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    Shisu

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    13年後に花の街で一人暮らししているオルトと見守るロロの話。オルト編、ロロ編に分かれます。
    ふたりは腐にならないですが、書いている人の趣味でロロ編はマレロロ仕様になります。
    ※今回はロロとオルトが話すだけです。
    ※過去捏造など、あらゆる捏造あり
    ※肢体不自由表現あり

    2023/01/13_12:17

    (仮)réaction chimiqueロロ編 1.


     花の街には海がない。
     ロロ・フランムはかつて海というものの質感を、かさついた羊皮紙に沁みたインクの文字が綴る世界でのみ知っていた。たくさんの水が湛えられて、そのはての向こうには妖精の国があるということ。行商人からもたらされる塩漬けされた鱈や缶詰の鰯などの加工品でしか知らない魚たちが悠々と泳ぐ、その水の底にも国があるということ。
     背筋に定規でも差し込んでいるかのように正した姿勢で本を読んでいた小さなロロは目を閉じる。孤児院の静かな読書室の窓から夕焼けを介して楓の葉が落とす影は魚影となって部屋の中を廻りゆき、開かれた本の文字はふつりふつりと羊皮紙から浮き上がって、細かな泡の粒になるとレースのように光る帯を作りながら遥かな海面へと昇っていった。小さなロロが坐していた楢材の角椅子は、海底で息絶えて白骨化した巨大な鯨の背骨となっていて、切り株のような丸い断面にいつの間にか腰掛けていた。ロロはイマジネーション力の優れた子どもだった。ロロが目を開くと、読書室は暖かな陽光の届かぬ暗く冷たい海の底に沈んでいた。海の底にあるという煌びやかな国には辿り着けなかったようだ。イマジネーションにはロロの精神状態が色濃く反映されていた。たったひとりの家族を失って日の浅い幼子の心の底には、まだ光は差していなかった。
     それでも、水の中には網膜に焼き付いて離れない責め苦の炎が及んでくることはなく、静かな海の底の闇はどこか優しく小さなロロを包んでいた。
     ふと、その暗く冷たい水の中を一匹のクラゲがふわりと近付いてきた。小さなロロの広げた手ほどの大きさをして半透明で仄かに青い傘をぶわりと広げてはそそとすぼめて、ゆったりと静かに水の流れを己で起こしながら漂う。まるで意志を持ってロロの傍にやって来たかのようだった。
     ロロは小さな手のひらで、そのクラゲを受け留めようとした。
     ジリリリ……。
     大きなサイレンが館内に鳴り響いていた。これは夕餉の合図であり、もう一度サイレンが鳴るまでに大食堂の席に着いていなければ、その回の食事は抜きになる。思い思いに動き回る子どもたちの統率を執る為、孤児院は時間に厳しかった。
     ロロのイマジネーションはぴたりと動きを止めて、ガラスのようにそのまま床へ砕け散った――。

     そんな小さな頃の記憶が何故思い起こされたのかと言えば、きっかけがあった。
     ロロは、その黄金こがね色の動きを、暗い海の底を漂いゆくクラゲが傘を広げたり窄めたりする様に、よく似ていると思ったからだ。

