クラブハウスの小話「エマージェンシー!エマージェンシー!」
繋がれたインカムから響く声に、事態の緊急性を悟った。声の主であるジャック02は簡潔に要件を述べる。
「イエローウエストの裏通りのクラブハウスで、【サブスタンス】が出現しマシタ…被害レベルは…1…パトロール中の『ヒーロー』は直ちに現場へ急行してクダサイ…」
「レン、聞こえていたな?」
「ああ」
「行くぞ」
◇◇◇
まさかボクがウエストをパトロールすることになるとは。他セクターのエリアをパトロールすることは、別に珍しいことではない。引っかかるのは理由だ。
ウエスト所属のヒーローは非番と特別任務で出払っており、ブラッドからウエストのパトロールを命じられたのだった。休暇と特別任務を被せるのではなく調整できなかったのか。文句を言っても仕方がないのは理解できるが、釈然としない。今回のようなサブスタンスであれば、管轄外のイエローウエストであっても問題は少ないだろう。
だが万が一、サブスタンスではなくイクリプスが出現していたらと考えるとゾッとする。とはいえ、ジャックのサポートは受けられる上に、土地勘に疎い訳ではない。実際のところ、問題にはならないだろう。
…レンには問題大有りかもしれないけど。
街中に設置されたスピーカーから避難警告が流れているのにも関わらず、大通りには人が溢れている。目に見える変化がないからか、避難が遅れているのだろうか。
レンはあまりの人の多さに顔をしかめていた。
「人が多い」
「ああ。ノースと違ってウエストは若者が多いからな」
「避難が進んでないのか」
レンは辺りを見渡しながら言う。他のヒーロー達もまだ到着していないようで、ボク達が一番乗りのようだ。
「レン、市民の避難誘導を頼めるか。ボクはサブスタンスを回収する」
「わかった」
レンと二手に分かれ、ボクはサブスタンスの回収。レンは市民の誘導に尽力した。無論、避難およびサブスタンスの回収は無事に終了。街や市民への被害も無い。
応援に来た他のヒーローに状況報告を済ませ、幼い子どもに囲まれていたレンに声をかけた。
「レン、タワーに戻るぞ」
「わかった」
「え、お兄ちゃんもう行っちゃうのー?」
「やだやだ!もっとヒーローの話して!」
「いや…俺は」
レンが困ったように口籠る。女児はレンの脚にしがみつき、いやいやと首を振っていた。他の子ども達もレンの手を掴んで離さない。なんともカオスな状況である。
「おい、レン」
「お姉ちゃんもヒーローなの?」
レンに声をかけると、レンにくっついていた女児が控えめに言った。
「おい、その人は男…」
「え?そうなの!綺麗だからお姉ちゃんかと思った!」
子どもたちはキャッキャと盛り上がっている。レンを見るとボクに気を遣ってか、少し青ざめているようにも見えた。もうそれくらいでは怒ったりしないのに。
「ボクはそれぐらいで怒ったりはしない。このお兄ちゃんもボクも帰らなきゃいけないんだ。ヒーローとしてのお仕事があるから」
離してくれないか、とお願いすると少し悲しそうな顔をしながらレンから離れた。
「分かった…お兄ちゃん、またね」
聞き分けの良さに胸を撫で下ろした。控えめに手を振った子ども達をみて、胸が痛んだ。それを少しでも和らげられないかと、俯いた頭を少し撫でてやると、子どもらしい笑顔を浮かべた。子どもには笑顔が似合う。
パキパキ、と氷の砕けるような音と、微かな冷気を感じて振り返ると、レンの手に可愛らしい氷細工の花があった。
「…すぐ溶けて消えてしまうけど」
そう伝えて渡すと、女児は目を輝かせた。それにつられてレンも僅かに微笑んでいる。
「ありがとう!お兄ちゃん!」
「えー!ずるい!ぼくにも!」
「構わない。車とか…どうだろうか?」
他の子どもたちにも氷細工を手渡した後、その場を去った。子どもたちの笑った顔はどこか温かく感じられる。
「以前に比べて、繊細な氷細工もできるようになったんだな」
「練習したから…それに、マリオンの指導…」
「ボクの指導じゃない。レンの実力だ」
「…」
「レン、タワーに帰ったあとは報告書の作成だ。分かっているな」
