いるね比治山くんは僕が好きだ。……と、思う。多分。
「おい沖野。猫がいるぞ」
「え、どこだい」
夕飯の買い出しの帰り、緋衣町のアジトに向かう道でやたら嬉しそうに彼は暗がりを指差した。
「フェンスの影だ。ああ……行ってしまった」
「君は目がいいね」
この時代は街灯が少ない。それに光量も僕の知るものよりずっと暗い。
水銀灯だろうか、ぽつりぽつりと立つ間の様子は殆ど見えないし、手入れが行き届いていないために劣化して点滅しているものまである。
ちょうど僕たちの立ち止まった近くのがそうだ。時折小さな放電音を立てて灯りをちらつかせている。
だから猫は見えなかったけど、猫を見つけた比治山くんの顔はよく見えた。
猫一匹でとても嬉しそうだ。いや、嬉しそうだった、かな。
僕が猫を見られなかったことを知って彼は露骨に残念そうな顔をした。
本人に自覚はないだろう。
「君も猫が好きなんだ?」
「いや、俺は猫は好かん。犬の方が好きだ」
「おや、そうなのかい。それにしてはよく猫を見つけるようだけど」
「それは……あやつらがすばしっこいからだ」
「本能的な勘かい。君らしいな」
止めてしまった歩みを進めると大人しくついて来る。忠義の厚い犬みたいだ。
彼は持ち帰りの弁当が二つ入ったビニール袋を持って、僕の歩幅に合わせてゆっくり歩く。
猫が消えたフェンスの向こうをじっとり睨んだりしながら何も言わない。
比治山くんはどちらかというと猫に嫌われるタイプだ。特に野良猫とは相容れない。だってそんなに敵意を向けていたら逃げられてしまうだろう。
これも時代というのかな、僕の頃には猫は室内で飼うのが普通だった。80年代は、そして比治山くんがいたセクター5でも猫なんてのは外で適当に遊ばせておくものらしい。
そんな比治山くんが頻繁に猫を見つけるのは何故だろう。
その度に随分と嬉しそうに僕に報告するのは何故だろう。
こんな風に仮定できる。
僕を、好きだからだ。
その僕が、猫を好きだから。
人の恋について見聞きすることはあっても当事者になるのは初めてだ。
彼が「桐子さん」に想いを寄せていたのは都合が良かった。
セクター4に来てからも彼の協力を得るために利用しようと思ったし、事実、利用できていたはずだ。
ところがどうも彼は僕を好きになってしまったらしい。堂路桐子という三つ編みの女学生だけではなく、女子の服を着ていない沖野司にも特別な視線を感じる。
その特別は「桐子さん」に向けていたものと随分様子が違う。疑心、疑念、怪訝、不審。鬱憤に偏見――およそ好意的とは言い難い建前の裏に堂路桐子に向けていたのと同じ、なりふり構えない執着が隠しきれていない。
堂路桐子への建前は帝国軍人とか、紳士的とか、そんなところだったかな。かなり建付けの悪い建前に、良く思われたいという下心が漏れ過ぎでいくら当時の女の子でもこれは厳しいんじゃないかと思ったけど……でも、彼の真心は本物だった。
比治山くんは自然にしてるのが一番いい。
「貴様、俺の顔を見て何を笑っている」
「笑ってなんかいないさ」
「いや、笑っていた。猫が居ても教えてやらんぞ」
「うーん……それは困ったな。悪かったよ」
比治山くん。僕は確かに猫が好きだけど、そんなに一生懸命探すほどではないんだよ。
見つけて報告してくれる君が好きだから止めないけど。
僕はまだ、彼への気持ちを測りかねている。
2025.07.23