倉庫にて新たな人類として惑星での暮らしが始まって五年。最低限の生存設備はあるが他には何もないところから、あれこれと手探りで思いつくまま生産して、気が付けば共用品だけでも結構な量の不用品が発生していた。
作り過ぎた保存食や、規格を間違えた機材。間に合わせで簡易的に用意した後にお役御免となった物品。
とはいえ資源は貴重だ。十五人に対して惑星ひとつは多すぎるが、無駄遣いをしないに越したことはない。
幸いに保管する場所だけはあった。今は使わないとか、後で使うかもしれないとか、いずれ第二拠点に運んで使おうとか、そんな無計画を含む計画倒れ他、様々なものは開拓初期のドサクサで無秩序に倉庫に詰め込まれていた。
「保存食の期限は確か五年程度だったな。製造したのはおよそ四年半前……」
「倉庫整理を、しなければならないわね」
そんな郷登と東雲の決定で、季節外れの棚卸兼大掃除が決定した。
あるべきものをあるべき場所に、捨てるべきものは捨て、消費すべきは消費する。
動けるメンバーは総動員だ。
必然、増設に増設を重ねて所狭しと棚が立ち並ぶ倉庫の狭い通路を行き来することになる。
「沖野くん、あのケーブルって何だっけ?」
冬坂に話し掛けられて沖野は足を止めた。彼女の指差す先には「ケーブル」とだけ書かれた小箱がある。
「多分、キッチンに給湯機を付けた時の予備だと思うけど……中を見ないと分からないな……ちょっとどいて」
沖野は力仕事は不得手だが、機械系のことは大体頭に入っている。女性陣よりも高い場所に手が届くこともあって相談役としてあちこちの棚を巡回していた。
冬坂が中を確かめずに彼を呼んだのも踏み台がなければ届かない場所にあったからだろう。少しばかり背伸びして箱を取り、埃を払いながら蓋を開ける。
「やっぱりそうだ。第二拠点用の棚に置いておいてくれるかな」
「分かった!」
早速、小箱を持って目的の場所へ進む冬坂の背を見送る。
重いものでも大きなものでもないから、まとめて持っていく方が効率がいいのに。ああ、箱に給湯機と書き足してもらえばよかった。
声を掛けようか迷う間に、不審なものが目に止まる。彼女の行く先の棚板が傾いている。小さな破砕音が沖野の耳に届く。当然、より近くにいる冬坂にも聞こえたのだろう、疑問に足を止める。だが、彼女は何がその音を立てているか分からない。棚板は不可逆に傾き、ゆっくりと上に乗った物が落ちるべく滑り出す。
「危ない!」
およそ二歩分、踏み出して掴んだ腕を引き寄せて棚へ背を向ける。落下してきた箱類が肩や腕へ続けざまにぶつかっていく。確か中身は機材だったはずだ。手のひらに乗る程度の、ひとつの重量としてはたかが知れているが、こう多いと難儀なものだ。壊れた棚板から吐き出しきって、ようやく静かになった。
「……怪我はない?」
多少乱暴にはなったが、彼女を引き寄せることで二人とも直撃を免れた。
「沖野くんっ、ごごごごめんね、大丈夫? 私がぼんやりしてたから……!」
「構わないよ。この棚に物を置いていたのは僕。謝るのは僕の方。強く引っ張って悪かったね」
舞い上がった埃が落ち着いた頃を見計らい、抱き込む形になっていた冬坂を解放する。
物音は相当のものだったらしい。倉庫内や、ドアの外で作業中の面々から口々に驚きや状況を伺う声が聞こえてくる。
「沖野! 何だこれは! 無事か!」
その中で、ひときわ大きく通る声で近付いて来たのは比治山だ。彼は倉庫外にいたはずだが、沖野の第一声を聞きつけてか真っ先に様子を見に来たらしい。床に散らばった物品を器用に足先で掻き分け、大股で難なく渡って来るのは日頃の藪歩きの経験だろうか。
「比治山さん、沖野くんが私を庇ってくれて……」
「沖野、ぶつけたところを診せてみろ。五百里さんは救急箱を取ってきてくれませんか。今、道を作りますから」
「大袈裟だなぁ、比治山くんは。重い物じゃないし、大したことないよ。それより冬坂さんだ。かなり無理に腕を引っ張ったから一度医務室へ行った方がいい」
「そんな、全然痛くなかったよ!」
