オレンジワイン王水「nouveau dessert」「やぁ、お邪魔するよ」
「…………入れや」
ここ数日でめっきり冷え込んだ玄関での問答は無意味だ。
招かれざる客ではあったがその両手に抱えられた物を視界に捉えると、琥珀色の双眸が酷薄に輝いた。その光を凌駕する土耳古石の所有者は悠然と微笑む。勝手知ったる恋人の家のリビングに入り、ローテーブルに荷物を置いた。ふわりとスパイシーな香りが舞う。そのまま瑠璃色の上着と濃紺のスヌードを壁際のハンガーにかけ、手洗いと嗽を済ませてテーブル前に座した。ちゃっかり引っ張り出した座布団を敷いている。
「時間ぴったり、かな?」
「約束も連絡もせんで、『ぴったり』もあらへんやろ」
そうは言いつつも、水上の空腹具合をぴたりと見計らって来るのが王子であることを知っている。そう水上が思っていることを王子も知っている。それは、六年前の春、高校入学時に出逢った頃から肌で感じていたことだ。知人・友人・恋人とクラスチェンジした今でもそれは変わらない。嫌悪・共感・親愛の比率が多少変わったくらいだ。変動制であるそれの現在の比率は7:2:1である。
PC用眼鏡を外して大学のレポートを保存し、PCの電源を落とす。手を洗い、取り皿とタンブラーを二つずつ取ってから王子の対面にある自分の座布団の上に座った。
「なんぼや」
「4,089円ずつ」
「了解。後で払うわ」
「うん、温かいうちに食べよう」
ロゴと紅白が描かれた、白スーツに黒縁眼鏡の名誉大佐で有名なFC店の箱を開けた。淡い蒸気が緩やかに立ち上る。
「いただきます」
「いただきます」
グラスが空のままチキンを一つ完食する水上を眺めやる王子の口の端が三ミリ上がった。ボトル用保冷バッグから瓶を取り出しグラスに注ぐ。四本のポテトを咀嚼しながら、朱色に透き通った液体を満たした。
「なんやこれ?」
二つ目のチキンを食べ終え漸く人心地ついた水上が、紙ナプキンで指を拭った。
「まあ、飲んでみてよ」
売られた喧嘩を高値で買うのはお互い様だ。ふ、と口角を上げた水上はまずグラスに鼻先を寄せた。
冷えてるせいか、あまり香らんな。……葡萄か?
一口飲む。ぴりりと味蕾を小さく刺激する。軽やかに満たされるが程なく辛さが消えた。
やっぱりワインや。でも、皮の気配はするけどタンニンっぽさがあらへんな。
「鼻から抜ける時には柑橘系?の香りがするけど、ワインやろ。フレッシュさが強いから、ボージョレか?せやけど赤でも白でもロゼでもないやんな。なんやこれ?」
白旗を振られ、チェシャ猫よろしく王子が笑んだ。
「ふふっ、いいとこ突いてるね。オレンジワインのヌーヴォーだよ。ボージョレは赤ワインが殆どだから、これは違うのさ。これはブルゴーニュのワイナリーのものなんだ」
「せやった。『ボージョレ・ヌーヴォー』って『ボージョレ地方の新酒』ってことやもんな。『魚沼産新米』と同じパターンや」
「そういうこと」
「つうか、『オレンジワイン』って俺初耳やわ。何なん?」
「白ブドウを使って赤ワインの製法で作ったものだよ。約8,000年前にジョージアで始まったらしいけど、今ではイタリアやカリフォルニアでも作られてるんだって」
「せやから皮っぽいんか。納得したわ。確かに赤ワインのタンニンっぽさがあらへんもんな」
「流石だね。伊達に大阪人やってないね」
「なんやそれ」
「ふふっ、まあ飲もうよ。オレンジワインは食事にも合うだろう?」
「せやんな。ミュスカみたいに甘くないし、酸味があるから口直しにええな」
「そうそう。甘いのは食後のお楽しみ、だよ」
「お、デザートあるんか?それともコンビニ?」
「まあまあ。慌てないで飲もう、食べよう。乾杯乾杯」
グラス越しに代赭色の頭髪を見やる。常より増して色濃く感じるその色に、瞳を細めた。
「君の『髪』に乾杯」
「おい、そこのボガード。そこは素直に『瞳』でええやん。本音は『色の同化』ってバレてんねん」
「あ、ばれてた?でも、きみの髪色、ぼくは好きだよ」
バーグマンのシャンパンゴールドに引けを取らない、華やかなターコイズブルーを双眸に宿して口元を綻ばせる。つい、と梳り首筋をなぞった。
それから、まだほんのり温かいポテトに王子が指を伸ばす。外耳をワインと同色に染めた水上は、無言のままグラスを空にして手酌で注いだ。
ちゅ。ぺろ。ちゅく。にゅる。ぐい。ざらり。
触れて、舐めて、入って、回って、押して、擦る。
「……ぅん…っ。…………くっそ、お前が即答しない時点で疑うべきやった」
「そんなところだよ、みずかみんぐ。きみの可愛いところさ」
湿度の増した吐息を漏らして不平を零した恋人の、甘い味蕾を堪能した。王子専用のデザートとして。