5番目の季節春。出会いは運命だった。16年間生きてきて、運命以外の言葉が見当たらなかった。近い言葉は、奇跡とか多分そういうの。
退屈ではないけれど少しだけ物足りない日常にほしかった何か。その何かがぴったりと形を得て目の前にいた。多分、中学でつるんでたやつらが見たら「必死すぎてダセぇ」とか言いそうなまっすぐな瞳と声と演奏。彼のそのパフォーマンス全てに、普段なら笑っちゃうような「青春」って言葉にまで、一瞬で焦がれてしまった。味わったことのないような熱が身体の中をぐるぐると駆け巡って、今すぐステージに駆けだして彼の手を取って話がしたかった。もどかしくてどうしようもないような気持ちは、ずっと生きてきて初めての感覚だった。全部、全部がキラキラに見えて、ハヤト、って名乗った名前だけをようやく見つけた宝物みたいに何度も口に出して確認した。
新入生歓迎会が終わったあとも、ずっとずっと夢見ごごちだった。その後のこと、細かいコトなんてなんにも覚えてないけど、急いで入部届を書いて部室に駆け込んだら、渦中の人が座っていて、驚いたような嬉しそうな顔でこっちを見ていて。
「……オレ!ハヤト先輩のメガMAXステージ見てここにきたっす!」
あの時の感動と衝動が堰を切ったようにあふれ出す。この気持ちがほんの少しでも伝われば良い。
これが、はじまり。これから話すのは、オレの恋の話。
***
夏。春から夏まで本当にいろんなコトがあった。オレが軽音楽部に入って、High×Jokerが出来て、コンテストに出て、優勝はできなかったけどそれがきっかけでアイドルになって。
でもその頃の話って多分オレの恋の話とは少し離れちゃうから割愛。あの時は本当に毎日がキラキラしてて、ええと、今だってキラキラしてるんだけど、そういうのじゃなくて、本当に今まで生きてきた16年感をぎゅーって小さくしてもまだ足りないってくらい特別な毎日だった。
あの頃のオレはもう本当に有頂天ってやつで、だって憧れのハヤトっちとステージに並んでて、みんなもステージにいて、観客はオレの声ひとつひとつに反応して、なんか、こういうのを最高っていうんだろうなって思ってた。オレはそんなに国語の成績がよくないから、そんくらいしかイイ言葉が見つからないんだけど、ジュンっちならもう少しブンガクテキに表せるんだと思う。
だから、するのは本当にたいしたことのない話。
確かあの日は海の家の横でライブをしたんだっけ。
日に焼けたらダメだよってプロデューサーちゃんが言うから、俺たちは慣れない日焼け止めを塗ったり塗られたりしてた。オレの背中に日焼け止めを塗ってくれたのはハヤトっちで、ギターを触る人の手ってこんな固さになるだなぁって思ったのを覚えてる。オレの人生を変えてくれた、世界でたった1つの特別な手。
ステージが始まるまであんまり時間がなくて、終わったら撤収まで海で遊んでいいよって言われたけど、ステージ前の俺たちは正直緊張で海なんてどうでもよかったのを覚えてる。失敗したら頭から海に放り込まれるのかな、ってハルナっちが呟いた。冗談なのか本気なのか、オレにはわかんなかったけどハヤトっちは笑ってた。
ライブは成功だったと思う。観客も、みんなも、プロデューサーちゃんもニコニコしてたから、オレもつられてニコニコしてた。楽しいライブだった。
ライブが終わって、ようやく緊張の解けた俺たちは夕暮れの海を少し歩いた。海に入る時間はなかったから、ただのんびりみんなで歩いていた。誰からともなく夕日に目をやって、多分ハヤトっちが「キレイだ」って呟いた。そうっすね、って言おうと思ってハヤトっちを見たらビックリした。ハヤトっち、泣いてた。
あれ、おかしいな、って涙をぬぐいながらハヤトっちは笑ってたけど、それを見たオレは胸が少しだけざわざわってした。なんだろう、胸の奥の奥の奥、誰の手も届かない深い深いところに何かがポトって落ちた気がした。
***
秋。恋をして、失恋をした。
タイムマシンを使っていいよって言われたら、オレはこの日に飛ぶのかな。わからない。多分この日部室に行かなくても遅かれ早かれこの恋は芽吹いていた気がする。そう考えたら、タイムマシンに意味なんてないのかもしれない。気づいたままやりすごすことができても、やっぱり苦しいだろうから、飛ばないのかな。どうなんだろ。
