美しい肖像画「暇なら、ダンボールの片付けを手伝ってくれない?」
ある日、ドゥはYouの言い付けに従順に従い、Youの家の中でも物置と化しているリビングの一角の掃除に取り掛かった。
「…引越してきてから、全然片付けてないのとか、放置してあるのとかあって…。中身を出して、ダンボールを潰しておいてくれるだけでも助かるんだけど。」
「勿論、構わないよ」
正直言うと、ドゥもそれほど片付けは得意ではない。
しかし、愛する彼女の頼みとあらば、得手不得手は関係ない。
「助かるわ、ありがとう。」
彼女の唇に乗った緩やかな笑みと、額に送られた口付けを胸中で反芻しながら、ドゥはいそいそと部屋の片付けを始めた。
ダンボールから出す、
冬物のコート、毛布、枕、ベッドシーツ、
ダンボールを潰す。
ダンボールから出す、
古いミキサー、テフロンの剥げたフライパン、花柄のカトラリー、
ダンボールを潰す。
ダンボールから出す、
派手なタイダイのシャツ、ケミカルデニムのホットパンツ、
ダンボールを潰す。
それぞれに、自分が知らない彼女の歴史がある。
それらを妄想しながら、淡々と作業を進めていく。
ふと、ドゥは手を止める。
ダンボールの中から出てきたのは、更に小さなダンボールだった。
厳密に言えば、小さい、と言うより、薄いダンボール。
「?」
"中身を出して、ダンボールを潰して"
とすれば、このダンボールの中身も開ける必要があるだろう。
彼は少しだけ考えたものの、短絡的に結果を出して梱包に手をかけた。
薄いダンボールの中には、同じくらい薄い緩衝材に丁寧に包まれた何かが入っていた。
緩衝材をビリビリと破りながら出てきたそれは、写真立てだった。
シンプルなガラスの写真立てには、赤いドレスの女が写っている。
「……、これ、You?」
ドゥの両目が、写真の女に釘付けになる。
気だるげに視線をこちらに向けた彼女は、装いこそ違うものの、確かにYouだった。
今より少し幼い顔立ちの彼女は、何がそんなに気に入らないのか、赤く彩られた唇をつんと突き出していた。
くるりと上を向いたまつ毛、
アップにされシニヨンで優雅に纏めた髪の毛、
ゴールドのラメで装飾されたまぶた、
耳元を彩る大きな赤い宝石、
深紅のドレスと、黒いベロアのケープ、揃いのチョーカー。
普段の彼女から大きく離れた、華々しいその姿。
しかし、ドゥの大好きな青い瞳と、緩やかにウェーブした金髪は確かに彼女だった。
「…。」
しばし惚けて、彼は改めて手元の写真を目の前に持ってくる。
「……なんて、美しいんだろう。」
普段のYouは、勿論大好きだ。
深い海の色の瞳も、不健康な顔色も、着古したTシャツに煤けて穴が空いたデニムの姿も。
あまり笑わない薄い唇に、ほんのりとだけ笑みを乗せるところも。
化粧っ気のない頬の産毛が、明るい日差しでぼんやり輝くのを見るのも。
クマが出来がちな目元を優しく撫でると、くすぐったそうに目を細めるところも。
毎朝悪態をつきながら、乱暴にブラシを入れる繊細なブロンドも。
彼女の瞳が自分を見つめて、驚きで大きく見開かれるところも。
「You……。」
そう、どんな瞬間だって、彼女は美しい。
でも、この写真の、装飾された彼女の美しさはまた格別だった。
大好きな彼女の、自分が知らない一面。
それだけで、こんなにもドキドキと心臓が早鐘を打つ。
自然と熱が集まる顔に、そっと手を宛てがいながら、彼はふとある事に思い至る。
「(これは…、なんの写真?)」
ドゥは思わずその場で振り返り、自分が開封してきた彼女の過去をぐるりと見渡した。
服も、食器も、小物も…この写真も。
彼の知らない彼女の一部。
「(…怖い、)」
急に思考が冷え渡り、すぅ、と頭が冷える思いがした。
「(僕が、僕の、知らない彼女がここにある。こんなに沢山ある。…僕は、彼女ことを何でも知っているはずなのに。)」
ドゥは急に怖くなった。
Youがいつも隠そうとする、彼女の手首に残るうっすらとした傷跡を。
ドゥの腕の傷を見て「二度としないと誓って」と念を押す、彼女の沈んだ瞳を。
暗い表情を浮かべて、家族からの電話に応える理由を。
突然夜中に叫び声を上げて、泣きながら飛び起きる理由を。
Youが語ろうとしない、過去の彼女が怖くなった。
…
「帰ったよ、ただいま。」
…いつもなら、笑顔で飛び出してくる恋人の姿が見えない?
