十五話 ことの終わり デジャヴのような光景は過ぎ、安心し切って泣き出してしまったニーファをヴァイスとスティルの二人がかりで宥める。横目で捉えたノワールの顔は、様々な要因からくる安堵で固められた微笑を湛えていた。
「本当にっ、ヴァイスさん、だけでなく……皆さんも、無事で……良かった……」
涙は止まったものの、ニーファはいまだに後悔を残したような声色でヴァイス達を案じている。今まで身内以外にこんな風に激しく心配されたことはなかったため、ヴァイスはどうしたら良いのか分からずに狼狽えてしまった。「再生の体質で絶対に死なないから大丈夫です」とでも言えれば良いのだが、同じ組織の親密度が高い相手というわけでもなく、彼女はただの一般亜人だ。易々と言えることではない。
「こほんっ」
永遠にシーンが移行しないまま……かと思えば咳払いが一つ聞こえてきて、その主以外の全員がハッとした。咳払いの正体はスティルだ。片手を後ろにやって、もう片方を口元に寄せながらキリッとした表情を作っていた彼は、途端に顔を綻ばせる。柔らかにくすりと笑った。
「五人全員無事だったんです。……今は、ファタリアに帰りましょう」
それは、ヴァイス達同業者に対してではなく、ニーファという一人の少女を落ち着かせるための言葉だった。そんなスティルの言葉にニーファは目を見開く。今し方空に浮かぶ太陽と似通った笑みを、彼女は浮かべた。
「はいっ!」
かくして、一行はファタリアに到着した。端末を確認すると時刻は十二時を少し過ぎていた。お腹空いたな、と思いながらもヴァイスは入り口で立ち止まる。ディアン、そしてスティルも同じように足を止めた。
「? あの、入らないんですか?」
足音が続かないことに気付いたニーファが、くるりと後ろを振り返って聞いてくる。ヴァイスは努めて明るく微笑みかけた。反射かなんなのか、ニーファも同じようににこりと笑う。
「僕は、このまま行方不明者を探しに行こうと思ってるので……」
それを聞いて、ニーファは本来森に入った理由を思い出したのかハッとする。少し申し訳なさそうに視線を泳がせて、それからぺこりと頭を下げた。「よろしくお願いします」と、芯のある声色で伝えてくる。不安そうに手をぎゅっと握り締めているのに、その顔は凛とした雰囲気を纏っていた。
ほんの少しの関わりでしかない仲ではあるが、彼女は年齢よりも随分しっかりしているとヴァイスは感じた。冷静さの加減は年相応ではあるが、逆にそれが気になってしまうほどには礼儀も正しい。不思議ではあったが、ヴァイスは他種族のことに詳しいわけでもないので、ただ単純に「最近の亜人の子供はしっかりしているんだな」としか思えなかったが。
「ノワールは? やっぱり行かない?」
そんな思考は隅へと追いやり、ヴァイスは自分達とは違って街の内側に入っているノワールにそう質問する。なんだかんだ言って自分に同行するものだとばかり思っていたが、この様子を見るに他人嫌いが勝っていそうだ。
ノワールはふいっと目線をずらして逡巡するような仕草を見せた後に、再びヴァイスに向き直る。
「うん、僕は行かない。……三人で、頑張って」
本心ではなさそうなトーンで放った言葉に説得力を持たせるみたく、にこりと笑みを深めてみせる。それが一層胡散臭いぞ、と言ってやりたかったがどうせいつも通りあしらわれるだけだ。無駄な行動は起こすだけ不利である。ただ不用意に行方不明者捜索用のための体力を減らすだけなのだから。
ヴァイスはノワールの言葉にこくりと頷く。その激励が本心でなくとも、返事をするのは礼儀というやつだ。
そうしてヴァイス、スティル、そしてディアンの三人は、ノワールとニーファに手を振りながら再び森へと向かって行った。ノワールは軽く手を振り返しただけだったが、ニーファはいつまでも手を強く握り締めながら頭を下げていた。
