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    inaeta108

    @inaeta108 イオ の物置です

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    たりないふたり4

    #キラ白
    cyraWhite

    初夏は免疫細胞にとって良い季節だ。乾燥や寒さから脱し、暑すぎることもなく、少し世界が平和になる。
    だからこの時期は種族を跨いでの慰労会が開かれることがあった。とはいえ24時間体制の免疫システムである。特に決まった非番のない好中球などは入れ替わり立ち替わり、パトロールついでに顔を出す程度だが。それでも今日は雑菌の侵入も落ち着いているらしい。白い制服は常よりも多かった。
    天井が高く、開放的な雰囲気の会場はその大半が黒色の集団で占められていた。テーブルや椅子が運び込まれ、飾り付けられたリンパ管内の集会場はちょっとしたパーティー会場へと姿を変えていた。こういった機会の音頭を取るのは大抵がキラーT細胞軍で、参加率が最も高いのもキラーT細胞軍である。軍隊式集団行動を旨としている彼らに、こういった行事への拒否権は基本的に存在しない。御多分に洩れず、咽頭班班長も班員たちと共にテーブルを囲んでいた。

    「面倒くせえ。ンな暇あったら筋トレしてえ」
    「まぁそう言わずに。訓練ばかりじゃ皆死んじまいますって。偶には気も鬱憤も晴らさないと」
    実の所あまり大勢の席を好まないキラーTは些か不機嫌だった。隣に座る副班長にだけ聞こえる声量で愚痴をこぼす。酔っ払って昔のことを揶揄する胸腺学校時代の同級生だとか、そんな面倒ごとより体鍛えてた方がいいとは本人の弁だ。今日はいけすかない上司から顔を出すようにと厳命を受けて渋々座っている。

    出席を渋るのにはもう一つ訳があった。
    視界の端に映ったのは仲間と笑い合うあの好中球の姿だった。あちらもあちらで、このような席に顔を出すのは珍しいと言えた。
    キラーTはそっと息を吐いた。
    あいつには気のおけない仲間がいて、自分にも大事な班員が、いけすかない上司兼同期がいる。たまに共闘して、たまに偶然会って、挨拶を交わす。それでいいんだ。
    黄金の瞳が憂いを帯びる。ああ、それでも。
    日に焼けた手がより強い酒精を求めてテーブルの上を彷徨った。

    探し求めたものはすぐに見つかった。というより向こうから登場した。黒縁眼鏡の上司とともに、であるが。
    「何やってんだ、馬鹿」
    いつになくぞんざいな口調と共にヘルパーT司令はふんと鼻で笑うと殊更ゆっくりと右手のボトルを傾けた。グラスが琥珀色の液体で満たされる。
    ボトルの持ち主はそのままするりと向かいに座った。行儀悪く肘をつき、わざとらしいため息をひとつ。
    「……そんなうだうだしているのは全くらしくないというかキミらしいというか。全く面倒くさい。馬鹿にも程がある」
    「何の話だよ司令官殿。別に俺が珍しく落ち込んでようが関係ないだろーが」
    「関係大アリだよ馬鹿。免疫細胞はストレスに弱いのなんてキミでも知ってるでしょ? ケアとサポートは仕事の一部なんだよ面倒だけど!」
    「…何の話だ」
    「何って今自分でも言ったじゃないか、落ち込んでるって。そんなのは君みたいな馬鹿には100年早いーー何、飲まないの?せっかく僕が手ずから注いでやったのに」
    “司令”にそう言われては拒めるはずもない。キラーTは琥珀色の液体で満たされたグラスを勢い良くあおった。すかさず次の杯が注がれる。
    「まァ何にせよ」
    ヘルパーT司令はつい、と眼鏡を持ち上げた。
    「お前は相変わらず、大事なとこで目をつぶる癖が抜けてないんだよ」


