鳥頭 コンス様とスティーヴンは、必要ならば夜道を並んで歩きすらします。繰り返しますが必要ならであって、コンス様は不要ならばスティーヴンの隣を歩こうなどとは考えもしません。
そして今夜はそれが必要な夜でしたので、コンス様はスティーヴンの隣を歩かれておりました。
とは言えスティーヴンは気ままなスピードで歩くので、歩幅の違うコンス様と並ぶ事はそう多くありません。それでもコンス様の事を追い掛け、三歩程後ろを着いてきます。コンス様は決して振り返らず、歩むスピードを合わせはしませんでしたが不思議とコンス様とスティーヴンの距離は近づきはせずとも離れもしませんでした。
近いようで遠い。
その距離を保ちながら歩く時、スティーヴンは自由に独り言を話します。コンス様に話しかける時もありますし、正しく独り言の時も、また一人で会話している時もありました。
よく回る口でポツポツと、気を紛らわせるように話すスティーヴンの囀りを聞いているようで聞いていないコンス様の事を、スティーヴンもまた気にしていないようだったので何の問題もありませんでした。
ただふとした瞬間に、スティーヴンが口を噤んでいる事に気が付きました。それもスティーヴンにしては長い時間。
スティーヴンが随分と長い時間黙っていたのでコンス様はもしやスティーヴンは死んでしまったのでは無いかと思いました。何せスティーヴンはコンス様と二人で居るとき、彼が好きな古代エジプトについて話、問いかけ続けるのでコンス様はてっきり話していなければ息ができないのだと思っていたのです。
なのでスティーヴンが人間が呼吸を止められる限界まで黙っているのに気がつき、コンス様はおやと思ったのですが足音は規則的に聞こえてきます。
コンス様にとって一番身近な、砂を踏む音。そのザッ、ザッという音が一人分だけ聞こえるのが、やはり夜には丁度良い。
コンス様がそのように考え、ようやっと黙ったスティーヴンに安堵した瞬間、コンス様にとっては残念な事にスティーヴンが再び口を開きました。
「…………君は鳥頭だからさ、きっと……三歩も歩けば忘れちゃうと思うんから言うんだけど」
暫く振りに聞こえてきたスティーヴンの声は随分と近く、直ぐ真後ろから話している様子です。
さてそれよりもスティーヴンはこれまた随分と無礼な事を言い出しました。鳥頭である事は否定しようがありませんが、それは決してスティーヴンが言うような意味ではなく……というかスティーヴンは一体どこの国の比喩を使っているのでしょうか?
長く在るコンス様も聞いたことのない喩えではありましたが文脈から馬鹿にしている事は十分に伝わって来ます。というか“三歩も歩けば忘れる”というのは直接的に馬鹿にしています。
どうやらスティーヴンはコンス様が“すべての夜を覚えていらっしゃる”事をすっかり忘れてしまったようです。
コンス様はそれを指摘して、あまり神を馬鹿にするなと言ってやりたい所ではありましたがこの様な小さな事で突っ掛かるのも、またスティーヴンと口を聞く事の方をめんどうに思ったので黙っている事にされました。
コンス様は振り返らず、返事もされず。変わらず歩みを進められましたがそれに付き従う足音もまた、変わらず着いてきておりました。
「僕さ……、君の事、好きだよ」
スティーヴンがそういった時、その場には砂丘を砂粒が滑り落ちる音だけになりました。つまり砂粒以外の全ての物が止まったのです。
スティーヴンの足音も、またスティーヴンの続く言葉もなく、そしてなにより、コンス様の歩みも止まっていらっしゃいました。これは大変珍しい事でありましたがこの場には誰もそれを指摘する者はおりません。何せあるのは砂と、それから月だけだったので。
コンス様はお考えになりました。
さて一体どうしてやろうかと。
長らく世界に在ると、人の声色だけでその言葉が真か偽か判るようになります。スティーヴンのこの言葉は、何と驚くことに真でした。真実、心の底からスティーヴンはコンス様の事を好いているようでした。
ですかそれはコンス様には如何程も関係のない話で、好いているなら好いている、嫌っているなら嫌っているで何ら構わないのです。何せコンス様が契約している者は、あと二人もおりましたので。
それにスティーヴンは『君は忘れてしまうと思うけど』と言いました。それは遠回しに、“忘れてくれ”と言っている様なものです。
ですのでコンス様は慈悲の心で持って、忘れてやることにしました。スティーヴンの言う通り、三歩足を進めて『コンスはきっと忘れてしまった』という言い訳をくれてやろうと思ったのです。
なので止まってしまっていた足を一歩、二本と進められました。それを追って、スティーヴンの足音も続きます。
コンス様の足を止められる物など何も無く、また誰も止める者などいない筈でした。だって誰も止める必要など無いからです。
だというのに、何故だか三歩目を踏み出す直前、クンッと背中を引くものがありました。
ガウンの後ろ、そこを指先で掴みコンス様を引き留める者は一人しか居りませんでした。ですがその者は三歩めを望んでいた筈で、つまりこの時誰も望まぬ事が起きたかに思われました。
ですから小さく呟かれたWhyの言葉は、紛れもなくスティーヴンの声でした。スティーヴン自身の、自らに向けた疑問でした。
何せスティーヴン自身、何故コンス様を引き留めてしまったのか、分からずにいたからです。おかしな事もあったものです。何と矛盾だらけの行動でしょう。
コンス様は三歩目を踏み出す事も当然出来ました。何せガウンを引く指の力はとてもか弱かったので、何の枷にもなりませんでした。
そう、スティーヴンの力如きがコンス様の枷にもなど成りようが無いのです。ですがコンス様はここからスティーヴンが一体どうするのかが気になり始めました。
きっとスティーヴンはとても無様で、今後コンス様が数十年は嘲笑えるような行動を取ることでしょう。
コンス様思いました。
これは見ものだぞ、と。