頬張り上手なネズミ 仕事を終え、身を清め、来る夜の時間。それも恋人と同じ一室、二人きりともなれば自ずと展開は限られてくる。
アルハイゼンとセノは紆余曲折(細かく説明すると五十ページ近い論文になる為今回は割愛する)あった末に晴れてお付き合いを始めたばかりの、いわゆる出来立てカップルというやつだ。人間の恋愛感情は最初の三ヶ月がピークと言われているが、五ヶ月経過した現在でも仲睦まじい関係を築いている(と、アルハイゼンは認識している。セノからは直接感想を聞いたわけではないので推測の域を出ない)。
十日前には念願の性交渉も果たした。互いに同性での行為は(さらに言えばセノは行為自体が)初めての事だったため八十ページほどの論文に収まるか悩ましいあれこれがあったが、実に満ち足りた時間だったと記憶している。セノも普段は変化が乏しい表情を緩め、幸せそうに微笑んでいた(尚、直接感想を聞いたわけではないので以下略)。
さて、そんな恋人と二人きりの今――アルハイゼンは目の前でユラユラと揺れ動く白鉄色の髪を視線で追っていた。セノはそんな背後のアルハイゼンを気にした様子もなく、砂漠の容赦ない太陽光を浴びてなお美しい髪をブンブンと振り回しながら柔軟に勤しんでいる。
「……セノ、発言の許可を」
「許可も何も、別に禁じているわけではないから自由だが?」
「そうか、では問わせてもらうが……何をしている」
頭の中では既に「柔軟だ」と返してくるセノの姿がありありと想像できたが、形式美として聞いておかねばなるまい。当然のように返ってきた「柔軟だ」という声にうん、と小さく頷いてからアルハイゼンはベッドに腰を掛けた。
「君が行っている動作が柔軟体操の一部であることは分かっている。俺が求めているのはそれをする理由または意味だ」
「……理由と意味は同じじゃないか?」
「全く違う。理由は物事の結果がそうなる必要性を指し、意味は何故その行動をするのかという目的を指す。君が柔軟を行うに至った思考を教えてほしい」
「お前は変なところで妙なひねくれ方をするな」
腰に手を当ててぐりぐりと上半身を捻っていた大マハマトラは呆れたように肩を落とすと、それまで続けていた体操をやめてアルハイゼンの隣にぽすんと座った。これは彼なりの『許可』だ。少し身を捩るだけで服が触れ合うような距離は、そっくりそのまま彼に許されているという安堵を視覚的に感じることができる。言葉に纏めるとまるで猛獣に対する扱いだが、当たらずとも遠からずなので撤回する必要はないだろう。
「アルハイゼン、一つ確認をしておきたいのだが」
「なんだ」
「……お前が、その、湯汲から上がってからずっと……勃っていることについて自覚はあるのか…?」
「何を今更」
本当に今更の話題だった。何しろ風呂を出てアルハイゼンの自室に二人で入ってから、既に三十分は経過している。冷静に考えれば三十分間ひたすら柔軟するセノを勃起したまま見つめ続けていたことになるが、特別問題性は感じなかったため話題に出さなかっただけだ。必要であればいくらでも論戦を繰り広げるが、無意味な事柄には口を開く労力すら惜しい。そんなアルハイゼンの気質を、彼もよく理解しているものだと思っていたが。
「その、疲れないか?」
「生理現象だからな。疲労感はない」
「そうか……いや、そうではなくて」
セノは珍しく口籠ると、小さな尻を数回左右に揺らして座り方を整える。その仕草を見るに、今夜は準備済みのようだ。前回はアルハイゼン手ずから二時間ほどかけて慣らしたのだが、お気に召さなかったのだろうか。前戯の技術に改善の余地有り、と心のメモ帳に書き記してからセノに向き合った。勃起状態のまま。
「アルハイゼン、その……前回体を繋げた時のことを覚えているか」
「忘れるわけがないだろう」
疑わしいならばこの場であの時のやり取りを諳んじようか、と言えば焦ったようにセノが頭を振る。ほんのりと朱が差したチョコレート色の頬を撫でて止めれば、ぎくりと肩が強張った。恋人に触れられてなんだその様子は。やはり一度今の関係性や性行為時の感想を求めるべきだろうか。
「何か問題でも? 記憶している限りでは手順通り行い、君も俺も二度射精した。君も腰を痙攣させながら気持ち良さそうに身を捩っていたものだから快楽を得られていると認識したが、もし」
「待て待て待て、アルハイゼン! 待て! 一度その口を閉じろ!!」
「…………」
顔を真っ赤にして慌てているセノを見下ろし、無言で彼の言葉を待つ。普段はあまりお目にかかれない小さな旋毛をじぃっと眺めていると、彼は深呼吸を繰り返してからゆっくりと視線を上げた。
「確かにお前の言うとおりだ。俺は間違いなく快感を得ていたし、行為自体に問題は無かった。ただ、少しだけ困ったことが」
「続けてくれ」
「……あの後、俺の業務に支障が発生した。非常に忌々しく、無力で、歯痒い時間だった」
「そんな事もあったな」
なんの事はない。アルハイゼンのアルハイゼンが少々、幾ばくか、まあまあ平均よりも大きいこともあってかセノの腰が機能しなくなったのだ。
