鬼が袖引く(二):司レオ「好きなことは歌うこと……歌、歌ですか」
茶屋の座敷席に腰掛けて、司はぼんやりと思案する。
賑わう店内は、行燈の灯りの他に、揺らめく幾つもの鬼火によってぼんやりと照らされていた。
司のように、人に近い容姿を持つ者以外にも妖と呼ばれるような存在は多く、小さな獣や半透明の影がそこかしこに蠢いている。
漏れ聞こえる会話も、獣のような唸り声から独特の囁き声まで様々で、時折カンカン、と鉦が鳴るような音まで響いていた。雑多な喧騒は、かえって考え事を鮮明にさせる。
辺りで一番高い山の麓。逢魔ヶ時に決まった手順でだけ入ることができるその茶屋は、妖狐が切り盛りしている繁盛店だった。此処には司と同様に、人ならざる者たちが集う。
「おっ、ス〜ちゃんじゃ〜ん。ちょっと久しぶり〜。兄者のところから良いお酒ちょろまかして来たとこなんだけど、これから一緒に呑まない⁇」
「いいえ、結構です」
甘めのやつだよ〜ともたれかかってくる存在を、その誘いごと隣の座布団へと退ける。
「相変わらず禁欲的だなぁ」
そんな司の態度に特段気分を害する様子もなく、「同じ鬼なのにねぇ」と呟く彼の髪の隙間からは、鬼の証たる真っ赤な角が小さく存在を主張していた。
「凛月先輩こそ何ですか、その童のような格好は」
「だって楽だからさ〜」
素足を惜しげなく晒して座敷で寝転ぶ凛月は、自身の得意とする頭脳労働以外の場面では、こうして猫のような自由気ままさを憚ることなく発揮している。
「ス〜ちゃん注文まだでしょ? 遠慮することないのに。ナッちゃ〜ん、こちらのかわいこちゃんに蒸したての饅頭ひとつ〜」
そんな風に巫山戯た調子の注文を受けて、別の常連と話し込んでいた嵐が、会話を切り上げて向かってくる。
「あら司ちゃん⁈ なんだか久しぶりねぇ」
「ご無沙汰しています」
可愛らしい割烹着姿の嵐は、妖狐の特徴たる耳と尻尾――変化の際にわざと残しているらしい――をぱたぱたと動かした。
「そうそう、最近めっきり自分の屋敷の奥座敷に籠っちゃってさぁ」
「縄張りの運営ですよ。皆さんやっているでしょう?」
「うちは兄者がね〜」
凛月の兄である零も、彼らの縄張りの頭領を務めていると聞く。とはいえ、鬼の共同体に横のつながりは皆無のため、何かしらの諍いが起きない限りは、司が零と相対する機会を持つことは今後とも無いだろう。
「あーあ、折角ス〜ちゃんが顔を出したのに、こんな時にセッちゃんは冬眠か〜」
「さすがに起きてはいるでしょ。でも、秋口から冬にかけては御山の社に籠りがちねぇ」
今度なにか届けてあげようかしら、と嵐は大きな耳を揺らす。
鬼の凛月、妖狐の嵐、そして蛇が転じた妖である泉は、何かと司を可愛がっている年上の妖達だった。
自身の同胞とは無関係な存在から、こうして庇護や助言を受けることに、司は反発心をいだくこともあれば、心底助かると思う時もある。厄介な側面を併せ持ちながら、頼りになる先輩達だった。
「も〜、セッちゃんは変温動物だし、ス〜ちゃんは縄張りの頭領になったばっかで全然顔見せないし、もっと俺のことをちゃんと構うべき〜」
「あんたはその間ずっとま〜くんとやらにべったりだったでしょ。あんまり気にしないで良いわよ、司ちゃん。というか、そろそろ泉ちゃんに言いつけるわよ」
だぁれが変温動物だって⁇ と凄みのある笑みを浮かべた泉の姿は、司にも容易に想像できた。
凛月は泉とのそういうやり取りこそを楽しんでいるような向きもあるけれども。
「で、ス〜ちゃんは今日なんでわざわざ茶屋まで出てきたの?」
いつもはしつこく誘ってやっと引っ張り出してるのに、と凛月が話題を切り出す。その様子を見るに、気になってはいたものの、嵐が会話に加わるまで触れるのを待っていてくれたようだった。
「情報収集です。人間と賭け事――『恐怖比べ』のようなことを、することになって……?」
「ふぅん?」
「恐怖比べ?」
話の先を促すように、凛月と嵐は各々相槌を打つ。
「心からの恐怖を感じたなら、私に食べられてくれるとのことで。私はこれから、その人間のことを心底怖がらせないといけないのです」
「うわ、何それ……」
