現パロ杉リパ出会編「佐一くん、他に好きな人いるよね」
「え?」
こう言われるのは青天の霹靂ではない。またこのパターンか、と思ったが、目の前の彼女はその反応を別な意味に取ったようだ。表情は「やっぱりね」と言っていた。綺麗に彩られた指先が冷めたコーヒーカップを撫で、俯いた彼女は深い青色のカーディガンを着ている。最近よく着ている色だ、と思いながら他人事のように彼女の泣き出しそうな顔を見つめていた。彼女はへらっと笑った。
「…この色、好きだよね」
自分で着ることはあまりない色なのに、よく言われるのだ。好きな色、と言うより懐かしい色だ。
「…私のこと好きじゃないのわかってたけど、他に好きな人がいるなら告白にOKなんかしないで欲しかった」
彼女は何とか笑顔を保とうとしている。女というのは、最後は綺麗な姿で去りたいと思うらしい。これまで付き合って来た女たちは一様に同じ顔をしていた。
「さよなら」
最後の言葉まで皆同じなのだ。彼女が立ち去って暫くしてから杉元は独りごちた。
「…また振られた」
二人分のコーヒー代の伝票を持って会計を済ませ、冷えた風の吹く外へ出た。
「この後どうすっかなぁ…」
先程別れを告げられた彼女とデートの予定だった。何となくこうなる予感はしていたものの、だからと言って予定を入れておく程薄情ではない。
「他に好きな人ねぇ…」
本命がいながら他の女と付き合うなんて器用な真似は出来ない。にも関わらず、どの女も決まり文句のように同じことを言うのだ。だが、心のどこかで納得している自分もいる。会った事もなく本当にいるのかもわからないその女に、杉元とて会えるものなら会ってみたい。「運命の女を待っている」などという、遊び好きの男が口にする腰の軽さの言い訳のような言葉が今の杉元の真実だった。
ため息をつくと、少し前にやっと包帯の取れた顔の傷が寒風にぴりりと痛んだ。杉元はこの街を拠点にしているアイスホッケーチームの選手だ。ボディチェックの激しいスポーツなので生傷が絶えず、顔には目立つ傷を拵えた。幼馴染には「佐一のサ傷」などと揶揄われたが、実はこの傷が原因でバイトをクビになったばかりだ。バイトをしなければアイスホッケー選手としての収入だけでは食べていけない。
「バイトはクビになるし、彼女には振られるし、泣きっ面に蜂ってこのことだな」
取り敢えずひもじいと泣く腹を慰めてやるために安い店でも探すかと、人混みの中に紛れ込む。すると後方で女の子の小さな悲鳴と「気を付けろ!」と男の荒れた声が聞こえた。振り向くと近隣の高校の制服を着た少女が一人道に尻餅をついており、連れの髪の長い少女が助け起こしていた。少女を突き飛ばしたと思われる男は杉元の横を走って去って行く。
「おい…!」
去って行く男を追いかけようとしたところで、連れの少女が杉元の脇を駆け抜け男を追いかけて行く。その俊足に目を見張ったが、少女は小柄だった。杉元は遅れて男と少女の後を追い掛けた。少女は男との距離をぐんぐん追い詰めていく。だが、小柄な少女が男を引っ捕まえたとしても彼女の方が身体が軽いので怪我をしかねない。捕まえるのは無理だ、と言おうとした時、彼女は更に加速して身を低くし、男に体当たりをした。
(うまい…!)
