スイート・デート・エスコート 2二人は電車に揺られて、ちょっと遠くの水族館に向かった。
「車で行かねぇの?」
「こういうのは、道中も楽しむもんだ」
「ふ、ふ〜ん……」
デンジは繋がれたままの手を見た。確かに、車では手が繋げない。
アキの大きな手に包まれていると、安心するのと同時に心臓が高鳴り、とても変な感じだった。時々指で手の甲をすりっとされると、心臓はさらに音を上げた。
「それにお前、電車もあんま乗ったことねえだろ」
「おー!初めて!かっけーな!」
それは確かにそうだ。パッと表情を明るくしたデンジが声を上げると、アキは少し眩しそうに目を細めて、小さく笑った。
今日はアキがよく笑う。いつものアキと違うせいなのか、デンジはその顔から全然、目が離せないのだった。
二人でなんて事ない話をしながら電車を乗り継ぐのは、楽しい体験だった。パワーの困った話や、公安メンバーの意外な話。マキマさんの逸話まで。
アキと二人でゆっくり話をする機会は、思えば久しぶりかもしれない。毎日一緒にいるのに、不思議なものだ。
デンジを先導して迷いなく電車を乗り継いでいくアキは、単純に格好良かった。歩幅だって、ずっとデンジに合わせてくれている。
こういうのをスマートなエスコートって言うんだろうなァ、と、デンジはぼんやりと思っていた。
時間をかけて、水族館の最寄りの駅に到着した。
水族館へ行くには、海の上にかけられた橋を渡って行く必要がある。デンジは身を乗り出して海を見つめ、大いにはしゃいだ。
「スゲ〜〜!俺、海って初めて見たア!!」
「海も初めてなのか?」
アキは少し目を見開く。意外そうな顔だ。
「うん!デッケ〜〜!!」
「なら……連れてきて良かった」
「お、お〜!」
アキの声が甘いので、はしゃいでいたデンジは照れ臭くなって、パッと顔を逸らした。しかし、繋がれた手は絶対に離されないため、逃げることもできない。
アキは微笑みを深めて、囁くように悪戯げに言った。
「お前の初めて、いっぱいもらってんな?」
「へっ!!変な言い方すんじゃね〜〜よ!!」
「ふっ」
完全に揶揄われている。
デンジは今までそんなに感じていなかった、アキとの年の差を強く実感した。アキはやっぱり大人の男なんだと、しみじみ思ったのである。
子どもで、しかも人生経験の少ない自分はアキに釣り合っているのだろうかと、デンジは少しだけ不安になった。
しかし水族館に入ったら、そんな不安は霧散した。
そこにはデンジの全く知らない、夢のような世界が広がっていたのである。
「スッゲ〜!!青い!!」
「でか!これ全部水槽?デカ!!」
「なあ、あのエイ?ってさ、なんで裏に顔ついてんの?」
「白くま、すげえデケー!!ふわふわなのに泳いでる!!」
「アキ!あの……アザラシ??あいつすげえ顔してる!」
「魚って、こんなに色んな色があるんだなぁ〜〜。だいたい白黒だと思ってたぁ」
「アキ!クラゲすげ〜!これマジで生きてる?ビニール袋みて〜!」
デンジはひたすら、はしゃぎ続けた。アキはその様子を、ずっと楽しく見ているようだった。時々デンジを見る視線と、小さく微笑む口元を感じたからだ。
デンジも、隙を窺ってはそっとアキを盗み見る。暗闇で水槽の明かりに照らされたアキの横顔は、ひとつの芸術品のようだった。
高くスッと通った鼻筋と、シャープな頬のライン。青い瞳が水槽のライトに照らされ、月夜の星のように輝いていた。
デンジが口を開けて、そんなアキに見惚れていると、星のような瞳が不意にこちらを向き――そのまますっと、近づいてきた。
唇に、温かいものがちゅっと触れる。
――――キス、された。
「………………は!?なんで…………!?」
「可愛かったから」
アキはこともなげに言った。
そんな。
マジか。
嘘だろ。
衝撃だった。
