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    曦澄夏祭りに寄せて

    蓮花塢の鬼月夕方ぽつぽつと灯り始めた蓮花湖は、日が完全に落ちると大小様々な蓮の形をした灯りが一面に広がっていた。
    荷花灯の紙の花弁の中でちらちら揺れるともし火に、あの日の蓮花塢が脳裏をよぎる。

    「ひとつひとつが祈りの火だ。」

    赤色、橙色、桃色、白色。
    蓮花の季節は終わったが立秋にも蓮は咲くぞと文をしたためると、藍曦臣はぴったりその日に雲夢へと降り立った。
    こうして灯篭を流す風習は玄正二十年以前にもあったが、ここまでの規模ではなかった。今ではもう、一つの祭りとして数えられている。
    大禍のせいでもあるが、復興の証左でもある。
    その主導者である江澄の玲瓏なおもてを暖色の火が舐める。いつも冴え冴えとしている表情はなりを潜めて、どこか果敢なく、拠り所のない幼子のようでもあった。
    視線に気が付き、「つい感傷的になった」と謝る江澄に首を振る。

    「私にとっても無関係ではないよ。貴方の父君、母君、姉君への荷花灯もある。」

    眉を下げた藍曦臣の手を反射的に握る。江澄も並び立ってくれるこの人の想いは分かっているつもりだ。過信では無く。
    それに、常より雲夢で過ごす時間は他家の者とは考えられないほどではあるが、こんな日に来てくれたのだ。人材豊富な姑蘇藍氏がいかに仕事の振り分けが上手いとはいえ、不知処は不知処でやるべき事はあるだろうに、片付けて来たと。あなたに会いたくて。惜しみなくくれる言葉は、好意を受け取るのが不得手な江澄にもすんなりと染み込む。
    素直に嬉しかった。しかしそれを察せられるのも気恥ずかしい。

    「さて、家僕も帰らせたことだ。肉を食うぞ!渙渙!」

    「それを楽しみにしてきました。」

    ふくふくと笑う愛しい人を握りしめた手はそのままに、ありったけの御馳走を並べた卓へと誘った。







    「これは唐辛子醤油だから辛い」と茹で豚肉をよけたり、「こっちが貴方向きだ」と甘い豚角煮を寄せたりして世話を焼いてくれる。いっぱい食えと微笑む江澄に藍曦臣もまた素直に甘える。食卓とは温かいものだと教えてくれたのは江澄だったが、今では当たり前に享受する。
    今日という日は風景だけは特別だが。
    蓮池が一望できる卓の上は優しい色合いに煌めく。

    「阿澄こそ沢山食べないと。痩せたのでは?」

    生来の健啖家が三伏でやや肉が落ちたように見えた。不要なものが削ぎ落とされた姿は他者の評価する本人らしく美しくはある。だが共に在ることを許されている身としてはやはり健康でいて欲しい。

    「涼風至るとは蓮花塢に於いては嘘っぱちだ。こうも毎日暑くては食も細る。」

    言いながらも、今日はいけそうだと脂の滴る肉を直に掴み上げ、大きな口でかぶりついた。白い歯が肉の繊維に埋まる。野趣溢れる様相に、知らずごくりと喉が鳴った。

    「立秋を過ぎたら不知処には確かに涼風至るよ。涼みにおいで。」

    江澄の食べっぷりにつられて、他愛ない会話の合間、箸が動くままに動かした。

    「あ、これ美味しいね!」

    甘酸っぱい蓮根を咀嚼しながら行儀悪く家規を破れば可笑しそうにする。からの茶杯を見つけると、片手でお茶を注いでくれた。

    「酢と醤油と砂糖、それから酒で炒めるだけだから簡単だ。」

    目の前の男には簡単ではないことだと分かっていながら意地悪ぶる。江澄自身料理上手の自覚はないが、美味しい美味しいと平らげる人がいれば自然苦手意識は生まれない。
    その後も勧められるがままに自らが腕を奮った食事を腹に収め、唇を脂で光らせる藍曦臣を拝むことができ、江澄も大いに満足した。

    「こんなに一度にお肉をいただいたのは初めて。」

    「明日の朝は胃腸に優しく燕麦と蓮の実の粥にしよう。」

    胃袋の辺りを撫でる相手にする提案では無い。これだけ食べても尚、次の食事の算段ができる江澄に感心していると手巾で口元を押さえられた。

    「でもその前に散歩をして腹ごなしをする。」

    「どうして?」

    「決まってるだろう。西瓜を冷やしてあるからだ。」

    にやりと口角をあげるその人は、悪戯っ子のようで稚くもあった。






    二人は蓮花塢を出ると湖に沿ってそぞろに歩いた。燃える紙銭を避けるふりをして、たまに互いにぶつかりあう。お祭り好きの民らしく、祈りの日でもある一方で賑々しくもあった。江澄の手にはいつの間にか羅を張った扇がある。通りがかった店の主人が暑いからと持たせてくれた。薄絹が目に涼し気だ。
    だいぶ歩くと人気も少なくなったので、湖に向かって降りていく雁木に腰掛けた。すると江澄は躊躇無く履物を脱ぎ捨て、褲を捲り上げ、脹脛まで浸かりだした。しなやかな筋肉の上、日に焼けていない素肌を晒して。藍曦臣もそれに倣い、そっと足をつけた。背後の茂みで日暮が鳴いている。線香の匂いだけはここまで二人についてきた。

