成長期ビリーバー 彼シャツ。
それは恋人が来てくれるシャツ。あのだぼっとしててかわいい着こなし。萌袖になったりして、なんならワンピースみたいになっちゃったりする魅惑のアレだ。
なにより恋人が自分のシャツを着ているというシチュエーションがたまらない。そんなのお泊まりじゃん。よっぽど親しくないとそうはならないというか、なんというか男の浪漫がギッチギチのミチミチに詰まった服装。それが彼シャツだ。
そんな話をしていたのが、確か数日前だと思う。
彼シャツいいよなぁと頷くハルナっち。真っ赤になりつつも同意するハヤトっち。そしてオレ。
アイドルをやるようになってから特定のアイドルで妄想……想像をするのはちょっとやりにくくて、各々が理想の美少女で妄想を膨らませるなか、オレはお付き合い中の美人さんを思い浮かべていたのであった。
そう、漣っち。愛しの恋人。
漣っちの彼シャツってどんなんだろう。細く見えるけど筋肉はしっかりついてるから整ってて、色が白いから透明感ってやつがすごいと思う。とにかくビジュアルは漣っちである以上たぬきの着ぐるみを着てたって最高なんだけど、彼シャツのシチュエーションを漣っちに当てはめたらそれはもう大変なことだった。
オレの服を着る漣っち。まずシャツを着る漣っちって超レアだし。オレが頼み込んだから着てくれたのかな。それとも、オレんちにお泊まりしたときに、適当にタンスから服を勝手に取りだして着たのかもしれない。まぁ、オレの部屋にいることは確定だろう。つまり、プライベート空間。プライベート空間オブオレインザ漣っち。そんなの誰にも見せたくない。漣っちの彼シャツ。きっと未来永劫見ることは叶わないであろう漣っちの彼シャツ。そんな空想上の幻獣のようなイメージを抱いたまま、オレは思春期トークに花を咲かせていたのである。
まさか、あんなことになるとは知らず。
「なんだよその反応は」
漣っちはたまに、いきなりオレに何かをしてくれる。そんな気まぐれなところもネコっちに似てて好きなんだけど、これにはちょっと驚いた。オレはえらく慌てて、小さな声で大声を出すなんていう器用なマネをしてみせる。
「と、とりあえずこっち! 応接室! 隠れて!」
「アァ? なんでオレ様がこそこそ隠れなきゃなんねぇんだよ」
「いいから!」
漣っちがこそこそ隠れなければいけない理由。それを一言で言うなら「誰にも見せたくなかったから」だ。
漣っちはダボダボのシャツを着ていた。ズボンはいつものサルエルパンツだったけど、数日前に彼シャツの話をしたオレからしたらそれは完璧に彼シャツだった。いや、別に漣っちに彼シャツのつもりがなかったらオーバーサイズのファッションだと、これはオレの妄想だと思えたのに、あろうことか漣っちが言ったのだ。これは彼シャツだと。
オマエの為に着てやった、と確かに漣っちはそう言った。これはオマエの為の彼シャツだと。それなら他人に見せたくないのは道理だろう。
ただ漣っちがオーバーサイズのシャツを着ていただけでも、漣っちがそれを彼シャツと呼んだならオレの中ではそれは彼シャツなのだ。なんというかその単語だけでドキドキしてしまって、誰が来てもおかしくない空間にいるなんて無理だった。というか、こんなに都合よく事務所に誰もいなかったのが奇跡かもしれない。まぁきっと漣っちのことだから人の気配がしないときを狙って現れたんだろうけど、唯一事務所にいる賢っちには存在すら悟られていないのは魔法みたいだった。
漣っちは不機嫌だった。そりゃそうだろう。漣っち直々に、オレの為に彼シャツを着たというのだから。
漣っちが彼シャツ。その文字列は嬉しい。だが、手放しで喜ぶ前に聞きたいことが山ほどあった。
「……彼シャツ、なんすね」
「おう」
「…………えっと……まず……あの、なんで彼シャツなのか、聞いていいっすか?」
オレはあんま頭がよくないから、脳味噌がキャパオーバーでちょっとくらくらしてる。てか、漣っち彼シャツ知ってたの? その疑問は数秒もしないうちにさらさらと溶けた。
