未定「さて、ワシも出てみるか」
朝、仕事に出かける妻を見送り二度寝をしたら、起きた時には太陽は真上に昇っていた。ボリボリと頭を掻きながら居間に行けば、ちゃぶ台の上には握り飯と書き置きがある。鬼太郎は寝こけた自分を放って先に昼飯を食べて友だちと遊びに行ってしまったらしい。この田舎には一週間前に越してきたばかりなのに、よくすぐに友だちができるのものだ。まだ子ども故なのか、類稀なる社交性を妻から受け継いだのか。用意された昼飯を食べて、自分もまだ挨拶できていない仲間を散歩がてら回ろうと家を出た。
「よう考えたらまだ昼じゃったな」
妖の仲間に会うなら夜出てくるべきだったと思うが、寝起きでどうも頭が回っていなかったようだ。結局誰に会うこともなく、ブラブラと歩いていると雑木林を見かけた。暑さや寒さには強い体質であるが今日はなんだか日差しが妙に辛く感じる。日陰を求めて迷わずそこへ立ち寄った。涼しい風が抜けていくまばらに生えた木の間を通っていくと、徐々に太陽に焦がされた皮膚が冷えてきて心地よい。ここのように少し暗い場所なら妖たちにも会えるかもしれんと、足取り軽く歩いていればある大木が目に入った。その大木の周りには他の木はほとんど生えておらず、一本だけまるで隔離されているようだった。
「見事じゃのう」
神木のようなその木に近づけば、窓のように樹洞ができているのに気づいた。懐かしい、自分は子供の頃このような樹洞で過ごしていた。そう思ってなんの気なしに覗き込まめば、中に誰かがいるのが見える。こちらに背を向けて何か本を読んでいるようだ。
覗き込んだ自分の身体で木の中に差し込む陽の光が遮られた。それでこちらに気づいたのだろう。中の者がくるりと振り返った。
きらりと輝く瞳の青に思わず息を呑む。
人間の、男だ。とても綺麗な。
一体誰なのだろう。
固まる自分を、男は不思議そうにしばらく見つめたあと小さな声でポツリと言った。
「ああ、なんだ、お前の方か」
さも自分のことを知っているかのような口ぶりをする。それに「お前の方」とは、自分の他に来る者がいるのだろうか。こちらに近づいてきた男に尋ねる。その甘い目元には左側にだけ傷があった。
「……お主、ワシを知っておるのか」
人間はクツクツと笑う。
「いや、……全く知らないね」
「なんじゃあ、それは」
おちょくられているだけなのか。それにしては引っかかる。何か、隠しているのか。企みでもあるのだろうか?
「お主は何者じゃ?なぜここにおる?」
「随分不躾だな。俺が俺の家に居たら悪いか」
「家、じゃと?」
一見すると、幽閉でもされているかのような状態だが。魔女によって塔の上に閉じ込められた無邪気な少女の童話を思い出させる。左目の傷と、よく見れば左耳も欠けている。酷い目に合っているのでは心配になった。
「監禁でもされておるのか?」
そう問えば笑い飛ばされた。
「バカを言うな。好きで居るに決まってるだろう。」
その笑顔に嘘はなさそうで、少し安心する。
「お前さんの方こそどうしてここにいるんだ?」
「散歩してたらこの木を見つけたんじゃ」
「ふーん」
「なんじゃ聞いておいて」
どうでもよさそうに返事をされたことに文句を言えば、「悪い、悪い」ケラケラと笑われた。それに毒気を抜かれて、思わずこちらも笑ってしまう。それが収まったころに、またこちらから尋ねた。
「ここに住んでおると行っていたが、お主ひとりでか?」
「いいや。俺の亭主と子どもとだ」
……亭主。この美しい男には夫がいるらしい。そして子どもとな。言い分からして男同士の番いのようであるが、子ども……。
「まさか、お主が産んだのか」
「ああ。それ以外ないだろ」
なるほど。この男は人間ではないのか。感じ取れる気配から察するに元は人間のようではあるので、その亭主と契って理から外れたのだろう。
さて夫は何者か。聞いみればはぐらかされたのだが、なぜかどうしても気になってしまう。失礼承知で、この男が纏う気配を集中して探ってみた。
そしてハッとした。
『自分たち』に似ている。自分や、妻や倅。つまり『幽霊族』に。
いや、そんなまさか。しかし、これは間違いなく……。
「のう、お主の……お主の亭主は、……その、幽霊族ではないのか?」
「おう。よくわかったな」
あまりのことに問いかける自分の声は震えているのに、男はあっさりと言ってくれた。
そんなことわかるもなにも。
「……ワシも、ワシの妻や倅も同族じゃもの」
「へえ。そりゃあ偶然だな」
「もっと驚かんか!幽霊族は滅亡寸前なのじゃぞ。ワシも今の今までワシら家族三人が最後の生き残りだと思っておったんじゃ」
ワシの言葉を男は驚くでもなく平然と聞いていた。何じゃ、この温度差は。それにはたと思い至る。
「もしかして、ここには、まだここには、お主の亭主以外に幽霊族がおるのか!?」
「いや、うちの旦那以外聞いたことないね」
「なんじゃあ!じゃあやっぱりもっと驚かんか!!」
まさか自分たち以外にまだ同胞が居たなんて。そんなこと誰からも聞いたことがなかった。ずっとここに居たのかだろうか。しかも人間の男を娶っていたとは更に驚く。
「お主と亭主はどこで出会ったんじゃ?」
「……夜行の列車。ナンパされた」
「列車に、ナンパ、とな」
幽霊族が?人間の男に?
