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    85_yako_p

    カプ入り乱れの雑多です。
    昔の話は解釈違いも記念にあげてます。
    作品全部に捏造があると思ってください。

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    百々人くんが想楽くんと旅をする話。(2021/11/11)

    ##カプなし
    ##花園百々人
    ##北村想楽

    キミと一人旅。 部屋が散らかっている。必要な物、不要な物、必要だったはずのもの、もう価値のないもの。
     必要な物は必要な場所に。不要な物はまとめてゴミ袋に詰めた。そのあたりで手が止まる。必要だったはずのものは無価値に成り果てて、嘲笑うみたいに僕の部屋に転がっている。
     テニスのラケットはもう要らないな。僕は個人戦で三位だった。
     書道の道具もいらないな。僕は佳作をもらった記憶がある。
     そんなことを言ったら、ここらへんに散らばった賞状やトロフィーなんてもっといらない。賞状は裏が白いからメモ用紙にできるけど、トロフィーの使い道は本気で思い浮かばなかった。捨てたらマユミくんが怒るんだろうなぁって考えて、気が滅入る。こんなのあったって邪魔なんだから、大事だと思うんならもらってくれればいいのに。マユミくんの家って広そうだし、置いといてよ。
     メモ用紙、メモ用紙、燃えないゴミ、メモ用紙──でも、賞状を八等分するのすらも面倒くさい。燃えるゴミ、燃えるゴミ、燃えないゴミ、燃えるゴミ。あっという間に袋がいっぱいになっていく。
     少しずつ余分なものがなくなっていって気分が良い。深く息を吐いて、吸って、未練の腐ったような、油臭い匂いに気がついた。
     ボール紙でできた箱の中で、画材道具がひっそりと息をしている。これもいらないもの。銀賞にしかならなかった赤、青、黄。それでも僕はこれを捨てることができずに箱を少し高い棚に置いた。きっともう使わないはずなのに、なんでまだこれは捨てられないんだろう。
     もう少しで捨てられるようになるのかな。僕は徐々に変わってきている。そう思い、しばらく手をつけていなかったスペースを片付けることにした。
     必要だった物。不要になった物。ああ、そういえばこれももう要らないや。

    ***

    「百々人くん、それどうしたのー?」
     事務所でぼんやりとぴぃちゃんを待っていた僕に話しかけてきたのは、同じ事務所のキタムラさんだった。彼はユニットメンバーと一緒に居ると小さく見えるけど、こうやって一人でいると思ったより大きい。アマミネくんがアキヤマくんと話してるのを見ると身長の高さにちょっと驚く、あれと一緒。
    「これですか? 要らなくなっちゃったんですけど、まだ使えるから。もしかしたら使う人がいないかなぁって」
     キタムラさんが視線を向けた先には僕のキャリーケースがある。三泊くらいの荷物ならしっかりと収めてくれる、それなりにしっかりとした薄水色の不燃ゴミだ。
     もともとは修学旅行のために買った物で、これは確かに必要な物のはずだった。でもこれは僕が要らない子になった日に、その価値を失った。

    『だから、あなたにはもうお金をかけない事にしたの』

     その言葉通り、お母さんは必要最低限、国民の義務の範疇でだけ僕に関わることにしたらしい。
     僕がそれを思い知ったのは掃除の前日。一刻も早くぴぃちゃんに会いたい僕を呼び止めて、誰も居ない準備室に手招きをした先生は、言いにくそうにこう言った。
    「……花園、ちょっといいか?」
    「どうしたの? 先生」
     先生は一寸ためらって、そっと口にする。
    「その……親御さんが修学旅行の積立金を、もう払わないと……積み立てを解消したいと言っているんだが……」
