恋の病。自分が彼に抱くこの感情を病気だなんて、なんとも失礼な物言いだと憤慨したくなるけれど、全くコントロール不可能な燃え上がる心を思えばそれほど的外れな表現でもないのかもしれない。治療法なし。治療薬なし。どうにかできるとすればそれはこの世でシンくん唯一人。
彗星のごとく目の前に舞い降りて俺の網膜に光を焼き付け、時には悪魔に思えるほど俺の心を掻き乱す人。
「勘違いみたいなもんだろ」
凍えそうな冬の夜、一世一代の告白をした相手は俺の目をまっすぐ見てそう言い放った。
なんて人でなしなんだろうか?こっちは真剣に好意を伝えているのに、その好意の存在を疑うなんて、あまりにも酷い!酷すぎる。だがこの男を好きになってしまったのもこの俺である。
好きになったもん負けとはよく言うが、それなら俺はシンくんに出会った時から負けっぱなしだ。
昔から勝負で負けるとすぐ泣いてしまう癖があり、もちろんシンくんには何度も泣かされている。
俺の肩と唇が震えだすのに気づいて流石に焦ったようで、
「いや、思春期ってなんか、そういうこともあるんだって。多分将来後悔するから、やめといた方がいいんじゃないかって」
なんて言うが、そんな下手くそなフォローいらねえんだよ。
やたらと大人ぶってるけどな、宇宙単位で見れば二十一歳と十四歳なんて一ミクロンの差もないだろ。などと現実逃避のために宇宙に思いを馳せても今この地球にある七年の時間差は埋まらない。
「なんでそんなことばっかり言うの?」
頭の中では言葉が溢れて、言いたいことが沢山あったはずなのにとっ散らかった言葉の洪水から拾い上げられるのは、こんな子どもじみた反論だけだ。それがまた悔しくて涙が零れそうになる。
「真冬のことが好きだから。大事にしたいし、傷ついて欲しくないし、幸せになって欲しいから言ってる」
「もう死ぬほど傷ついてるよ」
出会った日、殺せよなんて俺は言ったっけな。身体の傷はいつか治る、けれど大人の正論で刺された傷の方が痛い上に治らないということも分かった。生殺しの方が余程辛いし、それならいっそ一思いに殺してもらった方がマシだった。
シンくんだって辛いのも分かっている。彼のことだ、本当に俺を気遣ってそう言っているのも理解しているし、それなのにお前のせいでこんなに傷ついた!と言わんばかりに泣いて縋られて辛くないわけがない。
お互いに苦しいなら縁を切ってしまえばいい、なんて今までの自分はこの世に存在する恋愛ごとに関するゴタゴタすべてに対して思っていたが、シンくんは違うようだ。傷ついたり傷つけてしまったりしても、それでも人の持つ感情や信念の力を信じている。そんなところもたまらなく好きなんだから、もうしょうがない。
長い沈黙。シンくんから目を逸らして自分の涙の跡がついた机を眺めていると、やっと今いる店に小洒落た洋楽が流れていることに気づいた。冷えるからと頼んだ温かいカフェラテとコーヒーは気の毒なことに数口で放置され、すでに冷えきっているだろう。容赦のない寒さの冬の夜だから客入りもそれなりに多いのに、他の客の話し声も俺の耳には届いていなかったらしい。それだけ俺が真剣だったこと、シンくんは気づいているのかな。
「責任取る気はない?」
「俺にいったいどんな責任があるんだよ……」
シンくんは呆れたように呟いた。
俺の世界を丸ごと変えてしまったことへの責任。
そんな物はないと俺だって分かっている、何もかもわがままでただ自分が駄々を捏ねているだけなのも全て分かっている。
けれど、こうして暴れて泣きじゃくる自分に対して自分が大人でいることをやめない彼がどうしても腹立たしかった。早く大人になりたくて、だから精いっぱい背伸びしているのに永遠に埋まらない溝があって、シンくんは容赦なくその溝の深さを俺の脳に叩き込む。
自分と同じくらい必死になって欲しかった。
