夕焼けのうた「これくらい冷えていた方がいい、キャンプ日和だ」
煙草の煙でもふかしているかのような白い煙が浮かんで消えた。
アーキバスからの土地調査依頼を受けて、ヴェスパー.Ⅳのラスティと独立傭兵レイヴンはヘリでは近付けない天険の要害にいた。土地の調査依頼は解放戦線のゲリラ戦を警戒した企業からしばしばある依頼だ。わざわざ隊長であるラスティがこのような調査に出向く必要はないのだが、次の作戦の実行者だから、とか理由を付けてきたらしい。
日が落ちる前に機体を隠せる洞穴を見つけ、そこにACを停めると、スリープモードに入ろうとした621を遮ってラスティが「一緒に腹拵えをしよう、戦友」と、軽々とコックピットの傍まで生身で飛んできたのだった。
「ウォルター、ラスティがご飯食べようって」
「……レーションを持ってきてはいなかったか」
ハンドラーの指示を仰ごうと通信を開くと、少し食い気味の返事が返って来た。
「えっと、キャンプ?がしたいんだって」
「……」
通信先でしばらく苦悶するような音が聞こえた後、ウォルターは「調子が悪くなったら早々に切り上げろ」と絞り出すような声で言った。頭の中でも、エアが《あの男はレイヴンの身体を何も考えていません!》と騒いでいる。私自身も、寒いのは苦手だ。
「ラスティ、ウォルターから許可が出た。けど、私は寒いのはあまり……」
好かない、と続けようとして唖然としてしまった。
嬉しさを隠せない満面の笑みを浮かべるラスティの手にはブランケット、野営用の小型暖房器具にアーキバス社最新の断熱材が入ったコート。背中に背負っているリュックからはやたらともこもこした寝袋らしきものが覗いている。こんな大荷物を狭いコックピットに積んで、いつものような歯の浮くようなセリフを吐くラスティを想像して、621はおかしくて笑った。
「……何かおかしいことでも?」
「ううん、ラスティ、よっぽど楽しみにしてたんだな、って考えたら、なんだか、変、ふふ」
ひとしきり笑った621が少し恥ずかしそうにはにかんだラスティに差し出された手を取って、機械の排熱で温まったコックピットから顔を出すと、雪の混じった風が頬を撫ぜた。熱で少し靄のかかった頭が覚まされていく感覚に心地よさを覚える。ケーブルだらけの操縦席から抜け出るのに621が苦戦していると、ラスティは彼女の脇の下に手を入れて、赤子でも扱うかのように抱き上げた。
「軽いな……君はもう少し肉を付けた方がいい、その方が生存率も上がる」
「はぁ……」
まだ熱の残る機体の上でコートを羽織らされると、ラスティは「しっかり捕まっていてくれ」と621を横抱きにして首に手を回させた。目に入るのはラスティの少し赤くなった耳。
《この狼男!規制事実を作るつもりですね!?》と、きっと顔があったら真っ赤にしているであろうエアの声が頭にこだまする中、ラスティは軽々と621を抱えて地上へと降りていった。
降り積もる新雪は音を消していく。ラスティは慣れた手つきでグラウンドシートを敷いて、折り畳みの椅子に621を座らせると、どこからか調達したのか木の枝に火を点けて鍋の中で雪を溶かし始めた。会話の糸口もなく、ただぱちぱちと爆ぜる生木の音と、お互いの吐息の音だけが響く。コーラルの赤とも、エンジンから出る火とも違う、同じ炎なのに何故か儚げな火。ACの操縦桿を握った時の高揚感とは真逆の心地よさに621の心が凪いだ。
「寒くはないか、戦友」
「うん、少し煙たいけど」
ラスティは「それは気を付けないと」と笑って、沸いた雪で溶かしたインスタントのフィーカを621に差し出した。口内の水分を奪っていくレーションと一緒に口に含むと、同じ食べ方をしているはずなのに何故かいつもより美味しく感じられる。外で食べる食事というものは味覚にも変化を与えるものなのだろうか。今度ウォルターとも試してみよう。
少し目を大きくして黙々とレーションを食べ進める621を愛おし気に見つめて、ラスティは薄いフィーカを飲み干すと、少し俯き気味に話し始めた。
「……ルビコンは、昔はここまで寒くはなかった、らしい」
全てこの星に来てから企業の調査で知ったことなんだが、とやけに含みを持たせた前置きをして、ラスティはゆっくりと続ける。
「大火以前の話だがね、ルビコンの土は貧しいものだが、コーラルの恵みのおかげで食べるに困らないぐらいの農産業も成立していたそうだ。それが大火でコーラルが焼き払われ、その塵で空が覆われた結果ルビコンの気候も寒冷化したそうだ。ルビコニアンはこの一年を通じた寒さは『コーラルの冬』という、大火から続く次の天災だと考えているそうだよ」
《『コーラルの冬』、聞いたことがあります。しかしこの男、見てきたかのように話しますね》
エアが間違いないというのなら嘘ではないのだろう。しかしながらあまり難しい単語はわからないのと、満腹感からの眠気に621は流されて、紡がれる優しい低音に適当な返事をする。
「おっとすまない、少し話過ぎてしまったようだ」
返って来る反応が薄くなってきたことに気付いてラスティが顔を上げると、621は椅子の背もたれに寄りかかって眠たげに目を擦っていた。冬の気配を寂し気な笑みで消してから立ち上がる。
「もう寝ようか、戦友。明日も早い」
「うん……」
されるがまま、シュラフにくるまれて、621はラスティが毛布やコートで作った寝床で目を閉じた。
「おやすみ戦友、ルビコンの朝を、君と……」