     心当たりはあるか、と先生は口にする。そっか、もう、そういう段階なんだ。他人事みたいに理解して、やっぱり早くぴぃちゃんに会いたいなぁって思う。
    「ああ、それなら僕が行きたくないって言ったから。言うのが遅れて、ごめんね?」
     お母さんはもう、取り繕う気もないんだろう。それでも僕は反射的に口にしていた。お母さんのためなのか、自分のためなのか、なんのためなのかもわからなかったけど、そうするのが一番いいって理解したつもりになっている。
    「僕、修学旅行行きたくないんだ。お母さんにそう泣きついたから、先生や友達が来いって言っても断れるようにしてくれたんだと思う」
     苦しい言い訳だったかもしれない。というか、僕はそういうのよくわかってない。積立金なんてあったんだ、って驚いてるくらい。僕はどうしようもない世間知らずで、何も考えなくても自動的に修学旅行の日はやってきて、友達と観光をしたり、歴史的建造物を見たり、大勢が入れるほど広いお風呂に入ったり、たくさん並べられたご飯を食べたり、眠る前に枕投げをしたりするんだって思ってた。でもそうじゃないんだ。そんな日は、こないんだ。
    「………そうか。まぁまだ修学旅行までには日があるから、気が変わったらいつでも言えよ。多少は融通が利くはずだから」
    「はーい。ありがとうね、先生」
     ちょっと考える。僕のお年玉は残ってるしアイドルとしてお給料も出てる。必要な金額は聞いていないけど、きっと行こうと思えば行けるんだ。それなのに、行きたいって気持ちが少しも見当たらない。僕がアイドルでいられない場所に等しく意味なんてない。先生、もういいかなぁ。僕、早くぴぃちゃんに会いたいんだ。
     実際、その日は幸せだった。ぴぃちゃんに会えたし、ぴぃちゃんは僕が好きだって言った差し入れを覚えていてくれておんなじものを買ってきてくれたし、嬉しいって言ったら、じゃあまた次も買ってきますねって笑ってくれた。僕は『次』の約束が嬉しくて仕方なくて、舞い上がっちゃって、余裕が出来たから部屋があんまりにもいらないものだらけだってことに気がつけたんだと思う。ラケットは要らない。書道道具も要らない。賞状も、トロフィーも、邪魔なだけ。絵の具が捨てられない理由はわからないけれど、キャリーケースは要らないよね。
    「トランクはあったほうが便利だよ-。僕は兄さんに借りてるけど、そろそろ自分のを買わないと、って思ってるところ」
     キタムラさんの言葉で意識が引き戻される。なんの話か一瞬分からなかったけど、どうやらコレに価値が生まれそうなことはわかった。
    「あ、じゃあこれでよければいりますか?」
     僕はもう要らないので。でも、要らない子が誰かに意義をもらえることは素敵だと知っているから。
     そう言えばキタムラさんは遠慮するよ-、と柔らかく微笑んで口にした。
    「不要品。数日後には、必需品ー……。アイドルになったら撮影で連泊したりするからねー。取っておいたら、使うと思うなー」
     彼が不意に持ち出した未来の話に、ぴぃちゃんの笑顔が重なった気がした。ぴぃちゃんが仕事を取ってきてくれて、僕にはまた意味が生まれて、その時にコレが役に立つなら、それは幸せなことだと思う。
    「修学旅行のために買ったんですけど、確かに遠征も旅行みたいなものですね」
    「そうだねー……。あれ? 不要品って言ってたけど、修学旅行で使うんじゃないのー?」
     そうですね、って。忘れたふりして笑っちゃえばよかった。でもここは学校じゃなくて、この人は先生じゃない。甘えというより、きっと油断という名前をした感情が口を滑らせた。
    「……修学旅行、行かないから」
     それでも僕は「行けない」じゃなくて「行かない」って言った。なんかもう、癖なのか意地なのか、愛なのかもわからない。でもこれで事実は伝わるし、キタムラさんは細やかなニュアンスを気にするほど僕に興味はないだろう。それでも世間話程度に話は膨らんだ。
