(土方side)
「卒業おめでとーう」
式の間はきっちりと締められていたネクタイが、今はもうすでに緩められている。先程写真撮影のためにぐいぐいと猿飛に締めあげられているのを見たが、余計息苦しくなったのだろう。
「どうも」
「記念写真撮っとく? 担任と撮ってもあとから見たらなんで撮ったんだっけ? その場のノリ? てなること間違いなしだけど撮っとく? 撮ろう、撮ろうぜなぁおいそこのお前らもおいで」
こいこい、と呼び集められたのは桂、長谷川、久兵衛と志村姉だった。これは間違いなく後から見てなんで撮った? と思うに違いないメンバーだ。
「んじゃあ、土方くん渡すもんあるからこっちおいで」
今度は自分が手招きされ、後ろを着いて歩く。周りに誤魔化すためにこういう言い方をしているが、これは、返事を貰えるということだろうか。
じんわりと暑くなってきた頃。四限前の休み時間だった。用を足し、教室に戻ろうとしていたところ別の教室から出てきた先生に呼び止められた。要件はプリントを集めておいて欲しい、との事だった。わかった、と頷いて教室に戻った。昼前に集めて休憩中に持っていけばいいだろう。偶然そこを通ったのが自分だったから、自分に頼んだのであろうがそれでも嬉しいと思った。好きな人に名前を呼んで貰えるのは嬉しい、朝の出欠確認でも嬉しいのだから安いもんだ。
伝えるつもりはなかったのだ。昼食後職員室に向かえば先生は居らず多分準備室の方にいるんじゃないか、と他の教師に言われて足を向けた。多分、色々なことが重なったんだ。
あの日、先生が頼んだのが俺じゃなかったら。先生が準備室じゃなくて職員室にいたら。きっと、今こうして式のあと先生とふたりになることはなかった。
自分の気持ちは秘めたまま、淡い思い出になっていたと思う。
「どうぞ、どっか適当に座る?」
「いや、立ったままでいい」
「急ぎ?」
「……じゃあここ座る」
「ん、どうぞ」
向かった先は想像通り、国語準備室だ。別棟三階。本校舎とは渡り廊下で繋がってはいるものの静かだ。今日は卒業式、他の学年の生徒はほんの一部しか登校していないしこちらの校舎に来る用事はないだろう。
ごちゃごちゃと物に塗れたイメージのあった準備室は心做し整理されていて、机が四つ合わされている。個人面談のように、その中のひとつの椅子に腰を下ろす。
先生もがたん、と椅子を引いて俺の斜め前に座った。式より、なんなら試験を受けに行った時よりも緊張しているかもしれない。
「んじゃあ、改めまして卒業おめでとう」
「どうも、ありがとうございます」
机を挟んで頭を下げる。傍から見たら間抜けそうだ。
「早速ですが本題です」
「はい」
「……ふつつかものですが、よろしく」
「……マジか」
はやく返事が聞きたい半分、聞きたくない半分だった。期待していないというか、いい返事を貰える自信はなかったから。最初に伝えたとき、先生は一瞬考えたあと流した。俺が気まずい思いをしないように、先生にとっても都合がいいように。だから、今回もそうだと思っていた。憧れを恋心と勘違いしたんだよ、とかそういう風に。
「オイコラ、冗談じゃ許されねェぞ。いい歳したおっさん捕まえて逃げられると思うな嫌だっつっても離してやんねぇからな」
「それはこっちのセリフだわ、冗談で言えるかよ。安心してくれアンタが嫌だっつっても俺も離す気はさらさらねェ」
ふっと肩から力が抜けた。無意識にずっと緊張していたらしい。式でも涙は流れなかったのに、今は少し涙目かもしれない。
「覚悟しとくわ。なぁ、土方くん」
「ん?」
「なんだ、その、とりあえずそっちの方も卒業しとく?」
「よろしくお願いします」
(銀時side)
あれはいつの事だっただろうか。何でもない日だったのは覚えている。
抜き打ちテストをした、担当じゃなくて別のクラスで。その採点中だった、確かそうだ。
宿題のプリントの回収を授業中にし忘れたため、偶然廊下で出会った土方に集めてもらうように頼んだ。別にホームルームで集めてもよかったがまたしても忘れる自信があったからだ。
こんこん、と控えめなノックが部屋に響いた。
「失礼します」
「悪いね、わざわざ持ってきてもらっちゃって」
「別に、近いんで大丈夫です」