いつだって真っ直ぐに前を向いている顔をちょっとだけこっちに向けて。意志の強さが現れている表情をちょっとだけ崩して赤くなって。
俺のせいでこうなったって言って。
俺はもう、こんなにカッコ悪いとこだってあんたに全部見せてるのに、どうしていつもシンくんは格好いいままでいるの。
「その責任ってやつを取れば、少しは泣き止むか?」
「うん」
「どうすればいい」
「キスして」
大きなため息をついてシンくんは頭を抱えてしまった。ガキの暴れ狂う我儘心にはついていけないよと言っているのが俺でも分かった。
だけど、恋心を勘違いだって言うシンくんだってひどいから。俺を子ども扱いするっていうなら、こっちだって徹底的にクソガキとして思う存分反撃してやろうじゃないか。大人は子どもの言うことを聞きなさい。訴えるぞ。
「本当に泣き止んでくれるんだよな?」
もちろんだ、ノーなんて言った日には嗚咽して大泣きしてやる。
どうやらシンくんはその気になってくれたようだった。
「言っとくけど、たまたまだから。たまたま、俺の唇とお前の唇が触れ合っただけな。それだけだから」
この期に及んで妙な言い訳を並べるのは気に食わないが、これ以上わがままを言うと本気で叱られそうだと思ったので黙って頷く。
会計を済ませて外に出ると、刺すような冷気に鼻がつんとした。泣いたせいで上気した頬が冷えていく。
こっち来い、と言うシンくんについて行くとそこは店の横の暗く狭い裏路地だった。無造作に貼られた謎のステッカー、足元に散らばる煙草の吸殻。
正直言って汚らしいし、ファーストキスのシチュエーションとしては最低ランクだが一応彼なりに人目を気にしてくれたのだろう。
シンくんは無言で青っぽいパッケージの煙草の箱を取り出すと一本口に咥え火をつけた。ガキの前では吸わない、なんて前に言ってたくせに。
遠くを見ながら煙を吐くシンくんの顔が妙に大人びて見えるのが少し寂しくても、いつだってその横顔は俺の視線の的だった。黙っていれば年相応にかっこいいのにな。
煙草の火を足で踏み消したシンくんが俺に向き直って、断りなしに俺のマスクを下ろす。
「心の準備はいいか」
「シンくんこそ」
「目ぇ閉じろ」
言われた通りに瞼を閉じると、シンくんがこちらに顔を寄せる気配を感じて息を飲む。
心音がうるさくて、足が震えてしまうから彼の服をぎゅうと掴んだ。
躊躇したのだろうか、少し間を置いてからシンくんの唇が俺の唇に重なる。
ふたりとも冬の寒さにやられた冷たい唇で、だけど感触は確かに柔らかかった。少し煙草の匂いがしたけれど、なぜかそれすらもたまらなく愛おしく感じた。
全てシンくんだからだ。どうしようもなく好きで、大好きで、やっぱりこんなキスされたって全然まったく諦められない。きっと彼は最初で最後のつもりで俺にこうしてくれたのだとわかっていたって、これは俺にとって諦められるはずがない恋であるという証明にしかならなかった。キスされて初めてその気持ちを痛いほどに思い知らされ、涙がまた頬を伝う。
シンくんは静かに、寄せていたその唇を離すと俺の顔を見て少し笑った。
「なんだよ、やっぱり泣いてんじゃん」
「煙草の煙がしみたんだもん」
「悪かったな」
乱暴に俺の頭をわしゃわしゃと撫でくり、遅いからもう帰ろうと言って背を向けたシンくんの耳が痛々しく赤くなっているのを見た。
俺はてっきり寒い中外にいたから真っ赤になってしまったんだと思っていたが、唇を重ねたその瞬間に、俺がシンくんに抱いた気持ち全てを理解し、火傷するかと思うくらい顔が熱くなったのだとシンくんは後になって教えてくれた。あんまりにも実直で馬鹿な熱にあてられたと。
路地裏でのファーストキスの次の日、身体も脳もキャパオーバーした俺は高熱にうなされたがなんとも珍しいことにシンくんまでもが風邪をひいた。
きっと俺の病が移ったんだと思う。