    「修学旅行、行かないんだー。旅は嫌いかな-?」
    「好き嫌いというか……あんまり考えたことないです。旅行自体したことなくて……修学旅行って旅行って感じ、しないし」
     そうなんだー、と特徴的に間延びした声を残してキタムラさんは息を吐いて、吸って、言葉を紡ぐ。
    「修学旅行って、行かない子は何をするんだろう」
     てっきり、旅が嫌いじゃないなら集団行動が嫌いかとでも聞かれるのかと思った。でもキタムラさんはそういうことを聞かず、そうと決めた僕がどう過ごすのかを気にしてくる。
    「自習らしいです。図書館でも教室でもいいけど学校には行かなくちゃならないって言ってました」
    「そっか。休んじゃダメなんだね-」
     僕はプリントさえやってれば学校なんて行かなくてもバレないと思ってたからサボるつもりだったけど、そんな返答に困るようなことを言うほどバカじゃない。ギリギリまで──いや、好きなだけ寝てから学校に行って、適当にプリントを終わらせたらとっとと帰ってレッスンに行くつもりだ。数ヶ月先の予定だけど、きっと変わることはないだろう。いまからぴぃちゃんに頼んで早めにレッスンの予定をいれてもらおうかな。
     目の前の人間を置いてけぼりにして思考がどんどんズレていく。そうやってズレていった考えが一周して、きれいに収まったタイミングでキタムラさんは楽しそうに笑う。
    「ねぇ。百々人くんは次の土日は空いてるかな?」
    「え? えっと……」
     二人分の視線がホワイトボードに注がれる。空白を確認したキタムラさんは、少し首を傾げて僕を見た。
    「空いてますね。特に用事もないし、暇ですよ」
     暇だったらなんだというんだろう。いや、予定を聞いてくる人の大半は空いている時間があるなら自分と過ごさないかと聞いてくるが、僕とキタムラさんはそこまで仲がいいわけじゃない。そりゃ、同じ事務所の人間だから、先輩後輩の距離感は保った上で仲良くやらせてもらってる。先生よりは気楽で、友達にはなりきれないけど、しっかり仲間。そんな感じ。だから、だけど、彼の提案は予想の三歩先くらいに着地した。
    「旅、してみない?」

    ***

     死にかけの夏が暦にへばりついている。夏休みなんて終わってるのに、トカゲのしっぽ切りみたいに塩素の匂いを切り捨てて、まだまだ夏が足掻いている。
     そんな暑い日だった。僕は大きなキャリーケースにたった一泊分の荷物を詰めて、各駅停車の電車を待っている。僕の横にはキタムラさんがいるのに、これから僕は『一人旅』を始めるのだ。
    「修学旅行って団体行動だから、逆に一人旅とかしてみないー?」
     僕もついていくから。あの日、キタムラさんはそう言ったのだ。
    「……ん? キタムラさんがついてきたら、一人旅じゃないですよね」
    「僕はー……亡霊みたいなものかな。うーん、違う……お助けキャラ、みたいな感じー」
     楽しいと思うよ-、ってキタムラさんは瞳を細める。聞かなきゃ失礼な気がして、僕は詳しく話を聞いた。
     曰く、やることは一人旅で間違いはないらしい。
     話を聞くに、キタムラさんは旅が好きなんだろう。きっと面白いからと、お気に入りをシェアしたい子供のように、歌うように計画を口にする。
     行き先を決めるのは僕。宿を決めるのも僕。でも、宿はキタムラさん名義で取っていいらしい。キタムラさんの監視下──もとい庇護下の元、好き勝手旅をしてみるのはどうかと提案されたのだ。
     とは言っても、僕には行きたいところもやりたいこともない。いや、行きたいところはぴぃちゃんのいるところで、やりたいことは仕事とレッスンだ。ただきっとキタムラさんは僕のためになると思って旅の雑誌をカバンから取り出したんだろうし、その様子はどこか楽しそうだったから、裏切るのはちょっと忍びなかった。あと、ちょっとだけ、一度は要らない物になったこのキャリーケースに、いますぐ仕事を与えたかったのかも。
