ミートボールスパゲティー「スパゲティーを作りたい」
「それをYouと一緒に食べたい」
ドゥが、突然そんなことを言い出した。
バタンと予告無く開いたバスルームのドアに、びくりと肩を震わせたものの、Youは至極冷静に、
「そう……、じゃあ、後でAmazonでも覗く?」
と、いつも通りに返事をした。
ドゥの急な思い付きや、突飛な行動には慣れていて、風呂場を襲撃された事もはじめてではない。
水嫌いな彼の為にシャワーを止め、バスタブに腰掛けて彼に話の続きを促すと、ドゥはいそいそとバスマットの上に正座した。
「ええとね…。出来たら、手作りしたいんだ」
「どんなパスタを作りたいのか知らないけど、難しいかもよ?」
「パスタじゃないよ、スパゲティーミートボールスパゲティーを作りたいんだ」
Youの言葉を訂正しながら、ドゥは指で輪を作る。
「これくらいの大きさの、大きいミートボールが入ってるやつ…それを、大きいお皿に乗せて、2人で食べるんだひとつの皿からねそれで、机の上にはムード作りの為にキャンドルを置いて」
どうやら彼の中には、しっかりした理想のミートボールスパゲティーがあるらしい。
身振り手振りを加えてあれこれ説明するドゥに、ふむ、と顎をさすりながらYouは「それなら、」と口を開く。
「明日、スーパーに買い物に行こうか?」
「一緒に」
「一緒に。」
「やったぁ」
ドゥは両手を天に突き上げて、ルンルンと鼻歌を歌う。
「Youと買い物に行って、料理を作って…、それを2人で一緒に食べる…はぁ…、すっごくロマンチック♡」
えへえへと締りのない頬に手を宛てて喜ぶ彼を見て、Youの良心がチクリと痛む。
…そもそも、Youは料理があまり好きでは無い。
得意とか苦手以前に、興味が無いし、面倒臭い。
最悪、口に入れてしまえるものなら…という思考のせいか、冷蔵庫の中身はインスタントと缶の飲み物で溢れている。
世話焼き好きな恋人のおかげで、最近になって漸く(出来が良いとは言えないが)彼の手作りの料理を口にする機会も増えてきた。
恋人と一緒に何かを料理し、それを口にする。
多くの恋人達が当たり前に行っているであろう営みに思いを馳せ、ふと口を零す。
「……私も、一緒に作ろうかな。」
「本当かい」
不意に零れたYouの呟きを、耳聡いドゥはきっちりと拾い上げた。
濡れたままの彼女の手を握り、目をキラキラさせる。
「2人で一緒にキッチンに立つ、って…。凄く素敵だよ」
ストレートに喜ぶ彼に、Youは誤魔化す様に曖昧に笑った。
「…ほら。そろそろ出てって、まだ身体を洗ってないの。」
「分かったよ、You」
繋いだ手に自分の額を押し付けたドゥは、あっさり手を離すとバスルームの扉を開けっ放しでリビングに戻って行った。
「…浮かれちゃって、まぁ…。」
ため息をつきながらドアを閉め、蛇口を捻る。
温かい湯を頭から浴びながら、Youはぼんやりと明日の事を想像した。
ああ、家にはミルクパンしかないから、パスタを茹でるためには大鍋を買わなきゃいけない。
そういえば大きい皿に乗せるとか言っていた、グラタン皿位しかないから食器も買わないといけない。
そもそも、今後も一緒に食事をとる事が増えるなら、ドゥの為にカトラリーを買い足すべきでは?
