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    kokon_s00s

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    kokon_s00s

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    Cコース (チャプター1)

    covers 1 ふと会いに行こうと思い立ったのは本当に偶然で、もしかしたらそれを運命と呼ぶのかもしれない。


    -1-


    「すみません、予約してないんですが」
    「構いませんよ、どうしまし……律?」
    ノックの後、聞こえた声は思い出のまま。胡散臭い営業用の笑顔。記憶と違うのは、眼鏡をかけていることと、ガラス越しに見える目尻の薄い笑い皺。
    「霊幻さん。…少し相談をしたいんですが。今から1時間くらい空いてますか?」
    「今日はこの後予約無いよ。なんか飲むか?」
    「…コーヒーで」
    「カフェオレな」
    最後に事務所に来たのは5年程前だった気がするが、見回してみても記憶と大きな差異はないようだ。
    グレーのスーツと、山吹色のネクタイ。明るいネクタイが何故か様になるところも、律が疲れた様子だとコーヒーを頼んでもカフェオレにされるところも。

    久々に来る見知った空間に、律は知らず息をついた。世間の騒がしさから切り離しらひとりの「律」を受け入れてくれる気がする。飄々とした顔で近づく霊幻から久しぶり、という言葉は出ず。
    「どう、これ。豆変えたんだけど」
    「豆の違いを聞くならカフェオレじゃなくコーヒーにしてくださいよ」
    「違いないな」
    はは、と笑う霊幻が、律の目の前に置いたカップには、銀河鉄道が描かれている。代理にくる回数が増えたころ、律に与えられたものだ。
    もちろん霊幻がわざわざ用意したわけではない。常連客に貰った折、偶然律がいただけだ。それだけ。まだ事務所にあったことには、驚いた。

    「大学はどうだ?」
    「一応順調です。卒論も早めに手をつけたので大体出来てますし」
    「そっか、まぁ律だしな。バイトは忙しいのか?」
    「インターンに入るので2ヶ月前に辞めました」
    「ふぅん。どんな会社?」
    一度口を閉じた律を、霊幻は促すように眺めた。口篭る秒数が増えれば違う話題に切り替えてくれるだろうが、彼の目が少しの間、律を待っているうちに、律は切り出す覚悟を決めた。
    「…あの、そのことで」
    「うん」
    今日の霊幻は静かだった。数年ぶりに尋ねた律を慮っているのか。ただ体力が無くなったのか。今日の天気が悪いからかもしれないが、律には判断がつかない。
    あるいは最初から、このひとは静かだったのかもしれないが。



    1ヶ月のインターンが終わったのが今日だった。受け入れ体制も雰囲気も悪くない。他の会社の研修と比較すれば、やはり本命のここが1番だろうと思う。ストンと決まるならそれがいいのだろう。兄や両親など周囲は勿論、自分のためにも。
    それなのに、本当にこの選択でいいのかという不安が、ぐるぐると律に付き纏う。悪霊みたいに。
    試験や就活にアドバイスをくれた親しい先輩はいたが、社会人1年、2年目で忙しい。就活に苦しむ同級の友人には言いづらい。1人で頭を痛めることに疲れ、ふと思い浮かんだのは霊幻の姿だった。

    15歳年上の男は、この悩みを否定しない気がして。


    「…そうですね、ありがとうございます」
    霊幻の回答は、別に人生いま決めなきゃいけないわけじゃない、入って合わなきゃ辞めてもいいんだぞ。というものだ。
    適当に答えているようでいて、過度に心配もしない距離感や、実際20代で個人事務所を立ち上げた男の「何とかなる」の説得力(特に根拠は無いが、謎の)に、肩の力が抜ける。
    「就活上手くいかなかったらここでバイトで雇ってください」
    軽口を叩いて、「おう、そうしろ」と予想通りの返事が来れば、律はこの場を後にしてまた暫く霊幻の顔を見なかったはずだ。
    返事に渋る霊幻の様子に、律が首を傾げると、霊幻は、少し眉を下げ、迷ったように1度唇を撫でた。
    「もう少ししたら、閉めようと思ってるんだよな、ここ」
    「…え?」