     思えば東京の外なんて名前しか知らない。僕はこういう命に関わらないことに明確なイメージを持つのが苦手だったから、キタムラさんにいくつか行き先をピックアップしてもらってそこから決めた。お茶が美味しくて、温泉があるところ。キタムラさんは老人みたいだとは笑わなかった。多分、彼もそういうところは嫌いではないんだろう。
     鈍行列車の扉が開いたから乗り込んだ。車内は思ったより空いていて、僕とキタムラさんが座ったシートには他に誰も居なかった。目の前のシートには子供とお母さん。空間をあけて、無関係そうなおばあちゃん。そんな感じで、まばらな乗客がこのゆっくりと進んでいく電車に収まっている。
    「こういうの、悪くないよねー」
     僕は好き、とキタムラさんはひとつ伸びをする。新幹線って案もあったけど、僕も鈍行でいいかなって思ったから時間をかけてゆっくりと行くことにした。
     お金がないわけじゃないし時は金なりって言うけれど、僕は別に急いで目的地についてやりたいことがあるわけじゃない。それに、僕は自分のためだけにお金を使うのが、それほど得意じゃない。
     娯楽をあんまり知らない。そして、必要だとあまり思わない。ご飯は食べるけど、一人だとついつい適当になってしまう。誰かと遊ぶとか、誰かと食べるとか、そういうコミュニケーションは必要だからちゃんとお金は使えるんだけど、なにやら贅沢な乗り物に乗るよりは、こういうのんびりとした乗り物が僕には似合っている気がしたんだ。キタムラさんを巻き込んでいるけど、これは僕の一人旅だから問題はない。
     本当は行かなくてもいいんだけどな。でも、わくわくしていないわけじゃない。キャリーケースはぴかぴかで、みんなが修学旅行のための準備を積み立てている間に僕は抜け駆けみたいに旅をする。それと、やっぱりちょっと嬉しかったんだと思う。正体の掴めない喜びだけど、例えば隣にいる人間が僕にお気に入りを教えてくれたこととか、初めて役目を果たすキャリーケースとか、クーラーの効いた電車の中で飲む、すっかりぬるくなった炭酸とか、そういうものが折り重なって、ミルフィーユみたいになったから嬉しい、みたいな。
     考えてみたら職場が同じなだけの、たったひとつの共通項で繋がっただけの赤の他人だ。しかも僕と彼は二歳しか違わない。社会的な括りで見るなら、彼もまだ子供の筈だ。そんな青年に連れられて──いや、そんな青年を連れて旅だなんて、結構思い切ったことをしている。
     まぁ、キタムラさんはぴぃちゃんが選んだ人なんだから大丈夫だろう。この計画をぴぃちゃんに教えたら、ぴぃちゃんはよかったですねって笑ってくれた。それってつまり、大丈夫ってこと。
     一人旅は初めてだ。ましてや、誰かと一人旅だなんて。それでもやっぱり気になって隣を見れば、子供ならギリギリ座れるくらいの距離の先にいるキタムラさんはのんびりと本を読んでいた。まじまじと見たつもりはないが『書を捨てよ、町へ出よう』というタイトルが見える。
     キタムラさんはあっという間にひとりぼっちになってしまった。僕は少しだけ戸惑ってしまう。誰かと一緒に居るのに、その誰かの望みがわからない。つまり、何をしていいかわからないんだ。キタムラさんは僕に何をしてほしいんだろう。少し考えて、それは旅の成功なのではないかと思うことにした。せっかくキタムラさんが連れ出してくれたのだから、楽しまないと。
     僕も好きにしよう。台本とマーカーを取り出して、必要だと思う部分に蛍光色を塗っていく。ガタゴトという音と、子供の声と、聞こえるはずのない風のにおい。密室は色を変えずに目的地へと僕らを運ぶ。思いついたように人を吐き出して、飲み込んで、一定のリズムで次の駅へ。目的地は終点だったけれど、何かアナウンスがあったときには聞き逃さないようにしなくっちゃ。だってこれは一人旅だから、僕がのんびりしてたってキタムラさんはただ見ているだけなんだ。
