女々しさの考察 自分の容姿が気になり始めたのは『彼女』に出会ってからだった。
兵役に就いてから比治山は身だしなみというものに気を遣うようになった。白い軍服は気を抜くとすぐに汚れてしまう。名誉ある秘密兵器の搭乗者に選ばれたのだからみすぼらしく気の抜けたようなのではいけない。規律如何ではなく、国を護る一角の男としてきちんとしていなければならぬ。
だが、今気になるのはそうではない。自分は異性から魅力的に見えるかどうかという甚だしく軟派な心地で鏡を見てしまう。ほくろや変に日に焼けた跡などを見つけるとそれが気になって仕方がない。往来ですれ違った女学生が比治山を見てこそこそと小声になるとつい聞き耳を立ててしまう。いや、その女学生に何と言われていようが構うまい。問題は『彼女』がどう思うかである。
何をしていても散漫となる心にこれではいかんと腹を括り、比治山はついに玉緒の意見を聞くことにした。幼馴染であるところの彼女は異性として想うことこそ無いが、奥ゆかしくも芯のある模範的な女性だ。彼女の見立てなら間違いあるまい。
「恥を忍んでおかしなことを聞きますが……」
俺は格好いいでしょうか、とは流石に口に出せない。女性にとって感じが悪く思われないか、隣を歩いても嫌な心地がしないか、図体が大きすぎるのではないか。随分な回りくどさをもって玉緒に尋ねるうちに慶太郎にしておけばよかったと後悔した。しかし彼は何を聞いても比治山に遠慮して悪し様に言わないだろうし、所詮は男の意見だ。彼の口にする男らしいとか逞しいとかいった賛辞は嬉しいが今は必要ない。
「桐子ちゃんが気になるのね」
「それは、はい」
付き合いも長く、人を見る目に長けている彼女にはすぐに見抜かれてしまう。
東京から来た『彼女』。堂路博士のご息女ならば世の中が戦争一辺倒になる前は映画に演劇と、沢山の娯楽に親しんできたに違いない。街中にもそこいら中に十人と言わず百人でも千人でも色男が闊歩していたはずだ。きっと見目の良い男など飽きる程見てきただろう。明日葉を出たことのない比治山には分からない世界だ。
馬鹿げたことだが、それでも美しい彼女の眼鏡に叶いたい。せめて不愉快に思われなければいいのだが。
「大丈夫ですよ。隆俊さんは実直なところが顔に出ていて、気遣いの出来る人ですから。桐子ちゃんも正直な子でしょう? 滅多なことで嫌われたりしないわ。自信を持って」
「玉緒さん……。有難うございます」
彼女は気心の知れた幼馴染、であるが軍に入ってから比治山は心を入れ替えた。尊敬に足る相手に女も子供も幼馴染もない。不甲斐ない自分を真直ぐに激励してくれた玉緒に礼を尽くして頭を下げた。
「隆俊さんがこんな風になっているのを見るのは初めて。きっと本気なのね」
「……はい。俺の真心がそう言っています。彼女しかいないのだと」
「頑張ってね」
そんなこともあった、と比治山は天井を見上げた。木の匂いなど微塵もない白々とした面に煌々と白い電灯が光を放っている。ここは1944年でもなければ地球でもない。
そして、
「どうしたの、比治山くん」
堂路桐子の正体は沖野司なる男だった。今は比治山隆俊の恋人である。無事に『彼女』ならぬ『彼』に見初められたと言うにはあまりに余りある紆余曲折があった。その五年の歳月を経て、未だに沖野は美しい。
惚れた欲目では断じてない。色素の薄い髪に男にしては線の細い中性的な輪郭、長い睫毛に彩られた理知的な眼差しは見る者が男であれ女であれ彼を美しいと称するはずだ。
自分はどうだろうか。世間的にも大人と呼ばれる年齢になり、日々の仕事を通して前以上に逞しい肉体を得た。美醜の方も、身内ばかりの十五人で比べるのは憚られるが決して悪くはないのではないかと思う。柄にもなく人類のアーカイブに残されたファッション雑誌などを見て手入れもしている。比治山の出身であるセクター5の慣習に倣ったのでは沖野の隣に見合わないと考えたからだ。セクター1の文化で生まれ育った彼にとって自分は、恋人として恥ずかしくないものだろうか。
