしまったアルハイゼンが番の役目を果たせないことにしょげたりお子様プレートを食べたりする話。
    ※男性妊娠表現有
    ユキヒョウ獣人(僕の後輩)は小さくても凛々しい秘境の調査に行ったアルハイゼンは、謎の地脈異常の影響を受け、身体が子供の姿に戻ってしまった。記憶こそ失われていないものの、凛としたユキヒョウ獣人はふわふわの子猫ちゃんとなり、今は僕にひっついて不貞腐れている。

    「アルハイゼン、そんなに落ち込まなくても……僕はどこにも行かないから」
    「ようやく馬の骨どもが君に寄り付かなくなったというのに、よりによってこのタイミングで……」

    失策だ、と幼く弱弱しい声が響いた。シルバーグレーの耳はぺしょりと垂れて、いつも元気に跳ねている特徴的なくせ毛はすっかりしおれている。本気で落ち込んでいる彼には申し訳ないのだが、身体の小ささも相まって、こちらが見ている分には大変可愛らしい。教令院で出会ったころは既に青年に近かったので、アルハイゼンの本当に幼い姿というのは見たことが無かった。ざっくり推定すると四歳か五歳ごろだろうか。走り回る分には問題ないが、まだまだ非力で親に守られるべき年頃である。耳や尻尾の毛はぱやぱやしていて、柔らかそうな頬ときゅるんとした瞳が愛らしさに拍車をかけていた。
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