夢と希望の魔法(トキマサ) 魔法使いは誰もが憧れる存在だ。
今は人間と共存し助け合う彼らも昔々は恐れられていた。自分が触れることの無い摩訶不思議な術は人間にとって恐怖でしかない。そのことがあり敵意がなく、深く傷付いた魔法使いたちは山の奥深くに籠るようになってしまった。そんな両者の関係を変えたのが魔法使いに恋した人間の存在だった。家族を救うため近寄るなと言われていた山にしかない薬草を探すためにそこへと踏み込んだ彼女は山で助けてくれた魔法使いの男性に恋をした。人間たちは驚いたが魔法使いは穏やかで優しく、自分たちの手助けをしてくれる存在ということに気付き溝は徐々に埋まっていった。
人間と結ばれた魔法使いの男性は少しずつ自分たちに歩み寄る人間たちを見て、魔法使いが万一にも悪さをしないようにきちんと魔法を教える場を作ろうと思いついた。それが始まりとなり今では世界に数ヶ所、魔法使いたちが通う魔法学校が設立された。
その中でももっとも歴史の古い学園に入学し、首席で卒業したのが今自室のキャンバスの前で唸る青年、一ノ瀬トキヤだった。彼は魔法の絵の具を使った魔法芸術を得意とし、その分野が特に飛び抜けて成績優秀と評されていた。
この筆で描いた世界は美しく、暗い世界も明るく照らしてくれるような気がする。トキヤはそんな想いから入学前から趣味だった魔法芸術の、特に絵の勉強を本格的に始め、卒業してから芸術方面で名を広めて活動してきた。時には大々的なセレモニーに呼ばれ大空に星空を作り上げたこともあるほどに活躍する彼は若い魔法使いたちにとっても憧れの存在だ。その人気は利き目だけを悪くして常にその瞳を覆うモノクル姿の彼を真似る子どももいるほどだった。
ある日、そんな彼に母校から教師として来てほしいとの誘いがあった。その手紙を受け取った時、魔法芸術の楽しさを広める機会がもらえたことの嬉しさに頬を緩めたが、しかしトキヤは他人との交流が苦手だった。今も仕事だからと割り切らなければうまく会話ができない。そんな自分に教師ができるのだろうか……。迷い、なかなか返事をしないトキヤにしびれを切らしたのは学園側の方だった。学園長直々にトキヤの家へ突然やってきてトキヤを説得した。
丁度同期で教師で入る者も自分に教師としての力量が本当にあるだろうかと悩んでいた。しかし初めてなのだからそれも周りの教師に頼り学んでいけばいい。教えることで自分もきっと得られるものもあると伝えると了承したと言う。
トキヤはそれを聞き、了承した。学園長の言うことも理解できるし何より同期で同じ教師としてスタートラインから始める魔法使いがいることも安心できる。
そして夏の終わり、魔法芸術のすばらしさを多くの生徒たちに伝えたい、そんな望みを胸にトキヤは大きなトランクを引き、学園方面へ向かう列車に乗り込んだ。
久しぶりに訪れた学園は昔と殆ど変わりなくトキヤは懐かしい気持ちでいっぱいになった。大きな門と校舎。全寮制の学園に併設された寮は少し増設されたようで、旅立つ前にもらった学校案内をトキヤが在学中に無かった新しめのサロンの紹介ページを興味深く見つめたのは記憶に新しい。
トキヤはまず真っ直ぐに学園長室へ向かい学園長への挨拶を済ませると、指定された部屋へと渡された地図を頼りに歩いていった。到着したのは魔法芸術用の教室の隣だった。準備室、そして準備室の奥にある階段を昇り扉を開くと一人で暮らすには十分な部屋があった。学園が用意したベッドは二人寝ても余りそうなほど大きく、住んだこともないほどの広々とした空間にトキヤは驚き、まばたきを繰り返した。
暫く呆然と立ち尽くしていたがハッと我に返ったトキヤはトランクを部屋の隅に置いてクローゼットを開いた。そこには学園が準備した講師の服がきれいにかけられている。予め幾つか種類のあるうちの好きなデザインを選択するよう言われていたがまさにトキヤが選んだそれがそこにはあった。臙脂色の分厚い布で作られた服に着替え、全身鏡の前に立つ。いつもはシンプルなシャツとスラックスのため見慣れない姿だが教師の自分へと姿を変えたようで気が引き締まる。
フリンジがふんだんに使われたベレー帽を被ると『教員、一ノ瀬トキヤ』が完成した。トキヤは着てきたジャケットの胸ポケットから透明なキラキラと輝くペンを取り出すと空で動かした。このペンこそが魔法芸術で使用されるガラスペンだ。そのガラスペンに魔法で作り出したインクを使うことでどこにでも描くことが出来る。ペン先から滴る薄く透けた水色のインクが手の形を作り出し、インクが途切れたと共に手はひとり意思を持ったように動き始め、全身鏡へベルベットのカバーをかけてもとの姿に戻した。そしてトランクを開くと中に詰められていたトキヤの私物を次々と部屋へと丁寧に出していく。難しそうな表紙の本は本棚に、仕事道具のペンが入ったケースは机の引き出しへと入れて着替えはクローゼットの中へ。トランクが空になると手はトランクをきちりと閉めて部屋の隅へと持っていった。
一方その間のトキヤは新たなインクを作り出しまた絵を描いていた。紫のインクで描かれ現れたのは小さなうさぎや熊。それらはプルプルと顔を振ると大きなベッドの上でおとなしく座って傍に立つトキヤを見上げた。
