三題噺:犯人殺人事件 世界が何処もかしこも滅茶苦茶になってしまうなら。私は過去から未来にかけて何ひとつ変わらないで存在している水に飛び込んで一生を終えたいわ。
だけども私は、見窄らしい姿で死にたくはないのよ。死ぬのであれば、可憐に、可愛く、そして美しくありたいわ。あら? 可憐にって可愛くって意味が込められていたかしら。コレでは言葉が重複してしまうわね。いやはや、滑稽滑稽。
「さて。戯言は良いとしましょう」
舞台はイギリス、ロンドン。工業発展が続き、これまでの石の文化が変貌し、鉄の文化へと変わろうとしている時代。十八世紀の産業革命と一言で説明した方が楽そうね。まあ、コレは細かな部分ですから、そういう世界観であるとだけ分かって下さると楽ですわよ。
人々は発展していく文化の中、何故か娯楽を求めたものです。恐らくですが、変わる世界に対して残される不安だとか、流行に残されたくないとか、現実から目を背けたくて等の理由が主でしょうか。私にはさっぱり分かりませんが。
「そんな時代、文化の広がる現在。謎の死体が湖に架けられた橋の下で見つかったのです」
事件が起きたのは長閑な田舎町。ロンドンから少しだけ離れた、まだ工業発展が未発達の区域。とはいえ少しくらいは汚水の臭いはしたやもしれませんが──予測で話す事は止めておきましょうか。
長閑というくらいですから、そりゃあ閑静な場所でありまして。人々が口にする事と言えば「此処らは平和そのもので、目立った事件も起こらない辺鄙な場所だというのに。大変な事が起きたものだ」と揃えて言うのであります。呑気なものですね。
死体は若い女性。結婚間近だったという領家の娘、メアリー。運命とは残酷なもので、夫となる者とはとても愛し合っていたと語られております。幸せの最中だったとの証言もある程であります。そんなメアリーが、ああ、どうしてこんな事に。夫は冷たくなったメアリーを抱き締めてさめざめと泣いたのでした。
「人々はこの悲劇に対して、一体メアリーに何があったのかを論じる事にしました」
メアリーが亡くなった湖は、メアリーが暮らしている町から少しだけ離れた場所。何か目的が無ければこの地に訪れる事はないでしょう。メアリーの周りの世話をしていたジュリー曰く、あの湖は水汲みをする以外の目的に使われる場所では無いと言います。ですが町には古い井戸もありますし、なんせメアリーは自分で水を汲まずとも汲んでくれる女中がおりますから、彼女が湖へ用があって向かう事なんて殆ど無いのです。だから世論は、コレがメアリーが不慮の事故で湖に落ちたのではなくて事件性が高いのでは無いかと声を荒げます。
対して、ロンドン警察は事件性はなく、不慮の事故であったとの見解を示します。それは湖の淵にて見つかった崩れた斜面と何度か岸を掴もうと引っ掻いた様な跡が遺されていたことが理由です。彼女メアリーは、当時ハイヒールを履いていた事が分かっております。歩き難いハイヒールで水辺のそばを歩いていた彼女は足を挫き、そのまま体重を崩して湖の中へと落ちてしまった。湖は川から別れて出来た流れを失った水源ではなく、人工的な溜池でした。ですから溜池は人が上がれるような斜面が出来ておらず、岸から慌てて上がる事は難しい。故に、彼女は自力で岸へ上がる事が出来ずに溺れ死んでしまったと言うのです。
ですが、このロンドン警察の推理では疎かでしょう。何故なら、メアリーが湖に突き落とされたなら同じような現象や行動は起きるものではありませんか。民衆がそう弾圧すれば、ロンドン警察は続けて調査結果を報告します。
「当時、町ではメアリーの結婚式の準備が執り行われており、メアリーの周辺関係者は全員、夫を含めて式の準備を行なっていた」
そう、全員に全員がアリバイがあるのです。夫は当時、村長と共に式典の飾り付けの確認をしていました。女中のジュリーは他の女中と共にロンドンまで食料品や嗜好品の購入のため出掛けてました。メアリーと親しく、そして恋心を抱いていたトーマスは、庭師の男に町の墓場で亡くなった妹の墓参りに赴いている姿を目撃されていました。遺産相続を企てていたとされるロバートは、前日に暴れた馬を取り抑える際に出来た怪我で一日中ベッドに寝ていました。娘の結婚を渋々了承したというメアリーの父親は、町の神父の元で心の内の懺悔を語っておりました。そしてそれ以外の人々も、その殆どは誰かの目で目撃されており、アリバイがある事が証明されていました。
それがロンドン警察がエミリーが不慮の事故で転落し溺れ死んだのだと決定付けた大きな理由でした。
「ならば、見つけた人物が怪しい? それは結構な話ですが、メアリーの成れの果てを見つけたのはまだ幼い5歳のコール。他の子供たちと一緒に遊んでいて、それでメアリーを見つけた彼に疑いを向けるのも如何なものでしょう」
故に事故である。ですが、観衆は納得が出来ません。何故ならば、最初の謎「どうしてエミリーが湖へと向かったのか」が解決出来ていないではありませんか。向かう必要性があったからこそエミリーは湖に居た。そうでは無ければ、エミリーは別の場所で殺されて湖に捨てられた事になるでしょう。そして結果的にエミリーは湖で死体となって発見される事に至った訳です。
何より、エミリーが死ぬ動機が何処にあるのでしょう。順風満帆の未来があり、約束された資金を持つ領家の娘。幸せの絶頂であり、豊かな生活を送る彼女が自ら死んだとも思えませんとも。であれば、街の中で結婚式の主役であるはずのエミリー本人が、どうして姿を消す事となったのでしょうか。計画的に練られた犯行ではないか。誰かが嘘を吐いて、実はエミリーが湖に行くことを知っていて、作業の合間や用事の間に手を汚す事は出来たのではありませんか。それが人々の訴えでありましたとも。ロンドン警察は手を抜きますからね、もっと調べるべきだと声を荒げた者だっております。
「ああ、ああ、可哀想なメアリー。どうして君は死ななければならなかったのか」
「きちんと犯人は裁きを受けるべきだ」
「誰かがメアリーの魂を導かないでどうするの? 報われないまま、メアリーはこの世を彷徨う事になるわ。それはあんまりよ」
こうして、メアリー殺人事件は終わりを迎える事となります。可哀想なメアリー。騒がれた哀れなメアリー。ゆっくりお休みなさい、メアリー。……あら、この事件の結末が知りたいですって? 珍しいお方がいたものね。
残念ながら、このお話しの結末なんて無いわ。だって、人々の娯楽は常に関心と興味が移ろう激しい世界なのですから。皆、ここまでの謎解きが一番楽しかった事でしょう。大衆は、結果なんか求めちゃいやしないのよ。
「いいえ、言葉を変えましょうか」
この事件の犯人は確かに居ました。犯人は誰でしょう。答えはシンプルですよ。犯人はですね、哀れなエミリーの事故を殺したのですよ。