捜索の片手間に異形の死骸の処理班を呼んで、諸々の雑務もこなしながら、そうしてヴァイス達はおよそ一時間程行方不明者の捜索を続けていた。異形の出現場所を中心に、その周辺をくまなく探したが、とうとう行方不明者らしき人は見つからなかった。
「……お兄様。そんなに気負うことは、ないですよ」
優しげな声が聞こえてくる。だがそうしてヴァイスに気遣いの言葉をかけるスティルの顔も、決して明るいとは言えない様子だ。きゅっと口を横一文字に引き結んでいる。
分かっている、分かっているのだ。行方不明者が出たことも、その彼らが見つからないことも、自分のせいではないということは。ヴァイスは余力があったからこそ、こうして捜索に足を向けることができているのであって、それも必須の行動ではない。元々彼らの仕事は「異形の討伐」で、人探しではないのだから。
それでも悔しさやもどかしさを感じずにはいられなかった。ヴァイスの頭に浮かぶのは、考えてもどうしようもない後悔ばかり。次第にヴァイスは俯いていき、朧げな視界に黄枯茶の地面が映る。
「——確かに、既にこぼれたもんは拾えねえ。けど、お前が救った命は確かにあるだろ」
不意に、ディアンが沈黙を破って口を開く。その言葉に反応して、ヴァイスはばっと顔を上げた。恐ろしいほどに綺麗で、悠然とした柘榴の瞳がヴァイスを捉えていた。
ヴァイスは、ひゅっと息が詰まる思いになる。自らが吸い込んだ息で喉が冷える。それに釣られるようにして、ヴァイスの思考はクリアになっていった。
ディアンの言う「命」とは、きっとニーファのことなのだろう。胡桃色の絹をまとめたような髪を揺らす、赤蘇芳の煌めきを見せるあのまっすぐな少女。彼女は確かにヴァイスが救った「命」だった。
ヴァイスはそれを思い返しながら、双方の緋に心を解きほぐされるような感覚を抱く。
「あとは、他の奴らに任せよう。俺らの仕事じゃない。……引き上げるぞ」
ポンと慰めるように肩を叩かれた。そして彼はそのまま街のある方向へと歩き出す。
「お兄様」
しばらくそれを眺めるだけだったヴァイスに、スティルが声をかけてきた。優しく繊細な声色と、蓬を纏ったその視線。ヴァイスは、泣き出してしまいそうになるのをグッと堪え、弱々しくもしっかりと自らの細い足を動かした。
それから三人は三十分ほどかけてファタリアに再び戻った。
捜索を切り上げた際に、ノワールからとあるレストランを提示された。恐らくその場所で昼食を摂るつもりなのだろう。と考えたいが、あのノワールのことだ。先に一人でランチを済ませている可能性さえあった。となるとすれば、つまり他の三人もその自身が提示したレストランで昼食を摂れ、ということになる。
それはヴァイス達の勝手な想像に過ぎなかったが、それでもノワールならそういうこともするだろうと言えるだけの自信があった。
「やぁ、おかえり」
案の定、彼は平らげられた皿の前で手を組みながらにこにことしていた。予想が的中したことに喜べばいいのか、的中させてしまうほどに彼の勝手さが四人の間で浸透していることに嘆いたらいいのか分からなかった。
ひとまずとヴァイスたちは席につく。ヴァイスはノワールの隣、そして正面にスティルと斜向かいにはディアン。お馴染みの位置を取りながら、ディアンなんかは早速メニューに目を通していた。
「ニーファさんは送り届けたし、そのついでに依頼主にも任務完了の報告をしておいたから、昼食を済ませたらすぐに寮に帰ろう」
中身が半分まで減ったコップの縁を指でなぞりながら、ノワールはなんてことなしにそう言った。用意されていたおしぼりで手を拭きながら、ヴァイスはその言葉に驚く。まさか本当にちゃんと彼女を送り届けていただなんて。