    タイミング良く、外は雨が降り出した。


    「まだ確定じゃないし、モブには言うなよ。来週は1週間休暇だから、続きの相談があれば再来週以降か、携帯にくれ」
    放たれた言葉に、室内であるのに心臓を濡らされるようだった。 指先が酷く冷たい。降水量を気にしていた霊幻が、振り向いて目を瞬いた。
    「…?大丈夫か、律、顔が青い-…」
    「どうして」
    例えれば子供が親に泣きつくような響きをもって、律は思わず縋るように霊幻を見た。
    「少し疲れたから、休もうかと思ってな~。バカンスだよバカンス」
    取りなすように軽く手を振る霊幻の身体は、よく見れば少し窶れている。律を心配している場合ではないんじゃないだろうか。
    揺れた手を握り、流れのまま額に触れた。熱は、無い。
    「お前の手、温かいな」
    熱は無いが、…こんなに体温が低いひとだっただろうか?
    気持ちよさそうに目を伏せた霊幻に、ますます混乱する。バクバクと不自然に心音が高鳴った。急に彼に触れた自分の行動に、驚いている暇もなない。
    「…体調が、悪いんですか?」
    「だから少し疲れただけだって、身体が資本だからな。一応休暇とるだけだよ」
    「…病院、には」
    「律」
    「病院には行きました? いつからですか?」
    「律、なぁ」

    大丈夫だから、そんな泣きそうな顔するなよ。

    その言葉は、先程の「何とかなる」の100分の1も律を納得させなかった。
    霊とか相談所という場所は、良心価格で(一時期騒がれはしたが)派手に宣伝もしていない。客が1人も来ない日もあったし、毎日多忙を極めない代わりに、あまり積極的に休むこともない。従業員が出来てからは、むしろ芹沢や暗田を休ませるために休みを増やしていたはずだが。

    ---兄が芹沢の転職祝いをすると言っていたのはいつだっただろう。暗田と同時だったから、たしか2年前。
    2年間この人をひとりにしていたのだろうか。
    いや、去年までは兄が就活の合間に顔を出していた、…はずだ。兄の就職先は県内だし、通勤は自宅から。毎日姿を見る律にとっては、あまり環境の変化は無かったけれど。
    「霊幻さん。兄さんと最後に会ったのはいつですか?」
    「いくら俺でも会社勤めのモブを呼び出したりしてないぞ」
    「いつですか」
    語気を強めると霊幻は気まずそうに目を逸らした。まるでイタズラがバレた犬だ。
    「あいつの就職祝いに飲んだのが最後だよ。会ってないが、たまに相談がくる。メッセージだから声は聞いてないが、あいつ元気?」
    思えば、律に会って開口1番「モブは元気か?」と聞かなかったのは、律と兄を繋げるのを避けたのか。相談所を畳むことを、兄に知られたくない後ろめたさから。
    本当に畳むとすれば、芹沢や暗田や兄には一言告げるのだろうか。
    いや、次の仕事が順路に乗ってからやっと、雑談に混ぜて報告しそうだ。心配を丸め込む口車を添えて。誰が止める暇も無く。
    そんな霊幻が他でもない律に口を滑らせたのだから、『疲れている』のは違い無かった。『少し』かは甚だ疑問だが。
    --すぐ取れるような短期的な疲れで、あんたがこんな風になるもんか。
    「兄は元気です」と逸らされないよう、話を早急に畳む。
    「で、病院には行きました?」

