夢でも現でも リニア鉄道館の裏口の軒先からぼんやりと雨を眺める。裏口は明かりも少なくて、エントランスに比べてしまえば寂しくて薄暗い。
少し煙った濃鼠の空からシトシトと滴り落ちてくる細い糸のような雨はもう2度と止まない気がしてしまう。
目の前で電燈が、チカチカと音を立てて灯るのを見て、なんだか不思議な気持ちになっていた。シンじゃないけれど、どこか本当の世界とは違う異界に迷い込んでしまっている可能性を思って、僕は少しだけ不安になる。
「シマカゼ」
自動ドアが開き、リュウジさんが僕の後ろに立ったことに気が付いてピクリとする。
「待たせた。」
リュウジさんと僕は裏口で待ち合わせをしていた。
研究所にいる時に雨が降ってきたので、リュウジさんが車で送ってくれるというのだ。
関係者専用の駐車場では、リュウジさんの白いSUV車が雨を受けてコツコツという微かな音を立てている。
「いえ」
そう小さく否定して後ろを振り向けば、リュウジさんが思ったより近くてドキリとする。
「……」
リュウジさんにじっと見つめられて、たじろいでしまう。
「行こうか。」
そう言って僕の背中に軽く触れた手が離れていく。肩甲骨の間に触れた手の感触を反芻する。
なんの躊躇もなく蝙蝠傘を開いて雨の中へと歩みを進めたリュウジさんは、僕が一緒の傘に入ってこないことを不審に思ったのか振り返ってこっちを見る。
この人と僕は付き合っている。
その事実に改めて心臓がざらりとした何かに締め付けられて苦しい。
夢か現か分からなくて僕は雨の中に踏み出せないでいる。そこは、僕が足を踏み入れても消えない世界なんだろうか?
「どうした?」
そう言って少し戻ってきたリュウジさんの顔は、電燈の光を後ろから受けてよく見えなくて怖い。
衝動的に僕は傘の柄を持つリュウジさんの手に手を重ねて引っ張り寄せる。暖かい。外にいて冷えていた僕の手よりも暖かくて、指の節がわかる綺麗な手だ。
驚いたようなリュウジさんの瞳を見つめる。薄暗い中でも、リュウジさんの深い海みたいな瞳の中に強い黄色の熱が爆ぜるのを見つけて僕の体温は上がる。
あぁ、良かった、僕の好きな熱の色だ。そう思えば一気に何かが僕の中から波のように溢れ出す。
僕はリュウジさんの傘の中に一歩足を踏み入れる。パラパラという傘に当たる雨音を2人で共有する。
夢でも現実でもどちらでもいい、この人は今僕のものなのだ。
自然にリュウジさんの上着をぎゅっと掴んでもっと身体を寄せる。
そのまま少し爪先立ちになって、顔を近づけて自分から唇を重ねる。少し薄くて、湿った、柔らかい唇。
もっと欲しくなって、幾度となく柔らかく噛むように唇を合わせれば、リュウジさんも答えるように噛みついてきて、2人してその感覚に溺れていく。
しばらくして至近距離で視線が合えば、途端に我に帰って恥ずかしくなる。こんな所で僕はなんて大胆なことをしているんだろう。
「す、すみません!」
そう言って顔を伏せる。顔が熱くなるのが分かる。唇にはさっき交わしたキスの余韻が残ってふわふわしている。
「いや、嬉しい。」
その発言にリュウジさんをハッと見上げれば、リュウジさんの眦が少し赤いようなのを見つける。
「帰るぞ。」
リュウジさんは、雨に濡れないよう、僕の肩を軽く抱き寄せて車に向かって歩き始める。
今リュウジさんとこの傘の下の雨音を共有していることが嬉しくなる。
車の助手席に座ってシートベルトをしていれば、傘を畳んでリュウジさんが運転席に乗り込んでくる。
自分のシートベルトをしながらリュウジさんがこちらを向いて尋ねてくる。
「今日は少し遅くなってもいいか?」
「……!!」
その発言にあからさまに動揺して身体を固まらせる。
その少し遅くなる理由、を一瞬で想像して期待して、熱くなって心臓が鳴る。
「……は、い…」
掠れた声で返事をする。
「っは、シマカゼはかわいいな。」
僕のあからさまな動揺を見て、リュウジさんが小さく笑って表情を緩める。少し照れているような、困っているような、普段あまり見ることのできない複雑な表情をしている。僕は、
「からかわないでください。」
と、なんとか言う。
リュウジさんの左手が僕の右手を包むように握ってくる。ゾワゾワと背中を這い上がる昂りにリュウジさんを見つめれば、僕を見ているリュウジさんの瞳にも焦りのようなものを見つける。
僕はこの行き場がないような気がしていた欲を持っているのが自分だけじゃないことに、ジリジリと焦げつきそうになる。
隣にいることに不安を覚えて自信がなくなることがあったとしても、この人の隣に居られるこの一瞬を、欲でも何でも良い、何かが通じ合うその瞬間を、僕は大事にしていきたいと思うのだ。