    幾許かの時間が過ぎた。宴もたけなわと言うやつである。広い卓上には口の空いた瓶がごろごろと転がっている。班員たちは心配を顔に貼り付けて成り行きを見守っていた。その視線を一身に受ける咽頭班班長は精悍な顔を赤く染め、勧められるままに杯を煽っている。だがその頑健な代謝機能にも限界が訪れたようだ。逞しい腕がテーブルに音を立てて着地する。そして収まりの悪い金糸に彩られた頭部も、今にも後を追いそうにゆらゆらと揺れていた。口唇からは深い深いため息がひとつ。
    「あーあ。筋肉馬鹿に付き合ってたら随分飲みすぎちゃった〜制御性Tさーん、紅茶ある〜?」
    キラーTを酩酊の深い淵に叩き落とした司令はふにゃふにゃとした動きのまま器用に伸びをした。そうしてそのまま、流れるような動きでウイスキーの瓶に至極柔らかい掌底を繰り出す。瓶は慣性の法則に従ってゆっくりとその身を横たえた。開いたままの口からとくとくと溢れる琥珀色の液体がテーブルに湖を作り出す。拳の持ち主はそれには一瞥も与えることなく立ち上がった。

    「きみたちはさ、もう少し言葉にすることを覚えるといいよ。馬鹿なりに」

    そう言って金糸のはみ出す黒い帽子にトン、と触れる。その手つきはひどく優しくーー言うなれば友情に満ちていた。酒精により霞をかけられたキラーTの脳内に言葉が響いた時には、湖はその領土をどんどんと広げていた。小麦色の腕が、黒の制服が侵食される。気づいた班員たちがあわあわと卓上の皿を退け始めるが、何しろ酔っ払いばかりである。その動きはひどく見当外れだった。
    その騒ぎは、幾分離れたテーブルで仲間達と滅多にない機会を楽しんでいる好中球の目にも入った。慌てる班員たちの中心で頭を振る、その動きがひどく覚束ないのを見てとった好中球は手元のおしぼりをかき集めて駆け出した。
    「だ、大丈夫か?」
    声と共に服に滴る酒精を堰き止め、卓上をざっと拭き取る。次に制服におしぼりを押し当てて少しでも水分を吸い取ろうと試みる。強いアルコールの香りが鼻についた。
    「ずいぶん濡れてしまったな」
    そう告げてみるものの、黄金の瞳は茫とこちらをみるばかりだった。
    さて、どうしたものか。
    好中球が首を傾げた時だった。背後から至極冷静な声が響いた。
    「だいぶん酔っ払っちゃったみたいだからさ、頭冷やしに連れて行ってやってよ。出て左のグラウンドにシャワーもあるし」
    有無を言わさぬ声音だった。声の主は場違いな紅茶のカップを片手に典雅に微笑んでいる。班員たちは固唾を呑んで成り行きを見守っていたが、特に異論のない好中球はあっさりと頷いた。基本的に世話焼きな性質である。
    面倒かけるね、との形ばかりの礼に会釈を返すと好中球はキラーTの腕を支えて歩きだす。幸いにも最低限の歩行機能は残っているようだった。


    夜間照明が無人のグラウンドを照らしている。そこは静寂に満ちていた。キラーTはふわふわと浮遊する意識を必死でかき集めるべく無言の格闘に励んでいた。眼前で繰り広げられた経緯は無論覚えている。目線の少し下、ごく近くに見える頬はあの時と変わらずどこまでも白かった。
    好中球が辺りを見回す。キラーTは泥のように重い腕を叱咤してシャワーの併設された水道を指し示した。訓練中にぶっ倒れた班員に水を掛けたり飲ませたりするための簡素だが使い慣れた設備だ。
    「ああ、あそこか」
    好中球はぽつりと呟くとゆっくりと足を踏み出した。無様な酔っ払いを気遣うその動きは、どこまでも丁寧だった。

    目的地まであと三歩、というところだった。
    ピンポーン!!
    突然、間抜けな警報音が静寂を切り裂いた。緊張が走り、殺気が全身を駆け巡る。酩酊を力づくでかなぐり捨てたキラーTが拳を構えようとした時、好中球が全速力で走り出した。キラーTの腕を持ったまま。
    「な、ちょ、ちょっと待て! てかせめて手離せよ!!」
    必死の叫びは鳴り止まない警報音にかき消された。