    律は霊幻を睨みつけた。は
    霊幻が嘆息し、一瞬室内が光る。
    5秒立って、雷鳴が鳴り響き、外が豪雨に変わった。

    そして、律は息を飲んだ。

    光が収まった瞬間何かのスイッチが切れたようにずるずると椅子にずり落ちていく、霊幻の、見たことのないような、

    生気のない瞳を見て。


    「霊幻、さん」
    「病院には、子供の頃から不定期に行っててな」

    その小さな声が雨音に掻き消えないように、律耳を澄ませながら、椅子に体重を全て預けて沈み込む霊幻の横に移動した。

    「たまになーーー……電池が、切れる」

    そのまま目を閉じてかくりと意識を失った霊幻を慌てて支える。

    また部屋が光り、雷が鳴った。
    先程より近い。

    救急車を呼ぶべきか迷ったが、寝息が聞こえたので、律はその身体を施術室のベッドに寝かせた。ジャケットを脱がせ、ネクタイや襟を緩ませてやる。このままでは寒いだろう。そこにあったタオルと、霊幻の上着、自分のジャケットも脱ぎ身体に掛ける。
    兄に伝えるか迷い、まだ兄の勤務時間であることに気づいてスマホをしまった。あるいは、終業時刻を過ぎていても、連絡出来なかったかもしれない。
    こんな青白い顔をして、輪郭がすっきりと尖り、何もかも手放したように人形のように眠る霊幻を、兄に見せられる気がしなかった。



    インターン最終日だから、同期と打ち上げをしてそのまま泊まるよ。
    誰より兄のLINEを最初に開く癖がある律だが、今日はその名前をタップ出来ず、母からのOKのスタンプを確認して閉じる。
    特にやましい事でもないのに、嘘までついて、何をしているんだろう。
    雷鳴が聞こえなくなっても、雨音は強めに奏でられている。霊幻の寝息は静かすぎて、律は何度か口元に手を翳して呼吸を確かめてしまう。
    こんな、世界に閉じ込められたような夜を、この人は電池切れのまま、ひとり倒れているつもりだったのだろうか。
    さら、と額に触れると、先程よりは体温が上がっている。顔の青白さもいくらかマシになっきた。暖房がついていないから、上着を掛布にしてしまった律の方が冷え始めている。
    「ん、…」
    「霊幻さん、起きられます? ここじゃ寒いですから、移動しませんか」
    こしこし、と未就学児のように瞼をこすり、霊幻がのろのろ起き上がる。
    「うち、帰る…」
    「相談所、あとは施錠だけですか? 売上とかは」
    「金庫の鍵、ドアの鍵も、引き出し」
    「はい」
    金庫から売上袋を取り出し、霊幻のカバンにつめ、戸締りを確認し、霊幻のコートを取りだす。
    一連の動作をぼんやりと眺めていた霊幻に、立てますかと声をかければふらふらと立ち上がった。薄手のコートを着せて、律のコートを上から被せて、手を引こうとする。
    「これはりつのだろ、きてろよ」
    手に触れた瞬間に身を引いたので拒否されたのかと思った。が、霊幻は律のコートを差し出し首を傾げていた。なんで被せられたのか、理解出来ない、という顔だった。
    コートを着た瞬間、思い出したようにぶるりと身体を震わせた律を見て、「いぬみたいだ」と霊幻が口元だけで笑った。