「家と違って広くて柔らかいでしょう?」
動物たちはトキヤの問いに答えることは無かったがころんと寝転び毛布を手繰り寄せてその柔らかさを堪能しているようだった。そんな動物たちの様子にクスリと笑みを溢しながらトキヤは机の傍にある窓から外を見た。雲は所々あるものの太陽は元気で、窓から見える中庭にある木々は元気なその光を浴びている。と、人気の無い中庭に一人歩く姿をトキヤは見つけた。三階のここからでも十分に目立つ緑の中の臙脂色の服は教員の証だ。トキヤとはまた違うデザインの服を纏うその人はまるでトキヤの目線に気付いたようにトキヤの部屋の方を見上げた。その動きで舞う濃い紫青色の髪は柔らかく、しかしぼんやりと見える切れ長の瞳は鋭い。
彼は会釈を一つトキヤに向かってすると急いでいるのかトキヤが反応をする前に校舎の方へと早足で歩いて行った。そういえば……とトキヤは部屋の壁に備え付けられている豪華な装飾の時計を見る。今日はこの後教員への挨拶とその後の在学生へのオリエンテーションで生徒たちの前で挨拶をしなければならなかった。遠方から且つ仕事が詰まっていたトキヤは到着が新年度ギリギリになってしまった故に到着当日に詰め込まれてしまうことになった。
まだ時間はあるものの新人の自分が遅れるわけにもいかない。トキヤは学校案内や必要な資料を持つと部屋の扉の方へと歩き、扉の前でぴたりと止まるとベッドの上にいる友人に声をかけた。
「いい子にしていてくださいね」
うさぎと熊はそれに対して片手を挙げて答える。トキヤは彼らの様子に微笑むと扉を開けて講堂へと向かった。
長い廊下はトキヤの靴音だけが響く。カツッ、カツッと規則的な音に包まれてようやく辿り着いた大きな扉。その向こうが全校生徒の集会などが開かれる講堂になっていた。トキヤが手を伸ばして扉を開こうとするとぎぃと鳴りながらひとりでに開き、まるでトキヤに入ってくるように指示しているようだ。トキヤは講堂の中へ入ろうと視線をそちらへ移し、思わず体が固まった。
講堂の中にはすでに教員たち数人が並んでいた。奥の方にある講壇の傍に立つ、トキヤと同じく臙脂色の服を纏う人たちは魔法使いたちの間でも特に優秀な者ばかりが集められており、たった数人でもそのオーラを感じられる。彼らの視線はまるでトキヤを吟味しているようだった。
「失礼します」
トキヤはそんな視線に負けないよう一礼して部屋の中へと足を踏み入れる。部屋の隅にガチガチのまま立ち止まると同時頃、講堂には次々に他の教員たちがやってきた。学園長より個性的とは聞いていたがまさにその通りで見た目は勿論性格やその仕草も随分とそれぞれに違うようだった。
指定された時間ぴったりとともに最後に学園長が現れ、トキヤと他二人に前に出るよう言った。新任教師ということを紹介され、トキヤは一礼をする。
「魔法芸術担当の一ノ瀬トキヤです。教員の経験がなく、皆さんにご迷惑をおかけする機会もあるかと思いますが、精一杯やります。よろしくお願いいたします」
トキヤが顔を上げると誰かが拍手をし、周りの教員たちもそれに続いた。そして拍手がやんだ頃次の新任教師が挨拶をする。
「七海春歌です。校医を担当します。よろしくお願いします」
きれいな形のボブをふわりと揺らし彼女、春歌は緊張のせいで固まっている体を必死に動かして礼をした。彼女に向けた拍手がやむと最後の一人が礼をし、顔を上げると名前を言った。
「聖川真斗といいます。魔法芸術担当ですが俺は魔法芸術の中でも縫製の担当をします。よろしくお願いします」
ハキハキとした声で聞こえてきた魔法芸術担当、その言葉でトキヤは思わず彼をじっと見た。
魔法芸術とは大きく分類された名称で、その中でも細かく専門分野は分けられている。トキヤの専門とする絵画美術、陶芸美術や建築など、そして縫製もその分野の中の一つだった。
(私と同じ……魔法芸術……)
同じ年度からの新任が他にもいるのは聞いていたがまさか同じ科目の人とは思わずトキヤは緊張していた心が途端に和らいだ。新任同士交流をしていかなければならないだろうが上手くできるか不安だったが、同じ科目となればきっと接するきっかけはあるだろう。トキヤはその安堵を顔に出さないままじっと彼、真斗を見つめているとふと真斗もトキヤを見て目があった。微笑み、軽く会釈すると揺れる髪はクールに見える彼を柔らかくしている気がする。トキヤも軽く頭を下げ、そして二人は揃って前、学園長を見た。
間もなく在学生がやってくる。新年度のオリエンテーションをし、明日には新入生がやってきて歓迎セレモニーを行う。その翌日から早速授業が始まるとの説明があった。授業開始まで日数があるわけではないからある程度カリキュラムを組んでおいてほしいと予め言われていたが本当に無いのだなと真っ直ぐに学園長を見ながらトキヤは思った。相手も自分と同じく意思を持つ者、どこまで想像通りにできるか分からないができる限りはやるしかない。
学園長の解散、という言葉とともに先生たちは各々動きだし、トキヤもまた自室へと足を進めた。