無人島に持っていく問い:無人島に何かひとつ持っていくなら何を持っていきますか
如月が夕食後の雑談中にこんな話題を上げた。
地球から遥か遠く離れた星で旧文明の遺産を手に開拓生活に勤しむ僕たち十五人の全人類――この場にいたのはその内の四人だけど――にとって、ある程度のリアリティを持つ質問だ。
「自律移動できるロボットは禁止ね。何でも出来ちゃうから」
早々に、名指しみたいに僕の方を見て釘を刺してきた。
流石にそこまで野暮じゃない。単純に生存を考えるなら労働力としてのドロイドか、いくつかの自律機械が最適解だけど、これは思考実験だ。
「流行ったな、その質問。やっぱ水と食料だろ」
緒方くんが机に肘をついたまま答える。
「ひとつって言ったでしょ」
出題者は遠慮なく相方を小突いた。
機能食に両方を満たすものがあるけど、自律機械と同様、レギュレーション違反と考えるべきだろう。もう少し素朴なもので考えてみようか。
無人島、生存、サバイバル……絞り込もうとした僕の横で比治山くんが口を開いた。
「ナイフだな。この前沖野が作った万能ナイフ、あれ一本あればどうとでもなる」
「あんたならそうよね。十分生き残れそう」
別に僕が作ったわけじゃないんだけどな。彼が言っているのは昔からある十徳ナイフだ。材質や強度、個人用にサイズを少し調整したくらいで……そんなに得意げに言われたら訂正しづらい。
だけど、流石比治山くんと言うべきか。惑星の開拓にあたり僕たちは遭難した時の原始的な対応方法は一通り学んだ。それでもナイフ一本で自給自足まで実行出来るかは別問題だ。体力を考慮して優先順位をつけながら救助を待つための行動を取るのが精々だろう。
なのに比治山くんときたら、当座の生活拠点を作るくらいはやってのけそうだ。そこに件のナイフがあるかのように軽く握ってみせた腕は実に逞しく、見掛けによらず器用なことを僕は知っている。
だがこれも如月にとっては面白い回答ではなかったらしい。水と食料にナイフ。あまりにも実用的すぎて僕たちにとって現実でしかない。この質問が思考実験として成り立っていたのは「無人島に何も持たずに辿り着く」のが非現実的だったからだ。
「沖野は決まった?」
彼女もそれに気付いたのだろう。消化試合とばかりに僕に回答を促す。
やっぱり僕もありきたりな内容しか浮かばない。だけど頭一つ抜けてこれがいいと思ってしまったから、そのまま口に出そう。
「比治山くんかな」
「お、沖野! 俺は道具ではない!」
「でも一緒に来てくれるだろう? 君は丈夫で便利だから、傍に居てくれると助かるよ」
立っても座っても体格の目立つ男だ。なのに目を見て笑いかけると分かりやすく耳まで赤くして狼狽えるんだから揶揄い甲斐があるというものだ。
「ぐ、ぬ……。褒められているのか貶されているのか分からん」
「あー、はいはい。沖野に聞いた私が馬鹿だったわ」
緒方くんに促されて如月も席を立った。次はもう少し面白くなる話題を考えるか、女子たちと話そうといったところか。
残された僕たちはいくつか他愛のないやり取りを続けて、夜にはきちんとそれぞれの部屋に戻った。
ポッドの外へ出て数年、戦いを共にした仲間たちが関係性を進展させる中、僕と比治山くんはもうずっと、こんな感じだ。期待した事もあったけれど今はこれでいいと思っている。
*
そんな会話の記憶もまだ新しいままに。
「まさか本当に無人島に比治山くんを持って来ることになるとは……」
「そんなことを言っとる場合か!」
「声が大きいよ。体力を節約して」
僕たちが暮らす拠点から川沿いに下ってしばらくすると海に出る。大昔の火口と推測される湾には円周部に連なるように無数の小島があり、複雑な潮流が多くの魚や水生生物を育んでいる。魚そのものは拠点近郊の川や湖でも獲れるけれど、たまにしか食べられない種類の新鮮な魚というものは生活の彩りになるものだ。未開の第二の地球の中で、ここは娯楽的な漁場として活用されていた。