その日は風が気持ちいい日だった。部室の扉が半開きになってて、空気の入れ換えでもしてるのかなって思って、誰がいるのかなって、そーっと入って驚かしてやろうかなんてそんな脳天気なこと考えながら扉に近づいた。
部屋にはハルナっちとハヤトっちの二人が居た。ハルナっちは机に突っ伏して寝ていて、そのくるくるした髪をハヤトっちが指にとって微笑んでいた。開けた窓からは気持ちのいい風が入っていて、カーテンが揺れてキレイだった。
文字にするとこれだけなのに、これだけなのに唐突に気がついてしまった。ああ、オレ、ハヤトっちのこと好きなんだなって。そんで、同時に気がついた。ハヤトっちはハルナっちが好きなんだなって。
だって目が、あんまりにも優しかった。オレ、ばあちゃんの目だってこんな優しい目を見たことなかった。こんな目は、同じユニットのメンバーに向ける愛情じゃないって思った。ああ、どう言えば伝わるんだろう。ハヤトっちの目が、手が、指先が、全部が「愛しい」って叫んでるみたいだった。こんなの、オレは知らない。
そのとき、あの夏の日に胸の奥に落ちたものの正体を知ったんだ。アレはきっと、恋の種だった。
恋の種は誰も手の届かないところで、じくじくと育っていたんだと思う。ただ、オレがその芽を見つけられなかっただけで。それがハヤトっちの視線で一気に胸の上のほう、見える位置まで咲き乱れた。胸に甘い熟した匂いがいっぱいにつっかえるような錯覚。思わずその場から入って逃げた。
走って、走って、走って、足は自然と先輩達を遠ざけるように一年生の校舎に向かった。お気に入りの自販機の横に座り込む。目を瞑ると、短くなったオレンジの日とハヤトっちの笑顔が蘇ってきて泣きたくなる。自覚してしまった。ハヤトっちが好きだ。きっと、あの海の夕日を映した涙を見た時からずっと、もしかしたらもっと前から。ずっと、ずっと好きだったんだ。
一度自覚した恋の種はどんどん育ち、蔓を伸ばして心臓を締め付ける。咲いたばかりの花が根元からぽとり、って落ちていくのがわかる。恋を自覚するのと同時に、失恋をした。あの目で恋を自覚して、あの目で全部に気がついて。
胸に咲いた想像上のグロテスクな色の花が胸の奥で腐って悪臭を放っていく。死産したみたいな恋の弔い方を、必死に必死に考えた。恋の亡骸は胸のあまりに奥につっかえていて、オレはその亡骸をどうすることもできなくて、でも、どうにかしなきゃって混乱してた。だって、これはみんなとHigh×Jokerをやっていくうえで、あまりにも要らない。
いっそ勘違いだったらいいのにって思ったけど、オレはこういう時の自分の直感を否定する気になれなかった。だってオレの直感はハヤトっちを、オレの未来を見つけた直感だから。
『今日はチョーシ悪いから帰ります!バイバイシュー☆』
いつもの調子の言葉を一瞬で打ち終えて送信する。多分、そんときのオレは酷い顔をしてたと思う。スマホがめっちゃブルってたけど、確認する気分にはなれなかった。帰り道、自転車をこぎながら一度だけ「ごめん」って呟いた。オレのコイゴコロ自身への謝罪だったのか、ハヤトっちへの謝罪だったのか、はたまたハルナっちか。宛先なんてわかってなかった。
家に帰って部屋に籠もって泣いて、晩ご飯を断ってまで泣き続けて、風呂に呼ばれたから1回泣き止んで風呂場でもう一回泣いた。
何がいけなかったんだろって思って、なんにも悪いコトなんてないんだよなってため息をついた。だって、オレが勝手にコイゴコロを自覚しただけで、世界もHigh×Jokerもなんら変わっちゃいないんだ。
もうここまでくるとその事実すらムショーに悲しくて、湯船に浸かってまた少し泣いた。これからどうすればいいんだろう。
ダメだと分かっていて打ち明けるか、黙っているか。というか、二人は両思いなのかとか。ハヤトっちの片思いなのかなとか。そもそもハルナっちはハヤトっちの気持ちに気がついているんだろうかとか。だとしたらチャンスはある?いや、好きな人の応援してあげるべき?いろんな選択肢が脳裏を掠めて、でもどれにもピンとこなかった。
