>existence■EX01:存在
僕たちが格納されている筐体のメンテナンスに励む沖野少年の顔を見てひとつ気になったことがあった。
「君、いま何歳だっけ?」
何故そんなことを聞くのだと言いたげに返された数字は実のところ数ヶ月間違っているのだが(これは仮想空間で設定された誕生日と彼らの肉体の生成を起点としたデータ上の日付、惑星の公転周期のズレによるものだ)、それは重要ではない。
「じゃあ、君ってもう僕の歳を追い越したんだ?」
「……そうだよ」
奥まったところにあるケーブルに手を伸ばすのを止めてこちらを見た少年、否、青年の顔立ちは確かに二十代後半という僕が至ることのなかった年代の輪郭をしている。双生児のように殆ど同じ造りでありながら僕と違って柔和さや温厚さの滲む目元になったのは彼のパートナーのせいだろうか。
そう思えば僕だって、僕のひとを呼びたくなる。
「ねぇ、隆俊。聞いた? もう彼ら、僕より年上だって」
統合情報集積システムに構築した仮想空間から現実世界と意志疎通を図るインターフェースとなる小窓の中へ隆俊を引っ張り込む。一人用設定の小さなエリアに二人して写り込むには肩を寄せ合って頬を近づける必要があった。
そう、必要。僕たちは必要があって接近しているのであって、見せつけるためではないぞ、沖野少年。
「別にモニタに顔を出さなくても、僕の顔くらい見えるだろ」
見たければどうぞ、と彼はID用の撮影に使えそうなくらい澄ました顔を正面へ向けた。
沖野少年の言う通り、隆俊はここの施設内のカメラを掌握しているから誰の顔だって見ようと思えばいくらでも好きに見られる。でもそういうことじゃないのは誰よりも本人が示していたので、隆俊は大人しく彼の顔を観察する。僕はその横顔を見る。
きっと親戚の子供に向ける目ってこんな感じだ。優しくて、穏やかで、少しだけどうしていいか分からないような、困った顔。
「隆俊はどっちが好き?」
聞くまでもない質問を投げかける。あまりにも答えが決まりきっているものだから隆俊は何も言わずに僕へ笑いかけただけだった。
AIである僕と隆俊は歳を取らない。正確には稼働年数と経験データの蓄積のみで、設定された容姿や人格は変化しない。観念的な表現をするならばアップデートはあっても成長はないといったところか。勿論、加齢シミュレーションに基づいて容姿データを変化させることは出来るが、今のところその機能は使っていない。
だって何年稼働するか分からないじゃないか。百年程度ならともかく、それ以上経つと仙人になってしまう。僕は僕の知ってる隆俊と一緒に居たい。隆俊はきっとどんな僕でもいいって言うんだろうけど。
脇腹を小突いて沖野少年へ注意を戻してもらう。
「比治山少年が隆俊の歳を追い越したら見せに連れて来てよ。僕の隆俊と比べたい」
「何年先だと思ってるんだ。僕の比治山くんは見世物じゃない」
「僕の、だって。隆俊?」
若き青年の大人びた顔が羞恥に染まる。僕の様に堂々とするにはまだまだ経験不足だ。
「ツカサにつられたんだろう。そう揶揄ってやるな」
隆俊は僕の肩を押して少し離れるように促した。仕方がなく画面から顔半分が見切れる位置におさまる。
「大きくなったな。沖野くん」
「ありがとう、ございます」
「俺が言うのもおかしいが、これからもこの世界をよろしく頼む」
本当に親戚の人みたいだ。僕はその伴侶ということで黙って控えておこう。
隆俊は彼らがこんな未来を迎えるのを願っていたから思う所は沢山あるだろうし、僕の――僕があと少し長く生きていたらこうなったであろう容貌に向ける眼差しはどこか遠い。
向こう側に映らないところで隆俊の手に指を絡めた。
君の僕はここにいるよ。
常時稼働を果たした仮想の疑似感覚空間の中において僕たちは生きている人間と同じように接触によって存在を伝えることが出来た。握り返される指も触れ合う掌の熱ももうずっとここで重ねてきた。
「司」
僕が急にそんな呼び方をしたものだから、青年は驚いたようだった。
首を傾けて画面の中に顔を押し込んで、僕の先へ行った顔を見据える。
「比治山くんと仲良くしなよ。末永く」
「言われなくとも」
そういえば前にもこんなこと言ったな。
まるで違った僕たちの遺伝子の道行きを僕は隆俊と共に見守っていく。これからも先も、ずっと。
■EX02:時間
システムの移行作業は順調に進んでいる。
僕が創られてから何度目かになる大規模な刷新計画の最終段階だ。
仮想世界で育った「子供たち」が扱えるように旧世紀型のマシンは定期的なハードの交換が必要だった。その度に雑然と追加されたシステム構造を整理して最適な形に整えるというのも旧世紀式。
あとは終わるのをただ待つだけになった僕の仕事を前に、電算室から古い機器を運び出す作業に励む人々を眺める。AI受肉計画とやらが進んでから、ある程度ではあるが人口は増えた。そこへひときわ大きい影が横切った。