「どうしたのってば」
うわの空になっていた比治山に向かって沖野が首を傾げた。
その仕草は全く男らしくなく軟派なものである。軟派と言えば網口だがそれともまた違う、少女然として媚びた動きは成人した男子のやることではない。だというのに比治山にだけ向けられるこれが可愛らしくて仕方がない。
沖野の容姿が整っているからだろうか。返事をする代わりに沖野を呼び寄せて抱きしめた。
「え、なに。本当にどうしたの? 悪いものでも食べたのかい」
沖野は可愛い。恋人となった今、何の疑問も無く腕の中に大人しく収まる。甘い匂いすらする。体臭と少し違うのは洗剤を変えたのか、それとも香水でもつけているのだろうか。入浴剤の類は同じはずだ。
「沖野……」
口には出せない言葉が溜息になった。
何かを思い悩んでいるとでも思わせたのか、沖野は比治山の頭に手を伸ばして撫でてくる。
「少し髪が伸びたね。今度切ってあげよう」
決して女性的ではない沖野の指が髪を梳く。比治山は困ってしまった。
愛することについて性別の垣根は超えたつもりだが、その先の交際の在り方というものはよく分からない。男と女ならば男は女を守り、女は男を支えるのが良い。いや、連れ合いとなった二人が良好な関係を築けばなんだって良いのだが、比治山が参考に思い描き易いのはそういった類だ。
しかし男と男はどうだろうか。沖野も男だ。守りたい、或いは守らせて欲しいと思うのはこちらの勝手ではないか。
自分がどう在りたいか、今、どんな自分でいるのか、沖野司は比治山隆俊をすっかり乱してしまう。
「貴様はどうしてそう……、その、女々しいのだ」
「……は?」
沖野は甘い恋人の時間に突然侮辱されて心底意味が分からないという顔をした。一般には可愛いとも美しいとも形容されない間の抜けた表情であるが、比治山の目にはやはり整って見えた。
そしてこれこそが沖野だったはずだ、と思う。
桐子として微笑みを浮かべていた時は兎も角、沖野は小ざっぱりとして意地悪く、時に冷淡とすら言える態度の男だった。恋仲になった当初もそれは変わらず、時に比治山を落胆させたのだが、今ではこのような有様だ。恋人にだけ見せる顔にしてはどうもわざとらしいのではないか。率直に言えば可愛さを装っているように感じる。
確かに男同士であることに葛藤していた時期もあった。しかしそれは解決されたのだと彼も知っているはずだ。信頼されていないとは思えない。ならば何故。
問いかけると沖野はそんなことか、と可笑しがった。
「分からないのかい。君が喜ぶからだよ」
「俺を揶揄っているのか」
「いいや。君に可愛がられたくて」
「……っ、」
慣れ合って久しく落ち着いてばかりだった心の臓がぎゅっと締まる。赤くなっているのはこっちだというのに、沖野はいつかのように恥じらってみせた。
「ああ……、でも君が冷たくされたいなら僕は少し考えてあげないといけないね?」
「せんでいい!」
こんな所は以前と変わりない。違うのは揶揄いながらも素直に笑うところだ。そしてもう一つ付け加えた。
「いいことを教えてあげよう。僕が可愛いと比治山くんが格好良くなる。男の意地がそうさせるのかな。僕も男のはずなんだけど……パートナーがいい男なのはなかなかどうして悪い気はしない」
「沖野……。俺は、その、褒められているのか?」
「うん? そのつもりさ」
比治山は向けられた言葉にどう応えたものか悩んだ。嬉しい顔というものはだらしないものではなかろうか。それも喜ばれてしまうことは分かってはいても見栄はある。
「そんなところが、ね」
好きだよと耳元へ囁かれる。これならば表情は見えまい。抱擁でもって沖野に喜びを伝えた。
見てくれがどうあれ、『彼』が態度を変える程に想う相手は自分だ。全てはここに成就している。
2023.03.04