結局その日は怒られるまで長風呂をして、このまま風邪なんてひいちゃえば明日部活に行かなくて済むな、って思ってたけど翌朝のオレはメガ健康体だった。バカは風邪ひかないって本当なのかなってちょっと悲しくなった。こんなことなら夏期講習をもっと頑張るべきだった。
そんなバカなオレだったけど翌日からちゃんと部活に出たし、ハヤトっちの前でもみんなの前でもヘイジョーシンでいられたと思う。
それこそガッチガチに意識していたのは最初の三日間くらいで、あとは本当にいつも通りだった。って言いたいんだけど、たまにハヤトっちの仕草にドキッとしたり、ハヤトっちの目線を追ってみて自分の考えが正しいだろうとため息をついたり、やっぱり前と同じではいられなかった。オレ、ハヤトっちが好きなんだなって悲しくなって、悲しくなったことに悲しくなった。なんで、人を好きになって悲しまないといけないんだろう。
その日、オレが気持ちを自覚してから二週間は経ってたと思う。けど一ヶ月はたってないかな、ってくらいの日。ハヤトっちが新曲を持ってきた。それがまたラブソングだったもんだから、オレのダメージはすごかった。
どうしても意識してしまう。これはハルナっちを思って書いたのかな。幸せそうな恋の歌だ。やっぱり二人はつきあってるのかな、それとも願望?思いがぐるぐるして、泣きそうだったけど我慢した。オレはいつも通りの笑顔で、ハヤトっちを讃えた。実際、すっごくすっごくいい曲だった。
と、同時にひらめいた。ひらめいたのと同時に口に出していた。
「ねぇねぇ、次はオレが作詞してみたい」
視線が集まるけどオレの意識はふわふわと宙を漂っていた。名案だと思った。これしかないと思った。
失恋の歌を書くのだ。そこのハヤトっちへの思いを全部置き去りにして忘れよう。曲にして、みんなで演奏して、歌にして、届けられなかった思いも泣き言も全部ハヤトっちに聞かせよう。それと同時に何千人のファンのみんなに聞いて貰って、ハヤトっちを何千分の一にしてしまおう。
書くのなら、女の子の失恋の曲がいい。そうしたら誰も、オレのことだとは思わない。そんで、ファンの皆がカラオケで歌ったりなんかして、オレのコイゴコロは何千何万と消費されるラブソングになる。そうすることで、この胸に居座った恋の芽は完全に枯れて抜けてくれるのではないか。
「いいじゃん!え、どんな曲がいいとかある?」
みんな、概ね賛成で、ハヤトっちはニコニコしながらオレの手を取ってくれた。が、すっかり忘れていた。そうか、作詞してたら、作曲のハヤトっちと一緒に居る時間、増えるな。
やっぱり思いつきで話すもんじゃない、どうしよう、って思ったオレに助け船を出してくれたのは、なんとジュンっちだった。
「……そしたら、僕が作曲してみてもいいですか?使ってみたいメロディーがあるんです」
「そうなのか?旬の曲久しぶりだから楽しみだな!」
「ええ、でも大枠だけで、細部は隼人に手伝ってもらうことになると思います」
「任せてよ!じゃあ次の曲、メインは二人で頼むな!っても、俺も手伝うから!」
楽しみだな、ってみんな笑顔で、一人だけなんかやましいこと考えてるみたいでちょっと申し訳なかったけど、かくして俺のコイゴコロ隠蔽プロジェクトは幕を開けた。
そんなプロジェクトが秘密裏に、でも主にジュンっちを巻き込みつつ始動した日の帰り道、ジュンっちに呼び止められた。
「四季君、曲の話がしたいのでどこかで話しましょう」
「あ、オッケーっすよ!みんなも呼ぶっすか?」
「……四季君が呼びたいのであれば」
反射でみんなを誘うようなことを言ったけれど、曲の話はギリギリまでハヤトっちには触れてほしくなかった。だから、二人っきりで、と返すとジュンっちは言った。
「僕は寄り道する店とか……あまり詳しくないのでお任せします」
そういうジュンっちをありふれたバーガーチェーン店に引っ張って、ポテトと飲み物だけ買った。ジュンっちは晩ご飯があるからって飲み物だけ。
「で、四季君。君はどういう曲にしたいんですか?」
ジュンっちはいつでも唐突というか、単刀直入だ。
「え?ジュンっち、使いたいメロディあるんじゃないんすか?それがどんなのなのかまず知りたいっつーか……」
「嘘ですよ」
「ああ、嘘……ええ!?」
大声を出すと、四季君、と非難がましい視線が飛んでくる。