     そう、キタムラさんは何かあったら助けてくれる。まだキタムラさんだって子供なのに、ちゃんと守るからねって笑ってた。でも、次に乗るバスを間違えたりだとか、道に迷ったりだとか、お昼のメニューが決まらなかったりだとか、そういうことで助け船は出してくれないと宣言されている。不思議な旅だった。一人旅でもなくて、二人旅でもなくて、連れ合いがいるくせに決定的にひとりで、それなのに守られている。
     台本を捲り終えたら手持ち無沙汰になってしまった。何気なく視線をキタムラさんにやれば、それに気づいたキタムラさんは本から目を上げて僕を見る。でも、見ているだけだ。
    「キタムラさん」
     キタムラさんは一瞬だけ考えるそぶりを見せた。僕の一人旅にどこまで関与するか、彼もまだラインを見定めているのだろう。それでも、彼の決断は早い。
    「どうしたのー?」
     反応されたという事実には安堵したが、よく考えたらキタムラさんに言いたいことなんてひとつもなかった。どうしたの、だなんて、僕はこの人にしてほしいことは今のところないし、自分がしたいこともない。それでも僕は少しキタムラさんとコミュニケーションが取りたくて、知っていることを口にした。
    「ねぇ、キタムラさんは僕が困ってたら助けてくれる?」
    「そうだねー。困り方にもよるかなー」
     キタムラさんは本を閉じてカバンにしまう。僕はこんなにでっかいキャリーバックを引いてきたのに、キタムラさんの荷物は大きめのバッグひとつだけだった。
    「例えば、僕が眠っちゃったら」
    「起こさないよー」
    「例えば、僕が乗るバスを間違えちゃったら」
    「教えないよー」
    「……見てるだけ?」
    「そうだねー。大変なことになっちゃうなって思ったら、助けるよー」
     安心してね、ってキタムラさんは言う。例えば僕がこの会話のせいで決定的な何かに気がつかなかったとしても、キタムラさんは何も言わない。この人は僕がどうなっちゃったら助けてくれるんだろう。
    「乗るバスを間違えたり、とか。大変なことじゃないんですか?」
     ねぇ、キタムラさんは間違えたこと、ないのかな。
    「予定外、着いた先には未知があり。そうでもないんじゃないかなー」
     思いもしなかった場所につくだけだとキタムラさんは言う。
    「……僕は困る、と思います。きっと困る」
    「どうだろうねー。試してみたらいいんじゃないかなー?」
     キタムラさんはそれ以上言わなかったけど、こういう趣旨の言葉には、大抵僕よりも積まれた人生経験からくる「それくらいたいしたことじゃないよ」って言葉が付属する。キタムラさんもきっと、そういうことが言いたいんだろう。そんなの、言われなくてもわかってるんだけどな。乗り過ごしたら戻ればいい。大抵の失敗は取り戻せる。でも取り返しのつかない物事ってのは必ず存在して、一度それで死んでしまった僕は、もう失敗がひどくおそろしい。
    「……失敗するのはいやだな」
    「それはそうだよねー。僕もいやかなー」
     キタムラさんから帰ってきたのは肯定だった。でもそれはただそうであるだけで、会話を進展させるものではない。
     失敗が好きな人はいないだろう。他人の失敗を喜ぶ人はいるんだろうけど、自分が失敗したいって人はちょっと思い浮かばない。そもそも、失敗して喜ぶってことはそれ自体が成功してるようなものだし、なんだか定義が破綻している。
     ほんの少しの停滞を崩したのはキタムラさんだった。砂場の城にちょっかいをかけるように、固まっていた泥の壁に木の枝を突き立てるように。
    「……アイドルってさ-、面白くってね」
    「……はぁ」
     話題が移った、ように思えた。それでもキタムラさんの中にはちゃんと脈絡があって、それに沿わせるように、後出しの会話が続いていく。
    「僕、この前ミスをしちゃったんだよねー。こうしたらもっといいんじゃないかって思って、やりたいって思ったことをしたんだー」