「こういうのは後から痛みが出ることもあるから。あぁ比治山くん、いくら床に落ちてるからって乱暴に扱わないでくれ。一応、精密機械なんだから」
足で粗雑に脇へ寄せようとする比治山へ忠告して、とりあえず踏み越えられるだけのスペースを作る。
遅れて関ヶ原が顔を出した。
「沖野。比治山。五百里がそこにいるのか」
「ちょうど良かった。手を貸してくれ」
彼ならば冬坂も安心だろう。
「少し片付けたら僕らも外に出るから」
彼女が出口側へ渡るのを手助けして、後を任せる。
落下した機械類は一旦別に選り分けて動作確認をする必要がある。
「棚板がこのままじゃ危ないから、外しておこう。比治山くん、手伝ってくれるかい?」
「それよりも貴様だ」
比治山は沖野がぶつけた方の腕を取ると、シャツの袖口のボタンを外して、手際よく捲り上げる。
「折れてはなさそうだな。触ると痛むか?」
「君、僕をどれだけひ弱だと思っているんだ」
折れるような重さのものは無かった。多少赤くなる程度か、せいぜい痣になる程度で済んでいるはずだ。
何もするなと言い付けられて、要領良く一人で棚板を外して立て掛ける比治山を見守る。
彼は、怒っているのだろうか。いつになく真剣な様子に、ふとそんなことが心配になった。
「悪かったね、比治山くん」
「何がだ?」
「何がって……」
咄嗟のこととはいえ、沖野は冬坂を抱きしめた。タイミング次第では比治山はその場面を見ていたかもしれない。パートナーのそんなところを見て気分のいいはずがない。
「何を言っとるんだ貴様は。女性を守るのは男として当たり前のことだ。あ、いや、そういう時代でもないのか。兎に角、無防備な相手を守るのは当前のことで、それをしただけの貴様に何故怒らねばならん。むしろ労うべきだろう」
「比治山くん……」
「それに、」
比治山は棚板を外した空間をじっと見た。棚本体の側に破損した金具が残っている。それが割れたために事故が起きたと推測出来た。
「これは俺のせいだ。この棚を組み立てたのは俺だから、その時に不手際があったに違いない。俺のせいで沖野に怪我をさせてしまった」
「比治山くん……。大袈裟だなぁ。今日まで問題なかったんだ。耐荷重も超えていたように思えないし、きっと初期不良か何かで、君が気に病むことじゃない」
手を開いたり閉じたり、腕や肩を回して痛みの具合を確認する。いくつかの動作で軽い打ち身のような痛みは感じるものの、大事は無い。
「それにもし君のせいだとしたら、なおさら僕が怪我をしてよかった」
「……どういうことだ」
「君、女の子に怪我をさせたら責任を取るって言い出しそうだからね」
「当たり前だ。女子供に怪我をさせるなどあってはならん」
「まったく……。彼女には関ヶ原がいるだろ。それに僕はどうするんだ?」
「なっ、貴様、いや、そういう意味では、」
いつもの調子に戻ってきた比治山に思わず笑いが漏れる。彼はそういう男だ。
これほどまでに沖野を心配するのも彼にとって自分が守るべき対象だからだろう。
もう一度、腕を回してわざとらしく首を傾げる。
「比治山くん、肩が痛いかもしれない」
「なに」
「肩もぶつけたんだ。診てくれないかな。……責任、とってくれるんだろ?」
遅れて様子を見に来た仲間たちに作業の続きと、念のために棚の強度点検も依頼する。
黙々と自分の仕事をする方が性質に合っている沖野としては、あちこちに呼ばれる手伝い続きで疲れてきたところだ。多少の休憩を入れたところで咎められまい。
「医務室には関ヶ原たちがいるはずだから、部屋に行こうか」
「待て、沖野。お前何か謀っているだろう。本当か? 本当に痛いのか?」
「分からないよ、自分じゃ見えないところだし、困ったなぁ」
遺伝子提供元の彼が「不真面目」と言われたのは案外こんなところなのかもしれない。比治山を揶揄って、必要なら湿布でも貼ってもらって、お茶でも飲んだ後はまた作業に戻ろう。
何しろ比治山とは本懐を遂げたばかりだ。
「分かってると思うけど、さっさと戻って来なさいよね」
最も協力的だった如月がこう言うのだから、間違いはない。
2024.08.12