失われた人類の文明を知る貴重な手がかりである他の人たちの記録は兎も角、自分たちのこれは今に及んで繰り返し見るものではないだろう。何しろここに記録されているのはもう解決済みの「世界」の秘密と、他愛ない恋人同士の私的な会話だ。
画面の中の彼が何を思ってこれを遺したのか……後半は分からないでもないが、前半は恋に目が眩んでいたとしか思えない。それとも何らかの技術が多くの記録から「意味」を伝えるために抜粋したのだろうか。
だが、2188年のテクノロジーでも時間を遡ることなど出来ない。画面の人物のどちらかがこの睦言を選択的に、或いは日常的に記録を保存していたのは確かだ。
自分でないことを願いたい。
沖野は画面を神妙に見つめる比治山をそっと盗み見た。この映像を仲間達の中で最初に見たのは隣に座る彼だ。そして先程、これを再生したいと言い出したのも彼である。
今日は新惑星に降り立って六年と二日が過ぎた日だ。
いくらかキリが悪いのは忙しさというもので、ひとつの節目として、比治山はこれを沖野と見たいと告げた。
内容は既に沖野も確認済みである。惑星に降り立ってすぐの情報共有で一通り目を通して、その後しばらく仲間たちからの視線が何とも言い難かったことも今となってはいい思い出である。
そう、画面の中の「彼」と同じく、世界の困難と――私的な困難を越えて意中の相手と結ばれ、今も手を繋いでいるのだから。こうして二人で見るのは流石に初めてだ。
画面の中の「沖野」の言葉に隣の比治山の手に力が込められる。聞いている方が恥ずかしくなる睦言に動揺したのではない。彼らが迎えるこの後の悲劇を知っているからだ。
その証拠に比治山の表情はひどく真剣で、緊張していた。沖野はどうも同じ気持ちになれないでいる。遺伝子が同じであろうと、所詮は他人だ。
「こう」ならないかもしれないと燻っていた歳月のせいだろうか。
比治山がおもむろに口を開いた。
「彼らは人類の終わりを知っていた」
「僕たちは人類の始まりを知っている」
「そうだ」
画面の中の彼らと自分たちは違う。この惑星に降り立った誰もが少なからずそう思っていた。たとえ同じ遺伝子情報を持っていたとしても、経験や感情は自分だけのものだ。記憶が欠落していたとしても、不確かであっても、今を生きる自分だけが自分だ。
愛する人が「彼ら」と違っても、同じでも、それは関係のないことだ。確執ですら無い。友情や同朋意識があり、仲間を裏切ることなく協力していくことで一致している。少なくとも今は。
「彼らと僕らは違うよ」
「そうだな。こうなってより強く、そう思う。彼らがやり遂げた仕事と無念、俺たちは両方を疎かにすることなくやっていかねば」
「それがこの映像を見ようとした理由?」
「それもあるが……」
比治山がちらりと沖野の顔を見た。映像の中の「沖野」と同じ年頃になっただろうか。
「こうして見ると同じ遺伝子でも顔立ちが違ってくるものだな」
「なんだい、真面目な話だと思ったのに。栄養状態や生活史が違うからね。性格だって違う。表情筋も筋肉の一種だ」
君が画面の中のこの人と同じように老け込むかは君次第ってとこかな、と沖野は付け加えた。
「俺は司の顔が好きだ」
「彼よりも、桐子よりも、だろ。知ってる」
映像の再生が終わり、画面が暗転する。今を生きる二人はどちらからともなく唇を合わせた。
※
22世紀、敷島の宇宙コロニーにて。
「君、僕の顔がそんなに好きかい?」
目の前の男の巨躯を意にも介さず、沖野は微笑んだ。それで比治山の心は少しばかりかき乱される。
「そんなつもりは……」
「隠さなくていいよ。みんなそう言う。僕は作りものだから」
交際を始めてまだ日が浅いこともあり、比治山は彼との距離を測りかねていた。確かに容姿が好みなのは事実だ。一目惚れと言って過言ではない。だからつい見入ってしまうのは弁解のしようもないのだが、それで交際を申し込んだわけではないとどうすれば分かってもらえるだろうか。
沖野は難しい男だ。その出自も、性格も。ここはひとつしっかりと言葉にしなければならない。
「たとえそうだとしても、生きてきた道筋はお前のものだ。俺はそれを愛しいと思う」
「比治山、さん」
愚直すぎただろうか。しかし沖野もまんざらではないようだ。
「そういえば君に言ってないことがまだあって。僕、整形してるんだ」
早口に告げられた言葉に今度は比治山が驚く番だった。
「目のところをちょっとだけね」
沖野は目元を指し示しながらくるくると指を回した。
「別に今どき珍しいことではないと思うが……容姿に不満が?」
「不満……不満というべきなのかな。これが前の僕の写真」
言われて見れば少し印象が違うような気がする。強いて言えば今よりも童顔、だろうか。何も知らなければ単に年齢による変化と感じる程度だ。元の顔も相当に整っていると言って差し支えない。
「容姿って遺伝の要素が大きいだろ。何をどう弄ったのか僕には開示されてないけど、これも作られた顔。なら、勝手に変えてやろうと思って」
沖野は成人して施設から独り立ちした時にまず最初にやったことがこれだったと語った。特になりたい顔はなかった。アバターなどではない本物の身体に手を加えるとどうなるのか、見た目はどうでもよく、自分の心情の変化を知りたかった。いくつか提示された案の中から特に考えずに選んで施術した。
「手間に比べてこんなものかって感じだったから、それきりだけど」
改めて沖野の顔を見る。過去の自分の写真と見つめ合う横顔は比治山と出会った時と変わらず、涼しい印象でどこか詰まらなさそうに遠くへ思いを馳せている。
その目が瞬いて比治山を映した。その瞬間に感情が顔を出した。
「変?」
「いいや」
比治山はゆっくりと手を伸ばし、戸惑い気味の沖野の頬を両手で包んだ。身体のサイズ差のせいで、大人と子供のように顔の大半が覆えてしまう。
「顔立ちは人生でも変わる。事実、俺と過ごすようになってツカサはどんどん魅力的になっている」
「それは君の盲目だ」
「いいや。仕事中のお前の表情も柔らかくなった」
見てたの? と沖野は唇を尖らせた。
「お前の選んだ顔だ」
「……そう。じゃあ比治山さんの顔もそうだね。君の、苦労と優しさの顔」
このままキスをしていいものか、迷った末に何もせずに手を離した。
「ねぇ、君の昔の写真も見せてよ。僕も見せたんだからさ」
「そんなに写りのいいものはないぞ」
「あるだろ。社会人になりたてのころのID証の写真とかさ」
「もう少しマシなのを選ばせてくれ……」
気まぐれに互いの通信を保存しておくようになったのはこのことがきっかけだった。今のところ別段見返すわけでもないが、五年、十年と経てば懐かしくなることもあるかもしれない。もし仲違いをしたなら反省材料にもなるだろう。顔が好きだとかいうやましい理由では、決してない。第一それならば自分の映像まで残す必要はない。
「世界」はもう、五年後を描くことすら無くなってしまったが――、久しぶりの通信だった。すっかり険しくなってしまった自分の表情を反省しつつもアーカイブへの保存を選択し、比治山は職務に戻る。
恋人の望むように少しでも長い時間を共に過ごしてやりたいと願いながら。
2025.07.27