燻る想いを攫う残り香時刻は真夜中。ニューミリオンの街も黒い
ヴェールに覆われて、静寂に包まれている。靄が掛かった月が朧気な光を溢し、青白く世界を浮かび上がらせた。野良猫の鳴き声すらも聞こえない。そんな夜。
今から数時間前の、昨晩。パトロールが終わると、足早にその場を立ち去ろうとするキースを呼び止めた。分かりやすく嫌そうな顔をした男を、あの手この手で言いくるめて、ボロアパートへと転がり込んだ。そして今に至る。
お互いの欲をただぶつけ合うだけの乱暴な行為により乱され、ぐちゃぐちゃになったシーツを見つめる。暇を持て余した指を、シーツの皺に這わせた。キースはというと、紫煙をくゆらせながら窓の外を見つめている。煙はゆらゆらと昇って、静かに消えていった。
「キース」
「なんだよ」
頭をボリボリかきながら癖毛の男は大きなあくびをした。静かな空間に、腑抜けた声が落ちる。
右手には長い灰のついた煙草が握られている。危なっかしい。
「私のこと、どう思ってるの?」
そう尋ねながら、キースに灰皿を突き出した。ここはベッドの上だ。万が一、灰を落とされてボヤ騒ぎなんてたまったものではない。
「…お前、そんなこと気にするやつだったか?」
キースは一つ、ため息をついた。面倒くさそうに灰を灰皿に落として、目を閉じる。
「なに、気にしちゃ悪いわけ?」
「悪いとは言ってないだろ」
「…で、どうなの?」
「…」
キースは煙草を咥えて、煙を吸い込んだ。逃げるように煙を吸っている。顔は明後日の方を向いてしまい、見えない。黒いものが胸に燻った。
「言ってくれないの」
「…」
私たちがこの関係をはじめて、かれこれ数ヶ月。最初は都合の良い関係だな、くらいの認識。それ以上は求めていなかったし、求めてはいけなかった。
なにもなかったところから湧いた情が、芽吹いて、花を咲かせた。自発的に認識できるようになってしまえば、自覚するのは容易だ。
これをなんて呼ぶのが正解か分からない。でも、私が持つ感情は『愛』だったり、『恋』と呼ばれるものに近いのだと思う。
寄ってくる男たちを相手していて、こんな感情を抱いたことは今までになかった。都合が良くて、互いの欲を解消するだけの利害関係が一致している。ただそれだけ。胸に空いた穴を埋める手段を、この関係に求めてはいけなかったのに。
相手の顔が見えなくて、不安に感じることなんて、はじめてだ。横に腰掛けるキースがこんなにも遠く感じてしまう。
「キース、こっちむいてよ」
「…」
行為のときは獣のような視線を向けてくる癖に、肝心なときは何も語らない。
「フェイス」
「うん」
「分かってるだろ、都合の良い関係ってやつだよ。俺たちは」
それ以上の事は考えるな、と言い煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。持ち上がった布団の隙間から冷たい風が入り込む。さむい。
「俺たちは、第十三期、ウエストセクター研修チームのメンターとメンティー。それ以上でもそれ以下でもない。利害関係が一致したから、こうしてるだけだ」
そう、乱暴に言い捨てた。声色はいつもと変わらないはずなのに、ひどく冷たい。まるで氷だ。
「…やだ」
「…」
「おねがい、キース。好きって言ってよ」
キースの言うとおり、成り行きではじまったこの関係。行為も最初は乱暴で、お互いの欲を叩きつけるだけのものだった。でも今は違う。少しずつ形を変えてきている。
触れる手が、声が優しいのだ。恋は盲目という言葉があるように、自分が盲くらなだけかもしれない。でも、もしそうじゃないと否定するならば、私を突き放せばいいのだ。もう来るな、と強い口調で言えばいい。それなのにそうしないと言うことは、少し縋ってみても良いのではないだろうか。ただ利害関係が一致してるだけの行為なら、そんなことは必要ない。
「私はキースのこと、好きだよ」
「…」
「キースは、なにも思ってないの?」
「俺は…」
「答えてよ」
相変わらず背中を向けたままのキースに向かって言葉を放つ。布団で体を隠しながら、上体を起こした。アパートの一室に満たされた冷えた空気が、体から熱を奪っていく。
「…体だけの関係だと思ってる。今も昔も変わらずな」
キースの言葉はグサリと刺さった。希望に縋っていられたから、耐えられていたのに。目頭が熱くなる。
「…アハ、そう言うと思ってたよ。でもさ…ぁ」
自然と涙が溢れる。止めようと試みるものの、自分の意思ではどうにもならない。溢れた涙は白いシーツに、ねずみ色の染みを作った。
弱った語尾に気づかれたのか、キースがこちらに視線を向けた。視線が交差する。
「そんな顔、しないでよ」
キースは、苦虫を噛み潰したような顔をした。この男が何を考えているのか、私には分からない。
そんな顔をして、期待させないで。そっけない態度には、何か理由があるのではないかって考えてしまう。
キースは情に厚い男である。【HELIOS】という組織の中で一番だ。それと同時に、かなりの頑固者でもある。堅物の兄に匹敵するレベルだと思う。
「…」
「だめなの?」
自分でも驚く程、情けなくて縋るような声が出た。あんなにも優しく触れるのに。一番欲しいときに言葉はくれないのか。
「…煙草買ってくる」
そう吐き捨てて脱ぎ捨てた服を持ち、部屋から出ていった。ただでさえ静かだった部屋が無音室のようだ。心臓の音がうるさくて、痛くて、苦しい。
「煙草、まだ残ってるじゃん…」
サイドテーブルに置かれた煙草を見て、耐えきれず言葉をこぼした。
─────寂しいよ、キース。
そんな声は誰にも届かず、窓の隙間から差し込む月明かりに溶けた。二人で眠るには窮屈だったシングルベッドが、広すぎて落ち着かない。彼が座っていた所は冷えて、もう冷たくなっている。
冷えた足を擦り合わせて、煙草の残り香を纏う布団を被った。布団も冷え切っている。
悪い夢だ、全部忘れてしまおう。
明日には悪い夢が覚めていますように、そう願って目を閉じた。