デンジにとって、それはファーストキスであった。
だって、今までゲロを入れられたり、舌を切られたりしたことしかない。
こんな、ちゃんとしたロマンチックな場所で、人混みに紛れた暗がりで……されるキスは、初めてであったから。
だからそれは、ファーストキスであったのだ。
アキの唇、熱かった。
柔らかかった。
デンジは真っ赤になり、全身が痺れるように震えるのを感じた。
足元がふわふわする。
アキは、どこか満足そうに笑っていた。首を少しだけ傾げて、デンジの様子を見ている。
暗がりで青いライトに照らされた瞳は、さっきよりもさらにキラキラと輝いていた。
――アキって……綺麗だな。
デンジは改めてそう思い、繋がれたままの手にぎゅっと力を込めた。アキも、その握る力をきゅっと強めたのがわかった。
二人はそれ以上何も言わずに、水槽を見ることを再開した。
言葉はいらないと、何となくそんな気がしたのである。
そうして水槽を見ながら、何度もキスの余韻を反芻しているうちに、順路はあっという間に終わってしまったのだった。
最後のイルカショーは、最高だった。
愛嬌に満ち溢れたセイウチ。美しく躍動するイルカたち。大きく跳ね上がる水飛沫。迫力満点だ。
デンジはもう、大興奮しっぱなしだった。
「イルカ、すげ〜〜!!アイツら俺より頭いーんじゃね!?」
この感想に、アキはぶふっと吹き出した。
「そうかもな、と言いたいとこだが。お前、地頭は悪くねえだろ」
「うぇ!?ハァ……!?」
「なんで、お前がびっくりすんだよ」
「……だ、だって。だってよオ〜……」
だって、アキがデンジのことを褒めるなんて、初めてのことである。いつもは大体、苦言を呈されたり、怒られたりしてばかりであるし。
それに、そもそもデンジは――誰かに褒められた経験なんて、ほぼないに等しい。
「俺は、前からそう思ってたけどな。地頭は悪くねえって。物覚えも、要領も良いほうだろ」
「……そ、そうかなあ〜〜!?」
「……そんなに可愛い顔すんなら、これからはもっとお前のことを褒めるようにする」
アキはまた小さく笑い、ポンポンとデンジの頭を叩いた。デンジはもはや照れすぎて、ずっと足元を見ていた。
今日は、アキが甘い。
今日は、初めてのことばかりだ。
きっと自分はいつまで経っても、今日のことを忘れないんだろうと、デンジはなんとなく思った。
土産屋でデンジは、ペンギンの付いたキーホルダーを見つけた。
「俺、これ買おっかなぁ」
「何でだよ。今日、ペンギン見られなかっただろ」
「見れなかったからだよ〜〜!見たかったァ!」
ペンギンの水槽には『改装中です。ペンギンの展示はお休みしています。』という紙が貼ってあったのだ。
デンジはペンギンを見てみたかったので、残念に思っていた。テレビなどで見るペンギンは、素直に可愛いものであったし。本物を見てみたかったのだ。
デンジがしょぼくれていると、アキはそのキーホルダーを二つ取った。
「俺も、同じの買う」
「へっ!?アキも買うの?」
デンジは意外に思う。服装も部屋もシンプルでスタイリッシュなアキが、こんな子どもっぽいキーホルダーを付けているイメージが浮かばなかった。
「こういうのは"思い出"だからな」
アキはその青い綺麗な目を細めた。何かを思い出すような、懐かしむような……そんな顔だった。
――家族のこと、思い出してんのかな。
デンジはなんとなく、そう思った。
「じゃあ、その"思い出"――俺、すげえ大事にする!」
「……ああ、そうしてくれ」
アキはまた眩しそうに笑って、さっさと二人分のキーホルダーの会計を済ませてしまった。こういうところまで、やっぱり大人だ。
それを渡された瞬間、デンジにはもう、そのキーホルダーはただのキーホルダーじゃなくなった。
アキの言う通り、それは――大切な"思い出"となったのである。