1031Vampire「ハロウィンのお祭り?」
仮装をしてお菓子交換をしましょう。コロニー居住者は全員参加です。
隆俊から送信されたビラにはそんな文字が躍っていた。
人類は歴史上もっとも滅びに近付いているのに、敷島の管理者達はいよいよ手の付けられない愚か者になってしまったらしい。以前から社内行事や福利厚生と称してこの手のレクリエーションはあったが、どう考えてもこの状況でやることじゃない。際限なく増え続ける仕事と同量の溜息が出る。
隆俊は忙しい中、警備にも駆り出されるとのことだった。
「馬鹿げてる。やるにしても有志で十分だろ。どの部門だって混乱してるのに」
「まぁそう怒るな。お前にも出来れば参加してもらいたい」
「発案者はどこの誰?」
絶対に文句を言ってやる。この期に及んで隆俊と僕の時間を奪うなんて許さない。
意気込む僕に隆俊は初めから予想していたように笑いかけた。
「警備部門の俺だ」
僕の目はさぞ大きく――満月でも見た狼男みたいに開いていたことだろう。
「ツカサもきっと賛成してくれると思っている」
「……理由次第だね。まぁ、君の案なら、聞いてもいい」
この時点で僕が参加しないなんてことは無いんだけど、一度振り上げた拳だ。相手が隆俊だとしても簡単に下ろすのは癪だった。それに非合理の説明をしてくれなければ納得できない。口にした非難は本心だ。
隆俊は何故か恭しく床に膝をついて僕の手を握った。
「地球がああなってから、避難民が来ただろう。その中には孤児となった子供も多い」
「……そうだね」
隆俊は僕が養育者に持て余されて教育施設に引き取られたことを知っている。
最初から本当の親はいなかったし、そういうのが僕の当たり前で、むしろすっきりした心地すらあったけれど、今は隆俊の言っている意味が分かる。
「きっと寂しい思いをしている。代わりにはなってやれないが、少しの間だけでも不安を忘れさせてやりたい。だがクリスマスを楽しみにしてもらうには、まだ遠すぎるだろう?」
たかが数ヶ月後。その数ヶ月の見通しが立たないのが今の状況だ。
「それでハロウィン?」
「ああ。ツカサにも手伝ってほしい」
正直、隆俊以外の人間に興味はない。たとえ子供でも――むしろ子供なんか好きじゃないしどうだっていい。そんなことに時間を割くくらいなら隆俊と二人きりで過ごしていたい。
けど隆俊がこんなことを言い出したのは多分、僕と出会ったからだ。縁のない子供にまで僕の過去を重ねて自分が出来る事をしようとしてる。その優しさは嫌いじゃない。
僕の初めて知った愛と同じものだから。
「……仕方ないな。隆俊の言い出したことだから、付き合ってあげる。その代わり、仮装は僕に任せてね?」
隆俊の手を友人の態度で握り返す。
君の企画なんだから、目一杯楽しませてもらうとしよう。
*
ハロウィンの当日、僕は用意した衣装を隆俊に渡して着替えてもらった。
「うん、よく似合ってる。僕の見立て通りだよ!」
「……ツカサ。趣旨は話しただろう。これでは、」
襟の立った赤い裏地の黒マントに、中世貴族を彷彿とさせる装飾過多のシャツ、金ボタンの厚いベストを恭しいジャボタイで飾った古式ゆかしい吸血鬼の姿だ。ちゃんと付け牙だって用意した。
「ホルスターはいつもの位置で大丈夫だと思うんだけど、どう?」
「それは問題ないが、少し本格的過ぎやしないか」
「大丈夫。みんなこれぐらい羽目を外してるよ。君も、髪までしっかり整えて乗り気じゃないか」
着飾る機会なんて金輪際無いかもしれない。それがコロニーの住民の意欲を刺激した。生産後に放置されていた華美な衣料品を誰かがタグ付けしてマーケットにタダ同然で放出したことでローカルネットは大盛り上がり。
隆俊の体格に合う衣装を探すのには苦労したけれど予想以上の出来栄えだ。ベストは腰のあたりでサイズを調整して絞れるよう背面に編み上げがあったから、彼の体格の良さを引き立たせた。警備員らしく引き締まった表情をしていれば相当の偉丈夫に見えるだろう。
「ツカサは普段着か?」
「ああ、適当に包帯でも巻こうと思って」
隆俊を喜ばせる仮装なら色々と思いついても、それで外の集まりに参加するのはちょっと考えられなかった。被り物なんて柄でもないし、ゾンビだかミイラだかよく分からないものにしておけばレギュレーションは満たせる。
問題は着付け、ではない巻き付けが自分では上手く出来なかったことだ。手先は器用なつもりだけど、服の上から、場所によっては片手でとなるとなかなか上手くいかない。
「伯爵閣下、僕の支度を手伝っておくれよ」
「まったく……貸してみろ。いや、黒いシャツを持っていたな? 前に出かけた時に着ていた……包帯にはあれの方が見栄えがいい。着替えられるか?」
「君もなかなか注文が多いね」