    そこにいたのは一体の肺炎球菌だった。今まさに壁に足を掛けリンパ管に侵入せんとしている。好中球はキラーTを伴って壁を一気に駆け上がった。胃と頭と酔いを一度に攪拌されたキラーTは思わず低く呻いたが、それは好中球の動きには影響をもたらさなかった。
    仄暗い通りに白刃が煌めく。急所を的確に捉える動きはいつ見ても見事だ。一瞬の間を置いて赤黒い血が、体液が噴き出す。好中球の白い制服が、僅かに見える肌が赤黒く染まった。
    警報音が鳴り止み、レセプターが折り畳まれる。どうやら迷い込んできた菌は一体だけだったようだ。好中球はふう、と息をついた。頬についた血を制服の袖で雑に拭う。そしてゆっくりと辺りを見回しーー黒い瞳はぴたりと止まった。キラーTの日に焼けた肌が、黒い制服が赤く染まっているのは、決して酔いのせいだけではなかった。
    「す、すまないキラーT!」
    「……いや、とりあえず、洗おうぜ」
    元はと言えば酔い潰れた自分が悪いのだ。キラーTはため息をついた。


    グラウンドの屋外シャワーには血汚れを落とす設備はない。好中球が指し示したのはほんの十歩ほど歩いた場所にある専用の洗い場だった。

    慣れた手つきでコックを捻ると簡素なホースの先からはザアザアと水が噴き出した。
    冷たい。キラーTの背がぶるりと震えた。
    しかし好中球は眉一つ動かさない。先ずは頭、そして肩。黒い制服はみるみるうちに濡れそぼっていった。赤黒い水が足元を流れる。あらかた濡らすと今度は洗剤を泡立て、備え付けのブラシで擦る。手つきは意外と雑である。硬いブラシがざくざくと皮膚を刺した。
    キラーTの汚れを落とし終わった好中球は次に自分の制服を白に戻す作業に入る。石造りの洗い場に水音だけが響いていた。
    最後の仕上げとばかりに頭から水をかぶった好中球はふうと息を吐いた。それから袖口やら髪やらを絞り、水滴が滴らない事を確認すると満足したように使った道具を片付けに立ち上がった。
    キラーTの指先は赤く、痛いほどに冷たくなっている。

    戻ってきた好中球の手には二つの紙コップが握られていた。
    いや、そこはタオルだろ。
    舌の先まで出掛かった言葉をごくりと飲み込む。左手に安っぽい使い捨てコップが渡された。まだ湯気が立っている。
    キラーTは洗い場をぐるりと見回した。開放感ある広い通路、の片隅にひっそりとそれはある。蛇口とホースと石鹸とブラシ。備品といえばそれだけだ。そう広くないスペースは少し斜めになっているから水が通路に溢れる心配はない。洗い終わった水はさらに一段下にある水路に静かに流れていく。煉瓦だか石だかを組み合わせて作った好中球型のモニュメントがひっそりとその使用者を主張していた。
    気にしなければ目にも留まらないような小さな空間。彼らはいつもこんなところで、密やかに身を清め汚れを落とし、また働くのだ。死ぬまで。


    思えば、彼らについて知っていることなど碌にない。司令の科白がふわりと脳裏に浮上する。キラーTは紙コップの縁をじっと見て、それから視線を足元に落とした。そうして息を大きく吸い込んで、ふうと吐き出す。
    ーーもう少し言葉にすれば。
    ……何を?
    今、一番言うべきことは、言いたいことは一体何だ?
    頭が煮えそうだ。キラーTは帽子を取って髪を乱雑にかき混ぜた。
    ふ、と視線を感じて顔を上げると黒い瞳と目が合った。それは、吸い込まれそうな深い色をしている。キラーTはたまらず口を開いた。

    「言いたいことがあるなら言えよ」
    「……じゃあ、ちょっといいか?」

    空気がすうと冷える気がした。
    真剣な表情だった。殺し屋に似つかわしい沈鬱なそれは彼の蒼白い肌に一際似合っている。
    なんだよ。やっぱり怒ってるのか。ああでも、いっそ詰って怒ってくれた方が良い。それでやっとスタートラインだ。そうして最初からやり直して、何としても、諦めない。
    心の中の臆病なキラーTを厳重に閉じ込める。
    キラーTの脳裏に、不意に若き日のヘルパーT司令に叩き込まれた右ストレートが蘇った。こんなグダグダしちまうくらいなら、一発、気合入れに丁度いい。なんて。
    腹を括ったキラーTは濃金の睫毛に彩られた目を伏せた。衝撃に備えて奥歯を噛み締める。


    予想したものはいつまでたっても訪れなかった。
    代わりに、額のあたりをふわりとした感触が包む。
    なんだこれ。
    混乱したキラーTが恐るおそる目を開けると、そこにあったのは白い手の甲と、その向こうに見えるどこまでも黒い瞳だった。