    「失敗、したんですか」
     自分のことじゃないのに、ゾッと背筋が冷えた。バラバラだった多くの目が一斉に自分を捕らえる瞬間を想像して足が竦む。
    「でも、それがファンの人にはウケたんだー。面白いでしょ?」
     不幸中の幸いと言えるだろう。結果的に、彼は失敗していない。
    「よかったですね。結果オーライ」
    「よかったけど、僕はいやだったよー。失敗したって思ったし、すごく恥ずかしくて、情けなくて、悔しかった。これは、どうにかなったってだけの話」
     だから、と継がれる二の句はない。でもやっぱりそういうことなんだと思う。僕はキタムラさんに、いや、誰にも失敗が特別にこわいと言ったことはないのに、この人はその不安を和らげようとしてきている、気がしてる。
     ありがちな勘違いだ。
     なんにも、知らないくせに。
     わかってる。乗り過ごしても戻るための電車は来るし、電車がなくてもタクシーがあるし、根性で辿り着く足もある。でもそれってそれだけの話じゃないか。僕だって何回も失敗していいって思ってたよ。今回も入賞、あの手応えでも二番、羨ましがられた銅賞。僕だって全部全部、恥ずかしくて、情けなくて、悔しかった。でも、続けていたらいつか一番になれるって信じてた。でもあの瞬間、全てが遅すぎたことを知った。もうあんな思いはしたくない。もう、どんなに些細な失敗も僕はしたくない。
     こわいんだ。
     わけがわからなくて、羨ましくて、気持ち悪い。ねぇ、なんでみんなは、失敗してもそうやって笑えるんだろう。
     
     しばらく景色もキタムラさんも見ずに、ずっと自分のスニーカーを見てた。これ、そういえばお母さんが買ってくれたんだっけ。

     がたごと、電車は揺れる。キタムラさんのカバンの中では物語が眠ったままで、僕のキャリーケースは誇らしげにたった一泊分の荷物を守ってた。いつの間にか親子はいなくなっていて、おばあちゃんは起きてるんだか寝ているんだかわからない。
     来なきゃよかった。いや、不用意に話しかけるんじゃなかった。ぼんやりとした後悔に捧げるように、キタムラさんは言い訳みたいに呟いた。
    「もちろん、どうにかならないときもあるんだけどねー」
     僕はキタムラさんを知らないから彼がそういう失敗をしたのかがわからない。でもこの人がこうやって生きているなら、それはキタムラさんがよっぽど強いか、よっぽど隠し事がうまいか、よっぽどどうでもいい失敗しかしてないかの、どれかだと思う。
     怒ってるわけじゃない。呆れてるわけじゃない。悪い人はどこにもいない。ただ、そういう人間が居るっていうのを僕が受け止めきれないだけ。アマミネくんの輝きとか、マユミくんの正しさとか、そういう類の暴力に晒されている、それだけの話だ。
     顔に出ていたのかもしれない。キタムラさんは一言、ごめんねって呟いた。
    「……わかってはいるんですけど。やっぱりこわい、かな」
     これは晒す必要のない感情なのに、傷口を見せるような真似をしたのは弱さなんだろうか。いや、もっと卑怯なことをした気分になっている。本質なんてひとつも見せずに、ただ「僕はとてもかわいそうでしょう?」って傷口を見せるような、そういう真似だ。
    「失敗はしたくないです」
     でも、嘘は吐いてない。キタムラさんは僕の安い誠意に、同じだけの誠意を返してくれた。一言、もう一度傷つけちゃうかもって、前置きをしてからぽつりと零す。
    「ミスはね-、雨彦さんとクリスさんがカバーしてくれたからウケたんだと思うんだ-。運がよかったんじゃなくて、僕の力ってわけでもなくて……二人のおかげ」
     すっと、りんごみたいな色の瞳がまぶたに覆われる。連想ゲームのように、僕はマユミくんからもらった果物のことを思い出していた。
    「言わないけどね-……二人がいて、プロデューサーさんがいるとやりやすいよー。きっと百々人くんも、そうなると思う」