「その人間に何の得があるのかしら……?」
海千山千の妖達をして、かの人間の提案した勝負の内容にはドン引きだった。
「というか、そもそもだけど、ス〜ちゃんが人間と絡むの珍しいね?」
凛月は一先ず、という体でそんな風に話題を掘り下げる。
「相手は件の人斬りですよ。流石に目に余るので、様子を見てこようと思って」
「ははぁ。それでわざわざ、朱桜の頭領が出張っていったわけ」
ス〜ちゃんも若いねぇ、と凛月は意味深に息を吐いた。
「は? 凛月先輩たちだって、人斬りが世の恐怖を席巻している状況には割を食っていたはずでしょう?」
「そりゃまあ、多少ねぇ。でも、たかが一人の人間だよ? それも、そんな危なっかしいこと生業にしてる奴。心配しなくても、すぐ死んじゃうって」
凛月の言葉に、そういうものですか、と司は生真面目に顎に手を当てて考え込む。
実際、司はまだ若い部類であるし、頭領の座を継いで間もないため、経験について言及されてしまうと反論しにくい。
「……まあ、でも。既に接触しちゃったんなら、その勝負とやらを楽しむのが一番なんじゃない? それに――」
言葉を切って、凛月はにまりと笑う。
「そんな楽しそうなことをやってるって知っちゃったからには、俺たちも賭けなきゃウソだよね。『ス〜ちゃんの負け』に甘味一年分♪」
「は⁇ ……というか、なぜ私が負ける方に賭けるのですか‼︎」
「じゃあアタシは『いつの間にか大切な存在になっちゃって賭けの勝敗に関わらず食べられなくなっちゃう』に継続来店一年分♪」
「何なんですかそれは⁈」
堪らず突っ込みを入れる司を、二人は楽しそうに眺めている。
「というかそれは私が支払うのですか⁈」
「だって聞く限りス〜ちゃんの側に不利益ないし」
「そうよぉ、何も負わないなんて公平じゃないと思うわ!」
「賭けの利を全て鳴上先輩の店が回収する形になるのは公平なのですか⁈」
「まあまあ。勝てばいい話だよ、ス〜ちゃん」
こういう流れに至ってしまうと、この先輩達はなかなか収拾がつかない。司としても、彼らなりの可愛がり方なのだと理解はしているつもりだけれど。
「ああもう、分かりました! 分かりましたから!」
えふん、と話を戻すように、司は特徴的な咳払いを落とす。
「――ともあれ。勝負は成立してしまいました。私は負けたくありません。そこで、お二人には人間の恐怖感情について伺いたかったのです。……私よりも世俗に通じているでしょう?」
「言い方〜」
「まあ、時々迷い込んできた人間を揶揄ったりはするものね」
お客さんの一人がのっぺら坊に化けたら皆ノリ出しちゃって化かし合い合戦の会場みたいになったこともあったわ……との嵐の世間話に、司は満足気に頷く。
「それで、昨今の人間は何を怖がるものなんですか?」
「年頃の娘を持つお父さん⁇」
「てか夜道で会ったス〜ちゃんにそのヤバい提案をする人間、絶対そんな一般論の範疇に収まるわけないでしょ」
大雑把な司の問いに、呆れたように突っ込みが入る。う、と固まる司に、店内のざわめきが他人事のように大きく響いた。
とはいえ、珍しく頼ってきた後輩をこのまま無碍にすることに耐えかねたのか、そうねぇ……と嵐は助け舟を模索するように思案する。
「……真面目に答えるなら、何が怖いかって結局のところ、人に寄って違うんじゃないかしら」
嵐のその言葉は奇しくも、司が人斬りと出会った夜に、彼の好きなものを問いかけた理由そのものだった。
「……やはり、あの人のことを知るのが一番の近道、ということですか……」
その言葉に、嵐はなぜか、キャッと色めきだった声を上げる。
「そうそう〜、すぐ会いに行ってみたら? 案外、酔っ払ったりしてて、気が大きくなってただけだったりして」
「まあ確かに、終始酔っ払ったような調子ではありましたが……」
あの日、月がない夜のことを思い出す。
こちらを見つめ返す、あの恐れ知らずな瞳。
どちらにせよ、会わなければならないことに違いはない。
「……そうですね。あの人もよく夜歩きをしているようなので、機会として利用させてもらうことにしましょう」
若き鬼の頭領は、深く息を吐きながらも悠然と微笑んだ。
そうして、賑やかな夜は更けていく。
【続】