⑥○○の夢女を○○する男(ルーサー)「ねぇ、開けてったら」
激しく鳴り響くノックの音に、ベッドに横たわるお嬢さんは僅かに顔を顰める。夢にまどろむ彼女の安寧を妨げる騒音に、ルーサーは珍しく舌打ちを落とした。南京錠と大きな鎖でぐるぐる巻きにされたドアノブの向こう、ぎゃあぎゃあ喚き立てる最愛の弟に向かって、彼は静かに囁く。
「……ランダル、静かにしなさいと言っているだろう」
「兄さんそれじゃあ早く、ドアを開けてよそしたら大人しくする、いい子にするから絶対に」
「ダメだ」
「なんで」
「……背中で指をクロスさせているな?」
「Tsk」
ドアノブに向かって、ルーサーは深いため息をつく。それから地を這うような低い声で、ガチャガチャ忙しなく暴れ回るドアノブに向かって囁いた。
「静かにしなさいと、言っているんだよ。分かるかな、ランダル。これはお願いじゃない、命令だ。今すぐ行儀よく、大人しく静かにしなさい」
「私はいつだって礼儀を弁えてるよ」
「……」
「ねぇ、あーけーてーったら早く部屋に入れてよ僕もお嬢さんのお世話したい」
「ダメだ」
「なんで」
繰り返される問答に、ルーサーは静かに首を横に振る。彼の愛しいお嬢さんが体調を崩し、昼間から寝込んでいるというのに。そして体調不良の原因が、いわゆる月のものであるという事実が、普段から賑やかな弟の喧しさに輪をかけていた。
「ねぇねぇ、いい子にするからさぁ。ほんのちょっと、ほんのちょっとだけで良いんだよ?」
「ダメだ」
「兄さんのケチイジワル分からず屋」
普段から血や肉に魅了される性質のランダルが、姉代わりである彼女の月経周期に反応しない訳が無かった。もちろん、聡明なルーサーがその事実に気付かないはずが無く。前もって彼女専用のランドリールームを用意し、個室にバスルームまで備え付けたというのに。
サメか猟犬のように鼻が利く弟は、まだ日が昇っている時間だと言うのに寝室から抜け出して、文字通り涎を垂らしてドアの前で待ち構えていた。温かい女性の肉体から香る経血に、ランダルは興奮しきりで、鼻息荒くドアノブを捏ね繰り回す。
「お願いっ、ほんの少し、ほんの少しで良いんだお嬢さんをぎゅうぅ〜って抱き締めさせてそれで、思いっ切り匂いを嗅がせて首と、脇と……。とにかく、汗をいっぱいかくところあっあっ、それからっへへっ、ちょこっとだけ舐めてみたり」
ヒートアップを始めたランダルの妄言に、ルーサーの我慢が限界に達した。ピキピキと音を立てて引き攣る口角から鋭い牙が覗き、ぎらりと鈍い色に光る。頬にうっすら浮かぶ亀裂からは血走った目が浮かび上がり、ドア越しの弟を鋭利な視線で睨め付けた。
「ランダル、今すぐその下品な口を閉じろ。さもないと、」
そこまで呟いて、ルーサーは突然口を閉ざす。背後から聞こえた僅かな衣擦れの音に、彼は慌ててベッドに駆け寄った。
「お嬢さん、起こしてしまったかい?」
「ん……、」
「ああ、すまない。ランダルがその、……珍しく早起きしているんだ。それでちょっと、ちょっとだけ賑やかなことに」
心地好いバリトンと、遠慮がちに頬を擽る指の感触。言い訳を重ねるルーサーをぼんやりと見上げ、お嬢さんは柔らかく頬を緩めた。
「……おはよう、ルーサー。もしかして、ずっとここに居てくれたの?」
「ああ、……おはよう、お嬢さん」
ゆっくり上半身を起こすお嬢さんの背中に優しく手を回しながら、ルーサーはじっくり彼女の表情を観察する。寝起きということを差し引いても青白い頬と、普段よりほんのり冷たい体温。無表情の裏で焦燥感を噛み殺しながら、彼は歪に微笑んだ。
「体調はどうかな?まだ少し、顔色が良くないようだが」
「そうね、頭痛はかなりマシになったわ。あとは、そうねぇ……」
「喉は乾いていないかい、水を用意しようか?ああいや、身体を温めるためにも、お茶の方がいいのか……」
ぶつぶつと独り言を呟くルーサーを横目に、お嬢さんはふと視線をドアに向ける。見慣れたドアノブにグルグル巻かれた鎖と、いくつもぶら下がった南京錠に彼女は目を丸くした。