今日の僕たちも余暇を利用して調査半分、娯楽半分の調子で小型艇ひとつで海釣りに来ていた。僕はそれほど外出する方じゃないけど、そこは、まぁ、人目のある生活圏から離れて二人きりになる口実というやつだ。
だけど思いがけず波に流されて、小さな船はあっという間に沖へ流されてしまった。月が二つあるこの星の潮流はまだ不明なことが多い。残りの燃料を考慮した結果、無理に戻ろうとするよりも手近な小島に辿り着くことを優先して舵を操り、どうにか陸に上がった次第だ。
「自力での帰還は困難、しかも通信圏外と来たか……」
自分たちが暮らす陸地を遠目に見て比治山くんは腕組みをする。
「海釣りに行くことは伝えてあるし、衛星経由になるけど位置情報は連携されているはずだ。衛星画像の解析と合わせれば一晩か……悪くとも数日待てば救援が来るよ」
潮流観測機も流しておいた。燃料は尽きたわけじゃないし、船が壊れたわけでもない。無人機で必要物資を運んで来てもらうとか、推進力に長けた無人艇を寄越すとか、いくらでも方法はある。
「幸いにも僕たちが無人島に持ってこられた道具はひとつじゃない。ナイフもロープも撥水布もある。海水を処理すれば飲料水にも困らないし、魚は釣れるし、釣れなくても当分の保存食はある。焦ることはないさ。とりあえず野営場所を確保して今日釣った魚を焼いてしまおう」
まともな係留場所がない以上、寝ている間に流されるかもしれない船に留まっているのはリスクが高い。植生と島の大きさからヒトを襲うような野生動物はほぼ居ないと考えられる。
「貴様、冷静だな」
「そうだね。……十五人か二人か。寝起きするための施設が有るか無いか。大陸か小さな島か。拠点との違いなんてそれくらいだろう?」
「……まぁ、そうか」
岩陰に丁度いい場所を見つけて必要な荷物を運んでテントを張って火を起こして……やることはそれなりに多かったけれど、野外調査担当の比治山くんにかかれば手馴れたもので、日が暮れるまでに一通りのことを終えた。
無人島で彼以上に頼りになる男がいるだろうか。
「それじゃあ眠ろうか。明日は発電パネルを設置したいから、早朝に起きられるといいんだけど」
地面は硬くてお世辞にも寝心地が良さそうとは言えないが、これも明日の課題にしよう。普段よりも数時間早く寝袋へ横になる。
比治山くんには悪くとも数日で……とは言ったものの長期戦になる可能性はゼロじゃない。特に未知の潮流は厄介だ。僕たちは海上の探索をまだ殆ど行っていないから、ここに来られる船が無い可能性もある。拠点に居る皆にとって僕たちを発見するのは容易だが、救助も同じく容易だとは限らない。二次遭難は最も避けるべき事態だ。
今日は少しばかり迂闊だったな。しばしば使っていた漁場とはいえ、僕たちはこの惑星について殆ど何の知見も持たないと言っていい。無人観測の大規模データなら蓄積されてきた。だから天気予報はそれなりの精度だ。衛星画像を元にした惑星地図も持っている。だけどそれらは人間が出歩くには大雑把過ぎた。
失敗として、教訓に残すべきかもしれないな。海に出る時は気を付けましょう。どう気を付けるかって? そうだな、少なくとも当分は海上で釣りをするのは止めた方がいい。
「沖野、まだ起きているか」
明かりのない世界は真っ暗で、声を掛けられてようやく僕は目を開けたままでいたことに気が付いた。それにしても僕が眠っているとは全く考えていない普段通りの声だ。
「いくら早起きしたからって、日が暮れてすぐには眠れないものだね」
「俺は貴様を見くびっていたかもしれん」
「比治山くん?」
「屋内に籠ってばかりの貴様がこんなことになって、俺がしっかりせねばどうにもならないと思っていた。だがどうだ、俺が何か考えるまでもなく貴様はやるべきことをやった」
「そんなことはないさ。体力仕事は殆ど君にやってもらった」
「適所適材だ。俺ならばきっと、船に何があるか片端からひっくり返すところから始めねばならなかった」
比治山くんも反省しているのだろうか。それとも後悔?