    「……何だよ?」
    「乾くとくるくる巻いてくるんだな。ふわふわしていて面白いと思って。……あ、もしかして嫌だったか!? すまない!!」

    脱力。その言葉がぴったりだった。声を絞り出せたのは正に奇跡だ。
    「殴るとかじゃねーのかよ」
    「? なんでだ?」
    「なんでって、そんなことも説明しねーとわかんねえのかよッたくマジでお前はほのぼの球だな!……俺はお前を殴ったろうが。やり返す、とかないのかよ」
    「ああ、そんなことか。別に気にしていないぞ」
    「ーーーーッ」
    裏も何もない平坦な声だった。きょとんとした顔はやはり存外幼く見える。じくりと胸が痛んだ。苛々が、煮える腑が、沸る声が止まらなかった。それらは奔流となって溢れ出した。
    「俺のことなんか、気になんねーのかよ!」
    それにすら値しないのか。閉じ込めたはずの暗い思考が顔を覗かせる。


    「ーー俺は、お前を怒らせてばかりだな」
    ところが、好中球はそう言って微笑んだ。それはいつか見た笑顔よりもずっとぎこちない、出来の悪い笑みだった。途端に心の中の極めて臆病なキラーTが暴れ出し、口を、喉を、表情を支配した。暴走と言ってもいい。


    「好きだ」
    誰かが言った。あろうことかそれはキラーTの声をしていた。好中球がぽかりと口を開けるのが視界の端に映った。薄紅い舌がちろりと覗いている。
    「怒れよ」
    またしても誰かが言った。低く震えた、消えてしまいそうな声だった。
    「散々文句つけて絡んで殴っといて何考えてんだとか男型同士だぞありえねえとか、お前なんか嫌いだとか、そう怒って殴れよ」
    「キラーT、」
    「それとも単なる知り合いの俺にはそんな価値もねーってか」
    常に前だけを見据えているはずの黄金の瞳は黒い帽子のつばに隠れ、その表情を伺わせなかった。代わりに鍛え上げられた右腕が白の作業着に包まれた手首を音がしそうなほどに握りしめ、その苛立ちを、動揺を如実に伝えていた。好中球は薄い眉を顰めた。痛い。

    「……そういうつもりはないが」
    絞り出すような声を聞くと厚い口唇はぎりりと歪んだ。力任せに腕が振られる。
    「告ってくる奴を蔑ろになんか出来ねぇってか?お前はいい奴だなんて適当言われたって嬉しくねえんだよ! なんでお前はそうやって誰にでもいい顔してーー」
    「は!? ち、ちょっと落ち着けキラー!!!」


    ふたりは迂闊にも失念していた。ここは洗い場だ。
    バランスを崩した二つの影は派手な飛沫を立てて水路に落下した。


    ーーーーーーーーーー


    「ーー言いたいこと、か」
    好中球はそう呟くと空の紙コップを持つ手に僅かに力を込めた。ペコリ。間の抜けた音が響いた。


    幸いなことに水路はそう深くはなかった。脱出を果たしたふたりは再び洗い場の傍らに並んで立っている。ちゃぷり、ちゃぷり。水路の控えめな水音だけが耳についた。目線の少し下、滑らかな頬は相変わらず白かった。
    「キラーT細胞」
    好中球はそう口を開いた。呼ばれたキラーTはびく、と肩を震わせた。怒りとか色んなものに任せて随分なことを口走ったと言う自覚はある。裁きを待つ亡者の気分とはこの事か。
    「…はナイーブT細胞が活性化してなるんだな」
    続く言葉は意外なものだった。キラーTは思わず首を傾げた。そんなことは常識だ。未熟胸腺細胞でも知っている、自然の摂理というやつだ。

    「この間エフェクターくんの成長を見て驚いたんだ。ナイーブT細胞が活性化する事も、あんなふうに外見が変わるなんて事も、間近でみるのは初めてだったから」
    そう言って好中球は帽子の鍔の端からちらりと目を覗かせた。
    「それで、気づいた。ずっと前にリンパ管の屋上で会ったナイーブT細胞がお前じゃないのかって」
    好中球は僅かばかり言い淀んだ。
    「……もし忘れているんなら、それでもいいんだ。ただ俺と同じように体(せかい)を守りたいって思ってるやつが他にもいるのがーーそう、嬉しかったから」
    好中球はそうして少し緊張したような顔をした。キラーTが好中球の生態をろくに知らないのと同じく、好中球もキラーT細胞のことを知らない。よく考えれば当然の話だ。

