タランチュラは惑わせる(つきいと) 照明に照らされた弥代さんのつま先が光沢を放つ。不覚にも俺は、玄関照明に照らされた深紅にしばし、目を奪われた。
「お見苦しいところを、申し訳ありません」
恐縮しきりの弥代さんは、おろしたての靴下を手にしている。片方の履き口を両手で手繰り、その小さな足先にそっと被せていく。ちらりと見えた素足のつま先はシンプルな単色に彩られていて、爪紅は目の覚めるような華やかさと共に艶めきを放っていた。見え隠れした足の指の一本一本がほっそりとしなやかな曲線を描いていて、それぞれの爪も俺のそれに比べると驚くほどにちいさい。
儚げな足先だ、と、思った。
男所帯に身を置き続けた人生。男女の体格差はそれなりに理解したつもりでいたが、とんでもない。女性の――弥代さんの御御足先がこんなにも繊細なつくりをしていたなんて。
「お恥ずかしながら、行きがけにストッキングをひっかけて、破れてしまい」
虚を突かれて固まる俺の体たらくを知ってか知らずか、弥代さんは仰る。
「靴下を調達する猶予はありました。ストッキングはどうしても、時間がかかるので」
間に合って良かった、と続けながらもう片方の御御足も、パンプスからそっと外す。やはり同様に、手入れの行き届いた足先に爪紅がひかる。指の質感もマシュマロと間違えそうなほどに柔らかな質感で、本当に同じ人間なのか、その事実すらも疑わしくなるほどだった。
ハウスでの打ち合わせ予定時刻は五分後。道中のアクシデントをもってしても遅れず到着するのだから、日頃から如何に時間管理・危機管理がしっかりしているかが伝わる。
が、胸中としてはどうにも、それどころではない。
ずっと見ていたくなるような足先だった……などとは間違っても、天地がひっくり返っても口に出来るはずもない。万が一にでも表に出してしまったが最後、切腹をも辞さないほどの罪深さである。
冷静さを取り戻すべく深呼吸をする中で、
「あ、もしかして……見ましたか」
靴下を履き、勧めていたスリッパを履き終えた弥代さんは問う。
「」
なにを……見たと? 背筋がすうっと冷たくなる。
「え、と……」
「バレちゃいましたね」
弥代さんは軽い様子で履いたばかりのスリッパの片側を脱ぎ、靴下を履いた足を軽く上げる。
「靴下、お揃いにしちゃったんです。槻本さんと」
「くつ……した」
曇りのない微笑みに促されるまま見つめてみれば、その靴下は見慣れたゆるキャラの柄。いつかハウスで見られてしまった、俺が持っている靴下と同じものだった。
「百円ショップにちょうどあって、なんだか嬉しくなって。買っちゃいました」
(な、なんだ……靴下)
へなへなと崩折れそうになる態勢を、気合いでどうにか堪えて保つ。
俺のあまりに失礼な言動の数々は、どうやら弥代さんにとってなんら違和感のない反応として処理されたらしい。
ひとまずは、良かった。思いがけず都合の良い方向に誤解してくれたから。しかし体裁を保った気持ちの隙間から、どうしたって邪な本音が入り込んでいることをも自覚する。
(もう一度……あわよくば……なんて)
きっと気のせいだ。間違っても、考えてはいけない。
自分に言い聞かせながらも、努めて冷静に彼女をリビングへと誘導する。
程なくして顔を出したおこげが、無邪気に弥代さんの足元にじゃれつき、頬を擦り寄せた。何だかくらくらしてきたが、それもきっと気のせいだろう。
表出する前に、間違っても彼女を傷つけないように。消えてくれよ、と願った。
遅効性の毒はもう体内を巡りはじめている。