「…あれ?マリオンとレンじゃん」
不本意にも聞き馴染みのある声に振り返ると、黒基調の私服にピンク色のヘッドフォンをした男が立っている。
「珍しいね、ウエストまで来るなんて」
そう言いながら、ヘッドフォンを首へとかけた。スピーカーからシャカシャカと僅かに音が漏れている。
「…オマエが非番だからウエストのパトロールを担当しているんだ」
「あ、そっか。オレは非番だし、他のメンバーも特別任務で外れてるんだった」
「…大きな問題は特になかった。サブスタンスの出現はあったが、問題なく回収した」
レンが状況の説明と引き継ぎを兼ねて言った。最後に報告書を書くためにタワーへ向かっているところだ、と付け加える。
「そっか。ありがとう♪」
「お前はどこに行くんだ?そっちの方だとタワーへ帰るわけではないんだろう」
「俺の行く場所に興味があるの?」
いたずらっぽくフェイスが笑う。レンは1つ息を吐いて、別に…と言った。
「冗談だって。これからDJとしての仕事だよ。馴染みのあるクラブハウスからの依頼でさ」
「へぇ…DJとして依頼が来るんだな」
「うん。興味ある?暇…ではないと思うけど、招待するから見に来る?」
「え」
レンは驚いた顔をしてフェイスを見たあと、横目でこちらを見てきた。
「ボクの顔を伺うような事をしなくても、興味があるなら行けばいい。無いなら帰ればいい。それだけのことだろう」
「…興味ない」
「そうか。ならタワーに帰るぞ」
「いやいや、ちょっと…!この流れで帰るのは無くない?」
フェイスが引き攣った笑みで言う。
「無くはないだろ。レンも興味無いそうだし、ボクは全く興味がない」
「えぇ…。まあ良いか。今日指定されてるクラブ、限定のパンケーキがあるんだよね…」
わざとらしい声音でフェイスが言う。パンケーキ、と言われると少し気になってしまう。アイツに踊らされていると思うとかなり癪ではあるものの、好きなものには惹かれてしまうものだ。それにパンケーキに罪はない。
「パンケーキ…?」
「マ、マリオン…」
レンが驚いたような困ったような顔をしている。
「パンケーキ…」
「そう。パンケーキ。女の子たちはかなりの確率で注文してるよ。それを目当てにそのクラブを訪れることもあるみたい」
フェイスはそう言いながら、スマートフォンの画面をこちらに向けてきた。画面には可愛らしい装飾が施されたパンケーキが映されていた。流石クラブというべきか、パンケーキに花火が突き刺さっている。
「どう?パンケーキだけでも食べに来てみない?俺はステージがあるから、そんなに一緒には居られないケド」
「…パンケーキが目当てなだけだ。お前のステージには興味ない」
「アハ♪手厳しいね、レンも一緒に来る?」
フェイスがそう尋ねると、レンは嫌そうな顔をしつつも頷いた。そこに追い打ちをかけるようにマリオンが言う。
「レンが一人でここからタワーに戻れるとも考えにくい。悪いけど一緒に来てもらう」
「…迷子になんてならない」
「アハ♪交渉成立だね、そのクラブハウスはこっちだよ」
軽い足取りのフェイスを追った。報告書の存在が脳裏をよぎったが、無視を決め込んだ。
普段中々行けない場所のパンケーキに興味がある。普段は期限内に提出しているし、その辺は怠ったことがない。パンケーキを食べに行ったとしても、提出期限内には問題なく作成出来るだろう。
人通りの多い大通りから、閑散とした裏通りへ足を踏み入れた。無造作に捨てられた缶や瓶を尻目に、スプレーで描かれた落書きで覆い尽くされた道を進む。
ゴミ箱の上で猫がにゃーんと鳴く。そちらに足を向けそうになるレンの腕を掴んで、フェイスの背中を追った。
そんな道をしばらく歩いた後に、壁のネオンの装飾が光る階段を降りる。見慣れない世界に心躍るような気持ちになったのは秘密だ。
フェイスは慣れた手付きで目の前に現れた扉を開ける。場所に似合わないカランと言うベルの音を聞き流し、足を踏み入れた。
まず目に飛び込んできたのは、マリオンとレンには到底馴染みのない光景だった。