    「……失敗が、成功になる?」
    「失敗を恐れないで好き勝手できるってこと、かなー。アイドル活動でそうなるにはまだ少しかかるかもしれないけど、ほら、今日の旅は僕が見てるから」
     また見えるようになった赤い瞳から目をそらして僕は景色を見ていた。流れ去る風景には何もなくてそれが妙に印象に残る。なんとなしに、嫌な予感がするのだ。
    「だから、百々人くんがやりたいように、自分らしくやってみてよー」
     言いたいことは口にしたんだろう。キタムラさんが少しだけ、僕から意識を逸らしたのがわかった。僕はまだ満足にキタムラさんのほうが見れなくて、蚊の鳴くような声しか出せない。
    「……自分らしくって、難しくて」
     失敗とか、成功とか、もしかしたらそういうのって全部前振りだったのかも。この人は僕が自分を出せないと思ってこんな大がかりなお節介を焼いているのだろうか。だとしたら見当違いなんだよなぁ。僕は自分が出せないんじゃなくて、出すべき自分を持っていないだけだ。いままでの僕は全部捨てちゃったし、これからの僕はぴぃちゃんのためのものだから。
     そういうの、言わなかった。でもキタムラさんはトーンを変えずに告げる。
    「自分が、あんまりないからかなー?」
     ちょっと驚いたけど、心臓が止まるほどではない。バレちゃうものなんだなぁ。でも、バレたからって困らない。見えにくいところにある事実がただ彼の視界には入っている。それ以上でも、以下でもない。
    「……そんなに、わかりやすいですか?」
     肯定ついでに、疑問。たとえばキタムラさんにバレたって痛くも痒くもないんだけど、マユミくんやアマミネくんに気づかれるのはちょっと嫌だった。
    「どうだろうねー。僕は自分に……固執、してるのかな? 百々人くんとはあんまり似てないから、逆にわかるのかもねー。わかったつもりなだけ、かもしれないけど」
     僕は見当外れのことを言ってるのかもしれないねー。そう困ったように笑うキタムラさんに、僕は思わず「あってますよ」って口にしてしまった。そっかーっていうぼんやりとした、独り言みたいな声が溶けていく。
    「足して二で割ったら、お互いの人生ががらっと変わっちゃうかもねー。反対の、個性を混ぜて、凡庸に-。うん、生きやすくはなるんじゃないかなー」
     僕はそれがいいとは思わないけどねー。そう付け足してしまうこの人は僕が思うほど大人じゃないのかも知れない。子供じゃないってだけの、宙ぶらりんな人だ。
     だから、これは僕らみたいな存在がまだ切り離せない不安なのだろうか。それとも、試されているのかもしれない。
    「僕のこと、嫌い?」
     にやりと笑われた。これは、試されている。
    「嫌いじゃないです」
     ちょっと怖いけど、それはキタムラさんのせいじゃなくて僕の問題だから白状しなかった。キタムラさんは僕の言葉に疑いを返さず、もう一つ、って呟いた。
    「じゃあ、一人旅は嫌い?」
     僕の横に腰掛けて、一人は嫌いかと問う人はちょっと面白かった。僕はまだお腹がすいていないし、日はまだこんなに高い。
    「まだ始まったばっかりだから、わかんないよ」
    「あはは、確かにそうだよねー」
     その時、たぶんいままで見た中で一番柔らかくキタムラさんは笑った。ゆっくりとした声色で、一言、「僕は、好き」って呟いた。
     なんだか、ふいに僕は少しだけ幸福になる。僕が晒した傷なんかよりよっぽど深い物を差し出された気がしたからだ。いま、彼は僕のために存在しているって勘違いしてしまうような時間が流れる。でも、この目の前にいる人間は僕に優しくしてくれている。手段とか、結果とか、そういうのは抜きにして、ただ僕には一欠片の幸福があった。
    「……やりたいこと、見つけたかもしれません」
     幸いがこの手から生まれるような、奇跡に触れるような感覚がある。我ながら、なんでこんな単純なことで上機嫌になったのかと呆れてしまう。