「あ、比治山くんだ」
「オキノさん」
「君がここに来るなんて珍しいじゃないか。司を探してるならここには居ないよ」
「いえ、タカトシさんに用があって」
「……なるほど」
そう言う君もかなり隆俊じゃないか。髪型なんかは違うけど、もう、きっと隆俊と同じくらいの年齢だ。僕よりもずっと年上。少年の可愛げや甘さといったものは、外見と内面の両方からすっかり失われて、溌剌とした逞しさすら思慮の影に落ち着いてしまった。本当に隆俊に似たなぁ。
そして、パートナーの若い頃に少し似てる僕にはもう惑わされてくれず、礼儀正しく他人行儀に接することに決めているらしい。僕の隆俊はこの顔にずっと夢中だけど、彼が愛しいと思うのは一緒に歳を重ねた自分の沖野司だけなのだろう。
「もうすぐ移行後の再起動が終わる。少し待っていたまえ」
目が覚めれば僕との接続が復帰するはずだ。タスクの優先順位を上げるといくらもしないうちに隆俊の映ったウィンドウが立ち上がる。コンソールを操作して彼には窮屈そうなサイズを調整した。
「比治山くんが君に用事だって。今回から自律移動式にしてみたからそのまま動き回れるよ。この部屋の外の見回りなんかには設備追加が必要だけどね」
「ツカサ。どうしたんだ、今日は随分と真面目じゃないか」
「そこの彼がいると、どうもね」
君に見られているような気がしてくるから。
隆俊ではないことは一目見て分かるのに、彼の面影を感じてしまうと僕は少し、緊張する。若かった時は単純に成長を面白がって眺めていたはずが今はどうだ。僕へ向ける視線と司へ向ける視線の明確な違いが気になって仕方がない。
比治山くんに気があるとかじゃないんだ。あの少年がこんな風に隆俊みたいな大人になるんだと思ったら、僕はどこか、取り残されているみたいで。
「――なので送電ルートを変更してはどうかと慶太郎が」
「確かに堅実な案だな」
「タカトシさんには負担をかけますが」
「どうということはない。それが俺の仕事だ」
「では後でデータを送っておきます。それから別件で……」
このところ隆俊も僕も準備にかかりきりだったから、比治山くんからの相談は積もり積もっているようだ。
真面目な僕は彼らの話が終わるまで黙っておいて自分の仕事――自動化してある移行作業の進捗を眺めているだけの役割に戻って、ついでに優先順位なんか最下位だけど暇潰しに出来なくはない仕事へ手を付けてしまう。ドキュメント類の整理とか、司はこういうのを真面目にやるけど、僕は最終版の成果物があれば良いから面倒なんだよね。彼だって比治山くんが無いと困るから習慣になったクチだろうに。
それに比治山くんが見た目通り成長したなら、彼にだってもう必要ないはずだ。
「いずれ俺以外の誰かに引き継ぐなら必要になる。無駄ではないさ」
僕の想定上の「彼」は隆俊の声色で話す。それは誤りで、比治山くんの像に結び直す。彼ならそう、「無駄にはならん」だな。僕に直接頼むんなら「無駄にはならないのでよろしくお願いします」くらい謙虚に言ってくれそうだ。
違う時間を生きる彼らはいずれ僕たちを追い越していく。だからこのエラーもいっときの事。僕たちはずっと変わらないまま、情報の海の中に在り続ける2188年の死によって始まった人格だ。
「ツカサ。これはそちらに行くのにどうしたらいい」
「そんなこと――」
聞かなくても分かるだろ。情報は同期されてる。そう思ったのが間違いで、隆俊の発言は僕の気を逸らすためだけのものだった。
同じ空間、と定義された場に現れた隆俊にがばりと後ろから抱きしめられる。
「……珍しいね。君が仕事中にこんな」
いつの間にか比治山くんは話を終えて出て行っていた。
「しばらく一人にさせてしまったからな。ツカサが寂しそうに見えた」
僕を囲う腕に痛くないだけの力が込められる。後頭部の髪が顔へ擦れるのも隆俊が僕へ愛情を示している証拠だ。多少のきまり悪さを感じつつもそれに応えて体を預ける。
「ほんの少しだよ。彼が君みたいないい男になってたものだから調子が狂うんだ」
「俺を妬かせるつもりか」
「そうかもね」
顎を上げて隆俊の顔を見る。もしかすると比治山くんの方がもう年上なのかもしれない。それとも物理的に走り回ったりしてる疲れが出てるのかな。隆俊のことを若いひとだと思ったのは初めてだ。
「隆俊はここの沖野司をどんな気持ちで見ていたんだい? 若い僕? 可愛かった? 話してて緊張した?」
「なんだ、気にしていたのか」
「そんなのじゃないよ」
「俺のツカサはツカサだけだ」
あぁ、もう。僕に勝手はさせないって調子で強く抱きしめるから誤魔化されてしまおう。いつまでもこうしていたいし、そうすることが出来るから。
■EX03:僕たちではない君たち