    「ーー覚えてたのか」
    ぽとりと声が溢れた。

    ああ、なんてことだ。
    つまりはただ一言、覚えているかとそう問えばよかったわけだ。
    ひとりで勝手に意地を張って、目を瞑って、その言葉を紡げなかったばかりにひどく回り道をしてしまった。
    キラーTは好中球の黒い瞳を真っ直ぐに見つめた。それはじわりと弧を描いていた。

    「随分変わったな。ああでも、髪はそのまんまだ」
    好中球はそう言って笑った。ふわりと柔らかな、キラーTが焦がれた笑みだった。キラーTは息を深く吐きだそうとして、呼吸をすっかり忘れていたことに気づいた。殊更に口唇を引き結んだのは、ともすれば反乱を起こす自律神経を叱咤したかったからだ。意志の力を総動員して言葉を紡ぐ。

    「で、お前は、」

    必要要件すら到底満たしていないごく簡略化された言葉だった。しかしその指し示すところは好中球に通じた様だった。瞳は大きく見開かれ、それからゆっくり右下に動いた。
    断罪の時が訪れる。それでも聞かずには、言わずにはいられなかった。眉間とか眉根だとかに精一杯の力を入れたキラーTの顔は一般細胞なら回れ右で逃げ出す類のものだった。しかし真っ直ぐにこちらに視線を向けた好中球は至極真剣な表情で口を開いた。

    「そうだなーー奇遇だと思った」
    「はァ?」
    凛々しい眉はぐいと歪んだ。意味を測りかねたのだ。

    「俺もキラーTのことが好きな様だから、偶然だなと」
    「…意味わかって言ってんのか?」
    「ああ、NKにも言われたんだがやっぱりそういうことなんだろうなーーあ! 別にお前に迷惑がかかる様なことはな、」

    慌てたような動揺したような見当外れの言葉は途中で止まった。逞しい腕が白い制服を力の限り抱きすくめている。紡ごうとした言葉の続きはすっかり厚い口唇に飲み込まれたようだ。黒い瞳が二、三度瞬き、視線はぎこちなく右側に動いた。ごく間近にあったのは、濃金の睫毛に彩られた瞳だった。白い頬は音がしそうな勢いで朱に染まった。

    「言質は取ったぞこのホノボノ球…!」
    思いが通じた最初の言葉としては最悪の部類だな。心の中の幾分冷静なキラーTがそんな事を宣うが、ふたりには関係のないことのようだった。


    ーーーーーーーーーー


    今は会いたくなかったが、その実何時だって会いたかった。

    存外細やかなキラーTの心中など、相変わらず意にも介さない様子で好中球は姿を現した。彼はそんな風に神経が太いところがある。

    お久しぶりのいつもの時間、いつもの休憩コーナーだ。
    班員達が息を呑む。精一杯押し殺しているのであろうざわめきがグラウンドを包んだ。
    何しろ昨日の客観的状況を考えるに飲み会からそのまましけ込んだわけなのだ。俗にいうお持ち帰りというやつだ。実情は雑菌をぶっ殺して洗い場で茶を飲んでいただけなのだが。信じるものは誰もいないだろう。
    その程度にはキラーTは朝から浮かれているようにみえた。

    休憩コーナーの好中球は軽く伸びをしている。二度、三度、肩を回してそれからするりと自販機の横に立った。
    キラーTはひとつ首を振った。
    何しろ約束を取り付けることすら失念していたのは昨日の自分達自身である。多少の居心地の悪さなど目を瞑るべきものに思えた。

    「おい、オメーら。次の訓練は15時からだ! それまでにその腑抜けた体をちょっとは使いモンになるようにしておけ!」
    大音量がグラウンドに響き渡る。少しばかり頬が赤く、いつもよりも声が少々うわずっていたが、それを指摘する不届きものは班員の中にはいなかった。
    ーー俺が居ちゃ休憩になんねーだろ。
    副班長にだけ聞こえるように態とらしい言い訳をひとつ置いて、キラーTはリンパの壁に向けて大きな一歩を踏み出した。
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