「ええ……いやだって、なんでジュンっちが嘘をつくんすか?」
本当に驚いた。だって、ジュンっちが嘘をつく意味ってないと思うから。
「…………君が困ってたからです」
「へ?」
「勘違いかもしれないならそれでいいです。でも、君、困っていたでしょう」
どうしよう、確かにオレは困っていた。でも、それを伝えるとまた話がややこしくなりそうで困る。
「えっと……まぁちょっとそんな感じではあったけど……」
「別に、全部話せとはいいませんから」
ジュンっちのアイスコーヒーの氷がジャラジャラって鳴っている。
「とにかく、さっきのは嘘なんです。だから、四季君が歌う曲のイメージが知りたい」
ジュンっち大人だなぁ、って思った。それと同時に、オレのさっきの動揺が他のみんなにも……ハヤトっちにも伝わっていないか心配になる。
「イメージ……イメージ……」
「そもそも、どんな歌にするんですか?応援ソングとか、ラブソングとか」
「…………書きたいのは、失恋ソングっす」
「……ふうん」
ジュンっちは特になにも言わなかった。それにちょっと安心する。
「でも!だからって暗~い曲はいやっす!なんかこう……キラキラしてて、胸がきゅーっとなって、わーー!って叫んで駆け出したくなるようなのがいいっす!」
「失恋の歌なのに?」
「それでもっす。イメージってのなら、ここは譲れないっす」
曲調を決めて良いのなら、絶対キラキラした歌がいい。春、夏、と駆け抜けてきた、恋に気がついていなかったあの頃みたいな歌がいい。言えないけど、ハヤトっちみたいな歌がいい。
「ラブソングじゃなくて、失恋ソングなんですよね?」
「そうっす、でもキラキラした歌がいい」
自分でも、変なことを言っているのはわかる。普通、失恋ソングってしっとりしてる。そもそも失恋ソングはHigh×Jokerっぽくないだろうし。でも、オレは失恋の歌を書かなきゃいけないって思ってた。
「……わかりました。ありがとうございます」
そう言ってジュンっちはアイスコーヒーを飲み干した。話はおしまいみたいだった。
***
冬になるころには曲はだいぶ出来上がっていた。作詞は順調だった。主役は女の子。こんな気持ちは知らなかった。でも、その気持ちに気がついたときには貴方は遠いところに行ってしまった。いくつもの季節を旅して貴方を探す。そんな歌。
歌詞はふわっとした感じというか、どんな風にも捉えられると思う。それこそ、曲調だけでは失恋の歌だとはわからないかも。まさかこれがオレの失恋の歌なんて誰も思うまい。
って、思ってたのに。
「これ、隼人のことですよね」
「ホゲェ!?」
「ちょ……アイドルが出していい声じゃないですよ」
ジュンっちの物言いは相変わらず単刀直入だ。曲もほぼ完成、通しで1回歌ってみようと言う日の夕暮れ、唐突にバレた。
「え……あ……なんで……」
「……すいません。こういうのは、暴くべきではなかったですね」
誰も居ない二人きりの部室。深刻な顔をしたジュンっちが謝ってる。
「でも、気になって。打ち明けないのか、とか」
ジュンっちに謝られたり気にされたり。でもオレはそんなことどうでもよかった。ジュンっちにバレてるならハヤトっちにもバレてるのかもしれない。それだけが恐ろしくてたまらなかった。
「……あ、あの、そんなにわかりやすかったっすか……?」
「ああ、否定はしないんですね……いや、僕以外は気がついてないと思いますよ」
「よかったぁ……」
どっと疲労感が押し寄せてきて机に突っ伏す。今日は二人での最終確認なので誰も来ない。聞かれる心配は、たぶんない。
「……ハヤトっちのことっすよ」
「ふぅん」
「聞いといてどうでもよさそうっすね」
「そんなことないです。ただ、驚いてないだけで」
何で言っちゃったんだろう。墓場まで持ってくつもりだったのに。ただ、誰にも言えない恋ってやつに疲れちゃったのかもしれない。
「よくわかったっすね」
「……君のことはそれなりに見てきたつもりなので」
「え」
「君は自分が試用期間なの忘れてませんか?それだけの話ですよ」
「なんだ……ビックリしたっすよ……」
本当にビックリした。でも、ジュンっちにはバレてるのか。ハヤトっちがハルナっち好きなのはバレてるのかな。オレの気持ちだけがバレてるのかな。わかんないことはいっぱいあった。