爆音の音楽に乗せて、若者たちが踊り狂っている。中央のステージではヴィジュアル系バンドがギターをかき鳴らし、演奏をしていた。
普段クラシックを好んで聴いているボクにとって騒音に近いものではあったが、『郷に入っては郷に従え』だ。そんな諺が日本にはあるらしい。不本意だが、ルーキー時代にブラッドが言っていたのを思い出した。
天井にはギラギラと光るミラーボールが光を乱反射させて、場を盛り上げるのに尽力している。なんとも情報量の多い場所だ。
「うるさい…」
「あー。はじめて来る人は大体そうなるよ。暫くすると慣れると思うから…」
「レン、『郷に入っては郷に従え』だ。辛かったら耳栓でもしておけ」
「ごう…?…わかった」
レンは一度首を傾げたものの、特に深くは聞かずに納得したようだ。
フェイスに導かれて、ステージがよく見えるテーブル席へと腰掛けた。
「おお!フェイスさん来てたんですね」
声のする方を振り返ると、燕尾服に身を包んだ白髪混じりの男性が立っていた。格好から推察するに、クラブハウスの管理者だろう。
「そっちが呼んだんでしょ」
「そうでした。ははは。今日はお一人じゃないんですね。お連れ様はご友人ですか?」
「うーん、友人と言うか…。仕事仲間かな。ここの名物のパンケーキの話をしたら食べてみたいって」
「それはお目が高い!ぜひ名物のパンケーキご賞味ください」
「ありがとう。早速なんだけど、パンケーキ2つお願い。あと1つは甘さ控えめで、出来ればクリームの類無しで作ったりとかできる?」
「お安い御用ですよ。フェイスさんの頼みですからね。その代わりと言ってはなんですが、今日のステージも楽しみにしております」
「アハ♪もう来てるだけで十分に売上はあると思うけどね」
「来ていただけるだけで売上的にはありがたいですが、純粋にDJとしての腕も信用しているんですよ」
「ありがと」
フェイスが微笑むと、管理人もニコリと笑った。二人ともなんだか掴みどころのない笑い方をしている。
「それでは、ご用意しますので少々お待ちを」
そう言い残し、男性はバックヤードへと姿を消した。バックヤードへと続く重い扉が閉じる音は、会場内の音楽に跡形もなく掻き消されてしまう。その姿を見送ったあと、フェイスは緊張を解くように息を吐いた。
「…ありがとう」
「どうしたの?レン、突然お礼なんて」
「パンケーキ…」
そう言いかけたレンの言葉に被せるように、フェイスは言った。
「あぁ。いいよお礼なんて。せっかく来てもらうなら良い記憶にして欲しいし、甘いのが苦手なのは知ってたから」
フェイスがモテるのはこう言った気遣いができることも大きいのだろう。
「これから俺はステージに立つから、しばらくここに来れないけど何かあったらさっきのオジサンに言ってね。まあ楽しんで帰ってよ。今日のパンケーキは俺の奢りだから」
そう言い残してフェイスは席を立った。先程、男性が消えていったのと同じ扉から、バックヤードへと入っていく。
「レン、フェイスの演奏は聞いたことあるのか?」
「いや…無い。そもそもクラブという場所に来たのがはじめてだ」
レンはそう言ってグラスに入った水に口をつけた。
「フェイスの演奏は悪くないと風のうわさで聞いている。ボクはこのジャンルには詳しくないけれど、少しだけ…楽しみにしてる」
「マリオン…」
「少しだけだ。最初は興味なんて無かった。これだけ人を惹きつける力があるアイツの音楽が気になるだけ、本当に少しだけ…」
なんだか恥ずかしくなってしまった。目の前に置かれていた水を手に取り一気に飲み干した。冷たい水が少しだけ熱を取ってくれた気がする。顔に集まってきた熱も少しは消えただろうか。
「おまたせしました。ご注文いただいたパンケーキでございます」
ウェイターがテーブルにパンケーキを並べる。3段重ねのパンケーキに、数種類のカラーリングの生クリームで装飾が施され、メイプルシロップがボトルの状態でテーブルの上に置かれた。写真通り、パンケーキの頂上には花火が刺さっており、パチパチと控えめに火花を飛ばしている。
レンのパンケーキは、生クリームなどの装飾は一切なく、野菜や海老などで彩りが添えられていた。もちろん花火も刺さっている。