比治山隆俊と沖野司が天寿を全うした。
多くの場合がそうであるように一方が他方を置いて逝き、残された側はそれを悼みながら余生を過ごしたわけだけれど、どちらがどうだったのか語る必要はないだろう。彼らは僕らがそうであるように再び共に過ごしているに違いないのだから。
「僕たちはどうしようか」
沖野司が存命であった時に肉体を持たないAIの行く末について、いくつかの選択肢が示されていた。
「君たちには十分働いてもらった。僕の一存で人格を再生したことについて、今更だが謝ろう」
「どういう風の吹き回しだい」
この頃には彼らはもう僕や隆俊よりもずっと年上だった。様々なプロジェクトに携わりながらも、人生の幕を下ろす時のことについて準備を進めているのは明白だった。
「君には拒否権がなかった。僕はプログラムをそういうものだと考えているけど、君とは他人じゃない。……いつまでも変わらない僕たちではない君たちに思う所があるんだ。だから、作成者の責任としてこれを残しておこうと思う。パスワードは君があの人を作った日だ」
僕と隆俊は既にこの惑星のインフラとして欠かせない働きをしていた。無論、他のプログラムで代替可能だが、かつての人類ほどの人口を有していないこの惑星ではいくらでも働き手は求められているし、社会インフラの構築に注力せざるをえない背景から技術の進歩というものも2100年代前半とそう変わりない状態で停滞している。開拓重機のように一部で2180年代相当のオーバーテクノロジーが稼働してはいるが――新しい人類にとってはブラックボックスのままだ。使うことは出来ても解き明かすことはままならない。
したがってそれらを容易に掌握する作業AIである僕と隆俊は長々期的稼働を望まれて運用され続けてきた。
だけど、必ずしも「ツカサ」と「隆俊」である必要はない。これまでに学習された優先順位さえあれば事足りる。
「そういうことかい? 随分悪趣味なパスワードだな」
司に渡されたのは僕たちの人格を消去するプログラムだった。つまるところ自殺のための道具。
「悪いとは思ったよ。でも、君だけが知り得る情報がそれしか思いつかなかった。気に入らないなら後で変えておいてくれ。破棄しても構わない。必要になったら自力で作るぐらいするだろ、君」
「まぁ、とりあえずは預かっておこう」
かつてそんな話をした僕にも責任はある。世界に絶対なんかないんだ。それに、生命の終わりを見ている人間の願いは聞いておくべきだろう?
「だけどこんなものを渡すくらいなら君たちが僕たちに成り代わるという選択肢もある。定期的に脳をスキャンしておいて死亡後にAIとして稼働すればいい。後世の人間は喜ぶだろうなぁ。なにせ惑星の開拓者である比治山隆俊と、開拓の頭脳である沖野司だ。英雄じゃないか」
老齢と言って差し支えない貌が静かに首を振る。
「いざという時のために保存はしておくけれど、使う事はないだろう。君にも使ってほしくない」
「覚えておくよ。君は生きている人間だ」
限られた断片から作り出されて時間を止めたまま過ごしている僕たちとは違う。
彼はそこでようやく息を吐いた。
「……僕がいなくなった後のことも心配しなくていい。肉体を持たないAIであっても本人の人格を無視した削除は制限するように法として取り決めておくつもりだ。君たち二人だけのためじゃなく、この惑星の黎明期を支えた皆にも必要なことだからね」
「君も随分と丸くなったな」
「この通り、年寄りになったのさ」
沖野司はもう僕ではない顔で笑った。比治山隆俊の傍で過ごした少年と同じ表情だった。
そして、恒久を手にした僕たちが残った。
長年にわたり拡張を重ねた疑似感覚空間は今や外側の世界と変わりない日の出と日没の時間が流れ、明日葉市を再現した出歩く程度の町があり、僕たちの暮らす家があった。僕たちにはどうにもセンスというものが足りなかったようで、家の中は当初持ち出して来た1980年代の様式と、後から追加した2100年代の家具が入り交じってちょっとよく分からないことになっている。
絶対に宇宙コロニーでの暮らしはこんなのじゃなかった。記録がなくても断言できる。
だけど一度置いてしまったら思い出なんかが出来てしまって、改めて統一する機会を逃してしまった。今の僕たちにはこれでいいと思う。
建付けの悪い20世紀式の小さな窓を開けて地球の星空を見上げた。外の世界からはもう見ることの出来ない風景だ。
「隆俊」
僕たちはかつてそこで出会って、恋をして、死んだのだと仮定している。死んだこと以外は不確かな、僕と隆俊が今ここにいる理由。そしてこれから先もRS13アルファ惑星に在る理由。
「僕と君が出会った日を覚えておいて」
「忘れるものか」
存在からも時間からも離れて、世界がもう一度果てるまで僕は君とここに居たい。
2023.07.22