     何か興味関心を惹く対象物があると、そのレアメタルを薄く繊細に重ねた黄金色の絞りは、人間で言えば瞳孔にあたるレンズ部分が露出する面積をぶわりと広げて、対象物の仔細なデータをよくよくメモリに刻もうとする。
     人間は興奮すると交感神経が働き瞳孔を広げる。
     故に一見すると、年端もいかない少年が好奇心に目を輝かせているようにロロには見えた。
     そして、年端もいかずにこの世を去った、かけがえのない己の弟の影を図らずも重ねてしまうと、ロロは人知れず息を詰めた。冷や汗を拭って気付かれないようにそっと目蓋を閉じ、弟の影を両手で抱き締めると心の内へ大切に仕舞い込む。
     次に、己の目蓋を開くとその澄んだ眼球パーツの中にある黄金色の絞りが広がったり窄まったりする様をただ注視して、だんだんと平生を取り戻していくのだった。己の機微の為などで、黄金色の絞りを悲しみで窄めさせたくはなかった。
     その筐体からだはイミテーションの呪いの青い炎の髪をして、顔にあたる部分に人の柔肌のようなパーツを備えながら、必ずどこかを秘匿して「顔」というものの全体が表れないようになっていた。素体はタングステンとベリリウムを用いた世界一硬いと云われる魔法合金を基礎として最新の魔導回路を随所に組み込んだ、どこかいかめしい無機物の強化外装パーツでかたち造られている。
     その造形の内に、亡くした者の影を求めてどうしても追い縋ってしまう両手へと自戒の楔を幾度も打ち込んで血を流す創り手の葛藤を、ロロはおもった。
     創り手たる兄から独立して己の筐体を己の手で創造するようになった今日においても、その戒め――顔の一部を秘匿した意匠――は息づいていた。青い炎の髪をした兄弟が共に背負う戒めは、ふたりだけの絆であるのかも知れなかった。
     「羨ましくない」と言えば心の隅まで見渡した時、その言葉は嘘になる。だが、その眼球パーツに黄金色の絞りを有した、取り戻したい誰かを模した姿だったところで、ロロにとっては花の街の未来ある子どもたちのひとりと相違なかった。
     ロロは眼差しに慈しみをもって、戒めを帯びたあどけない機体を見守っていた。

