及第点を超えてゆけ(つきいと+春日+シゲ)「う……ンまい! っす」
ハウス内のリビングは、ある種の賑やかな歓声が絶えない。主な原因は、あの世界を離れてもなお俺を慕う男だった。
「若、なんすかこれうまいっす!」
「とりあえず落ち着け」
元舎弟、こと茂田憲保、ことシゲ。半ば強引に試食要員として引きずり込んだのは、考案中のメニューのヒントが欲しかったからだった。シゲのいかつい風貌と洋風の茶会など(それも女性受けしそうなモチーフなど)、この世で最もかみ合わないもののひとつである旨は重々承知の上である。だが致し方ない。今は、いわゆる「猫の手も借りたい」状態なのだから。
食卓に並ぶ、次回のドレスアップメニュー。アリスのティーパーティーをイメージしたそれらは食事よりもやや軽めの質量で、味はもちろん見栄えするラインナップを考案したつもりだ。
「なんつーか……めちゃくちゃうまいっす」
「もっと気の利いた感想はねえのかよ」
「す、すいやせん! えっと……洒落た味がするっす!!」
額に手を当て嘆息する。猫の手などとはとんでもない。猫の額並みに語彙力の幅が狭い男だった。
がっつくシゲの瞳はきらきら……どころか、ギラギラしているほどなので、ラインナップは及第点だったのだろう。ボリュームは、奴の腹を満たすには到底足りないが。
「大河……さすがに人選間違えたんじゃない?」
ジト目の春日はぼそりと、率直過ぎる感想を述べる。まったくその通りだとわかっているから言ってくれるな。後悔半分呆れ半分で首を振ると、春日はその平坦なトーンのままに呟いた。
「弥代に良いとこ見せたいからって張り切りすぎ」
「げほっごほっ」
心の内を読んだかのような春日の発言に、呑み込みかけた紅茶が器官に入る。
「わっ若 大丈夫っすか」
途端に向けられたシゲの、純粋に心配する視線が色々な意味で痛い。
「っいい……いいから、気にせず食ってろ……」
「わ、わかりやした」
誤魔化すように睨みを利かせると、シゲはおとなしくなり、再びメニューにがっつき始めた。
とはいえ、春日の指摘は至極まっとうな内容で、だからこその気まずさや気恥ずかしさがある。
何しろ弥代さんがきて、初めて一緒に運営するドレスアップイベントなのだ。
彼女が入って間もなくから、企画立案・運営を含め、迅速かつ円滑な進行により成功に導いたという。まだ数回の実績ながら、その盛況ぶりは聞き及んでいる。
だからこそ、足を引っ張るような真似はしたくない。弥代さんに力量があるとはいえ、アポリアのメンバーとして加わってからはまだ日が浅い。俺が携わることで彼女の評判を落とさないよう、より一層、気合いを入れてしかるべきだろう。
「春日お前な……」
かといって易々と春日の発言を認められるほど、俺は人間ができているわけではない。気持ち控えめな抗議の意を述べると、春日は呆れたようにゆるゆると首を横に振った。
「戦力外ってわかりきってる茂田くんにまで助け求めるとか。どんだけ切羽詰まってんのってハナシでしょ」
切羽詰まっている……否定は、できない。
そもそもの前提として、イベント時に訪れるお客様方の、期待を超えたいとは考えている。カフェのコンセプトに沿っている前提で、更なる驚きや感動を提供できないか。
そのためにはまず、俺の持てる力を総動員しなければ。そうした想いがあることは事実だが。
(……まずは弥代さんにこそ、喜んでもらいたい)
唐突にこぼれた本音に気づいて。ああ、そうだと腑に落ちる。
毎回ハウスを訪れるたび。手製の茶菓子やケーキを、嬉しそうに召し上がってくださる弥代さん。ご本人は表情に乏しいと仰っていたがとんでもない。俺の自信作を目の当たりにした弥代さんの、ふっと、僅かに張り詰めた糸が緩む瞬間に見せる表情を知っている。春日でも、誓さんでも(ましてやシゲなどでもなく)他の誰でもない彼女のあの振る舞いが何ともあどけなくて。他の誰でも代わりにならない、あの眦が微かに下がる瞬間を見たくて。
恐らく、それなりのものを出したとしても彼女なら受け入れてくれるだろう、とは思う。仲間の力量に全幅の信頼を寄せてくださる、弥代さんなら。
だが、及第点だけでは物足りない。
彼女に喜びを……できれば、驚きを引き出させるような、そんな喜びを提供するには。
「……自力で、どうにかする」
「ん」
再考の意を伝えるべく。言葉少なに返事をすると、春日もまた短く肯定する。
相変わらず前のめりなシゲの、声も表情も賑やかな様を観測しながら。俺は再び香り高い紅茶を口に、そっと含んだ。
他でもない弥代さんへ、不思議の国に相応しい驚きを提供したい。
解決すべき事柄はまだまだ山積みだ。