「ああ。死相が出てるっていう最悪のナンパ文句だったぞ」
「なんじゃあそれは。よくそれで引っ掛けられたのう」
思わず吹き出した。そんな台詞でよくこの別嬪と契って子どもを作るまで漕ぎ着けたものだ。
「そのときは訳もわからんし、俺も変な男だと思ってたさ。でもちょっとしたことから一緒に過ごすようになってな。優しい、世界一のイイ男だってわかったんだよ」
男はおどけたように話していたのに、どんどんと蕩けるような甘い目になっていく。更に艶が増すなと感じる反面、同時になぜだか僻んだ気持ちになり、つい皮肉っぽく言ってしまった。
「惚気るのう」
「まぁ聞いてくれよ。普段惚気る相手が子どもたちしかいないんだ」
こちらの言い方など気にも留めず男は楽しそうにしているが、話題は変えた。
「子は息子か?娘か?」
「どっちも。ひとりずついる」
「おお、いいのう。うちは息子じゃ」
倅のことを口にすると、男は先ほどの甘い顔とはまた違う、柔らかな優しい笑みを浮かべた。
「……そうか。どんな子なんだ?」
「正義感の強い、優しい子じゃ。見た目はワシに似ておるとよく言われるが、中身は妻に似ておる。妖怪の子とも、人間の子ともすぐ仲良くなれるしな」
「上手くやれてるんだな」
「ああ。がーるふれんども多いぞ」
「一丁前にモテてやがるな」
「そこはワシに似ておる」
「よく言うぜ」
軽口を叩けば楽しそうに笑ってくれた。
「何を言うか。ワシも昔からもてもてじゃ。妻はこの世でもあの世でも一番綺麗な女じゃよ」
「へー、そうかい」
「信じとらんな。よし、写真を見てせやろう」
懐にしまっていた写真を取り出して、男の前に掲げた。つい先日、鬼太郎を真ん中にして三人で撮ったものだ。
「ほんとだ。美人だな」
男は目を細めて写真を眺めて言った。
「そうじゃろう!」
「息子も男前だ」
「そうじゃろう。そうじゃろう」
「見せてくれてありがとうな」
「……お主、ワシへの感想はないのか」
「お前さん、欲しがるねえ。……そうだな。お前も男前だよ。こう見ると」
「……取ってつけたように」
「贅沢言うな。お前が無理矢理言わせたんだろうが」
今度はふたり同時に吹き出した。愉快だ。もっと近くで話がしたい。
「なあ、そこから出てこぬか。こちらで一緒に話そう」
しかし、この誘いはあっさりと断られてしまった。
「生憎だが、アイツにひとりでは外に出てくれるなと言われてるんだ」
「なんと。狭量な男じゃのう」
「他にも色々理由はあるんだが、まあ、お前の言う通り俺の亭主はやきもち焼きだからな。アイツが帰ってくる前にそろそろお前も帰れ」
去れと言われた。楽しいと思っていたのは自分だけだったのだろうか。そう思うと何も言えなくなってしまった。
「じゃあな。お前に会えてよかった」
会えてよかった。その言葉とともに、柔らかく微笑みかけられて萎んだ気持ちが上を向いた。この時間を好ましいと思ったのは自分だけではないのだ。
「のう、また来てもいいか?」
「今の話聞いてなかったのか?ダメだよ」
「では帰らぬ。ここでお主とともに、お主の亭主の帰りを待つ。お主を自由にさせるようワシが話をつけてやろう」
そう胸を張って言ってやれば、大きなため息のあと、しぶしぶと言ったように「たまになら」と了承が返ってきた。
「うむ。では今日の所は帰ってやろうかのう」
「はあ……。あ、そうだ、一つ頼みがある」
「何じゃ?」
「俺の旦那のこと、お前の家族や仲間には黙っててくれ。珍しいと思うが、あまり俺や子どもたち以外と関わることを好むタチじゃない」
……なるほど。同胞でそれは本当に珍しい。幽霊族が自分たち以外にもいると知ったら、混血だが子どももいると知ったら、妻や倅は大層喜ぶと思ったのに。知己たちももう一人の幽霊族の男に会いたがるだろう。
しかし、せっかくたった今また会いにきても良いと許しをもらった相手、これから良き友人になれそうな相手からこのように頼まれているのなら、それを守るしかないだろう
「承知した。約束しよう」