    「僕、お土産屋さんに行きたいな。ぴぃちゃんと、マユミくんと、アマミネくんにお土産を買おうと思います」
     自分がしたいことって、こういうのでいいのかな。自分にしてあげたいことは浮かばなかったけど、誰かに何かをしてあげたいって気持ちがちゃんとあるって気がつけた。こういうのも自分がないって言われちゃったらお手上げなんだけど、でも、キタムラさんはニコニコ笑って聞いてくれた。
    「あと、キタムラさんのぶんも」
    「僕のもー?」
    「僕とお揃いのなにかを、記念に。送ってもいいですか?」
    「おそろいかぁ。ふふ、楽しみにしておくねー」
     楽しみにしてるって言われてちょっとわくわくした。プレッシャーとかがないわけじゃないけど、それよりもどうしたらこの人が喜んでくれるのか、そう考える。
     ぴぃちゃんは何をもらったら嬉しいんだろう。マユミくんは、アマミネくんは。マユミくんは龍のキーホルダーも猫のキーホルダーも贈れば使ってくれるんじゃないかって気もするけど、アマミネくんは喜ばなさそう。食べ物はどうかな。おまんじゅうは定番かな。僕はまだ手放しで彼らのことを好きとは言えないけど、二人のことを考えたときに心臓があったかくなるくらいには、僕は二人が好きだった。
     僕は自分に優しくなれないけど、きっと僕の周りの人は僕にやさしい。だから自分勝手の第一歩として、そういう人達を好きでいることにしようと思う。
     願いがないわけじゃない。そりゃおいしいものは食べたいし、足の伸ばせるお風呂に入りたいし、ふかふかの布団で眠りたい。やっぱり失敗はしたくないし、見捨てられたくないし、こわい思いはしたくない。
     したくないことをしないようにする努力はできる。でも、それって自分を甘やかしていることにはならないらしい。おいしいごはん、とか。そういうのはどうしても一人だとおざなりになってしまう。それが僕に相応しい価値なんだって考えが、べったりと爪先を汚している。
     でもこの一人旅には頼もしい亡霊がついているから、この人となにかおいしいものが食べたいなって、そう思った。宿のご飯がおいしいといいなって、そう思った。
     終点のアナウンスをキタムラさんは教えてくれなかった。意識の外で繰り返されたアナウンスに気がついた頃には向かいに座っていたおばあちゃんはいなくなっていて、もう行き先がない電車が僕らを吐き出すためにくちを開いている。
     クーラーが逃げて暑かった。きっと外はもっと暑い。からからとキャリーケースを転がして僕は外に出る。亡霊がふらりとついてきた。
    「帰りは新幹線にしようかな」
    「いいんじゃないかなー。そういうのの自由が利くのも、一人旅のいいところだからねー」
    「それなんですけど、ちょっと相談があります」
     なぁに、って首を傾げるキタムラさんに、プロポーズよろしく口をひらく。
    「新幹線にしたら、時間がちょっと空くじゃないですか。僕、観光案内にあったここの喫茶店に、キタムラさんと行ってみたい。僕はクリームソーダを飲んで、キタムラさんがさっき読んでた本の話を聞きたいなぁ。ねぇ、いまから二人旅をしませんか?」
     想定外だったようだ。キタムラさんは今まで保たれていたであろう彼のルールを振り返るように呼吸を止めたあと、ゆっくりと答えを吐き出した。
    「……亡霊が、甘味に誘われ二人旅。ふふ、お供させていただきます。改めて、よろしくねー」
     でも、あの本は説明が難しいかも。そう困ったように笑うキタムラさんがなんだか新鮮だけど、本を貸すから読んでみろとは言わなかった。僕が話を聞きたいって、ちゃんと願いを言えたから。
     
     遅鳴きの蝉が鳴いている。たったふたりで辿り着いた、一人旅の終着点に僕らはいた。
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