    雨は小降りになっていた。
    初めて入室した霊幻の自宅に律は面食らう。
    あまりに空っぽで、ひどく寒々しい。生活感はあるのだが、人の息遣いを感じない。
    電池切れ、と彼が評したように、本当にアンドロイドかなんかだったらどうしようと、一瞬馬鹿馬鹿しいことが頭を過ぎる。
    律が驚いている横から、洗面所に行き部屋着に着替えてベッドに倒れる霊幻の、慣習的な速度にゾッとする。
    「霊幻さん、夕飯は」
    「……いらね」
    「少し温かいものを食べた方がいいですよ、キッチンのもの借りますね」
    「…ん~」
    生返事を了解と取り、怯えながら開けた冷蔵庫には使いかけの野菜やベーコンが、広すぎるガラガラの棚に転がっていた。実家暮らしでなくともハードルが高そうな食材の少なさ。周りを見回したが、米というか炊飯器すらない。なんだこの家。
    律がキッチンでごそごそ困っていると、霊幻がふらついたまま現れ、律を素通りしてグラスに水を汲み、薬を仰いだ。
    ごくりと動く喉仏を見ていると、霊幻は1度眉間をぐりぐりとこねて、律に振り向く。
    「お前、1.5人前食えるよな?」
    彼がしゃがんで引き出しから取り出したインスタント麺の袋を見て、律はこの男の食生活を悟った。
    「座ってろ」
    「え、いやなんかやります」
    「じゃ、湯沸かして」
    キッチンに体重を預ける霊幻が指示する通り、律はインスタント麺を作り出した。野菜もベーコンも全て入れろというので、「明日の朝食は」と聞けば、「行きでなんか食うか、買ってくるから」というので、言われた通りに全部入れた。どんぶりが1つしかないので、霊幻の分は茶碗で、空いたらよそいたすつもりが断られ、結局1.7人前くらい律の腹に入った。
    「ご馳走です」
    「おう、悪かったな今日は迷惑かけて。帰るか?」
    食器を片付けだす霊幻の言葉は流暢で、目にも光が戻っている。いつも通りの姿にほっとするはずなのに、僅かな寂しさを覚える自分にぎょっとした。
    この様子なら確かに帰っても大丈夫だろう。
    「打ち上げをしてそのまま泊まると伝えてしまったので…」
    しかして、帰る気にはなれなかった。
    「あぁ、インターンだっけ。お疲れさん。酒でもあれば良かったな」
    手伝おうかと台所に着いていったものの、手を出す間もなく、霊幻はさっきまでの鈍い動作が夢だったように、ちゃかちゃかと手早く食器を洗い終えてしまうと、引き出しからタバコを取り出しコンロで火をつける。ふ、と吐き出してから横に立つ律を見て、「あ、すまん」と換気扇のスイッチを入れた。
    「禁煙したんだと思ってました」
    「値上がりしたし昔程じゃねぇけど、まぁ他に使うところも無いしな」
    主に減ったのは交際費だろうかと思うと心臓がギュッとした。
    「1本ください」
    「え、お前吸うの?」
    「初めてですけど」
    「やめとけば、百害あって一利なしだぞ」
    「吸いたいです」
    じゃ、吸えば。霊幻に手渡されたタバコを指に挟むと、どこからかライターを取り出した霊幻が火をつける。
    意外に拒否反応も無く、律の身体はその有害物質を受け入れた。
    善人とも悪人とも区切れない霊幻が、たまに見せる小狡い悪い男の側面。それを見せられる度、目が離せなくなっていたことを不意に思い出した。舌が苦味を訴え、うえ、と唸る律を、わるい男がせせら笑う。
    「不味いだろ」
    「…苦いですね」
    「そんなん分かりきっているのに。面白いなぁ、律は」
    くすくす、このおとこが囁くような笑い方をするのは、初めて見る。ふわふわと非日常の中に烟る思考で、律は。
    「あの、…キスしていいですか」
    「…なんで?」
    「…なんとなく…」
    よく分からない事を口にしていた。
    自分の発言であるのに、他人の言葉のように感じるけれど、「まぁ、いいよ」と了承された途端に律の身体は素早く動いていた。 やっぱり苦いのかなと、その舌を味わう。
    「ん、ふ、」
    鼻から抜けるような霊幻の漏らすこえに、ますますあたまが麻痺、する。
    くん、と力なく腕の服を引っ張られ、ようやく律は口を離した。つ、と透明な糸が切れ、霊幻が大きく酸素を吸う。吐き出された息が、
    「熱っ」
    「わ、大丈夫ですか」
    慌てて煙草の火を消した霊幻の、左手をとって水道へ。
    「火傷したのどこです?」
    濡れる左手を眺める霊幻が冷たい、と引こうとする手首を掴みながら、律はしばらく一緒に手を濡らし続けた。おそらく灰が落ちた箇所を念入りに充てる律を、霊幻がじっと見つめる。ちかいな、と思いながら、ようやく水道を止め、タオルを探した。無い。呆れながらポケットからハンカチを取り出して拭いてやると、霊幻が噴き出した。さすが律、と言いながら、手のひらを丁寧に拭う律を、彼はたのしそうに見つめた。
    そうして、その愉しそうに緩んだ目のまま、
    「今日泊まっていくんだよな、お前いっしょに寝るのか? ベッド、クソ狭いけど」

    あまく告げるわるい男。火傷したのは律の方かもしれないと思った。

    (あの時、お前は手の火傷を気にしてたけど、お前に火傷させられたの、そこじゃなかったよ。と、霊幻が白状したのは、それから1年後だ。)

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