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    85_yako_p

    カプ入り乱れの雑多です。
    昔の話は解釈違いも記念にあげてます。
    作品全部に捏造があると思ってください。

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    想雨。年の差。『海、ラムネ、金属』というお題で書きました。(22/6/7)

    ##想雨

    海とナイフ「牙崎くんはさー、ラムネを知らなかったよねー」
     夏の夜、ベランダから見た夜空には一輪の華も咲いていなかったけれど、僕はふと花火大会の日を思い出して口にした。夏休みの僕は家にいる時間が増えて、夏とは無関係に会社に縛り付けられた兄さんの代わりとでも言うように雨彦さんが恋人の距離で僕とベランダに並んでいる。ここにクリスさんがいない理由は確かに存在していて、色恋には明確なえこひいきがつきものだった。
    「なんていうか、牙崎くんってちょっと浮き世離れしてるよねー。浮き世離れっていうか、人間離れっていうかー」
     夏の大三角を見ながら、星見を得意だという男の顔を見上げる。雨彦さんは星を見ずにただ僕の目を眺めていた。
     その薄い唇からは同意も、否定も得られない。だから僕は言わなくてもいいことを言ってしまう。
    「……雨彦さんもそういうところあるよねー」
    「そうかい?」
    「そうだよー。……でも、雨彦さんはラムネを知ってるんだよねー」
     僕は手に持っていた缶コーラを一口含んだ。雨彦さんはお酒だって飲めるのに、僕にあわせてか、はたまた好みなのか、同じように缶コーラを片手に持っている。
    「……でも、ヘアワックスは知らなかったねー。雨彦さん」
     缶の結露が茹で上がりそうな外気が隔てた先で、雨彦さんは答えのように、言葉も持たずに薄く笑った。
    「そういうところがあるよ。だから、たまに言いたくなるんだー。雨彦さんは人間のふりが上手だけど、たまにうっかりしっぽが出ちゃうよねー、って」
     別に言葉は塞き止められていたわけじゃない。湧き水のように、夕暮れに見えてくる星のように思考が浮かび上がってきただけだ。きれいなはずのそれが粘度を保って喉に絡みつくから、子供のように僕は口を開く。
    「……でも、ラムネは知ってる。雨彦さんがヘアワックスとか……何かを知らないのって、おじさんだからだよねー。別に、化け物だからじゃない」
    「おじさんとは傷つくな」
     事実だが、と溜息のように笑い、雨彦さんはコーラを飲んだ。そういえばコーラって、この人といるときにしか飲まないかも。つられるようにしてコーラを喉に流し込めば、舌がべったりとしてスパイスの刺激に感覚が揺れた。
    「……三十路はまだ若い、かもー。でもね、僕がそれよりもずっと子供なだけー」
     たとえば僕はお酒が飲めない。目の前の男はお酒を飲まない。そういう違いだ。
    「雨彦さんは人だけどねー。イメージっていうのかなー。雨彦って名前を聞くと、水みたいなところがあるなって思うよー」
     人のふりが上手。なんだか水みたい。そうやって、言外に告げる。たまに人間っぽくないよって。
    「雨って言うがな、こう見えて晴れ男なんだ」
     わかっていないのか、無視されたのか。おそらく常套句だろう言葉を雨彦さんは僕に返す。
    「雨がないと、晴れもないでしょー?」
     雨があるから晴れが定義される。雨がなければ『晴れ男』の証明は不可能だ。こんなふうに、この男は中途半端に人間みたいだから怪異に見える。反目するように、時折見せる怪しさが彼の人間らしさを際立たせていた。
     水も雨もずいぶんとあやふやなイメージだけれど、僕はそういうもの全部を見ない振りして独り言になりそうな言葉を紡ぐ。それに雨彦さんが相づちを打つからかろうじて会話になっているだけの、吐露に近い声が真夏の温度に溶けていた。
     音はない。花火の音も、蝉の声も、雨の音色も。
    「水……雨……。そうだねー、海みたいだって、思ったよー」
     それは思いつきだった。それでも、口に出せば意識はどんどん馴染んでいく。言葉に取り憑かれて、思考が缶を伝う結露に浸って滑り落ちた。
    「海みたい。いつも思ってるわけじゃないよー。でもね、いま、ふっと思ったんだー。近寄ったら楽しいけど、深入りしたら溺れちゃう。慈しみながら底を見せない。離れても潮騒に心が呼ばれて……そうやって離れがたくて見つめていたら最後、時間を忘れて……気がつくと僕は錆びて動けなくなって……面影もなくなるんだろうなー……って」
     気がつかないふりで雨彦さんは口を開く。
    「錆びる……なるほど、金属か」
     いや、気がつかないふりなんていうのは僕の被害妄想だ。本当にこの人はなにもわかっていないかもしれないのに、どうしてもこの男はすべてを知ったうえで僕に逃げ道を用意しているように思えてしまう。
    「北村が自分をそう喩えるのは意外だったな。もっと柔軟で、身軽でいたいもんだとばっかり思ってた」