夜明けまでまだ9時間以上ある。少しぐらい話していてもいいだろう。生憎と語らうためのスープやコーヒーは無いけれど。
「比治山くん。僕は嘘を吐いた」
「沖野?」
「僕は本当は冷静じゃないんだ。寝付けない程度に神経が昂っている。非常事態だと認識している。だけど単にそれだけじゃなくて……廃工場で寝泊りしていた時のこと、覚えているかい」
「ああ」
「あの頃と同じ気分だ。どうにかしなきゃいけない。だけど、一人じゃない」
「皆がきっと迎えに――」
「違うよ。君がいる」
自分しか信頼できるものがなかった。その自分すら疑う対象だった。僕の廃工場での日々はそういうものだった。だけど比治山くんが来てからはそんな必要もなくなった。あの戦いで諦めずに勝利出来たのも彼が居たからだった。
「こんなに静かな夜は久しぶりに思えるんだ。ここは風や海の音が絶えず聞こえて、拠点の部屋の方がずっと静かなのに」
不謹慎だけれど、彼と二人きりになれたことを喜んでいる僕がいる。
僕は冷静じゃない。あの日々に戻ったような気でいる。
「遭難したのが君と僕でよかった。君が――他の人と遭難したと聞いたら、僕は全く落ち着いていられなかった」
二度目を口に出来ないでいる僕たちがあの防衛戦の日に交わした言葉はそれでも本物だし、今も続いている。そう信じている。
「比治山くんは、どう思ってる?」
喉が渇いてしまったようで声が掠れた。
彼の方へ首を傾けてみると、目が暗闇に慣れたのか、月明りが差してきたのか薄ぼんやりと形が見えた。表情は見えないけれど、こっちを向いていることは分かる。
「実は、これくらいの遭難はよくある」
「えっ」
それは初耳だ。
「報告書に書いていただろう?」
「君のは全部読んでるけど……もしかして予定進路を外れたとか、立ち往生したとかそういう時のことかい」
「そうだ。……いや待て、貴様の仕事に俺の報告書は関係ないだろう。どうして全て読んでいる」
「いいから。続けて」
動揺して余計な事を言ってしまった。失言だ。
「海で、というのは初めてだがな。周辺調査に出かけている最中には珍しいことではない。貴様が言っていたように何でもないことだ。俺たちは他に人類のいないこの惑星でよくやって来た。今日まで誰一人欠けることがなかった。だから今回も必ず帰る」
「そう。……そうだね」
期待した言葉とは少し違っていた。僕はきっと弱気になっている。
例えば、僕と比治山くんの距離は思いのほか離れてしまったのかもしれない。仕事も違う。得意なことも、知っている事も、見て来た景色も違う。たった十五人の集団として、これは生存に有利な強さだ。だけど個としては……やむを得ないとしても、僕は。
少しの間、沈黙が続いた。そして、比治山くんが大きく息を吸った。
「だが――俺は貴様とここから帰れなくても悔いは無い」
「――、……そ、れは」
暗闇の中で目が合っている、ように思う。
あれ以来変わらない、あの日の先へ僕たちは進めるのだろうか。あの甘酸っぱい廃工場での青春を取り戻して、二人で。
いや――
「それは違うよ。そうならないようにするんだ」
「そのつもりだ」
僕は真っ直ぐ前を向いてわざとらしくひとつ伸びをした。テントがなければきっと、星空が見えただろう。
「もし当分帰れそうにないなら、お風呂に入る方法を考えなくちゃいけないね」
「なっ」
「風呂の作り方は分からないなぁ。無人島なんだから、難しく考えずに水浴びをすればいいのかな。比治山くんはどう思う?」
「そんな先のことなぞ知らん! もう寝ろ!」
笑い声と共におやすみを言う前にひとつだけ。
「君がいてくれてよかった。こんなに心強いことはないよ」
やっぱり無人島に何かひとつ持っていくなら比治山くんで正解だ。
*
その後、都合のいい潮流を待つのに数日を要したものの僕たちは無事に帰還した。もちろん皆には酷く心配をかけたし、安易な海釣り遊びの制限なんかにも繋がった。
「で、あんたたち何か進展は?」
密談を装いつつ興味を隠さない如月に答える。
「特に何も」
「その割にいい顔してるわね」
「アウトドア生活も悪くないと思って。僕もたまには調査メンバーに加えてもらおうかな」
「仕事が片付いたらいいんじゃない? ま、当分は無理でしょうけど」
「あぁ……全くだよ」
しばらくは調査機器の設計が山積みだ。衛星もいくつか上げないと正確な位置情報が取得できない。僕たちの安全な開拓生活のために、やるべきことを進めよう。
近くに居なくとも、比治山くんを一人で遭難させるつもりは無いのだから。
2025.07.21