    「あなたは市井の喧騒よりこちらの方が好みだろう。」

    膝に頬杖をつき、分かっているぞと得意気な顔をする。込み上げる愛情のままに、落ちかかる前髪を一筋流してやった。
    湿度の高い、ねっとりとした暑さは幾許か和いできた。
    眼前には温かな光の中、蓮花塢の側面が僅かに浮かび上がる。雲夢特有の太陽の光に照りつけられ、強く輝く昼間の湖面もいい。だがこんな淑やかな一面もあったのか。よく知っていると思っていた蓮花湖の新たな一面がそこにはある。

    「昔はよくここに船を着けた。ほらあそこから出して……。」

    と扇で指す時、とん、と寄りかかる。鼻腔を擽るのは蓮香。生花の幻覚でも見えそうだった。やはりまだ暑い。
    魚が跳ねたのか、あるいは風の仕業か、灯篭たちが上へ下へと騒めく。鼓動は少し駆け足。

    「湖にも霧は出るの?」

    欲を取り繕いつつ、人目がないので手に触れる。触れたところがじとりと湿る。けれど、今日はこの程度ではまだ叱られないようだ。

    「朝立ち昇る霧はそれなりに見られる。お、蛍。」

    ふわふわと漂って来たそれは、目の前の水草にとまった。

    「一匹だけかな、この時期はもういないかと思ってた。」

    そう言うと呼ばれたようにもう一匹飛んできた。最初の蛍の傍にとまる。草を頼りに、揺れながらも近づこうと試みているのか。

    「この季節ならではの種だ。あ、あそこにも。」

    三匹目のその蛍は、吸い寄せられるように江澄の周りを飛ぶ。そっと薄絹で風を送っても戻ってくる。終いには扇にとまり、ゆっくり明滅している。ぼんやり眺めていると時を忘れそうだ。

    「輕羅小扇、流螢を撲つ。」

    「揶揄うな。俺には似合わん。」

    「そうかな……。雅だと思ったんだけど。」

    「俺にそう宣うのは世界中で藍渙だけだろう。」

    「それって素敵だね。後半、もう一度言って。」

    僅かに頬が染まっている。お酒のせいでも何でもいい。明るかったらいいのにという思いと、この光量の中で愛でるのも捨てがたいという思いが胸中併存する。実質同種の欲望なのだけれども。
    暗闇の中で蛍を見つめる紫色の眼が光に濡れ、藍曦臣の言葉にたゆたう。玻璃の珠のような、紫晶のような……。知らずその頬に触れる。

    「阿澄の目、綺麗だとは思ってたけど……、こんなに綺麗だった?」

    距離をさらに縮めれば動揺が伝わってくる。扇の蛍は飛んで行った。

    「歯の浮くようなことを……。」

    小扇に隠れようとしているので取り上げた。決して小柄では無いのに、可愛い人だ。
    さらけ出された素足を掌と指でじっくり確かめるとよく冷えている。今すぐ齧りつきたいくらいに。貴方が冷やしていると言っていたのはこれだったかな、などと言えば眦をあげるので言わないでおく。でもとても美味しそう。

    「阿澄、貴方をもっとよく見せて……。」

    もう吐息がかかるほどの距離感で徐々に体重をかける。堪らず江澄は後ろ手をついた。
    唸り声でも上げてしまそうだ。

    「おい、外だぞ……。」

    「お肉のおかげかな。凄く、食欲が湧いてきた。」

    爛々と輝く深い琥珀色に捕えられる。

    「藍渙……!」

    食指が動きだす、蓮花塢の鬼月。
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    newredwine

    REHABILI
    味覚を失った江澄が藍曦臣とリハビリする話(予定)②辿り着いた先は程々に栄えている様子の店構えで、藍曦臣の後について足を踏み入れた江澄は宿の主人に二階部分の人払いと口止めを命じた。階下は地元の者や商いで訪れた者が多いようで賑わっている。彼らの盛り上がりに水を刺さぬよう、せいぜい飲ませて正当な対価を得ろ、と口端を上げれば、宿の主人もからりと笑って心得たと頷いた。二家の師弟達にもそれぞれの部屋を用意し、酒や肴を並べ、一番奥の角の部屋を藍曦臣と江澄の為に素早く整え、深く一礼する。
    「御用がありましたらお声掛けください、それまでは控えさせていただきます」
    それだけ口にして戸を閉めた主人に、藍曦臣が微笑んだ。
    「物分かりの良い主人だね」
    江澄の吐いた血で汚れた衣を脱ぎ、常よりは軽装を纏っている藍曦臣が見慣れなくて、江澄は視線を逸らせた。卓に並んだ酒と肴は江澄にとって見慣れたものが多かったが、もとより藍氏の滞在を知らされていたからか、そのうちのいくつかは青菜を塩で炒めただけのものやあっさりと煮ただけの野菜が並べられていた。茶の瓶は素朴ではあるが手入れがされていて、配慮も行き届いている。確かに良い店だなと鼻を鳴らしながら江澄が卓の前に座ろうとすると、何故か藍曦臣にそれを制された。
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