     それは嫌だと、口が吐く前に息を飲み込んだ。柔らかでいたい。身軽でいたい。だから、雨彦さんの言葉に乗っかったってよかったんだ。でも、それは癪だ。面がひとつだけの、薄っぺらいものにはなりたくない。雨彦さんが言う形と同じくらい、僕は必死に自分を研ぎ澄ましていたい。
     この人を見ていると、傷つけないように貫いてみたくなる。それなのに、どんなに心をすり減らしても海は切れないし、潮風にどんどん錆びて、鈍っていく。
    「……尖っていたいなんて言うと、なんだか青臭くて嫌になるけどさー。やっぱり、強くありたいよ。柔軟に、身軽に、でも、なにかひとつを研ぎ澄まして……刃物みたいな言葉を、心を、雨彦さんの喉元に突きつけてみたいんだ」
     中途半端に残ったコーラを飲み干した。炭酸が抜けて、真夏の海のような温度をした甘さが喉を焼く。
    「……それが海を切りつけるような、どんなに意味の無いことでもねー」
     情けなく喋り続けたことを酒のせいにできたらどんなに楽なんだろう。アルコール度数0%の清涼飲料水で満たされていたはずの缶を思い切り握りつぶす。溜息のように後悔をする。
    「化け狐ー、追い詰めたいが武器は錆び。なんでこんなに近づいちゃったんだろ」
    「恋人に言う台詞じゃないな」
    「恋人にまで近づいたから思ったんだよー。離れたくないのに、近くにいると鈍くなる。仕留めるための刃物はここにあったのに」
     どちらからか、近づいた。距離が近くなれば近くなるほど雨彦さんは僕を見下ろさないといけない。僕から見上げる義理はないから、視界に入った白い首に手を伸ばして軽く爪を立てた。雨彦さんが笑う。
    「……三行半じゃなければなんでも突きつけてくれ。お前さんが刃物を持ってるなら、縁以外のなんだって切ってくれて構わない」
     離れがたいのは俺も同じさ。さざ波よりも消えそうな声で雨彦さんが囁いた。
    「……お前さんは信じちゃくれないがな、それくらいには惚れてるんだ。喉元でも、心臓でも、晒すさ。持ってってくれ」
     雨彦さんはそう言って、爪を立てていた僕の手を取って自分の首に押し付けた。僕の手のひらの下で血液がドクドクと熱く脈打っている。僕の手よりも温度の低い首はうっすらと冷たかった。
    「雨彦さんが化け物なら、心臓や魂が9つくらいあるんだろうねー。そうだとしたらありがたみは薄いかなー。でも……」
     本当に9つくらい、この人は心臓がありそうだ。たったひとつで満足できない自分に呆れながら、たったひとつしかないんだと、子供のような欲しがりを押さえつける。
    「雨彦さんはただの人間で、ただのおじさん……だもんねー?」
     雨彦さんは全部なんてくれない。それなのに、こんな甘言を囁く程度に僕のことが好きなら、僕だって逃げ道をあげる。
    「……ラムネを知ってて、ヘアワックスを知らない、ただのおじさん」
     かがんで、と口にした。律儀に位置を下げた頭を撫でればふわりと鬢付け油の香りがした。
    「……ああ、ピチピチの三十路さ。ラムネを知っていて、恋人のお誘いに浮かれて新しい瓶漬け油で身支度を整えるような……ただの人間だ」
     雨彦さんが姿勢を戻せば、もう簡単には空色の髪に手が届かない。そういうところがある。雨彦さんの仕草次第で、触れられなくなる領域がある。
     触らせてもらえるだけ、きっと許されているんだろう。たとえ雨彦さん相手じゃなくたって全てに触れたいなんて傲慢だ。聞き分けのいい子供になって、僕はデートのお誘いをする。
    「それなら、たったひとつの心臓をくれたお礼がしたいなー。若者の流行りを教えてあげるよー」
     雨彦さんが一生知らなかったはずのことが僕の一言で雨彦さんの人生に組み込まれる。そういう、甘えるような牙の立て方を練習するのも悪くない。
    「今度、喫茶店に行こうよー。クリームソーダを飲もう?」
     流行ってるんだー。そう口にすれば雨彦さんは首を傾げた。
    「クリームソーダは俺ら世代の流行だと思ったんだが、違うのか?」
    「リバイバルってやつじゃないー? いま、結構流行ってる気がするよ」
     流行りが繰り返すなら、僕はいま周回遅れで雨彦さんに追いついたんだろうか。そういう瞬間はきっといくつも訪れるんだろう。
     雨彦さんはクリームソーダを飲んだことがあると思う。でも、今からその記憶を上書きして居座ることだってできるはずだ。そういう少しだけ野蛮な感情はいつだって腹の底に溜まってる。
    「……デートで浮かれた僕はさ、雨彦さんにクリームソーダのさくらんぼをあげるんだー。素敵でしょー?」
    「それはいいな。……同じものを飲もう。俺たちはずっと俺たちのままなんだろうが、同じものを楽しむことができる。おじさんも若者も、せっかく同じ時代に生まれたんだ」
     決まりだ。雨彦さんの言葉を受け取って、僕は部屋に旅行雑誌を取りに行った。ついてきた雨彦さんが背後から覗き込むから、ぱらぱらとページを捲って純喫茶特集のページを見せる。雨彦さんはクリームソーダのカラーバリエーションに驚いていて、それがなんだかおじさんみたいで少し笑えた。
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