「形にできて、よかったんじゃないですか」
そう言ってジュンっちはオレの歌詞に合わせて歌い始めた。キレイな、透き通った声だった。
オレは自分勝手だから、ジュンっちが叶わぬ恋をしていないことをずっと祈ってた。人の声で聞く自分の気持ちを閉じ込めた歌は、不思議な感じだった。
決別の時。
その日はたまたま部室にいたのがハヤトっちとオレだけだった。みんなは先生に呼ばれたり掃除が長引いたり、なんか理由があって遅れてた。
他愛ない話もよかったけど、オレは出来たばかりの曲を聴いてほしくてうずうずしてた。そしたらそのうずうずが一瞬でバレて、ハヤトっちと仮歌を入れたデモを聴いてた。
ウォークマンのイヤホンを左と右でわけあって、短くなった日が斜めに差して、隣同士の椅子で幸福を分け合うみたいに音楽を聴いていた。コイゴコロはこの歌と一緒に捨てたつもりだったけど、どうしようもなく幸せな時間だった。
曲が終わって、イヤホンを回収する。すると、ぽたっとハヤトっちから雫が落ちて歌詞を書いたノートを滲ませた。あの夏の日みたいだ、ハヤトっちは泣いていた。
ハヤトっちの手がオレの方にすっと伸びて、オレの頭をくしゃって撫でる。
「……つらい恋を……してたんだな……」
そのときの彼の涙は多分一生忘れないんだと思う。どうしてもどうしても捨てきれなかった願いのような恋が形を変えて彼の元に届いた気がした。どうしても分かってほしい人がこの胸の痛みに触れてくれた。
まっすぐに目をみて涙を流すハヤトっちは嘘みたいにキレイで、どうしても触れたくなった。
ハヤトっちの右頬に触れて、流れる涙を人差し指でそっとぬぐった。不完全なものどうしが触れあって、一瞬だけ完璧に近づいたような気がした。今だけは、一人と一人じゃなくて二人ぼっちになれた。神様が用意した額縁に、二人で一つみたいな角度で完璧に映っていた。
ただ、オレはバカだからすぐにその角度を忘れてしまう。
ふっと直感的に視線を扉にむけたら、その四角い窓枠に見慣れたバンダナと癖毛を見つけた。一瞬で血の気がひいていくような錯覚に陥ってクラクラした。
彼は一言も言わず、足早になることもなくただ去って行った。きっと、飲み物でも買いに行って時間でも潰すんだろう。あの完璧な時間ですら、大好きな恋敵の温情で得た時間だったような、そんな被害妄想をした。
視線を戻したときに、もうハヤトは泣いてなかった。涙をぬぐって、照れくさそうに笑っていた。
「四季も、そんな恋をしてたんだな」
四季も、って言い方が気にかかった。ハヤトっちの恋も、こんな恋なのだろうか。
「やだなー!イメージってやつっすよ!イメージ!」
そういって笑う。うまく笑えてるだろうか。
嬉しい。思いが届いたような気がして。苦しい。どうしても捨てられないコイゴコロが邪魔をして。
「……イメージってやつっすよ」
そう言って笑った。ハヤトっちはそっか、って1回だけ言って笑った。
***
そして今。相変わらずオレはハヤトっちが好きだった。でも、気持ちを歌にしてすこしキャッカンテキってやつになれてる気がする。
気持ちを伝える気は毛頭ないし、このまま忘れられる恋だと思う。初恋は実らないって言うし、まぁこれ初恋じゃないけど。だから今までの熱みたいにきっと忘れられる。この気持ちは今までとは全然違うけど、きっと大丈夫。
オレに、歌があってよかった。生まれてすぐに死んでしまったコイゴコロを弔うことができた。
その歌はこうやってライブで披露されて何千人もの人に届いて、共感されたりなんかして、俺たちくらいの子がカラオケで歌ったりして何万回と消費される。
それでいいって思う。そうやって消費されて、オレのこの気持ちをありふれたものみたいにしてしまってほしい。
春に出会って。夏に始まって、秋に芽吹いたあの恋。今は冬で、冬までは咲いていられなかった恋。その先の季節を見ることもなく、ただあの秋の夕焼けで眠ったように死んで動かない気持ち。
オレが書いた詩の中の少女は季節を旅して恋をする。いつか、オレのコイゴコロが辿りつけなかった季節を見てほしい。
「それでは聞いてください――五番目の季節」
歓声が、聞こえる。