スピードの乗った体当たりに、男は前のめりに派手に転んだが少女は転がることなく華麗に地面に着地した。遅れて追いついた杉元は、道に転がっている男の片腕を締め上げ、腰に膝を乗せてそこに全体重をかけて押さえ込んだ。片手を締め上げられてはどんな屈強な男も立ち上がるに立ち上がれない。
「暴れるなよ」
男の方はもうその気力もないようだった。誰かが通報したらしく、警官が数人、ばたばたと追い付いてきた。もはや男を取り押さえる必要の無くなった杉元に、少女が声を掛ける。
「すごいな。捕まえ慣れてるのか?」
「いや、柔道の経験があるだけだ。あんたも速かったな」
「高校で陸上部なんだ」
「ああ、それで…」
道理で慣れた走りだと思った、と心の中で呟いた。
「でも、いくら脚が速くても女の子は危ないよ。男の方が体重が重いから、逆に怪我をする可能性だってある」
「最初から私が捕まえようなんて思っていなかったぞ。お前がずっと追いかけてくるのがわかったから、あいつの足を止めさえすれば捕まえてくれると思ったんだ」
「へぇ」
冷静な子だ、と思った後、杉元は目を見張る。改めて見返した少女は、深い青い目をしていた。彼女はその視線に気付き、手を差し出す。握手しようと言うのだ。
「アシㇼパだ」
「…あんたの名前か?」
「和名はあるけど、アイヌ語名で呼ばれる方が好きなんだ」
「…杉元佐一だ」
杉元はアシㇼパの手を握り返して笑った。
その手を握った時、もう一人の自分が「やっと見つけた」と安堵したのを感じたのだった。
***
警察に男を引き渡した後は、杉元とアシㇼパ、突き飛ばされた少女は長い事情聴取を受けた。男は最近この辺りで問題を起こしていた、いわゆる「ぶつかりおじさん」で、女性ばかりを狙った犯行を繰り返していたらしい。それで周囲の通報も早かったのだ。
杉元が警察署から出た時には、すっかり日が暮れていた。驚いたのは、アシㇼパが警察署の前で杉元を待っていたことだ。黄色地に赤いラインの入ったマフラーをたっぷりと首に巻いて、白い息を吐きながら彼女が言う。
「遅かったな」
「まあ、色々とね…」
顔に傷を負ってからというもの、職務質問を受けることが格段に多くなった。稀にアイスホッケー選手としての杉元を知る者がいてことなきを得る事もあるが、今回事情聴取を担当した警察官の中にはアイスホッケーファンはいなかった。
「連れの女の子は大丈夫だった?」
「ああ、エノノカはお祖父さんが心配して迎えに来たんだ」
「一緒に帰っても良かったのに…俺を待っててくれたの?」
「ああ」
「どうして?」
「どうしてかな…そうしないと後悔する気がしたんだ」
「後悔…」
「うん。このマフラーを店で見つけた時と一緒だ。逃したら絶対後で後悔するって思ったんだ。何があるわけではないけど、そう直感したものは逃さないようにしている」
杉元にはそれを特別な意味があることのように感じた。自分も先程同じようなことを思った。あれは直感だったのだ。「やっと見つけた」と。
「俺にもそういうの覚えがあるよ」
「…そうか」
白い息に埋もれた彼女は嬉しそうに笑った。
「ずいぶん遅くなっちゃったけど、お家の人心配してるんじゃない?明日学校大丈夫?」
「家には連絡してあるから心配ない。学校はもう、三年は短縮授業だ」
「じゃあ、アシㇼパさんは今年高校卒業?」
「ああ」
お互いに去り難く、何か他にないかと話題を探した。するとちょうどよく杉元の腹が鳴る。つられるようにアシㇼパの腹も元気良く鳴いた。まるで腹の虫で会話しているようで、ふたりして吹き出した。
「うちに来ないか?フチが…祖母が食事を作って待っててくれてるんだ」
「ありがたいけど、急に行ったら困らせちゃわない?」
「大丈夫だ。さっき家に電話した時、大食いそうなのを一人連れて行くかもしれないと言っておいたから」
それは別な意味で大丈夫だろうかと思った。だが、空腹はそろそろ限界だし、懐事情も考えると食事の誘いはありがたかった。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「ああ」
アシㇼパはニカッと笑って杉元を先導した。彼女の家はここから歩いてすぐらしい。駅を挟んで反対側に住む杉元とは生活圏が近いことを話すと、マフラーを翻しながら振り返って嬉しそうに笑った。杉元も何がそんなに嬉しいのだろうと思いながらも、嬉しくて、懐かしいような、笑い出したいような、不思議と寛いだ気持ちだった。今日会ったばかりのずいぶん年下の女の子相手におかしな話だ。アシㇼパは横に並んで歩きながら杉元を見上げる。
「杉元は今日は休みだったんだろ?悪かったな、休日を台無しにしてしまって」
杉元は苦笑いしながら首を振る。休暇は元々台無しだったのだ。
「どうせひとりで暇してたんだ。人助けになって良かったよ。こうして夕飯をご馳走になろうとしてるところだしね。最近切り詰めてたから正直言ってありがたい」
「切り詰めて?」
「あー…俺一応アイスホッケーやってるんだけど、その稼ぎだけじゃ食っていけなくてさ。それでバイトしてたんだけど、この傷のおかげでクビになったばっかりってわけ」
「その傷は?」
「試合で相手選手のブレードがかすってぱっくり」
アシㇼパは痛そうに顔を歪めた。その表情は華の女子高校生がやるには少し高度だった。
「普通こんな傷があれば夕飯に招こうなんて思わないよ」
「私は人を見る目はあるつもりだ」
すんなり出てきたその言葉に杉元の胸はジンと鳴る。
「私の祖母もな」
アシㇼパは一軒の家に入って行く。
「フチ、ただいま。話してた大食いそうな奴、連れて来たぞ」
「こ、こんばんは」
アシㇼパの祖母は杉元を見るなり、「いらっしゃい」と「作った甲斐がありそうだ」と笑顔をくれた。