初めて私の街にも曲馬団がやってきた。
ぐるり見回せば観客席は満員御礼、立見の客もいると言う。それもそのはずだ、この曲馬団は結成されたばかりであるにも関わらず雑誌に紹介文が載るなど非常に勢いがある今一番人気の曲馬団なのだ。
周りの人々の熱気と眼下に広がる小道具の数々に、そわついた心を宥めながら私は席に腰を下ろす。
すると袖から洋装に身を包んだ男が現れた。この曲馬団の座長だ。観客の期待を煽るように声を上げて、人好きのしそうな笑みで恭しく腰を折る。見慣れぬシルクハットの下から出てきたのは坊主頭と不思議な形に整えられた髭で、洋装との不釣り合いさにドッと笑いが起こった。
それからはもうめくるめく熱狂と興奮の連続で、息も付けないほど。馬を巧みに操り手綱から両手を離したまま銃で的を仕留める男、背丈の倍はある大きな熊をまるで飼い犬かのように扱い自転車にまで乗せてみる猛獣使いの少女、可憐な衣装を纏い艶やかに舞う少女(?)団、不死身を名乗る男の剣をお手玉のように扱う場面には私を含めた観客達が息を飲むのが空気の振動で伝わってきた。そうして次の演目は。
「次はこの曲馬団一、二を争う見目麗しの花形スタァと文字通り縁の下の力持ち、屈強な芸人の『めおと』による軽業芸てござい!」
演目紹介する座長の言葉にあらまぁと思う。
なぜなら袖から出てきたのはすらりと長い手足の長身で褐色の男と、色違いの揃いの衣装を纏ったしかめっ面した矮躯の男の二人であったからだ。めおとと言うからには男女の二人組かと思われたのだが、これは一体どうして。
疑問に首を傾げている間に、舞台上の二人は芸の準備に入る。矮躯の男の背後には鉄製であろう背の高い棒が立たせてあり、それを背に男は両の掌を腹の辺りで組むと腰を落として真正面を見やる。その視線の先、褐色の男は少し距離を取ると、直ぐに駆け出せるような格好になった。
ジャァン!
見知らぬ楽器が派手な音を立てる。それと同時に褐色の男が駆け出した。それはあまりにもまっすぐ、まるで愛しい人の元へと駆け寄る姿にも似ていて、遠目からではあったが実際彼の表情はひどく嬉しそうに見えた。それを迎える形の矮躯の男が足をグッと踏ん張って、組んだ手を差し出したかと思えば。
おーーー!
観客が沸く。ダンッと音立てて、男の組んだ手に走ってきた方の男の足が掛かったかと思えば、そのまま放り投げるようにして褐色の男を頭上に放ったのだ。その跳躍距離といったらもう目を見張るもので。彼には体重がないのかしらとも思った。
そのまま空を舞った男は目の前にそびえる棒を両手を使わずに駆け上がると、一番上までたどり着き、そして観客席を見やる。
凛とした顔には花があり、なるほど見目麗しのスタァだと言われるのにも納得がいく。男はそこで観客席へ向けてチュッと投げ接吻を一つ放った。途端、観客席は黄色い悲鳴が上がる。帰りに彼のブロマイド買おうかしら。面食いでは無いと思っていた私もそう思ってしまう程、褐色の男は凛々しい姿をしていた。
それを地上で見上げていた矮躯の男は目の前の棒を両手で掴む。まさか、と思えば、彼は足先で棒の固定を解くとなんとその棒を持ち上げて見せたのだった。それだけで重いはずの鉄の棒に、更に男一人分の体重が加わったそれをものともせず、まるで大漁旗を振るかの如く揺さぶりをかける姿に今度はおおっ!という男達の歓声が沸いた。振り回される足場の上で軽々とポーズを決める褐色の男と、小柄な見た目に並外れた身体能力を秘めていた男の二人の合わせ技に、観客席は今日一番と歓声が上がったのであった。
すっかり全ての演目が終わり、舞台上には芸人や演者が全て集う。各々観客席へ手を振ったりお辞儀をしたりしている中で、私は見てしまいました。
褐色の男は花形スタァだというのにひどく目立たない場所に立ち、その隣には矮躯の男の姿があって。矮躯の男の方が演者達の前の方を小さく指差し何事か囁いているようで、声は聞こえないが口の動きから前の方へ行って観客へ礼をしろとでも言っているかのような少し険しい顔をしていた。それに首を横に振って返す褐色の男は、そのまま隣の男と肩を組んでひどく楽しげに笑う。肩を組まれた方はなおも何か言っていた様子だったが、一瞬。
それはほんの一瞬で。
座長の挨拶や観客席の歓声は拍手に紛れた喧騒の中で、褐色の男が矮躯の男の頬に接吻したのを、見た。まるで楽しくて仕方が無いとでもいいたげな顔で笑う褐色の男を見上げ、やれやれと苦笑してみせた矮躯の男からも、その頬に接吻が一つ贈られて。二人で見つめ合い、優しく笑い合う一部始終を見てしまった私は、あぁ、あれは紛れもなく『めおと』なのだ、とやっとその表現に納得して頷いたのであった。
帰りにブロマイドを買おう。
あの二人が写っているやつが、あったかしら。