「一緒に暮らそう」 働き者の無骨な手を、ひと回り小さな手のひらで覆うように捕まえた。一瞬困惑を見せた黒い瞳は、それでもこちらの動きを穏やかに待ってくれている。緊張で冷えた指先に彼の体温が移ってきて、その温かさにも宥められているようだった。
夜を反射した深い色を覗き込んで、真摯に思いを告げる。
「ラーマ、おれと結婚してくれ」
きょとんと眼を丸くしても、このひとはうつくしい。正気に戻った彼に逃げられないよう、握った手に力を込めて、離さないと意思表示をした。
ビームは適齢期を迎えて暫く経つ。近いうちに妻を娶ることになるだろう。そろそろ伴侶を持てと世話役にせっつかれたのだが、その前に、ラーマとの約束がほしかった。
「お互いに妻を娶ってこどもを設けるだろうが、ラーマにはおれの正妻になってほしい。正妻というか、正夫というか……、おれのいちばんはずっとラーマがいい」
黙って聞いていた兄貴分はそれはもううつくしくふわりと花がほころぶように笑った。
「もちろんだ、ビーム。わたしの一番にして唯一をきみにあげよう。わたしは生涯きみだけを愛すると誓うよ」
ビームは戸惑った。そうじゃない。互いの一番に互いを据えて、それぞれの村での暮らしの拠り所になればと思ったのだ。この村と、兄貴の住むラージャムンドリーはなかなかに距離がある。簡単には行き来できない。なにがあるかわからないこの世の中だし、せめて、約束が欲しかった。
「だって、兄貴、シータ姫は」
「彼女は生まれる前から決められた許嫁で、いまは互いに戦友のような感情を持っている。残りの人生をこの国とビームに捧げたいと話してあるよ」
温かい気持ちが胸いっぱいに広がって、そのあとには胸の奥に鋭い差し込みがあり、そこからシンと冷えていった。ラーマを独り占めできると知って震えるほどうれしいのに、ビームは同じ約束を返せない。優しく笑う思いびとを見ていられなくて、次第に視線が下りていきラーマの長い足の指を見つめる。
「そんな顔をするな。わたしにだって条件はあるぞ」
冗談めかして笑いながら、大きな手がビームの頬を掬って視線を上げさせた。長い指がすり、と宥めるように髭を撫でる。
「ひとつめ、一緒に暮らそう。ゴーンドとここラージャムンドリーを結んだ中間地点に開けた場所を見つけた」
獣の縄張りにもかぶっていないようだし、川が近く食べ物も豊富だ。次のモンスーンのときに行って雨の影響を見てみるつもりだが、大丈夫そうならそこに家を建てようと思っている。きみも一緒に住もう。もちろん拠点はゴーンドの家になるだろうが、第二の家にしてくれ。そして、できるだけその家に帰る努力をしてほしい。
頬を取られたまま深い黒にまっすぐに見つめられる。
なんだ、そんなこと。そんな、ビームにプラスにしかならない条件。声を出せばなにかが溢れていきそうで、もうひとつはなんだ、と促すようにじっとりと視線を向けた。
「ふたつめ。何人の女と契ってもいい。男はわたしだけと誓ってくれ」
女を抱くのには目を瞑ろう。でも男がきみの肌に触れるかもしれないと考えただけで嫉妬で狂いそうになる。それだけはどうかやめてほしい。
胸がぎゅうと引き絞られるように痛んで、ついに睫毛の堤防が決壊したようだった。頬を熱いものが滑り落ちていく。
「必ず、必ず一緒に暮らす。妻を娶るかわりに、村の外に拠点を持つ許可をもらうっ」
「ああ泣かないでくれビーム。きみの涙を見るのはつらい」
言葉の割に柔らかく表情を緩めたままのラーマが眉を下げて、頬を両手で包んだまま親指で雫を拭った。ふたりの間を初夏の青い風が吹き抜けて、暑いくらいの気温だというのに、どうしても離れたくなくて額を寄せる。
「ラーマありがとう、おれ、絶対あんたを裏切らない」
謝るのもおかしいし、謝って済ませたくなかった。ラーマがひとりで決めたように、ビームもこの罪悪感をひとりで抱えて生きていく。
***
「なんだ、思い詰めてると思ったらそんなことか。わたしは伴侶を見つけて落ち着けとは言ったが、妻を娶れとは言ってないぞ。当然おまえはラーマを連れてくるものだと思っていた」
垂れた目じりをもっと垂らして呆れ顔をした年長者が、なんでもないことのようにそう言った。羊飼いであるビームが村の外に住むことには難色を示したが、それもすぐに許されるだろう。この男も若き虎とその番を引き離しておくことはできないと理解していた。
ラーマとビームは、じきに名実ともに夫夫となる。