     その起りが悲劇からであったとしても、オルト・シュラウドは唯一無二の個をいだいて花のような笑顔で此処に在る。その事実が全てだった。


     ソレイユ川の上流から太陽が昇って、南中に程近くなった頃。気候は穏やかだが、鐘楼の壁に当たった風は圧縮されるのでロロのいる鐘撞き堂には強い風が冷たく吹き付けていた。
     エニシダの枝を束ねた箒で鐘撞き堂の床を木目に沿って掃いていると、背後からカタンコトンとした振動が床板を伝うのを感じてロロはゆっくりと振り返った。このぎこちない歩き方はオルトであるとロロは知っていた。
    「よく来たね、オルト」
     オルトの足に備えられた反重力デバイスは度重なるアップデートを経て静音性に優れすぎてしまった為、近付いても気付かれないことが多くなった。対策としてオルトは半径3メートルの範囲内に規定の立方センチメートルを超える有機生命体の反応を感知すると、わざと不快指数の少ないほわほわとした綿のような音で接近通報音を発するようにした。
     しかし、ロロには微かなこの音がわからない。地に足をつけて歩くことを想定していない構造でありながら、ロロへ近付く際に床板を踏み鳴らして振動を起こすことは、オルトのロロへの気遣いだった。
     オルトはロロと目が合うと、黄金色の絞りをクラゲの傘のようにぶわりと広げた。人間は好ましく思う人を前にすると瞳孔が開く。この黄金色の絞りはこの現象を表す為のもので、本当の絞りはさらに奥にあるので実際のカメラ機能には影響しない。オルトは兄とも顔見知りであるロロを好ましい人物リストに掲載していた。目蓋にあたる眼孔シャッターを孤の形にして、顔ににっこりと喜色を浮かべる。そうしてロロの深い夜のような色をした瞳に己の像が結ばれたことを確認すると、ここで反重力デバイスを駆動させ床からふわりと浮き上がった。
     ロロとオルトは連れ立って鐘撞き堂の隅に設けられた小部屋へと移動した。椅子と書物机にベッドなど生活するのに最低限のものだけが備えられた質素な部屋はロロの現在の住まいだった。カレッジの教室で使われなくなったマホガニー材の硬い板張り椅子へロロが腰掛けると、オルトはロロを正面から見据えて黄金色の絞りをぶわりと開き、小さな両手をロロの顎にそっと触れた。
    『こんにちは、鐘撞き係のロロ・フランムさん』
     オルトの手から発せられる振動こえを顎の骨から蝸牛で感じ取り、ロロは目元を緩めて挨拶に応えた。
    「こんにちは」
    『最近身体の調子はどう? ここは高層階だから吹き付ける風が生身の人間には体感温度として寒過ぎるし、周りに人がいないから何かあった時に気づくのが遅くなってしまう。僕としては地上で暮らすことをおすすめしたいんだけど……』
     オルトは世間話のようにロロの身体の調子を訊ねながら、眼前の痩躯を仔細にスキャンしていく。脈拍、呼吸、血圧、体温などのバイタルサインは正常値か。眼底カメラモードに切り替えて目の病気や高血圧、動脈硬化、糖尿病などの内科的な分野も数値を取得する。このスキャンチェックはオルトが己の意志で勝手に録っているもので、ロロには内緒だった。
     何故なら、ロロはいつもこう答えるからだ。
    「君のお陰で身体の調子はいい。それに、私の宿願を忘れたのかね?」
     身体の調子はいい。問題ない。――この一点張りだった。
     オルトにはロロが体調を正直に答えてくれない意味がよく理解出来ない。ロロはストレスにより交感神経が優位気味になっている為に、呼吸が浅く慢性的な睡眠障害と偏頭痛と胃弱、そして下肢に不自由を抱えている。
     数年前、ロロは大怪我を負い片脚を失った。義肢を造るにあたり名乗りをあげたのが、表現者として花の街に仮住まいをしていたオルトだった。オルトは己の外装を造る技術を応用して、ロロの「魔法を使用せず、出来るだけ質素に」という希望も聞き入れつつ、洗練されたうつくしい義肢を造った。故に、オルトは義肢装具士としてロロの様子を診る為、定期的に鐘楼へ昇るようになり縁が出来た。
     さて、ロロはオルトに嘘をついている。それはオルトにとって、とても興味深いものだった。オルトはあまり嘘をつかれた事がないのだ。周りにはオルトに嘘をついてもあまり意味がないと解っている人ばかりだった。オルトはロロの嘘を、まるで煌めく奇麗な翅の蝶でも見つけたかのように、虫籠へ囲って観察していた。
     故に、煌めく翅をもつ嘘を潰してしまうような、身体スキャンは内緒の行為なのである。
     何故スキャンを撮るのかといえば、オルトはロロが心配だったからだ。身体に対して無茶ばかりする身内の心配をしていたせいか、オルトは己の役目を超えた行為であってもロロを放っておく事が出来なかった。

    『もちろん覚えてるよ。この世界から魔法をなくして、マレウス・ドラコニアさんをぎゃふんと言わせたいんでしょう?』
    「左様。ゆえに私はここを降りる気はない」

     13年前、宿願を叶える為の紅蓮の花を用いた計画は失敗に終わったが、ロロは新たな計画をその胸の内に秘めており、オルトにだけ計画を打ち明けていた。兄と通じている可能性を考えなかった訳ではないが、ロロは不思議とオルトを信頼していたし、心のどこかで密告されても構わないと思っていた。

     ロロは己の罪を誰かに告げることはしなかったが、常に良心の呵責に苛まれていた。そして、この地に学園が造立される前、鐘楼を含めた建物は一時期監獄として使用されていたことを思い出した。囚人に課せられていたのは生身での鐘撞きだった。現在、鐘撞き係は魔法障壁効果のある花の街の魔法植物からなる染料で染められた臙脂色のローブを纏って鐘を撞く。一度二度であれば特に問題はないが、至近距離で鐘の音を浴び続けると音の大きさで鼓膜が衰えてしまう。そういった類の刑罰だった。
     しかし、この刑罰はそう長く続かなかった。鐘の音を浴び続けたガーゴイルが命を得てしまう程の魔力が、その身に蓄積されていく。故に囚人が強力な魔力を得てしまい、石の柱に括り付けられた鉄の鎖を引き千切り、看守長を鐘楼から突き落としてしまう事件があった。これは学園史を読み込んでいる人間くらいしか知らない。忘れ去られた歴史である。
     ロロは己の魔力を最大限まで高めて、この世界を平定し安寧をもたらそうとしていた。生徒会長だったころに培った手腕を活かし、学園の生徒による鐘撞き係の制度を終焉させ、己を専任の鐘撞き係として鐘撞き堂に就かせた。
     そして、ひっそりと己を鐘撞き堂に軟禁した。