首を傾げながら、Youはリビングに進んだ。
「ドゥ?…帰ってきたよ。」
彼は電気もつけず、真っ暗な部屋にポツリと座り込んでいた。
「…。」
ぎこちなく振り返るドゥ。
Youの言いつけを守っていたらしい彼の周りには、開封された中身と、畳まれたダンボールが散らばっていた。
「…どうかしたの?」
「……、You。」
彼は顔をくしゃくしゃにすると、今にも泣き出しそうな顔でYouに縋り付く。
僅かに震える肩と荒い呼吸に、ただ事では無い何かを感じ取った彼女も慌てて座り込んだ。
「…大丈夫、落ち着いて…。何かあったの?」
ドゥの熱い背中を優しくさすりながら、Youは彼の顔を覗き込む。
「…僕、…僕、怖くなっちゃったんだ…。」
「うん…、うん…。」
ドゥが抱き締めている写真立てが、小さく軋む。
「僕、Youが好き…、大好き…。君の事なら、何だって知ってるよ…?…で、でも、…このダンボールに入っているのは、全部僕の知らない君なんだ……」
「…うん。」
「それが、怖くて…。僕の知らない君が、こんなに、こんなに…。」
「…。」
Youは自分の顎に指を滑らせ、辺りに散らばる雑貨を見渡し、1番近くにあった冬物のコートを手に取った。
「…これ、ウサギの毛が使ってあるの。本物のね、結構良い奴。パパが、進学の記念にくれたの。……デザインはダサいけど、暖かいから重宝してる。」
唐突に語り出した彼女に、ドゥはゆっくり顔を上げる。
「…で、あのミキサーとか、フライパンは寮で使ってたヤツ。…まだ使えるかも、って思って持ってきたけど、自炊が嫌いだからそのまんまにしてた。カトラリーは、卒業祝いで寮母さんに貰った。」
「…You?」
「あのクソダサいシャツとパンツは、……あんまり言いたくないけど、元彼の趣味。……全部捨てたつもりだったけど、引越しの時に紛れちゃったみたい。…後で一緒に捨てといて。」
「あ……、うん。」
「……で、その写真。」
Youの指が、ドゥの胸を真っ直ぐ指差す。
「…プロムの時の。……卒業式の写真よ。…本当は行きたくなかったけど、ママが張り切っちゃってね。」
彼の腕から写真立てを抜き取ると、過去の自分を眺めてニヒルに笑った。
「私、この時に生まれて初めてメイクしたの。…っふふ、似合ってなくて笑えるでしょ?」
「そっ、そんな事ないよ…すっごく綺麗だ…。」
「お気遣いどーも。」
Youは笑って写真立てを床に置くと、「ねぇ、」と言って、彼の両手を握った。
「…私にだって、あなたの知らない事、沢山あるわよ?」
「…うん。」
「前に言ったでしょ?…私達、お互いをもっと知る必要があるわ。」
「うん。」
4本の指を優しく握り、ドゥの大きな目を覗き込む。
青色の瞳が、彼を真っ直ぐに見つめた。
「……少しは落ち着いた?」
「…うん。……ありがとう、You。」
ゆるゆるとため息をつくと、ドゥは彼女の手を握り返し、自分の額に押し付けた。
「いいのよ。…私こそ、今日は片付けしてくれてありがとう。」
「うん。」
彼の返事に微笑むと、Youは立ち上がって膝を軽く払う。
「…さて、ダンボールも散らかしたから、さっさと捨てに行きましょ?…ドゥ、キッチンからゴミ袋持って来て。」
「分かった」
ドゥはいつもの笑みを返すと、足取り軽くキッチンに向かった。
Youはスマホを片手に、潰れたダンボールと、幾つかの古着をゴミ袋に詰め込む。
「…夕食はデリバリーにしましょう。…ドゥ、好きな食べ物は?」
「肉」
「じゃあ、中華ね。…私のオススメがあるから、それにしましょ?」
「やったぁ、すっごく楽しみ」
すっかりいつも通りになった彼は、笑いながらゴミ袋を固く結ぶ。
「あー、ついでにこの写真も捨てたかったのに。」
ギチギチに引き絞られた結び目に、恨めしそうに指を突っ込む彼女から、慌ててゴミ袋を引き剥がす。
「ダメっ」
「…なんでよ。」
「君が要らないなら、僕が貰う…その写真の君、とっても素敵だから、捨てるなんて絶対にダメだ」
「…どーも。」
皮肉を言おうと口を開いたYouの手を、ドゥがギュッと掴む。
「勘違いしないでね……Youは、いつどんな時も綺麗だからね」
そう言って抱き寄せると、彼女の唇を奪った。
ぽかんとしたYouに、ドゥは感嘆のため息を零す。
「…ふふっ♡君のびっくりした顔は、本当に可愛いね♡」
「あー…、あー…。……本当に、どうしようもないロマンチストですこと。」
赤くなった頬を隠す様に顔を逸らすと、Youは彼を突き放した。
「ほら、早く捨てて来て。…Uberに電話するから。」
「わかったよ、You」
元気よく外に駆け出すドゥを見送り、彼女は肩を竦める。
写真立ての中でつまらなさそうな顔をする自分をじっと睨めつけ、
「…ね?…意外と私、男選びのセンスあったでしょ?」
と語り掛けた。
なんだか可笑しくなって、くすくす笑いながら写真立てをテーブルに乗せると、スマホを耳に押し当てる。
鼻歌交じりに帰宅した恋人を横目に、お気に入りメニューの注文をはじめた。