そんなことをあれこれ考えながらスポンジを泡立てていると、はたと思考が止まる。
「……ふふ。私の方が、かなり浮かれてる。」
Youは1人笑いながら、スポンジで身体を適当に擦り、泡を流してさっさとバスルームを後にした。
…
翌日、仲良くスーパーから帰って来た2人は、ドサドサと大荷物をキッチンに広げる。
新しく買ってきた調理用具をフックに吊るし、カトラリーを食器棚の引き出しにしまう。
Youはドゥの長い髪を器用にまとめると、ヘアクリップで留めてやる。
「ああ、しまった。…エプロンを買えばよかった。」
自分の髪の毛を括りながら、Youは舌打ちを落とした。
「心配しないで、ダーリン」
カシャリ、シャッターが切れる音がする。
Youが瞬きをしている間に、ドゥと揃いの黒いエプロンを2人して身に付けていた。
「…えへへ♡…お揃いだね♡♡」
「はいはい。…じゃあ始めましょうか。」
もじもじ恥じらうドゥに、Youは挽肉のパックを押し付けると、戸棚からホールトマトの缶を取り出す。
「…さぁ、先生。アシスタントの私は、何をすればいいのかしら?」
Youはスーパーで配布されていた「ミートボールスパゲティーのレシピ」を冷蔵庫に貼り付ける。
「えっとね、僕がミートボールを作るから、Youはスパゲティーのソースを作って欲しいな。」
「分かったわ。…味は、レシピ通りでいいのよね?この、トマトベースの方で。」
「うん」
ざっとレシピに目を通すと、Youは玉ねぎの皮を乱雑に剥き、ザクザクと刻んでフライパンに放り込む。
オリーブオイル、ガーリックペースト、を同じ様にフライパンに流し込み、コンロに火を付けた。
加熱されたニンニクの香りが、キッチンに広がる。
一方で、空いているコンロに水を張った大鍋を乗せ、こちらも火をかける。
隣でボウルに挽肉を入れていたドゥが、Youの手際に目を丸くする。
「…You…もしかして、君って料理が上手なのかい」
「さあ?自分で作った料理を食べたのは、ミドルスクールの調理実習の時だけだから、よく知らない。」
そんな事を言いながらも、木べらで玉ねぎを炒めながら、手際よく塩コショウを振る。
「料理って、面倒じゃない?……片付けだってあるし、食べたいと思ってから作るまでに時間がかかるし…。」
トントンとリズム良く玉ねぎを刻み、みじん切りを作るとドゥの持つボウルに投入する。
「……まぁでも、こういうのも悪くないって。…最近思ったの。」
ジュージュー音を立てるフライパンに視線を落としながら、Youは小さく「あなたと一緒にいるせいね。」と、呟いた。
「You〜っ♡♡」
「はいはい、それは後でねー。」
挽肉をねちゃねちゃと捏ねていたビニールグローブのまま、こちらを抱き締めようとするドゥを木べらの先であしらった。
ふと、Youの視線がドゥの手元のボウルに向けられる。
「…先生、そのボウル、玉ねぎと肉しか入ってないんじゃないの?」
「そうだよー?」
「……。レシピにある、パン粉や牛乳は?」
「…あ。」
Youは肩を竦めると、木べらを天板に置いた。
牛乳を計量し、パン粉を取り出し、さっき買ってきたスパイスの瓶を開封する。
ぐらぐらと沸き立つ大鍋に、パスタをひと掴みと、ついでに塩も放り込む。
玉子をボウルに割り入れ、パスタ用のタイマーをセットした。
「牛乳、パン粉、ナツメグ、塩コショウ。」
レシピを読み上げながら、残りの材料も次々ボウルに投下する。
「…はい、後は良く混ぜてって書いてあるわ。先生。」
「ありがとう、You君は最高のアシスタントだよ」
「光栄だわ、先生。」
Youは笑って、フライパンにホールトマトを流し込んだ。
チキンブイヨンの顆粒を加え、ふつふつと煮詰めると、食欲をそそるにおいが辺りに立ち込める。
「…我ながら、かなり美味しそうね。」
「でしょ…やっぱりYouには、料理の才能があるんだよ」
ぐちゃぐちゃとボウルの中身を捏ねくり回しながら、Youの背中越しにフライパンを覗き込み、「本当だ、美味しそうだねぇ。」と呑気に笑う彼の頬に、不意打ちでキスをひとつ。
「…へ?」
ぽかんとした表情のドゥに、Youは首を傾げた。
「…あれ?こういうの、好きだと思ってた。」
「いや、その…すごく嬉しいし、好きだけど…。その、Youからしてくれるとは思ってなくて…。」
「…ふふ。確かにらしくないわね。…私もね、あなたとキッチンに立つのが嬉しくて、浮かれちゃってるみたい。」
今更になって照れが来たのか、ドゥの頬が段々と色付く。
「…えっと。…ハグしても?」
「だめ、後でね。」
「Youそんなぁ」
「ミートボールスパゲティーって言い出したのは、誰だったかしらね、ドゥ?」
不満げに唇を突き出すドゥに笑いを堪えながら、Youはコンロの火を止める。