ウェイターはパンケーキとカトラリーを並べると、足早に立ち去っていった。
「これなら俺も食べられる…」
「良かったな」
花火の最期を見届けたあと、レンと他愛もない会話を交わしながら、パンケーキを食べた。メイプルシロップの甘さとパンケーキのじゅわっと滲み出すバターが口の中で弾けて至福のひとときだった。
思わず表情筋が緩んでしまう。ハッとして前を見るとレンと目があった。
「なに…」
「マリオンがそんな顔するなんて、余程パンケーキが美味しいんだと思って…」
「…ああ。見た目もボリュームがあって可愛らしい。女性に人気なのも理解できる。…味も文句なしだ」
「…そうか」
頭上のスピーカーからノイズが響く。耳を傾けると、フェイスの声がスピーカーを通してクラブハウス内に響いた。
「あは、みんなおまたせ。楽しんでる?」
その一言だけで、会場は一気に熱を帯びた。女性たちは黄色い歓声をあげて、会場内の温度を高めていく。
「ありがとう、久々のステージ。楽しんでいってね」
貼り付けたような笑顔で笑いかけて、ウインクを飛ばせば、女性たちの熱気は高まるばかりだ。肝心の演奏は始まっていないのに、涙を流している客もいる。
◇◇◇
一言で言ってしまえば、フェイスの演奏はプロのそれだった。
彼が演奏を始めれば、その音楽に合わせて客が踊り、会場の熱気は留まることを知らない。
不覚にも。ボクは客が踊りたくなる気持ちが、少しだけ、本当に少しだけ、分かってしまった気がした。それだけ、アイツの演奏には人を惹きつける魅力があったのだ。
あっという間にステージは終わり、次の出演者にバトンが託された。ステージから降りたフェイスは、我先にと寄ってきた女の子たちに囲まれている。それを軽く受け流し、ボク達のいるテーブルへと戻ってきた。
「楽しんでる?…俺の演奏、悪くはなかったでしょ?」
見透かした顔でそう言って笑った。
「あぁ、悪くはなかった。と言うか、ボクはこのジャンルの演奏には詳しくない。けど、かなりレベルの高い演奏に聞こえたけど?」
「…俺もそう思った。俺はマリオンみたいに音楽に繋がりがあるわけではないから、詳しくはわからない。けど、お前の演奏には人を惹きつける魅力があったように思った」
「えっなに…二人ともビックリするくらい褒めてくれるね。でもありがとう、嬉しいよ」
フェイスは少し照れくさそうに笑った。そんな言葉をかけられるとは想像して無かったのだろう。行き場をなくした手を、首にかけたヘッドフォンに当てている。
「オマエ、なんでそっちの道に進まなかった」
「え?」
「オマエみたいなレベルの演奏ができるなら、プロを目指してもおかしくはないはずだ。なぜ…」
「ヒーローになったか、って?」
「…」
フェイスの視線が泳ぐ。床の方を見つめながら小声で言った。
「…小さい頃憧れてたヒーローがいたんだよ」
「…お前にも子どもらしいことがあったんだな」
「えっなにそれひどくない?」
そう言ってフェイスは笑った。
「プロにはなってないけど、音楽は嫌いじゃないからね。生半可な気持ちでやってないよ。…って喋りすぎちゃった。忘れて」
「そうだったんだな」
フェイスの表情からして、深く踏み込むべき事ではないことが理解できる。誰にでも秘密の一つや二つ、触れられたくないことぐらいあるものだ。
「レン、帰るぞ」
「あ、あぁ…!」
レンは慌てた様子で席を立った。パンケーキのプレートは綺麗に空になっている。
「あれ、もう帰っちゃうの?」
「まだ報告書を書いてないからな。今日中にやっておかないと、色々面倒なことになる」
「真面目だね。俺も帰ろうかな」
「お前、主役じゃないのか。もう良いのか?」
「うん、今日のステージは終わってるし。帰れるうちに帰ろう」
フェイスに背を押される形で、クラブハウスをあとにした。外に出ると会場外の静けさに、耳に形容しがたい違和感が残る。
何かを話した訳ではない。
ただ淡々と足を進めて、3人でタワーへ向かった。
共通点も、接点の少ない、二人と一人の縁が、ほんの少しだけ深まった気がする。