昼休憩終わり間際の国語準備室はそれなりに静かだ。別棟の三階、本校舎と渡り廊下で繋がってはいるものの、移動教室がない時間だと静まっていることが多い。
国語準備室とは名ばかりでほぼ物置と化しているそこは、絶好のサボり場所でもあり、一人で作業するのに便利な場所でもある。
「飴とかしかないけど、そこの籠の菓子適当に持ってっていいよ、お礼」
「先生、好きだ」
今日は木曜日。どの学年も共通して午後は総合とロングホームルーム。移動教室なんてない、あっても講堂に行くくらいか。つまり、とんでもなく静かだ。
聞こえなかった、なんて言える状況でもない。話し掛けた返事みたいなもんだったから。なんだってこのタイミングでそんなこと言うんだ。雰囲気とか大事にしないもんなのか。
「あー、どうもね。俺も土方くん好きだよ、真面目だしこうやって手伝ってくれるし。この前ヅラに頼もうとしたら」
「そういうんじゃねぇ、別に今すぐ返事してくれとか、そんなことも言わないんで、考えて貰えませんか」
「土方……」
「じゃあ、失礼します」
軽く頭を下げてから立て付けの悪い重い引き戸を静かに閉めて土方は早々に去っていった。
子供のいうことは本気にしちゃいけない、後から思い出したときに嫌な思い出にするのも忍びない。これは言葉をそのまま捉えつつ、尊敬だとかそういう意味だと受け取るのが一番か。そう一瞬のうちに導き出し、声に出したら本人が気遣いをくしゃくしゃに丸めて放り投げた。
そういうんじゃねぇ、ということは、そういうことなんだろうな。一体自分の何が彼のそういう部分に突き刺さったんだろう。教師に恋愛感情を抱くことはよくわかる。
身近な大人で、自分に親切に、親身になって気にかけてくれる人。いやぁ、心当たりがない。普通の教師並に働いているつもりではあるがそこまで親身になった覚えは無い。特別仲がいい訳でもないし、特別な会話をした覚えもない。そうなると見た目か、見た目? なんでだ。十も年上の男に惚れる要素あるか? せめて女ならまだしも。おっぱいもない、やる気のなさそうな男にどうしてヤリたい盛りの男子高校生が。受験疲れか? 迷走してるのか。
息を吐き、眼鏡を外して眉間をぐりぐりと押える。頭を抱えるレベルだ。
「何回考えたって、嫌じゃねーんだよなァ」
そこが大問題だった。
***
二十も過ぎれば一年なんざあっという間だ。同じことの繰り返しって訳じゃないが、毎週決まった時間割で授業をして、数ヶ月に一回行事があって、長期休暇もあり。三年生なんざ行事が目白押し、受験やなんやもあって本当に気がつけば卒業だ。
あの後、驚く程に土方は今まで通りだった。休憩中の出来事は無かったかのようにいつも通り、ただの生徒と、その担任教師の距離だった。なんなら他の生徒との距離の方が余程近いと思うくらい、やはり土方と自分の接点は少ない。気の迷いだった、と思っているかもしれない。こちらも変に意識するより、忘れた方がお互いにとっても都合がいい。
一週間後は卒業式。三年は自由登校になっており、ここ暫くは授業もなく顔を合わせていない生徒も多い。土方もその中のひとりだ。成績優秀、受験も特に心配もないだろう。
特にやることもなく、一人で使っている準備室の備品を適当に片しているときだった。
控えめなノックが部屋に響く、返事を待たずに引き戸はがらがらと派手な音を立てて開かれた。
「失礼します」
艶やかな黒髪、切れ長の目。少し掠れた声に心臓が跳ねた。
「……おう、土方くん。どうした? 登校日は卒業式の前日だから、今日はフライングにしては早すぎだよ? あわてんぼうにも程があるよ?」
「忘れねェようにって」
「ん?」
「俺ァ、まだあんたの事好きだからなって言いに来ただけだ。また、一週間後に言うから、そんときゃ腹ァ括ってくれや」
「ん??」
「じゃあ、失礼します」
がらがらがら、ごとん。言いたいことだけ言って満足そうに土方くんは去っていった。立て付けの悪い扉は、閉まったように見せかけて数センチ開いたままだ。廊下は走っちゃいけません、せめて下の階までは余裕ぶってくれませんか。俺には余裕そうな顔を見せておいて、内心バクバクの大焦りってこと? なんだそれ。なんだよ、それは。
「あー、やっぱり嫌じゃねェんだよなァ……」