反省点を挙げるならば性行為の時間とアフターケアの至らなさか。だからこそ今回は万全の準備を整えてきている。
「安心してほしい、セノ。今回は大丈夫だ。明日は共に休みを取っているから何も心配することはない。前回の二倍、三倍の時間をかけて君の腰が完全に砕けるまで愛すると誓おう」
「そうじゃない!! そういう事じゃなくてだな!」
「ではどういう事だ」
セノは何度か言い淀むと、視線をうろうろと彷徨わせ、意を決したように目を合わせて言った。
「何事にも限界というものは存在する。やればできる、という精神論だけでは実現しない事象もある。お前も学者の端くれなら分かるだろう。ネズミがどんなに口を広げたとしても、砲台を頬張ることはできない。仮に出来たとしても身を割く行為であることは実験せずとも分かる」
「自分をネズミに例えるような過小評価、君らしくもない。リス…兎……キノコン、キノコンくらいは広がる」
「キノコンの口を見たことがあるのか?!」
閑話休題。とにもかくにもセノの話を要約すれば何のことはない、自分にかかる負荷を軽減したいからアルハイゼンのアルハイゼンを全て収めるな、という話だ。
勿論、アルハイゼンとしても想い人が苦しむ姿は見たくないし困らせたい訳ではない。別に、常日頃ワーカーホリック気味で飛び回っているセノを自分のもとに置いておける良いきっかけだなんて思ってもいない。考えたこともない。
しかし、だ。
アルハイゼンは聖人ではない。愛しい人のあられも無い姿を前にして、興奮を抑えるつもりは毛頭ない。出来るか出来ないか、ではなくするつもりが無い。そしてセノもそんなアルハイゼンの性欲を(主に視覚情報から)よく理解しているのだろう。だから、こうして遠回しに釘を刺すような言い方をしている。
「一つ訂正したい。そもそも一度は入ったんだ、非現実的事象のような扱いはやめてくれ」
「物事の論点をずらすな。単純な可能か不可能かではなく『俺の心身にダメージを与えず遂行しろ』、だ。あの行為を繰り返していたら確実に俺の下半身は壊れる。いいか、比喩じゃないぞ。糞尿を撒き散らす大マハマトラなんて笑い話にもならない」
「個人的な要望を言えば興味がある」
「やめろ好奇心を持つな。……嘘だよな? アルハイゼン、ジョークだと言ってくれ」
「学者として確証のないことは断言できない」
「しろ!!」
アルハイゼンより小さな、しかし武器を握り慣れているセノの拳がベッドシーツを何度も叩く。外見に見合わず大人らしい言動を徹する彼が、こうして感情を露わにする様は非常に好ましく感じる。同時に、そんな彼が快楽に溺れる姿が見たいと思うのだからアルハイゼンの思考回路も大分拗れていた。
そう、アルハイゼンはセノの乱れた姿が見たい。そしてセノは行為中は気が付いていないだろうが、奥の奥をぐっと押し込んでやると、一等快楽に溺れきった顔をこちらに向けるのだ。
セノの手首を掴み、そのまま彼の体を引き寄せて膝の上に座らせる。ぎゅっと強く抱きしめると抗議するように背中を叩かれたが、それを無視して彼の耳元へ唇を寄せた。
ちゅ、とわざと音を立ててキスをする。びくりと跳ねる肩を宥めるように撫でて、もう一度、今度は舌を差し入れながら。ぬちゃりと粘着質な音が響いて、セノの体がまた震える。
彼の体液を味わうように舐めて、吸って、時折甘噛みをして。それだけで彼の瞳には情欲の色が強く浮かぶ。その証拠に、先程までシーツを殴っていたセノの手はアルハイゼンの服を掴んで離さない。
この瞬間の彼の表情がアルハイゼンは一番好きだった。普段の理知的な面影はなく、ただ快楽を求めるだけの獣のようで。
五ヶ月の成果である。セノはアルハイゼンの恋人で、興奮対象で、五ヶ月かけて大事に大事に開発してきた成果物なのだ。
「セノ、俺は君と繋がりたい」
「だから行為自体を禁じたわけじゃないと」
「行動制限が不服なら、喜んで足になろう」
セノの腰に手を当て、ぐいっと下に引っ張る。突然のことにバランスを崩したセノはアルハイゼンの首筋に顔を埋め、小さく悲鳴を上げた。丁度、アルハイゼンの勃起したペニスの真上に尻が乗っている状態だ。慌てて立ち上がろうとするが、既にアルハイゼンの腕が彼の太腿を抱え込んでいるためそれも叶わない。焦る声を聞き流しながら、ゆっくりと腰を押し付ける。熱く脈打つソレを感じ取ったのか、セノは目を見開いて首を横に振った。
「なんでさらに大きくなっているんだ?! おい、話を」
「セノ」
君は俺を受け入れてくれるだろう?
そう囁きながら露出した腹をゆっくりと摩れば、セノの茹りきった顔を汗が流れる。それから再度暫く視線を彷徨わせた後、彼は諦めたかのように溜息を吐いた。
「……お前のそういうところ、本当に嫌いだ……」
「そうか」
ならば好きになってくれるまで、愛さなくてはいけないな。
頭の中で今後五ヶ月先までのプランを検討しつつ、アルハイゼンは目の前の首筋へと歯を立てた。