まぁ吸血鬼様がここまで本格的なんだ。僕も多少はめかし込んでいた方が隣に並ぶのに都合がいいかもしれない。
クローゼットから引っ張り出した黒シャツに着替えて、後は隆俊に任せる。
付けたばかりの手袋をいつの間にか外していた手は貴族みたいな吸血鬼に不釣り合いな働き者の形をしている。それが器用に、服の上から包帯を巻いていく。
「手馴れてる」
「基本ぐらいはな」
「待って、きっちり巻きすぎ。これじゃ怪我人だ」
シャツを引き出したり動かしたりしてゆとりを作る。少しぐらいルーズな方がそれらしい。
「僕の身体はよく知ってるだろ。強くし過ぎないで?」
「ツカサ」
「はいはい、子供向けの催し。分かってるよ」
結局その後、興が乗った僕たちはフェイスペイントにまで手を出して――これも隆俊は器用だった。迷彩の要領、らしい――ハロウィンの仮装を完成させた。
*
手の込んだ吸血鬼の仮装をした隆俊は老若男女から好評だった。マントで警備章が隠れてしまう問題は十分目立つ見た目を理由に不問とされた。僕も恋人として鼻が高い。こんなことを考える暇があったら仕事をしろといった苦言を誰かに言われたような気もするが、お祭りの日の無粋なんて覚えておく必要のない事柄だろう。
「結局解けてきちゃったな。どこがどうなってるんだ、これ」
子供に引っ張られたり、その辺りに引っ掛けたりしてよく分からないことになっている。
僕がそれと格闘している間、隆俊は肩が凝ったと言ってメイクを落としに洗面所へ向かった。ただの参加者だった僕と違って、彼は運営側で多くの役割をこなしていた。きっと疲れているはずだから、手伝ってもらうのは後にして少し休ませてあげたい。
何度か水道の音が聞こえて、それからドアの開閉音と足音。
「おかえり、隆俊――」
彼の方を見た僕は、途中で言葉を忘れてしまった。
襟元を飾っていたタイを外してベストを脱いで、大きく開けたシャツから肌が覗いている。
「……本当に似合うね」
「お前も似合っている」
「どんな僕も魅力的、の間違いでしょ」
子供の時間は終わりだ。隆俊もそのつもりだということは見て分かった。首へ腕を絡めて、露わになった逞しい胸元へ鼻を擦りつける。
吸血鬼って、死者なんだっけ。
生きている人間の汗の香りにくらくらと魅了されていく。戻れなくなる前に顔を上げて、唇のあたりを注視する。
「牙、取った?」
あ、と口を大きく開けて見せてくれた内側、歯列に重なって乳白色の犬歯が生えている。それを追うように口付ける。
隆俊が少し屈んでくれればすぐに舌で触れられた。樹脂製の、つやつやと尖った異物。本当の獣の歯のような鋭さはない。単純な方法で貼り付けているだけだから吸血鬼の真似をして強く噛みついたりしたら取れてしまう。
普段無い感触を一方的に舌や唇で確かめていると、放っておかれた隆俊が叱るように反撃してきた。
「もっと」
傷なんか付くわけないのに牙が注意深く僕を食む。溢れ出て来るのは血じゃなくて唾液だ。突起物への生理的な反応でいつもより多いそれを零れないように器用に唇で拭って吸い上げて貪られる。
いつの間にか隆俊の舌が僕の中へ入っていて、硬質な牙が唇や歯に当たる。倒錯に陶酔していく。
反った背中に回された手が僕を支えながら手探りに包帯を引っ張って何度もキスの角度が変わった。
「隆、俊」
隆俊が何をしたいのか分かる。
けれど、あまりに解けないものだから諦めたらしい。腰まで下りた手がシャツの裾から中へ這入り込もうとする。これもまた包帯に阻まれてまどろっこしく指が隙間を行き来するばかりだ。
焦らされてるなら気持ち良いけれど、これじゃあ先が見えない。
手探りで外した包帯留めのせいであちこち緩まって中途半端に解けたのが、かえって絡まる理由になっているみたいだ。
「これは、困ったな」
僕たちは熱に浮かされたキスを中止しなければならなかった。
「だから強くし過ぎないでって言ったんだ」
「そのつもりだったのか」
「当然。こんな君を放っておくわけないだろ。隆俊に縛られてるみたいで悪くなかったけど。……ねぇ、脱がせて」
このままでも出来なくないけど、吸血鬼姿の隆俊にちゃんと食べられたい。それにはこんなもの邪魔だ。
太い指がかき乱すように包帯を外す。両目と両手が自由になった隆俊にかかればこんなの訳ない。ようやく見つかった端が床へ落ちて、解けて緩んで、やっとシャツのボタンが全部外せるようになる。
お互いに我慢はそこまでしか出来なかった。半端に解け残ったままソファに押し倒される。
「trick」
「treat」
肩口に柔く噛みつく僕の吸血鬼。
そういえば吸血鬼って不老不死なんだっけ。
未来なんか無い閉塞をひととき忘れるのに、君の提案は悪くなかったよ。
2023.09.13