「オマエたちがわいわい盛り上がってたんじゃねーか。オトコノロマンだなんだって、ぎゃあぎゃあガキみたいによ」
「いたの!?」
「いちゃわりーかよ」
「いや、悪くはないんすけど……」
漣っちって見つからない時はマジで見つからない。タケルっちとか道流っちといるときはうるさいからわかるんだけど、一人でいるときの漣っちは、ふいっと消えて気がつくといる。つまりオレが漣っちを見つけるときってのは漣っちが見つかってくれるときなんだけど、あの日はそうではなかったということだ。
「…………で、オマエがバカみてぇにカレシャツカレシャツって騒いでるから、オレ様がジヒをくれてやったんだろうが」
だから泣いて喜べと漣っちは言う。確かに、これは泣いて喜ぶべきことだろう。恋人がオレの願いを叶えるために、普段は着ない服を着て喜ばせようとしてくれているのだから。こんな健気な愛情、喜ばないほうが失礼だ。
ただ、それ以上に疑問が多すぎて涙が引っ込んでしまう気持ちもわかってほしい。まず、第一にさぁ。
「…………あの、そのシャツは…………?」
「アァ? らーめん屋のシャツだけど」
「それはもう彼シャツじゃないんすよ!!」
思ったより大声が出てしまった。漣っちが一瞬だけ驚いたようだが、漣っちがオレに対して怯むわけもない。ただ否定の大声を出されて不機嫌になっただけだ。
「……ダボダボのシャツがカレシャツなんだろ?」
「うん……あのですね、そもそもダボダボになる理由というか、前提が、彼氏の服を着てるから、なんすよ」
説明タイム。ダボダボなシャツは結果なのだ。大事なのは『恋人がオレのシャツを着ている』というところなのだとオレは必死に説明した。漣っちの彼シャツはオレのシャツなのだ。ここが一番大切なんすよ。でも、漣っちは容赦がない。
「でも四季はオレ様よりチビだろ」
「……はい」
「それにオマエ、もやしだし」
「…………はい」
「じゃあ、それだと小せぇだろ。ダボダボになんねぇ」
「うわーーーーん!!」
オレはバンドのボーカルだから耐えられたけどその辺の男子高校生だったら泣いていただろう。オレはギリギリ泣かなかったけど、そのぶん心で泣きながら悲しみを吐き出すように大声を出す。泣く、というか、吼える。漣っちがうるさそうに顔をしかめた。
「わけわかんねぇ。ダボダボのシャツを着ろって言ったり、小せぇシャツを着ろって言ったり」
「うう……漣っちには男の浪漫がわかんないすよ……」
「アァ?」
「なんでもないっすよぉ……もぉ……」
ここはオレの家じゃなくて事務所だし、漣っちの着てるシャツは道流っちのだし、もうめちゃくちゃ。あー……でも漣っちのシャツはレアなんだよなぁ。
ままならないけど漣っちがオレのことを想ってくれたのは確かなのだ。シャツの漣っちって新鮮だからすげーカッコいい。萌袖になってるのとか、かわいいし。なによりオレのためにわざわざ道流っちにシャツを借りてきてくれたこととか、すごい嬉しい。
「……なんだかんだ言っちゃったけど、嬉しいっす。漣っちがオレのためになんかしてくれて、すげー嬉しいっす」
「別に。気が向いたからだし」
「それでもいいっす。……ねぇ、オレがでっかくなったら、オレのシャツも着てほしいっす」
事務所だけどハグくらいはいいだろう。願望と共に手を伸ばせば、「四季がオレ様よりデカくなるわけねーだろ」と不機嫌そうな指先がオレの手をはじく。あんまりっす。
「絶対着てもらうっすからね!」
「あー、デカくなったらな」
最後に至ってはあやされる始末。たまに見せる年上の顔は、いまだけでいいから閉まっていてほしかった。
『今日から毎日牛乳飲むから』
『冷蔵庫にいつも入れといて』
2年の差は埋まらないけれど、3cmの差なんてあっという間だということを思い知らせてやる。そう心に誓い、オレはとりあえず母ちゃんにラインをした。
夢はでっかく道流っちレベル。成長期の可能性を存分に開化させ、いつか漣っちにダボダボの彼シャツを着せてやるのだ。