     この話題が出る度、オルトはロロの計画をシュミレーションしてみたが、成功確率はとても低いものだった。
     オルトの試算では、計画が成功する前にロロの身体が保たなくなる。
     しかし、オルトは己の算出結果からロロに対して「無理」だと告げることは出来なかった。
     諦めは全ての希望を打ち砕く。0が1にならずとも、望み続ければ0は0のままにならない、何が変わっていくとオルト自身がメモリにしっかりと刻んだ事実だった。また、ロロは使命を支えに生きていた。その使命という杖をとってしまうと、あらゆるバランスが崩れてしまう懸念も算出されていた。
    『わかったよ。地上に降りて生活してもらうことは一旦諦める。でもね、今度の逆さま祭りの前夜祭でプロジェクションマッピングの演出と演劇祭をやるんだ。僕も役者として出演するんだよ。ロロ・フランムさんにも是非観に来て欲しいな』
     オルトがまるい瞳の奥で黄金色の絞りをぶわりと広げて、こてんと小首を傾げる。ロロは目を細め息を詰める。詰めた息をため息としていなしながら、黄金色の絞りを見詰めて口角を緩く上げた。
    「私の願いを聞いてもらって、君の願いを聞かない不義理はよくない。良かろう。我が愛する花の街に尽力してくれている勇姿を観に行こうではないか」
    『やったー! ありがとう、ロロ・フランムさん』
    「演目は何をする?」
    『僕はマチネで『真夏の夜の夢』に出演して、ヴィル・シェーンハイトさんとネージュ・リュバンシェさんはソワレで『オペラ座の怪人』に出演するよ』
     ロロの整えられた眉がひくりと動いた。
    「私はあまり祭りの騒がしさを好かない。あくまで君を観に行くだけだ」
    『うん! ボックス席を用意しておくね』
    「私は端席で大丈夫だ。そんな良い席には特別な人を招くものだよ」
    『……うん、わかったよ!』
     オルトは己の胸部に埋め込まれたメモリが温かくなるのを感じた。異常は検知されない。
     ――ああ、僕は嬉しいんだ。
     オルトは子どもの様に親愛の情をもってロロを抱き締める。ロロはその硬い背中の外装をかさついた手でそっと撫でた。オルトの背の触覚センサーにも、優しい手つきはちゃんと伝わっていた。
     その間もオルトの魔導回路は忙しなく演算を行っていた。
     ――マレウス・ドラコニアさんは僕の好ましい人リストに入っている。ふたりとも良い人だから、仲良くして欲しいな。どうしたら良いだろう? ロロ・フランムさんは、交感神経が優位になってしまって人間で言うイライラしやすい精神状態にある。この人は、もっと休息をとることが肝要なんだ。副交感神経を優位にしてあげなきゃ。兄さんからふたりはちょっと喧嘩したって聞いたけど、やっぱりこの禍根をどうにかしなきゃいけないよね。
    「そうだ!」
     オルトは音声モードでひらめきの声を上げた。オルトの顎に取り付けられた音声波形ライトが青色にさざめいた。
    「マレウス・ドラコニアさんを国賓として逆さま祭りに招待しちゃおう!」
     楽しげなオルトの様子に、今度はロロが不思議そうに小首を傾げる番だった。オルトのデフォルト音声をロロはあまり聞き取ることが出来ない。
    「……どうかしたのかね?」
    『ふふ、なんでもない!』


    つづく
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