「……えっと、アレは?」
「うん?……ああ、大丈夫。気にしないで、お嬢さん♡あれは、」
「僕だよ早く開けて」
ドア越しに聞こえるくぐもった声と、ドンドンと乱暴にノックされるドア。小刻みに口角を痙攣させるルーサーの隣で、彼女は不思議そうに首を捻った。
「ランダル?」
「A-haそうだよお嬢さん、おはようねぇ、早くここを開けて」
「ランダル、お前は……」
怒りに震えるルーサーの隣で、お嬢さんは無防備にもそのつま先を床に下ろす。そのまま立ち上がってドアに向かおうとする彼女を、ルーサーは慌てて抱き上げた。
「お嬢さんっ一体何を考えているんだ、危ないだろう」
「あ、危ないって……。どうして?」
「どうしてもなにも、身体を休めなくては。裸足で床に降りて、これ以上体温が下がったらどうするんだい」
「そんな、大袈裟よ」
「大袈裟なものか」
そう言うとルーサーはベッドに腰を下ろし、膝の上でお嬢さんを横抱きにした。掛け布団を手繰り寄せ彼女の身体をくるくる丁寧に梱包すると、ため息をひとつ零してぎゅうっと抱き締める。彼女の白い顔に頬を寄せ、荒れて赤味が差す愛しい頬骨に唇を落とした。
「……寒くないかい?」
「平気、大丈夫よ」
「95.9°F、普段より1.98℉も体温が低い……」
「誤差の範囲じゃない?」
「君の身体は、君だけのものだ。具合が悪いからと、気軽に交換できるものじゃない。頼むからもう少し、自分を大切にしてくれないか?」
「……今日の貴方は、随分過保護ね」
白いシーツの中、呆れたように唇を尖らせる彼女に向かって、ルーサーは人差し指を突き出した。
「ホルモンバランスが乱れ、腹痛を伴う出血がある。……それだけで十分だよ」
色の薄い唇を軽くつついて、ルーサーは盛大にため息を零す。抱き締めたシーツの繭をベッドに優しく横たえると、隙間から覗く恋人の顔をじっくり眺めた。
「私は君の恋人だ、君を想う権利がある。そして君は、私に愛される義務がある。……分かってくれるね?」
子どもに言い聞かせる調子で、ルーサーは彼女の腹部をそっとなぞる。布団越しに触れているおかげか、大きな手の平はその冷たさを伝えることなく、ただただ優しい愛撫を繰り返した。
さらさらと布の擦れる優しい音、一定間隔のリズム、そして何より優しい恋人の気遣いが、下腹部に纏わりつく倦怠感を少しずつ癒していった。
とろり、再び重くなった目蓋にお嬢さんは欠伸を零す。
「おやすみ、お嬢さん」
「……ワガママを言ってもいい?」
「君の望みなら、いくらでも」
力強く頷く頷くルーサーに、お嬢さんはクスクス笑みを零す。心地好い温もりと恋人の声が何よりの睡眠導入剤となって、彼女はうとうとしながら微笑んだ。
「あのね、喉が渇いたの」
「それはいけない、直ちに飲み物を用意するよ。ダージリン?それともアールグレイかな?」
「それでね。温かい紅茶もいいけれど、ソーダが飲みたい気分なの。氷がいっぱい入ったやつ。それから、ケチャップ味のポテトチップスも」
「おや、食欲があるなんて。大変素晴らしい」
「ふふ……、ありがとう」
「他に何か必要なものは?」
「ええと、……ああ、忘れてた」
そう呟くと、彼女は布団の隙間から手を伸ばす。イミテーションのルビーが輝く人差し指にするりと指を絡めると、眠気で蕩けた眼差しでルーサーを見上げた。
「ブラームスの子守歌と、お喋りの相手も必要よ。……すぐに戻って来てね?」
じわり、首を赤くしたルーサーから恥ずかしさが移ったのか、お嬢さんは彼に背を向け、枕に顔を埋めてしまった。
さらりと零れた髪の隙間、ちょこんと覗く真っ赤に色付いた耳朶をルーサーはうっとりと見つめる。ほんの少し腰を折って、恥ずかしがり屋の耳にそっと唇を寄せた。
「……すぐに戻ってくるよ」
吐息交じりに囁くと、音だけのキスを贈ってルーサーは立ち上がった。雁字搦めの鎖をあっさり引き千切り、ドアの外でいじけていたランダルをひょいと抱き上げる。悲鳴を上げた弟の口を乱暴に手で抑え込み、ルーサーは鼻歌交じりに廊下を歩いた。