「はい、完成。…あとは、ミートボールが出来れば…。」
チチチ…、とタイミング良く鳴り出したタイマーを止める。
「パスタも茹で上がったし。…先生、ミートボールはあとどれ位で完成するの?」
「あ…。ま、待ってて急いで作る」
あわあわとミートボールの成形を始めたドゥの為に、大鍋をシンクに移す。
間違っても水嫌いな彼に熱湯がかからないように、丁寧に湯切りをしてパスタを皿に乗せる。
空いたコンロに新しいフライパンを乗せ、オリーブオイルを敷きながら火を付ける。
「ミートボールが出来たら、フライパンに直接並べていいから。」
「ありがとう」
なんだかんだ言って、ドゥは器用にミートボールを成形すると、丁寧にフライパンに並べていく。
焼けていくミートボール見つめるドゥを横目に、Youは冷蔵庫のレシピに視線を移した。
「…軽く焦げ目が付いたら、ひっくり返す。完全に火を通さなくても、ソースと一緒に煮込むからOK。……だってさ。」
「ありがとう、You。仕上げは任せて」
フライ返しを手に、自信に満ちた表情を浮かべたドゥに、Youは軽く手を振って冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
「じゃあ、お任せするわね先生。」
ドゥの頬にもう一度キスを落とす。
今回は手が空いている彼も、彼女の頬にお返しのキスを贈った。
「…へへ、こういうの良いよね。」
「そうね。……ミートボールが焦げなければ、もっと良いわね。」
「あっ」
慌てるドゥを一人残し、Youはくすくす笑いながらキッチンを後にした。
…
「お待たせ」
ビールを丁度飲み切ったところで、ドゥが大皿に山盛りのスパゲティーを抱えてやって来た。
ゴルフボールサイズのミートボールがごろごろ乗ったスパゲティーは、見るからに食べ応えがありそうだ。
「美味しそうね。」
「うん……あ、そうだった。」
テーブルにスパゲティーを乗せると、ドゥは慌ててキッチンに戻る。
「これがないスパゲティーは認めない」とYouが豪語する、kraftのパルメザンチーズの粉と、ドゥ曰くムード作りの為のキャンドル。
ふたつをテーブルに乗せ、ロウソクに火を付けた。
「…部屋の電気も消す?……真っ暗闇でスパゲティー食べる事になるけど。」
ダイニングチェアを動かして、Youの隣に陣取ったドゥが力強く頷く。
「うん…その方が、雰囲気が出るし。」
まさかホラー映画の雰囲気じゃないでしょうね?という言葉は何とか飲み込んで、Youは大人しく照明を落とした。
…結論から言うと、ムード作りというものは悪くなかった。
確かに外は暗いが、電気を消せば窓から射し込む月光で真っ暗闇にはならなかったし、案外ロウソクの灯りは明るかった。
「…確かに、悪くないかも?」
「でしょ?…ほら、食べて食べて」
ぼんやりしたロウソクの灯りのせいか、いつもよりも艶っぽく潤んで見えるドゥの瞳が、Youに優しく向けられる。
差し出されたフォークを素直に受け取り、クルクルとスパゲティーをまとめて口に入れる。
「…美味しい。」
「ほんとだ、美味しいね」
ミートボールにもフォークを突き刺し、口に入れる。
表面が少し焦げている気もするが、味は全く気にならない。
噛むと肉汁とトマトの味がじゅわりと口に広がって、文句なしの出来栄えだ。
「…ミートボールも、ちゃんと美味しいよ。」
「えへへ…♡Youが作ったソースも、凄く美味しいね」
ドゥの笑顔を横目に、料理も悪くないものだと独りごちながら、フォークをスパゲティーの山に突き刺す。
カトラリーが触れ合う音だけが響く中、ふとドゥがフォークを置いた。
「…こうやってね、…同じスパゲティーの麺を2人で取り合って、気付かずにキスしちゃうっていう映画を見たんだ。」
Youは思考を巡らせて、そう言えばそんなシーンを昔映画で見た事がある様な気がしてきた。
「あぁ、…それで。」
「うん。…でも、なかなか難しいね。」
どうやら彼は、映画の名シーンに憧れて今日の計画を立てたらしい。
ちらり、と隣のドゥに視線を投げる。
口元をトマトソースでベタベタにした彼が、視線に気付いて首を傾げた。
「…ドゥ、ソースが酷いことになってる。」
「え、本当?」
ナプキンで乱暴に口元を拭う彼に、Youもそっとフォークを置く。
ぐっと、顔を近付け、ほんのり赤くなっている唇を優しく食む。
ちゅ、と音を立てて離した後、ペロリとその唇を舐めた。
「…You?」
「キスならいくらでもするし、スパゲティーは嫌いじゃないわ。…料理も、たまになら手伝う。……だからこうやって、また、あなたがしたい事をしましょう。」
「You…。」
「ほら、冷めちゃうから早く食べよう?」
「……うん」
さっき拭いたばかりの口元を汚しながら、ドゥはスパゲティーを嬉しそう頬張った。