「千斗さん、朝ごはんできたよー」
「へぇ、だいぶ上手くなったな」
「へへー。そうでしょ?」
ニコニコと笑うエプロン姿の百瀬は新妻感満載で、えろ可愛いと千斗は思っていた。
決して料理が上手いとは言い難い百瀬だが、バイトの成果もあってコーヒーを淹れるのはなかなかの腕前になっていた。
テーブルの上に並んだ、大雑把にちぎられ、切られた野菜サラダに、焦げの見え隠れするフレンチトースト。
最初の頃の消し炭状態を思えばかなりの上達と言える。
鼻歌を歌いながらコーヒーをドリップしている百瀬を背後から抱きしめて、千斗はその首筋に顔を埋める。
昨夜の情事の跡を洗い流したようで、ほんのりと使っているボディーソープの香りが鼻先を擽る。
ベッドの上で咲き乱れ、匂いたつそれとはまた違う百瀬の健康そうな匂いにどこか残念さも感じながらも、昼と夜のギャップに惹かれるのもまた事実だった。
「危ないよ。千斗さん」
「百瀬」
耳元で百瀬が好きだと言う声で囁いてやると、軽く体を震わせた。
ドリップ用のポットを一度キッチンに置かせると自分に顔だけを向かせるようにしてそのピンクに色づく唇に触れようとしたその時だった。
無粋にも甘い雰囲気から現実に引き戻す機械音が部屋に鳴り響いた。
千斗が眉間に皺を寄せる。
百瀬がハッと気づいたようにして千斗を呼ぶ機械音を鳴らすスマホを指ししめす。
それは仕事用のスマホ。
それが鳴るということは、なにかしら事件が起きたからに他ならない。
「くそっ。せっかくのとこを……」
「仕事、仕方ないよ。千斗さん」
百瀬のビーフブラッドルビーの瞳に見つめられる。
百瀬のその瞳に千斗は弱い。
彼が背負って戦ってきたものを知っているからだ。
そして百瀬の願いを叶えるために、千斗は今、警察組織の中で戦っているのだ。
だから、仕事の連絡を疎かになどできやしなかった。
渋々なのは拭えないが千斗は通話ボタンを押す。
「はい。折笠」
『お休みのところすみません。例の爆破事件がまた起きて。それでその……』
「……百瀬は関係ない」
不安そうに見つめる百瀬を安心させるように手招きすると抱き寄せた。
そしてそのまま通話を続ける。
このところ、愉快犯のような爆破事件が頻発していた。
百瀬や万理が起こした一連のそれとは違う爆破事件に千斗は関わっていた。
調べればしらべるほど、百瀬たちとの違いは際だってくるのだが、いかんせん同じ爆破事件だ。
その中心にいた百瀬に疑いの目が向けられるのも致し方ないところもあるだろうが、百瀬や万理には「理由」があってのことで、そしてそれが達成された今、爆破事件に関わる理由などないのだ。
『それは分かってます。ただ、爆破事件に関わった春原さんや大神さんのご意見をお聞きしたいと、そういうことなのですが……』
「百瀬をつれて来いと?」
『簡単に言うと……』
僅かに漏れ聞こえていたのか、百瀬は千斗の服の裾を引っ張り小さな声で告げた。
いつの間にかつけられていたテレビでは、今回起きたという爆破事件のことが報道されている。
「オレで何か役に立つなら、協力するよ」
「百瀬……」
「これ、オレたちの元仲間とか、関係者がやったことじゃ、絶対にないから。多分ねオレたちにしか、分からないと思うけど」
「百瀬。いいのか?」
千斗の言葉に百瀬は目を細めた。
そして口元に笑みを浮かべる。
その姿に千斗はドキリとする。
それは、あの爆弾魔として追いかけていた百瀬を彷彿とさせていた。
警察に千斗と共に行った百瀬は、自分の考え、そしてこの爆弾魔と自分たちとの違いを千斗が驚くほど理路整然と上層部へと説明していた。
上層部の中には未だに百瀬に対して疑いを持っていた者もいただろう。
だが百瀬はそのすべてを黙らせたのだった。
「けど、これ……オレのことをおびき出そうとしてるのかもしれない」
一連の話が終わりそうになったところで、百瀬がボソリとそんなことを口にして、千斗はぎょっと目を見開く。
唇を噛みしめるようにして、百瀬は机に広げられた資料を見つめ、トンっと指先でその1枚を叩いた。
「相手の目的は、オレには分からないし、こんな愉快犯みたいな奴らの考えてることなんか、分かる気もない。けど……」
百瀬は一度目を閉じてから、しっかりと前を見つめた。
そのビーフブラッドルビーの瞳には千斗でも止めることのできない決意が秘められていることは感じずにはいられなかった。
こうなった百瀬は止められない。
犯人をあぶり出すつもりなのだろう。
「百瀬」
「きっと、オレが出れば奴らは姿を現す。これ以上被害が大きくなる前に、オレにできることがあるならやらせてください」
恋人としては、危険な目に合わせたくないという気持ちだが、刑事としては百瀬の協力は大きな力になる。
その狭間で悩みながらも、そっと触れてくる百瀬の指先が、千斗に決意をさせる。
「百瀬。頼めるか。ただし、無理はするな」
「うん。分かってる。千斗さんに心配かけるようなことはしないから」
ニッと笑う百瀬に千斗は小さくため息をついた。
ほんと、とんでもないはねっかえりだし、これは全てが終わったら一度お仕置きをしないとなと思う千斗であった。
またこの服に腕を通すことがあるとは思わなかった。
ノースリーブの黒いインナーに黒いジャケット。サングラス。
爆弾魔として活動していた頃の姿だ。
どこまで相手が百瀬のことを把握しているのか分からないが、「爆弾魔」に憧れを抱いていることは察せられた。
だからこそ、百瀬が出る決意もしたのだ。
サイバー犯罪対策課から二階堂大和が補佐として送り込まれる。
「ありがとね。ヤマト。頼んだよ」
「百さんのためなら仕方ないですから。ほんと危険だと判断したら折笠刑事をいかせるから、無理はしないでくださいよ」
「わかってる。じゃあ、行ってくる。千斗さん、大和、バックアップお願いね」
コートの襟を立てて戦地へと赴こうとする百瀬を千斗は咄嗟に抱きしめて、額に唇を落とした。
「ゆ、千斗さん」
「無茶したら許さない。必ず無事に帰ってこい」
「うん……」
「帰ってきたら、朝まで寝かさないから、覚悟しておけよ」
千斗の言葉にほんのり頬を染めてから、百瀬はサングラスでその表情を隠した。
「行ってきます。必ずつかまえてやるから、憶えてろよ」
百瀬が事件解決に大貢献して、表彰されるのは、それから少し後のこと……。