「ついで、って……。というより、わざわざ捜索に足を運んだのに何故先んじて任務完了の報告をしてしまうのですか。せめて、連絡を待ってからでも——」
「だって見つかったの? 行方不明者」
スティルの言葉を遮って、ノワールは悪びれもないようにただ日常の疑問をぶつけるみたく言い放つ。ノワールは水をこくりと飲み干し、トンと音を立てて机に置いた。手を組み直して、スティルのことをまっすぐ見据える。
「三人でまた森に入った時、異形という脅威の魔力が消え去った後の状況でなら、君は分かったはずだけど」
その言葉にスティルは目を見開いた。分かりやすく驚愕を表しているが、ヴァイスにはノワールの言っていることの意味が理解できない。
異形の魔力が消え去った森。感知を妨げる魔力がなくなれば異形でないものの魔力を感じ取ることができる。つまり行方不明者が本当に生存しているならば、その魔力に感知が働くはずなのだ。だがスティルは捜索を開始する前もする後も、そういった旨はヴァイス達二人には伝えていない。——つまり、そういうことだ。
けれどノワールはこういった時だけ抽象的な物言いをするものだから、思考のまっすぐなヴァイスはその真実に辿り着くことができない。
ノワールも、それを理解してそういう態度を取っているのだろう。彼は、ヴァイスに悲しい真実を見せるような真似は避けるような男だったから。
「……さぁ、早く注文済ませてね。時間は有意義に使うものだよ」
ヴァイスの理解が進まないままに、ノワールはそうやって会話を終わらせる。
そうして彼らの間には、約一名を除いて料理の注文から完食に至るまで複雑で微妙な空気が漂っていた。
石打ちの道路をてくてくと歩いていく。片手に先程レストランとは別の店で買った「旬の果物全部乗せハニートースト」を手に持ったヴァイスは、自らの隣を歩くノワールをちらりと見やる。
昼食を済ませた後、ヴァイスは予定していた通り甘いものを食べることにしたのだが、スティルとディアンはさっさと帰ってしまったのだ。一緒に街を見て回ろう、と少しの間駄々を捏ねたのだが、特にスティルの方がどうにも浮かない表情をしていたのでそれ以上引き留めることはしなかった。
スティルの表情が曇ったのは、レストランでノワールの話を聞いてからだ。だったらあのレストランでのやり取りの意味を聞き出せば、スティルがあんな表情をしていた意味が分かるのではないか。
ヴァイスはヴァイスなりに考えて、行動を起こそうとしていた。
「ノワール、さっきの言葉ってどういう意味?」
世間話でも始めるみたいにさりげなく聞き出す。こちらに向いたノワールは、少しだけ機嫌良さそうに微笑んでいた。
「さっき、って……お昼の時の?」
柔らかい声色で返された質問にこくりと頷く。するとノワールは視線を逸らして、返答の言葉を探るように瞼を細めた。ぱちりと一つ瞬きをして、そうして彼はゆっくりと琥珀の瞳をヴァイスの方に戻す。真意を覆い隠すように目を閉じて、誤魔化すみたく微笑まれた。
「君は知らなくていいんだよ」
さほど歳は変わらないというのに、まるで子供を諭すみたくそう言われた。声のトーンは確かに落ち着いたものだったのに、有無を言わさぬ圧を感じる。ヴァイスは、それ以上の追及をやめてしまった。
「……今日は帰ったらゆっくり休むといいよ」
ノワールが足を進めながら言う。怪我をしたことは伝えていないはずなのに、彼の言い回しは全てを見透かしているようなものだった。
ヴァイスは「うん」と小さく返事をする。トーストを一口食めば、さくっと音を立てながら甘さと酸味の混ざった切ない匂いが広がった。